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2 解けない体温
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翌朝、目が覚めたとき、世界は昨日よりもさらに白く塗りつぶされていた。
窓の外は猛吹雪で、視界は数メートル先さえ見通せない。藍色の空がそのまま降りてきたような、不気味な薄明るさが部屋に満ちていた。
「……朔さん?」
隣に人の気配はない。けれど、キッチンの方から微かに食器の触れ合う音が聞こえてきた。
僕はふらつく足取りでリビングへ向かう。昨夜、朦朧とした意識の中で「あーくん」と呼んでしまった後の記憶が、熱に浮かされたようにぼんやりとしていた。まるで、開けてはいけない禁忌の箱に触れてしまったかのような、重い違和感が胸の奥に居座っている。
「おはよう、澪。まだ寝ていてよかったのに」
朔さんはエプロン姿で、甲斐甲斐しく朝食の準備をしていた。トーストが焼ける香ばしい匂いと、淹れたてのコーヒーの香り。その光景は完璧な同居人そのものだが、僕を見る彼の瞳は、昨日までとは明らかに違っていた。
いつもは穏やかに細められる瞳の奥に、獲物を追い詰めた獣のような、粘りつく情欲が滲んでいる。
「あの……僕、やっぱり今日、不動産屋さんに。スマホも全然つながらないし、あそこなら何か……」
僕が言いかけると、朔さんは手にしていたカップをキッチンカウンターに置き、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。その足音さえ、雪に吸い込まれるように静かだ。
「ダメだよ。ニュースを見たかい? 記録的な大雪で、外はマイナス十度を下回っている。そんな体で出たら、今度こそ凍え死んでしまう」
朔さんが僕の肩に手を置く。その指先は驚くほど熱く、けれど力加減は断固として逃げることを許さない。
「大丈夫。俺がここにいる。お前が必要なものは、全部俺が用意してあげるから。……仕事は今日も休みだよ」
「え……? でも、図書館には僕から連絡を……」
「さっき、俺の電話から伝えておいた。急な体調不良だって。君は、自分の体がどれだけ熱いか気づいていないのかい?」
そう言って、朔さんは僕の額にそっと自分の額を合わせた。触れ合った場所から、彼の高い体温が侵食してくる。
嘘だ。僕は、病気なんてしていない。
そう反論しようとした唇は、言葉を発する前に、朔さんの手指によって優しく、けれど強引に塞がれた。
「……あーくん、って」
僕が震える声で、昨夜の呼び名を呟くと、朔さんの動きがぴたりと止まった。
一瞬の静寂。加湿器の出す白い蒸気だけが、ゆらゆらと僕たちの間で揺れる。
「僕、あの日……あーくんに助けてもらったの、覚えてる。でも、あなたは『結城さん』で、僕は……」
「……ああ、そうだね。今の俺は、結城朔だ。お前を愛している、ただの男だよ」
朔さんはゆっくりと僕との距離を詰め、僕を背後の壁へと追い詰めた。逃げ場のない檻の中。
「でも、お前がその名で呼んでくれるなら……俺は、なんだっていいんだ。お前の記憶に、俺という存在が刻まれるなら。……あの雪山で、お前が俺を救ってくれたあの時から、俺の時間は止まったままなんだ」
朔さんの手が僕の顎を強く掬い上げ、強引に唇を奪った。
レモンのような苦味と、熱い吐息が肺の奥深くまで流れ込む。
「……ん、っ……! 待っ……」
拒絶しようとした手首は、あっさりと頭上の壁に押さえつけられた。
いつもは紳士的で、一定の距離を保っていた朔さんの瞳が、今は真っ暗な欲望に染まり、僕を射抜いている。
「そんなふうに呼ばれたら、もう……我慢できないじゃないか。十数年も、俺がどれだけこの日を待っていたか……君にはわからないだろうね」
シャツのボタンが、無理やり引きちぎられるように弾け飛んだ。パチン、という乾いた音が床に響く。
冷たい空気に触れたのも束の間、すぐに朔さんの異常なほど高い体温がそれを塗りつぶした。
首筋に落とされる、焼けるような熱い口づけ。朔さんが肌を吸い上げるたびに、そこが自分の領土だと主張するような、甘い痛みが走る。
