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第五章 それは日々の話
35 罪と罰 3 三郎
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「あ、ああ……」
よろしくね、一二三。私は壱臣。
優しく笑う細い子どもから差し伸べられた手を取ろうとした時、その手は扇子にぱちりと叩き落とされた。
汚ならしいその手で一二三さんに触らんといて。
呆然とする壱臣さま。赤く跡のついた手。
汚ない髪やな。
ほんまにみすぼらしいわ。
あれが、殿の?
枯れすすきのように痩せっぽっちで小さくて、汚ならしい子やで。
汚ない私の姿がもう見えんようにするから……。切らんといて。
母は、汚ない汚ないと兄上に言い続けた。なら、兄上が悪夢の中で懇願している相手は……。
私は?
私はあの後、何か言ったやろか?
「ゆめ?」
「壱臣さんは泣きながら寝言を言われるそうです。三郎、何と仰っていたか聞きましたか?教えて頂けますか?」
「あ、ああ……」
ふるふると首を横に振る。小さな私が話している。
私もやってみたい。
「三郎?壱臣さんは何と仰られましたか?」
母上が。母上が切った?兄上の髪をずたずたに。泣きながら懇願する子どもの髪を?
違う。あんなずたずたになったのは……。
「切らんといて。汚ない私の姿がもう見えんようにするから。せやから、切らんといて」
半助が、震える声で呟いた。
「お願いします。何でもするから」
「そ、それ……」
ぱち、と部屋の電気がついて、驚いた顔の兄上が見えた。
「覚えがありますか?」
「あの日、私は……」
生松先生の言葉に兄上が口を開く。
「久しぶりに、正装して広間に来いと言われて。けど、世話してくれる人はとうにおらんようになっとって。届けられるご飯を食べると必ずお腹が痛くなるから、ふらふらで。何とか、丈の短い羽織袴を身に付けて、髪をとかして出ていった」
空を見つめながら、ぽつぽつと語られるあの日。
「羽織袴と着物の人がようけ集まっとって、弟に初めて会うた。私のことを、汚ない汚ないと言って笑った」
「臣、もうええ」
「そのうち、汚ない髪は長いと余計に汚ならしく見えるんちゃうか、て言い出して、誰かが鋏を持ってきた」
「臣!」
「さすがにな、はじめはちょびちょび切っとったんやで。大人には、なんぼなんでも、ばっさりとはできんかったんやろ。でもな……」
兄上が躊躇う。
「わたし、が……わたしが切った……」
そこにいた全員の目が私を見た。いつの間にか廊下に、緋色殿下と成人さまもいる。
「皆、とても……とても楽しそうに、笑っていた。……泣いていたのに。あなたは泣いていたのに……。笑い声に気を取られて……。私もやってみたい、と言った」
「やはり、そうでしたか……」
生松先生の落ち着いた声。
「あなた方の国の事情を知るにつれ、思っていたんです。こんなにも髪を大切にしている国の大人が、いくら心を折るためとはいえ、ここまで酷いことをするだろうか、と。頭皮に傷もある。そこからは、もう髪は生えてこないんです、二度と……」
「鋏の使い方もよう知らん頃で……。切れるのが楽しくて。上手や、上手やと褒められた。とても、とても……。誇らしくて、嬉しくて……」
押さえられ、口を塞がれた子どもからもう泣き声は聞こえず、私はただ楽しかった。
「うちは覚えとらんかった……。気付いたら血だらけで放り出されとって。調理場の下働きの男に拾われて。そこからしばらくの記憶はなかった。私の一番悲しかった日の記憶……」
「なかったんじゃない。頭にはあったんです。蓋をして、悲しみに飲まれないように」
兄上の目から涙がこぼれる。
「夢の中で何度も繰り返すくらいなら、表に出して、認めましょう。そして、もう二度とこんなことは起こらないのだと知ってください。あなたを助ける手は、ここに何本でもあります」
その手で、どうか……。
私を殺して……。
よろしくね、一二三。私は壱臣。
優しく笑う細い子どもから差し伸べられた手を取ろうとした時、その手は扇子にぱちりと叩き落とされた。
汚ならしいその手で一二三さんに触らんといて。
呆然とする壱臣さま。赤く跡のついた手。
汚ない髪やな。
ほんまにみすぼらしいわ。
あれが、殿の?
