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44 自分の意志が通った日
ええ?
一太は驚いて、声も出なかった。
何で? 何で分かるの?
自分が気付いたのも最近で、そうかもしれない、と思っただけなのに。
「そうかあ。村瀬くん、どう?」
「え? え? ええ、と。そう、かも?」
正確には多分、あの人に似た声や話し方などを感じた時、なのだと思う。ああ、でも、晃くんのお母さんに抱き付かれた時にも固まってしまったな。あの人とは、似ても似つかないのに。
「何か、心当たりは……と、いや。うん」
医師は、一太の様子を見て言葉を止めた。
今、どんな顔をしているのだろう。自分ではよく分からない。
「やっぱり、違う科にも行ってもらいたいんだけどなあ……」
一太は、慌てて首を横に振った。もう元気だと、先生は先ほど、晃にも言っていたではないか。自分の診療は終わりだと。
この後、すぐにアルバイトの面接に行くつもりで、履歴書も書いてきたのだ。晃の家の近くのスーパーで、夕方五時から九時の閉店までのアルバイトを募集していた。コンビニでのアルバイトより一日一時間短いが、一時間当たりの賃金は同じ。最低賃金が決まっているのは有り難い。必ずそれ以上はもらえるのだから、どこに働きに出ても安心である。家の近所だし、学校の授業が終わった後で行ける時間だし、レジ打ちはコンビニで覚えたから役に立てるはず。品出しだってできる。
一太の意識はもう、面接に飛んでいた。
しっかりアピールして、実習の間は休みを貰いたいことをちゃんと伝えて……。
年金の、学生の間の免除手続きは、先週役所に出掛けて終えたから、その分の支払いはとりあえず考えなくていい。それなら、今までより一日一時間、仕事時間が少なくても何とかなるだろう。
後は、晃くんと、家のお金の分け方をよく話し合って……。
「松島くん、何かあったらまずは僕に連絡して。今は、困ってないんだよね?」
一太は医師の言葉に、はっと我に返った。
聞いていなかった。ああ、いやでも、晃くんに話しかけたのか。松島くん、と言っていたから、まあいいか。
いつも通りだ。いつだって、俺には関係のない所で俺の処遇は決まっていく。俺の知らない所で誰かが通報して、児童相談所の人だとかいう人が訪ねてきて、でも連れて帰ってはくれなくて、俺の扱いはどんどん酷くなった。
放っておいてくれるのが、一番なのだ。
「僕に聞かれても……。いっちゃんに聞いてください」
え? と一太は顔を上げる。晃の、むっとした顔が目に入った。
「ああ。そうか、そうだね、うん。悪かった。村瀬くん、困ったことがあれば、必ず電話してね。どんなことでもいいよ」
ぱちぱち、と一太は目を瞬かせる。
放っておいてくれるのが、一番だった。……今までは。
でも、聞いてくれるのか。一太の声を。返事を。
医師も、晃も。
「病院はお金がかかるから無理だと言うなら、松島くんに伝えるだけでいい。困ってるって。ひと言言うだけでいいから、やってみて」
何となく呆然としながら、一太はこくこくと頷いた。無理強いせずにいてくれたことが嬉しい。一太の意見を聞いてくれたことが、嬉しい。
「では、これでおしまいです。お大事に」
通院が終わった。
嬉しい。
病院の帰り道、スーパーのアルバイトの面接は、その場で採用された。
「急に二人も辞めてね。一人は、勉強しながら仕事をしている人だったんだ。試験に受かったらそちらの職業に就くと以前から聞いていたから、そうかおめでとう、と送り出したんだが、ちょうど同じタイミングでもう一人、故郷の親が倒れたと実家へ帰ってしまって。二人とも、夕方や朝の早い時間に入ってもらっていた男の人だったから、本当に困っていたんだよ。夕方以降希望の上、経験者なんて嬉しい。本当に嬉しい」
腰の低そうな、人の良い顔をした店長は、一太の履歴書を見るなり大喜びでそう言った。
「いや。経験者なんて、そんな。半年もしないうちに辞めているので……」
あまりに喜ばれて、一太はつい謙遜する。面接の時は謙遜などせず、なるべく自分を売り込むこと、と握りこぶしで来たはずが、つい素が出た。
幸い、店長は気にする様子もなく、笑顔で話している。
「あそこ、キツいんでしょ? うちのパートさんにも、あそこから移ってきた人いるよ。真面目に仕事してる人ほど損をする職場だって言ってた」
「へえ? そうなんですか……」
一太にはよく分からない。やらなければいけないことを必死でやっているうちに、時間は過ぎていった。仕事なんて、いつもそんなものだ。
