【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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33 ◇傷痕

 晃は、洗面所を出ようとして足を止めた。風呂場からのシャワーの音に交じって、堪えた泣き声のようなものが聞こえた気がしたからだ。
 いっちゃん、泣いてる……?
 風呂へ入っていった一太はうつ向いていて、何だか様子がおかしかった。
 声が、震えていた?
 気に入ったらしいロフトから下りてきた一太は、部屋へ入れたときの緊張感が薄れていて、ほっとしていたのに。先ほどのやり取りで、何かおかしなことがあっただろうか。
 分からない。
 分からないけれど、放っておけない。
 晃は、ぎゅっとティーシャツの胸の辺りを掴んだ。大きな手術痕が二本ある左の胸。手術が終わり、ようやく皆と一緒に体育ができるようになって喜んでいた頃。体操服に着替えるときに見えたその痕を、気持ち悪い、と言われた。
 その時から、人前で決して裸にならなくなった。
 水泳の授業は全部見学したし、修学旅行でも大浴場には行かず、部屋の小さい風呂に入った。今も、どんな夏の暑い日にも、下に黒のランニングシャツを着ている。
 家族は、勲章なのだから何にも気にすることはないと言ってくれるが、どうしても脱げなかった。
 でも。
 シャワーの音が止まると、やはり聞き間違えようのない嗚咽が響く。
 風呂場に一人になったから、安心して泣けたのだろうか。いや、そんな泣き方には聞こえない。父が、不動産屋からお金を取り戻して来たときに涙を見せた一太は、こんな泣き方じゃ無かった。
 何故? 心配事は、とりあえず消えたはずなのに。どうして……?
 晃は、服を脱いだ。
 風呂場の扉を開けると、驚いた一太が晃の方を向く。 
 やっぱり、悲しい方だった……。
 晃は、泣き顔には気付かないふりで、ざっとシャワーを浴びた。
 
「湯船に入ろう」

 一太をぐい、と立たせて、狭い湯船に引っ張りこむ。一太を抱えて座ると、ざば、とお湯が溢れた。

「あ、あああ。もったいない……」

 一太が、少し震えた声で呟いたけれど、知らん顔で足の間に座らせた。一人でも狭い湯船だから、二人だとぎゅうぎゅうだ。

「はは。一度やってみたかった」

 晃が笑うと、駄目だよ、こんなの、と一太が呟く。

「水も無料ただじゃないんだからね」
「うん。でもうち、水道代は毎月定額で二千円」
「え? そうなの?」
「だから使いまくっていいって訳じゃないけどさ。今日だけ許して」

 うう、と唸った一太が少し笑った。

「ちょっと楽しかった」
「悪いことって楽しいの、なんでだろね」

 くすくす笑って狭い風呂でくっつき合う。一太は細すぎて、皮膚があちこちがさがさで抱き心地はよろしくない。晃もあまり肉付きの良い方ではないけれど、何にも鍛えていない体に、少しの肉は付いていた。一太がもたれかかってくれるから、そのままの姿勢でふ、と息を吐く。

「僕、友だちとお風呂入るの初めてなんだ」
「へえ」
「この傷がさ」

 晃は、抱き締めていた一太の体を少し離して、胸を見せた。一太は、少しだけ目を見開いた。

「見えたら気持ち悪いかも、と思って」
「え? なんで? 格好いいよ」
「へ?」
「病気を治すために闘った証でしょ。すごく格好いいけど」
「え? 本当に? 格好いい?」
「うん、すごく格好いい」
「ええー。そうかあ。そうなのかあ」

 晃は、力が抜けて、湯船にくたりともたれかかった。一太の体をぐっと抱き寄せて、へへーと笑う。

「そうかあ。格好いいのかあ。そうなのかあ」

 晃は、同じセリフを繰り返しながら、同じく力の抜けた一太を抱きしめた。家族から、どれだけ、勲章だ、気にするなと言われても、誰にも胸の傷は見せたくないと頑なだった気持ちが、一太の格好いい、との一言でぱんと弾けたような、そんな不思議な感覚。
 晃は、のぼせるからそろそろ離してー、と一太がギブアップするまで、その姿勢でによによと笑っていた。
 風呂上がりは暑かったから、二人して上半身裸で洗面所から出た。一太の手を引いて、一緒に出てきた。病み上がり、いや、まだ治っていない一太がふらふらしているから、とりあえずベッドに座らせる。冷房の効いた室内は涼しくて生き返った。
 母が驚いた顔で自分を見ていることに気付いたが、気付かないふりで、晃は冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本出した。一本を一太に渡して、自分の分の半分ほどを一息に飲んだ。一太も、素直に受け取って口を付けていた。

