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176 二回目の夏休み
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夏休みは去年と同じように過ごした。去年と同じ夏休みを過ごせたことが、一太はとても嬉しかった。
週に一度、託児室の手伝いをして、他の日はせっせとアルバイトをした。引っ越しで減ったお金は、夏休みに頑張ることでまた、ほんの少し余裕を持たせることができた。ほっとした。
もし、本当に一太の手持ちがすっからかんになったら、誠と陽子が貸してくれると申し出てくれている。たくさん繰り返した、なんで、どうして、という一太の疑問に、根気強く返事をくれた誠と陽子に、一太はついに折れた。いっちゃんはもううちの子、と陽子の結論が出て、それをとても嬉しいと一太が思ってしまったから。
お金を貸してくれる約束は、決して無理をしないという約束でもあった。……なんて優しい約束なんだろう。
頼ろうなんて、一太はこれっぽっちも思っていない。絶対に、自分で頑張ろうと思っている。今までもそうだったし、これからもそれは変わらない。
けれど何だろう。こう、力が抜けた。頼る気はない。本当に。自分で頑張ることは変わらない。ずっとそうしてきた当たり前のこと。一太は変わらない。なのに何故だろう。安心……。そう安心したのだ。
これが、保護者というものか。保護者がいるということなのか。
松島家への帰省は今回もとても楽しくて、一太の誕生日パーティは、もちろん盛大に行われた。一年で何歳も歳をとってしまいそうだ、と一太は嬉しい悲鳴を上げた。陽子はしっとりチョコレートのケーキと、一太がご馳走だと思っているすき焼きを作ってくれた。夏は、ケーキに挟みやすい果物がなかなか無いのが不満だ、と陽子は言った。
晃の定期検診も問題なしだった。二人とも元気になったねえ、ではまた来年、と晃の主治医は言った。
「なんで元気になったのに、また来年、なんだよ。なあ?」
と、晃が一太に向かって言って、診察室で皆で笑った。
また来年、俺は晃くんとここに来るのかあ、と一太は思った。一年後の約束が当たり前にあることが、不思議で嬉しかった。
「就職は、どうするか決めたのか?」
「帰ってこないの?」
夏休み明けには、いよいよ本格的に就職先を決めなくてはならない。一太はどこでもよかった。晃と一緒にいられさえすれば。
「ええっと。俺は、資格が生かせるならどこでも……」
できれば、少しは道を覚えた今の町で就職できればいいな、と思っている。弟の望に住んでいる町を知られていることは恐ろしいが、今暮らしている町も住んでいる部屋もものすごく気に入っているのだ。
そうだな。俺、あの部屋から通えるところがいいな。
「僕は、今の部屋が気に入ってるから、あそこから通えるとこに就職しようかな、と思ってる。田舎で暮らすより、いっちゃんと二人で暮らしやすいし」
晃も、これからも一緒にいたいと思ってくれたことが、とても嬉しい。
「うん。晃は今の町で就職先を探すつもりなんだな。一太くんはどうだ? どこでも、では範囲が広すぎる。しっかりと考えて、自分の思うことを言ってごらん」
「え? 俺?」
晃が、今住んでいる町で、あの部屋から通える仕事を探すつもりだと聞いて内心喜んでいた一太は、誠に名前を呼ばれて心底驚いた。どうして、一太の行き先までそんなに気にしてくれるのだろう。
あ、そうか。晃くんと一緒にいるから、俺がしっかり仕事に就かないと、生活費が半分分けできないんだよな。それは気になるかもしれない。
「一太くんは、他の町へ移りたいんじゃないのかい? 今の町は、弟君に知られてしまっているだろう? 恐ろしくはないか? 私は、君と弟君はもう会わない方がいいと思っている。暴力や暴言の記憶は、そう簡単に消えるものじゃない。恐ろしいものから逃げるのは何にも悪いことじゃないからね。住所を変えたからそう簡単にはたどり着けないだろうが、万が一ということもある。住む町を変えてしまえば、よりいっそう安心できるのではないか?」
「え。あ……」
誠は、ただただ、一太の心配をしてくれていた。ああ、そうだった。この家の人は皆そうだ。ずっと、最初からずっと、一太に聞いてくれた。何も隠さず教えてくれてその上で、君はどうしたい? と聞いてくれる。
「俺、は……」
「うん」
「あの町が好きです。たくさんの楽しい初めてをできたあの町が、好きです。道もだいぶ覚えたし、あの、今住んでいる部屋もすごく好きで、あの、晃くんと、できるなら今のままもう少し、一緒に……」
こんなことは、聞かれていなかった。就職先をもっと具体的に考えてごらん、と聞かれていたのだったな、と一太の声が小さくなりかけたところで、
「それで?」
と、誠が相づちを打ってくれた。
「弟は怖いけど、でも、あの町が好きだから、あの、あの町で、今の部屋から通えるところで就職したい、です」
「ん、そうか」
誠は、大きく頷いて一太の方へ手を伸ばし頭を撫でてくれた。一太は、その大きな手がもう、怖くなかった。
「あらー。じゃあ帰ってこないのね。仕事もして家のこともするのは大変だから、帰ってきたら安心だと思ってたのに」
陽子が、がっかりした声を出す。
「今もちゃんとしてるんだから、大丈夫だよ」
「ちゃんと、ねえ」
「何? 本当にちゃんとしてるだろ?」
「いっちゃん。家事は半分こよ。約束よ?」
「え? あ、はい。いつも半分こしてます」
「そお? 辛くなったらすぐ言うのよ? 長い休みの時は帰ってくるのよ」
