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新しくバイオレット

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「……できた」
 
 ミラーレスの電源を落として、スケッチブックを持ち立ち上げる。紙の上の世界には砂いじりをするアメトリンくんの姿と自然豊かな草原。実物よりも色鮮やかに、全てを乗っけられた気がする。
 落ち着いて見てみれば、無意識に対象にコントラストをつけているし、まとまりマッスも考えている。今まで得てきた技術も確かに身に染みていて、描きたいものを描くために、技法に支配されていたスランプの時間は必要だったのだ。
 一〇〇パーセントの出来ではないかもしれないけれど、これで良かったのだ。
「アメトリンくん、できましたよ」
「あめとりんくん?」
「ぇあっ! 津城さん、津城さんです。描けたのでこれどうぞ」
 耳に熱がこもる感覚を抑えて、スケッチブックから一枚切り離す。九割がた乾いた習作を手渡した。
「……」
「どうでしょうか?」
 他人に絵を見せる時にはつい緊張してしまう。早まる鼓動を抑えたくて彼の手に視線を向けた。

「光がとってもキレイ。……ていうか俺はしゃいでました? 恥ずかしいな」

「へ、変でした?」
「変とかないです! 空は澄んで木は青々しててめっちゃ『夏』って感じでただ――」
 アメトリンくんは絵の中の自分の横顔を指差した。
「こんな子供みたいに目キラキラさせてたのが客観的に出てくるとその……いたたまれないというか」
「いえいえいえ、好きに全力なのはグッドですよ。描写については私の主観のせいというかそういうアレで。津城さんの目がアメトリンみたいだなぁを出力してしまいまして……」
「目が? あめとりんって何なんですか?」
「宝石です。紫と黄色の合わさった不思議な石で、とっても綺麗なんです。津城くんの紫っぽい目が光に当たって黄色も混じってカットしたアメトリンみたいだなーいいなーと――」
 初対面の人間に何を語り始めているのか。抑えたはずの耳の熱さがまた膨張してきた。
「さっきのアメトリンくんっていうのは?」
「人覚えるの苦手なので紐づけてました。勝手に……」
「謎が解けた」
 アメトリンくん、もとい津城くんは笑っている。
「清滝さんには景色がこう見えてるんですねぇ」
 笑ったまま、彼は砂場にしゃがみこんだ。目線が一気に揃う。
「彫刻専攻の皆に自慢したいけど、こっそり持ってたい気もするなあ」
「本当に習作なので。……あ」
 私はミラーレスで、彼の足下の城と兵隊たちを撮影した。ぐにゃぐにゃな城と精緻せいちな人形の対比がひどくて、肩から笑いが込み上げてくる。
「それなら私もこれ、油彩画専攻うちの子に見せようかな」
 写真をスマホに転送して、画面を津城くんにかざす。
「えー、まあいいですけど」
 津城くんも自分のスマホをかざして軽く振る。
「共作なんで、俺にも画像送ってください。LIMEってやってます?」
「共作関係なく送りますよ。ちょっと待って、QRこれです」
 お礼を込めて、というのは言い過ぎだけれど、晴れやかな気持ちにしてくれたささやかな気持ちだ。新しく友達欄に追加された『津城つしろ陽樹ようき』宛に今日の写真を贈る。――そういえばこの二時間、私は苗字しか知らなかったのか。
「写真送りましたよ」
「ありがとうございますー」
 

 
 出していた画材をもろもろしまい終えた。しばしの沈黙が痛くて、目の前の砂場で造形物を泥に戻している津城くんに勇気を出して呼びかける。
 
「津城さん。お邪魔じゃなければまたここ来て絵を描いてもいいで、しょうか」
 
「全然オーケーですよ?」
 津城くんの顔に『言葉の意図がサッパリ分からない』と書いてある。
「良かったです。ほら、うちのコースだと自分のテリトリーで制作されてると作業の気が散る、っていう子が割といるから」
 顔が『理解しました』に変わった。
「ふーん。清滝さん次っていつきます?」
「次? そうですね……来週とか? 予備校の前とか」
「ほほう。じゃあそれに合わせて行きます」
「はい?」
「次は俺が像を作るターンです。清滝さんにも犠牲になってもらいます」
 犠牲とはおそらく被写体とかそういうことなのだろうか。今日の事含めてのギブアンドテイク、というやつだろうか。
「私、今日みたいに【考える人】みたいなポーズしかしてませんよ?」
「もーまんたいもーまんたい」
「じゃあ犠牲者第一号になりましょう」

 新しい交流、幼き日の想い出、見つけ直した自分なりの描き方の形。一日の計は朝にありとはよく言ったもの。
 家に帰ったらまずあの静物画を全部、新しく描き始めよう。きっと今の私の方が、もっとうまく描ける気がするから。
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