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第一章 大領地の守り子
9ヨーナスお兄様を倒します
しおりを挟むエメラージ様の訪問の明くる日、朝から婚約破棄の連絡をお父様からされたため、朝の予定が狂ってしまいました。
わたくしは急いで、家庭教師が用意した今日の分の課題に取り組みます。
この後何も予定がなければ、ゆっくり午後まで時間をかければようのでしょうが、今日のわたくしは急いでいるのです。
今日はなんとなんと、騎士学校に通っているヨーナスお兄様が家に帰ってくるのです。
ヨーナスお兄様はこの秋のはじめから騎士学校に通っています。今はそれから一月ほど経ったところです。
帰って来たらいろんなお話を聞かせてもらおうと思っていたわたくしは、久しぶりのヨーナスお兄様との再会に心をときめかせます。
午前中の課題をシュパッと終わらせ、ヨーナスお兄様のお出迎えに玄関へ向かいました。
お父様より早く出迎えに、いかなければ……。その一心で勉強を一心不乱に集中してぱっと終わらせたので、家庭教師が驚いた顔をしていましたが、まあ問題ないでしょう。
……私が本気を出したら、何事も早いのです。
玄関扉の奥から馬車が止まる音がしたので、すかさずわたくしはドアを開けます。馬車を降り、荷物を取ろうとしているヨーナスお兄様にがっしりと抱きつきました。
絶対にお父様にわたくしを諭すように言われる前に、味方になるという言質をとってやるのです!
半年ぶりにお会いしたお兄様は以前よりもがっしりとした体つきになっていました。やっぱり騎士学校で鍛錬を積んでいる方は違いますね。
「ヨーナス兄様! お帰りなさいませ!」
まさかわたくしが玄関先まで出迎えにきてくれると思っていなかったらしいヨーナスのその青い瞳は驚きで揺れています。
「どうしたんだ、リジェット!
そんなにお兄様が恋しかったのか!」
「ええ!今日お兄様が帰ってくるの、とっても待ち遠しく思っていましたの!」
嘘は言っていないのできっと大丈夫です。
今日という日を私は楽しみにしていました。味方を手に入れるためにですけど。
打算だらけの出迎えだったのですが、ヨーナスお兄様はかわいい妹が出迎えてくれたことがよほど嬉しかったようで、デレっとしただらしない表情をしています。この家の男たちはわたくしが少し甘えるとこうなるのです。
しめしめ、この調子でヨーナスお兄様を味方につけるのです!
わたくしは、自分の経験上一番かわいく見えるであろう角度の上目づかいでヨーナスの顔を覗き込みます。
「ヨーナス兄様、わたくしのお願い事聞いてくださいますか?」
「なんでも聞くとも!言ってごらん?」
……よし、やった!言質は取りました!
「ヨーナス兄様、わたくし騎士になりたいのです!
ご指導ください?」
ヨーナスお兄様はポカンとした顔でわたくしの顔をみます。
「リジェットが、騎士?」
ヨーナスお兄様は思っても見なかったことを言われて混乱する表情を見せています。そんなにわたくしに騎士って似合わないでしょうか。
「まあ……細かいことがわからないからひとまず、お茶でも飲みながら話をしよう」
帰宅したばかりのヨーナスお兄様に急に話の展開を理解させるのも酷でしょう。ヨーナスお兄様は荷物もまだ、部屋に運び入れていないのです。身支度を整える時間も必要でしょう。
わたくしはヨーナスお兄様の提案を受け入れ、談話室にお茶の準備を整えるよう、ラマに指示を出しました。
ヨーナスお兄様が帰宅後の身支度とお父様への帰宅の報告を終え、わたくしたちは談話室に向かいました。もうラマはお茶の準備を終えているそうです。思いつきで行動してしまうわたくしにとって、仕事の早い有能な侍女がそばにいることは本当にありがたいことです。
「リジェット、父上に聞いたがギシュタールのエメラージ様との婚約を早々に破棄したんだって?」
「はい。お父様ったら信じられませんよね!? わたくしをあんな何もない領地に送り込むなんて!」
「いや、あの伯爵家は中身が脆弱だからリジェットを送り込めばきっと乗っ取るくらいの事はすると見込んで送り込もうとしたんじゃないか?
その後オルブライト領と統合すればいいだけの話だ」
あら。その視点はありませんでした。
「でもその統合まで何年かかると思っているのですか?