「まあ、そんな話も聞いたってことさ。とりあえず、うちは嬉しい。これからよろしく。今日、すぐにでも働けるかな?」
今日から? 嬉しい。ほんの少しでも早く、仕事が欲しかったから。
一太は、勢い込んで答えた。
「はい! 大丈夫です」
店長も、笑顔で頷く。
「ありがとう。早速、色々書類を揃えて、案内するよ。今からでも大丈夫?」
「はい。あ、友達が待ってくれているので、このまま仕事するって伝えてきてもいいですか?」
「ん? 友達?」
「はい。付いてきてくれて。俺が方向音痴なので、心配してくれてて」
「ふーん。その子は、何か仕事をしているの?」
「あ、いえ。バイトはしたことがないって言ってました」
一太は首を傾げながら、晃が待っている店内へ歩く。店長も後ろから付いてくる。
「あの、晃くん」
「あ、いっちゃん、どうだった?」
「このまま仕事することになって」
「え? このまま? まだ三時過ぎだよ。ここから九時まで仕事するつもりじゃないよね?」
「えーと。多分、そうなると思う……」
後ろをちらりと振り向くと、会話の聞こえていた店長が頷く。
「もちろん、四時からの賃金を払う」
やった。試用期間だと言われるかと思った。
一太は大喜びだ。
「先に帰ってて。ここから家までの道は分かるから」
「病み上がりなのに、いきなり、そんな……」
「もう大丈夫って、病院の先生が言ってた」
「そうだけど……」
「村瀬くん、病み上がりなの?」
店長が驚いた顔をしている。
「そういえば、細いね」
「あの。大丈夫です。熱中症です。もう治ったので」
「ああ、なんだ。熱中症」
「はい」
一太は、もう、余計なことを、と晃を睨むが、晃は心配そうな顔で一太を見るばかりだ。
「お友達は、アルバイトをする気はない?」
店長が唐突に言った。
「へ? 僕?」
「うん。少しの間でもいいんだ。本当に今、困っていてね。人手が足りなくて」
「あ、でも、僕、何にもしたことがなくて」
「大丈夫、大丈夫。誰だって最初から何でもできる訳じゃないんだから」
「ええーと。今、履歴書、とか持ってない、です」
「明日でいいよ」
何だかいい加減だなと、履歴書をしっかり準備して、面接のシュミレーションも頭の中でしてきた一太としては複雑だが、まあ、それだけ困っていたのだろう。晃くんが良い人なのは、自分が保証できる。
それに何より。
「一緒に仕事できるなんて嬉しい」
一太が思わず呟いたひと言で、晃も同じ職場で働くことが決定した。
一太は驚いて、声も出なかった。
何で? 何で分かるの?
自分が気付いたのも最近で、そうかもしれない、と思っただけなのに。
「そうかあ。村瀬くん、どう?」
「え? え? ええ、と。そう、かも?」
正確には多分、あの人に似た声や話し方などを感じた時、なのだと思う。ああ、でも、晃くんのお母さんに抱き付かれた時にも固まってしまったな。あの人とは、似ても似つかないのに。
「何か、心当たりは……と、いや。うん」
医師は、一太の様子を見て言葉を止めた。
今、どんな顔をしているのだろう。自分ではよく分からない。
「やっぱり、違う科にも行ってもらいたいんだけどなあ……」
一太は、慌てて首を横に振った。もう元気だと、先生は先ほど、晃にも言っていたではないか。自分の診療は終わりだと。
この後、すぐにアルバイトの面接に行くつもりで、履歴書も書いてきたのだ。晃の家の近くのスーパーで、夕方五時から九時の閉店までのアルバイトを募集していた。コンビニでのアルバイトより一日一時間短いが、一時間当たりの賃金は同じ。最低賃金が決まっているのは有り難い。必ずそれ以上はもらえるのだから、どこに働きに出ても安心である。家の近所だし、学校の授業が終わった後で行ける時間だし、レジ打ちはコンビニで覚えたから役に立てるはず。品出しだってできる。
一太の意識はもう、面接に飛んでいた。
しっかりアピールして、実習の間は休みを貰いたいことをちゃんと伝えて……。
年金の、学生の間の免除手続きは、先週役所に出掛けて終えたから、その分の支払いはとりあえず考えなくていい。それなら、今までより一日一時間、仕事時間が少なくても何とかなるだろう。
後は、晃くんと、家のお金の分け方をよく話し合って……。
「松島くん、何かあったらまずは僕に連絡して。今は、困ってないんだよね?」
一太は医師の言葉に、はっと我に返った。
聞いていなかった。ああ、いやでも、晃くんに話しかけたのか。松島くん、と言っていたから、まあいいか。
いつも通りだ。いつだって、俺には関係のない所で俺の処遇は決まっていく。俺の知らない所で誰かが通報して、児童相談所の人だとかいう人が訪ねてきて、でも連れて帰ってはくれなくて、俺の扱いはどんどん酷くなった。