「はい」
帰る場所がある。
どこで何をしていても。
一太には、そんな場所ができたのだ。
週に一度、託児室の手伝いをして、他の日はせっせとアルバイトをした。引っ越しで減ったお金は、夏休みに頑張ることでまた、ほんの少し余裕を持たせることができた。ほっとした。
もし、本当に一太の手持ちがすっからかんになったら、誠と陽子が貸してくれると申し出てくれている。たくさん繰り返した、なんで、どうして、という一太の疑問に、根気強く返事をくれた誠と陽子に、一太はついに折れた。いっちゃんはもううちの子、と陽子の結論が出て、それをとても嬉しいと一太が思ってしまったから。
お金を貸してくれる約束は、決して無理をしないという約束でもあった。……なんて優しい約束なんだろう。
頼ろうなんて、一太はこれっぽっちも思っていない。絶対に、自分で頑張ろうと思っている。今までもそうだったし、これからもそれは変わらない。
けれど何だろう。こう、力が抜けた。頼る気はない。本当に。自分で頑張ることは変わらない。ずっとそうしてきた当たり前のこと。一太は変わらない。なのに何故だろう。安心……。そう安心したのだ。
これが、保護者というものか。保護者がいるということなのか。
松島家への帰省は今回もとても楽しくて、一太の誕生日パーティは、もちろん盛大に行われた。一年で何歳も歳をとってしまいそうだ、と一太は嬉しい悲鳴を上げた。陽子はしっとりチョコレートのケーキと、一太がご馳走だと思っているすき焼きを作ってくれた。夏は、ケーキに挟みやすい果物がなかなか無いのが不満だ、と陽子は言った。
晃の定期検診も問題なしだった。二人とも元気になったねえ、ではまた来年、と晃の主治医は言った。
「なんで元気になったのに、また来年、なんだよ。なあ?」
と、晃が一太に向かって言って、診察室で皆で笑った。
また来年、俺は晃くんとここに来るのかあ、と一太は思った。一年後の約束が当たり前にあることが、不思議で嬉しかった。
「就職は、どうするか決めたのか?」
「帰ってこないの?」
夏休み明けには、いよいよ本格的に就職先を決めなくてはならない。一太はどこでもよかった。晃と一緒にいられさえすれば。
「ええっと。俺は、資格が生かせるならどこでも……」
できれば、少しは道を覚えた今の町で就職できればいいな、と思っている。弟の望に住んでいる町を知られていることは恐ろしいが、今暮らしている町も住んでいる部屋もものすごく気に入っているのだ。
そうだな。俺、あの部屋から通えるところがいいな。
「僕は、今の部屋が気に入ってるから、あそこから通えるとこに就職しようかな、と思ってる。田舎で暮らすより、いっちゃんと二人で暮らしやすいし」
晃も、これからも一緒にいたいと思ってくれたことが、とても嬉しい。
「うん。晃は今の町で就職先を探すつもりなんだな。一太くんはどうだ? どこでも、では範囲が広すぎる。しっかりと考えて、自分の思うことを言ってごらん」
「え? 俺?」
晃が、今住んでいる町で、あの部屋から通える仕事を探すつもりだと聞いて内心喜んでいた一太は、誠に名前を呼ばれて心底驚いた。どうして、一太の行き先までそんなに気にしてくれるのだろう。
あ、そうか。晃くんと一緒にいるから、俺がしっかり仕事に就かないと、生活費が半分分けできないんだよな。それは気になるかもしれない。
「一太くんは、他の町へ移りたいんじゃないのかい? 今の町は、弟君に知られてしまっているだろう? 恐ろしくはないか? 私は、君と弟君はもう会わない方がいいと思っている。暴力や暴言の記憶は、そう簡単に消えるものじゃない。恐ろしいものから逃げるのは何にも悪いことじゃないからね。住所を変えたからそう簡単にはたどり着けないだろうが、万が一ということもある。住む町を変えてしまえば、よりいっそう安心できるのではないか?」
「え。あ……」
誠は、ただただ、一太の心配をしてくれていた。ああ、そうだった。この家の人は皆そうだ。ずっと、最初からずっと、一太に聞いてくれた。何も隠さず教えてくれてその上で、君はどうしたい? と聞いてくれる。
「俺、は……」
「うん」
「あの町が好きです。たくさんの楽しい初めてをできたあの町が、好きです。道もだいぶ覚えたし、あの、今住んでいる部屋もすごく好きで、あの、晃くんと、できるなら今のままもう少し、一緒に……」
こんなことは、聞かれていなかった。就職先をもっと具体的に考えてごらん、と聞かれていたのだったな、と一太の声が小さくなりかけたところで、
「それで?」
と、誠が相づちを打ってくれた。
「弟は怖いけど、でも、あの町が好きだから、あの、あの町で、今の部屋から通えるところで就職したい、です」
「ん、そうか」
誠は、大きく頷いて一太の方へ手を伸ばし頭を撫でてくれた。一太は、その大きな手がもう、怖くなかった。
「あらー。じゃあ帰ってこないのね。仕事もして家のこともするのは大変だから、帰ってきたら安心だと思ってたのに」
陽子が、がっかりした声を出す。
「今もちゃんとしてるんだから、大丈夫だよ」
「ちゃんと、ねえ」
「何? 本当にちゃんとしてるだろ?」
「いっちゃん。家事は半分こよ。約束よ?」
「え? あ、はい。いつも半分こしてます」
「そお? 辛くなったらすぐ言うのよ? 長い休みの時は帰ってくるのよ」
「はい」
帰る場所がある。
どこで何をしていても。
一太には、そんな場所ができたのだ。
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