何年も嫌な奴の隣で我慢しなくちゃいけないなんてわたくし耐えられません。多分その場で殴ってしまいます」
「リジェットは意外と短気だよな……」
わたくしが握り拳を作るポーズを見せたことに、ヨーナスお兄様の顔が分かりやすく曇りました。
「で、騎士なりたいっていうのは本気か?」
応接セットのソファに深く腰掛けたヨーナスお兄様が眉間にシワを寄せてわたくしに問いかけます。その青い瞳は信じられないようなものを見た、というように激しく揺れているのが分かります。
「ええ。そうですわよ」
わたくしはヨーナスの瞳をを睨むように見返します。ヨーナスお兄様はまだ信じられていないようで、表情をどんどん困ったように変化させていきます。
「ええ? 本気かあ? 騎士は戦争が起これば最前線にたつ立場だぞ、箱入り娘の君が目指していい職業じゃない」
「ええ存じております。でもわたくし本気ですの!お兄様にはぜひご指導いただきたいですわ!」
「俺たち上の男兄弟の周りをチョロチョロしてたお前が、騎士になりたいなんて言い出すのか?」
「まぁ! レディーに向かってちょろちょろなんて失礼ですわよ」
お兄様は青い瞳に呆れを滲ませながら、わたくしの顔を見つめています。
やがて視線を外すと、ポツリと呟きます。
「女のくせに騎士になれるわけないだろう?」
それは今のわたくしの一番のNGワードでした。
わたくしは怒りに任せ、ソファからヨーナスお兄様のほうへ跳び出しました。そしてローテーブルを挟んだソファにいるヨーナスお兄様の首元のお洋服を掴みます。そしてわたくしはソファに立ち上がって、ヨーナスお兄様をグッと上に持ち上げました。
重力で首を締められたようになっているお兄様は、自分の状況に混乱し、苦しそうにしています。
今のわたくしはお手製魔法陣包帯を腕に巻いているので、非力な女ではないのです!
わたくしに隙を見せたらこうなりますのよ?
きっとわたくしは今、恐ろしく凄んだ笑顔をしているでしょう。
その笑顔が向かう先でヨーナスお兄様は苦しそうに声を上げています。
「うっ!? 離せリジェット! 何やってるんだ!?」
「ヨーナスお兄様が迂闊なことをいうからいけないのです」
お兄様は何故わたくしがこんなに力があるのかわからないという様子で、空中で足をじたじたとバタつかせています。
わたくしはキッと精一杯の強い目力でヨーナスお兄様を睨みつけました。
「ヨーナス兄様は、オルブライト家に生まれて、少しでも騎士にならない人生を歩むつもりはありましたか?」
お兄様は動きを止め、ハッとした顔をしています。
「いや、父上もユリアーン兄上もへデリー兄上も自分にとって憧れの存在だ。自分もあんなふうに強くなりたいと願っていたから、騎士になることに疑いを持ったことはなかった」
「私も同じなのです」
ヨーナスお兄様はわたくしの気持ちが分かったのでしょう。表情がわたくしの話をきちんと聞いてくれる、真剣なものになっています。
その表情を信じて、ヨーナスお兄様の服を静かに離して、ソファに戻しました。
わたくしは女性なので無意識に騎士になるという選択肢から外されていたのでしょう。しかし、わたくしだってオルブライト家の人間。お兄様と同じように、家族のかっこよさに憧れ、騎士になることを夢見たって良いじゃないですか。その資格を失ったつもりは毛頭ないのです。
「わたくしは、女性の身ではありますが、誰よりも剣を愛し、力のない部分は他の手段で補強しようと創意工夫しています。
それは全て憧れの王家の剣の一員となるため。
なのに女であるということだけで、夢を諦めさせられるのは納得いかないのです。
わたくしの気持ちを聞いてもお兄様は騎士になることを反対しますか?」
脱力したお兄様が小さくリジェット……と呟きます。
お茶室に束の間の沈黙が訪れます。お互いに何も言わないから、呼吸の音さえ聞こえてきそうでした。
気まずい空気の中、先に口を開いたのはヨーナスお兄様でした。
「俺はそのなんか……ちょっと意外なんだよ」
「意外…、とはどういう意味でしょう?」
わたくしは聞き返すと、ヨーナスは少し言いにくそうに思い口を開きます。
「そのなんというか、お前は見た目は良家の可愛らしい令嬢に見えるし、話してもその印象は変わらないのに心の中では騎士なりたいと言う強い気持ちを持っているんだろう?