放っておいてくれるのが、一番なのだ。
「僕に聞かれても……。いっちゃんに聞いてください」
え? と一太は顔を上げる。晃の、むっとした顔が目に入った。
「ああ。そうか、そうだね、うん。悪かった。村瀬くん、困ったことがあれば、必ず電話してね。どんなことでもいいよ」
ぱちぱち、と一太は目を瞬かせる。
放っておいてくれるのが、一番だった。……今までは。
でも、聞いてくれるのか。一太の声を。返事を。
医師も、晃も。
「病院はお金がかかるから無理だと言うなら、松島くんに伝えるだけでいい。困ってるって。ひと言言うだけでいいから、やってみて」
何となく呆然としながら、一太はこくこくと頷いた。無理強いせずにいてくれたことが嬉しい。一太の意見を聞いてくれたことが、嬉しい。
「では、これでおしまいです。お大事に」
通院が終わった。
嬉しい。
病院の帰り道、スーパーのアルバイトの面接は、その場で採用された。
「急に二人も辞めてね。一人は、勉強しながら仕事をしている人だったんだ。試験に受かったらそちらの職業に就くと以前から聞いていたから、そうかおめでとう、と送り出したんだが、ちょうど同じタイミングでもう一人、故郷の親が倒れたと実家へ帰ってしまって。二人とも、夕方や朝の早い時間に入ってもらっていた男の人だったから、本当に困っていたんだよ。夕方以降希望の上、経験者なんて嬉しい。本当に嬉しい」
腰の低そうな、人の良い顔をした店長は、一太の履歴書を見るなり大喜びでそう言った。
「いや。経験者なんて、そんな。半年もしないうちに辞めているので……」
あまりに喜ばれて、一太はつい謙遜する。面接の時は謙遜などせず、なるべく自分を売り込むこと、と握りこぶしで来たはずが、つい素が出た。
幸い、店長は気にする様子もなく、笑顔で話している。
「あそこ、キツいんでしょ? うちのパートさんにも、あそこから移ってきた人いるよ。真面目に仕事してる人ほど損をする職場だって言ってた」
「へえ? そうなんですか……」
一太にはよく分からない。やらなければいけないことを必死でやっているうちに、時間は過ぎていった。仕事なんて、いつもそんなものだ。
「まあ、そんな話も聞いたってことさ。とりあえず、うちは嬉しい。これからよろしく。今日、すぐにでも働けるかな?」
今日から? 嬉しい。ほんの少しでも早く、仕事が欲しかったから。
一太は、勢い込んで答えた。
「はい! 大丈夫です」
店長も、笑顔で頷く。
「ありがとう。早速、色々書類を揃えて、案内するよ。今からでも大丈夫?」
「はい。あ、友達が待ってくれているので、このまま仕事するって伝えてきてもいいですか?」
「ん? 友達?」
「はい。付いてきてくれて。俺が方向音痴なので、心配してくれてて」
「ふーん。その子は、何か仕事をしているの?」
「あ、いえ。バイトはしたことがないって言ってました」
一太は首を傾げながら、晃が待っている店内へ歩く。店長も後ろから付いてくる。
「あの、晃くん」
「あ、いっちゃん、どうだった?」
「このまま仕事することになって」
「え? このまま? まだ三時過ぎだよ。ここから九時まで仕事するつもりじゃないよね?」
「えーと。多分、そうなると思う……」
後ろをちらりと振り向くと、会話の聞こえていた店長が頷く。
「もちろん、四時からの賃金を払う」
やった。試用期間だと言われるかと思った。
一太は大喜びだ。
「先に帰ってて。ここから家までの道は分かるから」
「病み上がりなのに、いきなり、そんな……」
「もう大丈夫って、病院の先生が言ってた」
「そうだけど……」
「村瀬くん、病み上がりなの?」
店長が驚いた顔をしている。
「そういえば、細いね」
「あの。大丈夫です。熱中症です。もう治ったので」
「ああ、なんだ。熱中症」
「はい」
一太は、もう、余計なことを、と晃を睨むが、晃は心配そうな顔で一太を見るばかりだ。
「お友達は、アルバイトをする気はない?」
店長が唐突に言った。
「へ? 僕?」
「うん。少しの間でもいいんだ。本当に今、困っていてね。人手が足りなくて」
「あ、でも、僕、何にもしたことがなくて」
「大丈夫、大丈夫。誰だって最初から何でもできる訳じゃないんだから」
「ええーと。今、履歴書、とか持ってない、です」
「明日でいいよ」
何だかいい加減だなと、履歴書をしっかり準備して、面接のシュミレーションも頭の中でしてきた一太としては複雑だが、まあ、それだけ困っていたのだろう。晃くんが良い人なのは、自分が保証できる。
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