「入りすぎた。あちい」
「でも、気持ち良かった」
「そう? また一緒に入ろう」
「狭いのに」

 一太は笑う。
 嫌とは言わない。だから、一太もまた、一緒に入ってもいいと思っているんだろう。こんなに楽しかったのは初めてだ、と晃は思った。
 母は、しばらくこちらを見ていたが、何も言わずに洗面所へいって洗濯機を回し始めた。
 晃は、お茶を飲んでぼけっとしている一太の肉のない体をもう一度しっかり拭いて、病院でもらった皮膚のかさつき用の薬を塗り始める。範囲が広いからとローション状のものを出してくれていて、塗りやすかった。一太の皮膚があちこちまだらに変色しているのは、皮膚病の一種だろうか。

「あ、あ。いいよ、晃くん。自分で塗るよ」
「背中、届かないでしょ。手に出したついでだから、全部塗ってあげる」
「あ、うん。……ありがとう」

 病院にいる間にお世話をされることに少し慣れたようで、一太が過剰に遠慮することがなくなった。嫌がっていないならば、どんどんお世話をすることに決める。ありがとうと言われると、とても嬉しかった。晃は、ご機嫌で薬を一太の全身に伸ばしていった。

「お昼、カレーなんだけど。村瀬くん、中辛は平気?」

 洗面所から戻った母が、IHコンロが一つの狭い台所で、鍋を温め始める。

「あ、はい。カレー、大好きです」

 一太が、部屋着を身につけながら答えた時だ。
 ピリリリリリ。ピリリリリリ。
 
「わあ」
「電話?」

 電話の音が鳴り響いた。一太が慌てて、いつも持ち歩いているバッグを探る。電話は鳴り続けている。

「はい、村瀬です」

 あ、携帯電話をうちのWi-Fiに繋いであげないといけないなあ、と晃は思った。上着を着ながら、一太の電話の邪魔にならないように、静かに隣に腰を下ろす。

「あの、俺、クビじゃないんですか?」

 バイト先からか。一週間も休むならクビだって言われた、と言っていたな。

「え? 今日の十三時からのシフト? えと、あの、行けないです。あの、体調がまだ……」

 はあ? 何を言ってるんだ? いっちゃんのバイト先からの電話だよな? この前の電話で、一週間入院しないといけない、と伝えたはずなのに。

「すみません。俺、この前の電話で、一週間入院って言われたと、伝えたと思うんですけど……」

 ほら、やっぱり。
 そう思う晃の耳に、二日間の休みしか聞いてない! との声が、漏れて聞こえてくる。びくり、と一太が身を震わせた。

「そ、そうでしたか? すみません。あの、退院はできたんですけど、でも、あの、病院の許可が出ないと行けなくて……」

 何なんだ。いっちゃんは、入院していたのに。つまり、入院するほど重病なんだぞ? なのに、体調について一言の心配もせず、勝手に二日間の休みと解釈して怒るなんて理不尽だ。一週間入院って連絡して、一週間も休んだらクビって言われたんだから、もうクビだと思うだろ?

「すみません……」

 携帯電話を耳に当てたまま、一太はぺこぺこと頭を下げる。

「え? まだ、クビにはなっていない? 今出てきたらって、あの、でも、月曜日に診察してもらって、それでバイトに行っていいと許可が出ないと行けなくて」

 いつの間にか、母がベッド脇に立っていた。

「とりあえず出てこいって言われても……。あの、でも、俺、本当に、行ってもお役に立てるか……」
「駄目だよ、いっちゃん」
「村瀬くん、バイト先の方?」

 晃と晃の母の声に、一太がはっと二人を見上げた。携帯電話を耳に当てたまま、こくこくと頷く。

「ちょっと貸して頂戴」
「え?」
「いいから」

 まだ、相手が何か話している携帯電話が、母の手に渡った。
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