なんだかそれがアンバランスでおかしな風に見えるんだ」
それはわたくしもそう思います。でも好きでこの見た目で生まれてきたわけではないのです。
多分、この見た目で騎士学校に通ったら、用紙が異質すぎて浮いた存在になるでしょう。みんなわたくしのことを笑うと思います。子うさぎが屈強な戦士に紛れて違和感をもたれないわけがないのです。
そんなことはわかってるのです。だけど、わたくしはこの見た目でも、力がなくても騎士になりたいのです。
前世の気持ちを引きずっている面ももちろんあると思いますが、それ以上に今のわたくし自身がこの夢を諦めたら、必ず後悔すると思うのです。
「この見た目はわたくしの騎士としての弱点になるでしょうか?」
ヨーナスお兄様は少し考え込むようにわたくしの方をじっと見ています。しばらくして目線を外しため息をつき、言葉を繋ぎます。
「いや考えようによっちゃ大きな武器になる」
武器?どういうことでしょうか?
「戦場にお前のようなものがいたら敵はきっとぎょっとするだろう。かわいい女の子がどうしてこんなところに紛れ込んでいるんだってな。
そんな女の子が実はめちゃくちゃ強い、なんてことがあったら敵はめちゃくちゃビビるだろうな!」
「お兄様、言葉遣いが荒いですよ?」
「悪いな。騎士学校には平民もいるからつい言葉遣いがそちらよりになってしまう」
ヨーナスお兄様は悪びれずに言います。それにしても……。
「……弱そうに見えて本当はとっても強い。それってとってもかっこいいですね、
なんて素敵なんでしょう!
わたくしその路線を目指そうと思います!」
ヨーナスお兄様が私のことを色眼鏡で見ないのは意外だった。絶対反対されるだろうと思っていたのにちょっと拍子抜けしてしまいました。
「リジェットもあいつみたいになるのか……」
「え?なんですか?」
「なんでもない」
何故だかヨーナスお兄様は頭を掻き毟っています。何かあったのでしょうか?
様子は気になりますが、ヨーナスは本当にわたくしを応援してくれるのでしょうか。ヨーナスの後押しがあるのとないのでは今後の計画の方向性が変わってくる。
「お兄様がわたくしのことを……、応援してくださいますか?」
震えた声で絞り出すように言葉をつむぎます。
「甘えた声で上目遣いはずるいだろう……」
「え?」
なんだか一瞬お兄様の顔がとってもでろっと、だらしがなく見えたのですが……気のせいでしょうか?
すぐにその表情は見られなくなり、お兄様の顔はいつもと同じようにキリッとした表情になりました。そして私を見つめ、素敵な言葉をくださいました。
「俺はお前の夢を応援するぞ」
「ありがとうございますお兄様!」
あまりにうれしくて、貴族らしくないへにゃりとした顔の笑顔をしてしまった気がします。
またお兄様はでろっとした、だらしない顔を見せた。うーんさっきまで、すごくかっこ良かったのですけども……。
「ヨーナスお兄様が大人しく応援してくださってよかったです。
もし要望に答えてくださらなかったら、ボコボコにする予定だったので……」
「……ボコボコ⁉︎ リジェット⁉︎ お前淑女らしさはどこにやった!?」
「騎士になるために捨てました」
「いますぐ拾ってこい⁉︎」
淑女らしさなんてけったいな物、なんの役に立つのかしら? と思ってしまいますが、ヨーナスお兄様があまりにも悲壮な顔をしているのがかわいそうなので一先ず、大人しく拾って来てあげましょう。
ヨーナスお兄様の休暇は一週間程度のはずです。今後予定がなければ、剣のお稽古などに付き合っていただきたいところですね。騎士学校優等生のお手並を拝見したいです。
「ヨーナスお兄様は休暇中のご予定はございますか?
わたくし、剣のお稽古に付き合っていただきたいのですが……」
「ああ、いいぞ。休暇中はずっとこの家に滞在する予定だからな。
……そうだいい機会だから、明日はいいところに連れて行ってやる。ちょうど父上からも連れて行ってやれと言われていたからな」
「まあ、一体どちらに連れて行ってくださるのですか?」
「魔術師の工房だ」
魔術師の工房!?なんて楽しそうな響きなんでしょう!
きっと今までにない未知のものがたくさんあるに違いありません。でもなんでヨーナスお兄様はそんなこと提案したのでしょう。
あまりよくわかりませんが、楽しそうなことに載らない手はありません。
「わたくし、明日がとっても楽しみです」
まだ見ぬ、本職の魔術師の姿を想像しながら、わたくしは明日の予定に胸をときめかせました。
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