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真鶴の章

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 私は、すっかり油断していた。お部屋に戻ってからは、楽しく皇子みことの時間を過ごしていたから。
 大浴場に行っても騒ぎになるだろうと、部屋に備え付けの風呂を使ったのは正解だった。
 お召し物を脱がれた玻璃皇子はりのみこの左腰。まだ小さなお体のそこに、禁術を使った証の蒼い痣が鮮やかに浮かんでいた。そして、その痣を抉るように刀傷が走り、赤黒く盛り上がっている。
 それは、私が!
 人は、驚きすぎると悲鳴さえ出ないものらしい。ひくっ、と喉がおかしな音を立て、私は腰を抜かして崩れ落ちた。
 その音に驚いて振り向かれた皇子みこと目が合う。
 何かを言わなければ、早く立ち上がらなければ、と思うほどに体は動かず、口は、はくはくと意味のない開閉を繰り返した。

「どうした?真鶴まなづる。」
 
 首をかしげて、心配げな顔をされる玻璃皇子はりのみこ。気付いていらっしゃらない?私の視線を追って、その目が自身の左腰へいく。

「……な、に?これ。」

 覚えていらっしゃらない……。私の知る、その痣と刀傷を、玻璃皇子はりのみこは、覚えていらっしゃらないのだ。
 悪夢の中で、皇子みこはその痣について、何も教えてはくださらなかった。痛みも出ていたようだが、それを私に訴えられることは無かった。
 私は、何年もの時間をかけて、自分で調べて辿り着いたのだ。その痣が、禁術を使用した者に現れる痣であること。使用した数だけ咲くこと。痣が重なると鈍痛が生まれること。
 禁術など、一度使うだけでも大変なことである。それを、重なるほど使用されたということだ。何故、ずっとお側にお仕えしていたのに、気付かなかったのか。
 顔合わせは、五歳であった。まだ、生まれて数ヶ月の皇子みこの元へ連れて来られた私と四歳の白露しらつゆは、お前たちは、この方に生涯お仕えするのだよ、と各々言われ、大きく頷いたのを覚えている。それから、なるべくお側で育った。もちろん私たちも小さく、勉強をしたり仕事のための作法を覚えたりしなくてはならないので、ずっと見ていられた訳ではない。
 けれど、私の知る限り、禁術を手に入れて使用するなどという様子は一度も見かけなかった。ましてや、子どもである。
 悪夢の中でも、十歳ですでに痣だらけであった皇子みこ。どうして、どうしたらこんなことに、と不思議であったが、あの悪夢が実際にあったことだと言うのなら。
 皇子みこは、時戻しの術を使われたのだ。何度も、何度も。そして、今の私のように戻す前の人生を覚えていらっしゃったのだ。
 だから、痣があっても当然で、十歳やそこらの子どもとは思えぬ落ち着きで、日々を過ごされていたのだ。
 けれど、私が術式の邪魔をした。痣を消すように、そこに傷を付けた。皇子みこはもう、何も覚えていらっしゃらない。そして、皇子みこが傷付けたり、殺したりした者も戻った。
 この人生を、良きように生きて頂こう。皇子みこの罪は、私が覚えている。今度は間違えないように、心安らかに生きて頂きたい。そのためにきっと、私は生きていたのだ。
 深呼吸して、私は立ち上がる。少し固い笑みを張り付けて。

「すみません。不作法を致しました。皇子みこは、以前に負った傷が、赤みを増してしまいましたね。痛みは、ございませんか?」
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