【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

文字の大きさ
187 / 252

187 ◇「ないです、何も」

しおりを挟む
 担当者が、あ、あ、ええっと、と意味をなさない言葉を吐く。一太は、とても冷静に見えた。少し笑顔まで浮かべて、声も普通だ。普通。そう、とても普通に見えた。
 でも。
 晃は、躊躇いなくその体を抱きしめる。前から。ベッドと一太の間に入って。
 あの、一太を刺すナイフのような女から一太を守らなくてはならない。こんなに危険なこの女に一太を近付けようとする訳の分からない男から、一太を守らなくてはならない。

「うちの子に、なんて言いぐさだ!」

 隣へ立った父が大きな声を上げた。扉を閉めた個室とはいえ、病院で。
 ベッドの女が、辛そうに顔を歪める。目に涙をためてそうしていると、守ってやらなければいけない生き物のように見えた。

「お静かに! 病院ですよ」
「ええ、分かっています。すみませんね。この方のあまりの酷い言葉に、冷静さを失いました」
「……」

 看護士は、父の言葉にうろ、と視線をさ迷わせた。
 晃は、一太を少し持ち上げて部屋の隅に移動する。
 ずたずたと、一声ごとに一太の精神を削っていくとんでもない生き物から、一太を遠ざけなくてはならないと思ったのだ。一太は、なんの抵抗もしなかった。……しがみつきもしなかった。

「息子さんのお名前を、この方は仰っておられなかったのですか。今日、この時まで?」
「え、ええ。はい。息子に会いたい、とだけ……」

 看護士が言う。

「ああ。では、わざとですか」
「え?」
「この方は、わざと名前を言わずに、うちの一太を呼んだんですね」
「え……」

 看護士が絶句している。

「ストレスのはけ口を求めて呼んだのかな。息子を呼べと言って、もし来たなら、お前なんて息子じゃないと言って言って言って、絶望に歪む顔を見て胸を晴らしたかった? 私には全く理解できませんが、世の中には立場の弱い人間にそうした態度をとる方がいらっしゃることは知っています。目の前でまともに見たのは、初めてでしたが……」

 父は、そこで一度深呼吸した。こんなに怒っている姿を見たのは初めてだった。声を荒げないように、必死に自分を抑えている。晃は今まで、父のそんな姿を見たことはなかった。
 父も、こんな風に怒ることがあるのだと驚きながら、晃は、自分の内に渦巻く苛立ちをどう表に出したらいいのか分からず、ただ一太を抱きしめていた。
 生まれつきの病気を抱えて色んなことを諦めながら生きてきた晃は、物心ついて少ししてからずっと感情を酷く昂らせたことがない。苛立つことや納得のいかないことがあっても、仕方ないと諦めて飲み込んで生きてきた。けれど、今、怒鳴れるものなら怒鳴りたい気分でいっぱいだ。大切な、本当に大切な人を悪意を持って傷付けられた。それが許せなかった。

「なんて醜悪で気持ちの悪いことだ! 一太はもうとっくにうちの子ですから、二度と呼びつけないでいただきたい。鈴木さん、よろしいか!」
「え、あ、いや。あの……」
「帰るぞ、晃、一太!」

 父は大きな声で言ってから、また深呼吸をした。晃と一太の側に近寄って、少し屈む。

「一太。あの女の人に、何か言いたいことはあるか?」

 父が頑張って出した優しい声に、晃の腕の中の一太が静かに顔を動かした。晃は、少し腕の力を緩めて一太が女の方を向く隙間を作った。

「ないです」
「……」
「ないです、何も」

 いっちゃんも、怒りを表す術をしらないのだろうか。それとも、怒りすらもう湧かないのだろうか。
 その顔も声も、どこまでも平坦だった。

「うん。そうだな。お別れは済んだ。呼ばれて、しっかり顔を見せるという義務を一太は果たした。母親としての義務を何も果たしていない女に、息子としてちゃんとお別れできて偉かったな」

 父は、ぽんぽんと一太の頭を撫でた。一太は、晃の腕の中で、静かにその手に頭を任せている。以前はできなかったことだ。父が頭を撫でようとすると、一太はその身をびくりと竦ませていた。一太のその仕草に首を傾げる晃に、父は言った。
 これまでの一太には、暴力を伴う手しか伸ばされていなかったに違いない、と。

「鈴木さん。捨てたのに自分の前に連れてくるな、息子じゃない、違う、知らないと喚くこの女を、一太は引き取って世話をしなくてはならないと、あなたは思われますか」
「え、あ。いや……」 

 父は、一太に向けていた優しい目を鋭く尖らせて、役所の担当者、鈴木を見た。鈴木は眼鏡の奥で、視線をうろうろとさ迷わせる。

「その。私は……」
「分かっています。分かっていますよ。あなたは優しい方だ。息子に会いたいという病気の母親の願いを叶えてあげようとされたのでしょう? あなたは、担当である母親側にとても優しい。息子側は、母親に虐待を受けていたという証拠を必死の思いで書き綴って提出したというのに、それらは、母親に生活保護を出すためのただの書類でしか無かったということがよく分かりました。残念です。もう少しだけ、あの書類の意味を考えていただきたかった。今回の件は、とても見逃せるものではありません。あなたが母親側に立って行動されると言うのなら、私は後見人として、息子の晃の大切な人である一太のために全力で行動しましょう。一太の母親に生活保護を支給してくださる決定をしてくださったことには感謝しています。これでもう、いいですね? 一太がこの女と関わる必要はありませんね?」

 父は、一太の頭に優しく手を置いたまま、流れるように鈴木に言った。

「一太がどれほど傷付いたか、それの想像くらいはできるでしょう? 目の前で、私たちは虐待の現場を見たのですから。証人はたくさんいます。看護士の方、あなたもご覧になりましたね? あの女の、醜悪な虐待の現場を。あなたは、あなた方は確認が足りなかった。その女が息子と呼ぶ者の名前を一度でもいい、しっかりと確認すれば、こんな酷いことは起きなかったはずなんです。あなた方は、まだ一太に言いますか? 息子だから、足繁くここへ通いこの女の世話をしろと、言いますか?」
「……」

 鈴木と看護士が顔色悪く立ち尽くし、女はベッドで顔を歪めて三人を睨みつけていた。

「それでも尚、そう言うというのなら、私の全力で、法の名のもとに戦いましょう。難しい戦いですが、私はやりますよ! やり遂げてみせます。これ以上、うちの子を傷付けられてたまるものか!」
しおりを挟む
感想 681

あなたにおすすめの小説

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

本気になった幼なじみがメロすぎます!

文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。 俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。 いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。 「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」 その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。 「忘れないでよ、今日のこと」 「唯くんは俺の隣しかだめだから」 「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」 俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。 俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。 「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」 そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……! 【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)

【完結】好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした

鳥居之イチ
BL
———————————————————— 受:久遠 酵汰《くおん こうた》 攻:金城 桜花《かねしろ おうか》 ———————————————————— あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。 その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。 上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。 それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。 お呪いのルールはたったの二つ。  ■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。  ■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。 つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。 久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、 金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが… ———————————————————— この作品は他サイトでも投稿しております。

【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

処理中です...