枯れすすきのように痩せっぽっちで小さくて、汚ならしい子やで。
汚ない私の姿がもう見えんようにするから……。切らんといて。
母は、汚ない汚ないと兄上に言い続けた。なら、兄上が悪夢の中で懇願している相手は……。
私は?
私はあの後、何か言ったやろか?
「ゆめ?」
「壱臣さんは泣きながら寝言を言われるそうです。三郎、何と仰っていたか聞きましたか?教えて頂けますか?」
「あ、ああ……」
ふるふると首を横に振る。小さな私が話している。
私もやってみたい。
「三郎?壱臣さんは何と仰られましたか?」
母上が。母上が切った?兄上の髪をずたずたに。泣きながら懇願する子どもの髪を?
違う。あんなずたずたになったのは……。
「切らんといて。汚ない私の姿がもう見えんようにするから。せやから、切らんといて」
半助が、震える声で呟いた。
「お願いします。何でもするから」
「そ、それ……」
ぱち、と部屋の電気がついて、驚いた顔の兄上が見えた。
「覚えがありますか?」
「あの日、私は……」
生松先生の言葉に兄上が口を開く。
「久しぶりに、正装して広間に来いと言われて。けど、世話してくれる人はとうにおらんようになっとって。届けられるご飯を食べると必ずお腹が痛くなるから、ふらふらで。何とか、丈の短い羽織袴を身に付けて、髪をとかして出ていった」
空を見つめながら、ぽつぽつと語られるあの日。
「羽織袴と着物の人がようけ集まっとって、弟に初めて会うた。私のことを、汚ない汚ないと言って笑った」
「臣、もうええ」
「そのうち、汚ない髪は長いと余計に汚ならしく見えるんちゃうか、て言い出して、誰かが鋏を持ってきた」
「臣!」
「さすがにな、はじめはちょびちょび切っとったんやで。大人には、なんぼなんでも、ばっさりとはできんかったんやろ。でもな……」
兄上が躊躇う。
「わたし、が……わたしが切った……」
そこにいた全員の目が私を見た。いつの間にか廊下に、緋色殿下と成人さまもいる。
「皆、とても……とても楽しそうに、笑っていた。……泣いていたのに。あなたは泣いていたのに……。笑い声に気を取られて……。私もやってみたい、と言った」
「やはり、そうでしたか……」
生松先生の落ち着いた声。
「あなた方の国の事情を知るにつれ、思っていたんです。こんなにも髪を大切にしている国の大人が、いくら心を折るためとはいえ、ここまで酷いことをするだろうか、と。頭皮に傷もある。そこからは、もう髪は生えてこないんです、二度と……」
「鋏の使い方もよう知らん頃で……。切れるのが楽しくて。上手や、上手やと褒められた。とても、とても……。誇らしくて、嬉しくて……」
押さえられ、口を塞がれた子どもからもう泣き声は聞こえず、私はただ楽しかった。
「うちは覚えとらんかった……。気付いたら血だらけで放り出されとって。調理場の下働きの男に拾われて。そこからしばらくの記憶はなかった。私の一番悲しかった日の記憶……」
「なかったんじゃない。頭にはあったんです。蓋をして、悲しみに飲まれないように」
兄上の目から涙がこぼれる。
「夢の中で何度も繰り返すくらいなら、表に出して、認めましょう。そして、もう二度とこんなことは起こらないのだと知ってください。あなたを助ける手は、ここに何本でもあります」
その手で、どうか……。
私を殺して……。
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