「あ……っ、やだ、朔さん……っ」
「嫌じゃないはずだ。お前の体は、こんなに俺を求めて震えている。……可愛いよ、澪」
剥き出しになった腰に大きな手が割り込み、力強く引き寄せられる。布越しでもわかる、彼の昂った硬さが太ももに押し当てられた。
シトラスの香りが、逃げ場を塞ぐように濃く、深く、僕の意識を混濁させていく。
図書館で静かに本をめくっていた日常が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
彼に抱かれる恐怖。けれど同時に、あの雪山で僕を抱きしめてくれた「あーくん」の幻影が重なり、脳が抗えない快楽に麻痺していく。
「……いいよ、澪。全部忘れて、俺だけを感じていればいい。……そうだよ、いい子だ」
朔さんの指先が、僕の最も敏感な場所に触れる。
窓の外、雪は激しさを増し、僕たちの住む世界を完全に孤立させていた。
僕を犯すこの男の体温だけが、今の僕にとっての唯一の現実になっていく——。
窓の外は猛吹雪で、視界は数メートル先さえ見通せない。藍色の空がそのまま降りてきたような、不気味な薄明るさが部屋に満ちていた。
「……朔さん?」
隣に人の気配はない。けれど、キッチンの方から微かに食器の触れ合う音が聞こえてきた。
僕はふらつく足取りでリビングへ向かう。昨夜、朦朧とした意識の中で「あーくん」と呼んでしまった後の記憶が、熱に浮かされたようにぼんやりとしていた。まるで、開けてはいけない禁忌の箱に触れてしまったかのような、重い違和感が胸の奥に居座っている。
「おはよう、澪。まだ寝ていてよかったのに」
朔さんはエプロン姿で、甲斐甲斐しく朝食の準備をしていた。トーストが焼ける香ばしい匂いと、淹れたてのコーヒーの香り。その光景は完璧な同居人そのものだが、僕を見る彼の瞳は、昨日までとは明らかに違っていた。
いつもは穏やかに細められる瞳の奥に、獲物を追い詰めた獣のような、粘りつく情欲が滲んでいる。
「あの……僕、やっぱり今日、不動産屋さんに。スマホも全然つながらないし、あそこなら何か……」
僕が言いかけると、朔さんは手にしていたカップをキッチンカウンターに置き、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。その足音さえ、雪に吸い込まれるように静かだ。
「ダメだよ。ニュースを見たかい? 記録的な大雪で、外はマイナス十度を下回っている。そんな体で出たら、今度こそ凍え死んでしまう」
朔さんが僕の肩に手を置く。その指先は驚くほど熱く、けれど力加減は断固として逃げることを許さない。
「大丈夫。俺がここにいる。お前が必要なものは、全部俺が用意してあげるから。……仕事は今日も休みだよ」
「え……? でも、図書館には僕から連絡を……」
「さっき、俺の電話から伝えておいた。急な体調不良だって。君は、自分の体がどれだけ熱いか気づいていないのかい?」
そう言って、朔さんは僕の額にそっと自分の額を合わせた。触れ合った場所から、彼の高い体温が侵食してくる。
嘘だ。僕は、病気なんてしていない。
そう反論しようとした唇は、言葉を発する前に、朔さんの手指によって優しく、けれど強引に塞がれた。
「……あーくん、って」
僕が震える声で、昨夜の呼び名を呟くと、朔さんの動きがぴたりと止まった。
一瞬の静寂。加湿器の出す白い蒸気だけが、ゆらゆらと僕たちの間で揺れる。
「僕、あの日……あーくんに助けてもらったの、覚えてる。でも、あなたは『結城さん』で、僕は……」
「……ああ、そうだね。今の俺は、結城朔だ。お前を愛している、ただの男だよ」
朔さんはゆっくりと僕との距離を詰め、僕を背後の壁へと追い詰めた。逃げ場のない檻の中。
「でも、お前がその名で呼んでくれるなら……俺は、なんだっていいんだ。お前の記憶に、俺という存在が刻まれるなら。……あの雪山で、お前が俺を救ってくれたあの時から、俺の時間は止まったままなんだ」
朔さんの手が僕の顎を強く掬い上げ、強引に唇を奪った。
レモンのような苦味と、熱い吐息が肺の奥深くまで流れ込む。
「……ん、っ……! 待っ……」
拒絶しようとした手首は、あっさりと頭上の壁に押さえつけられた。
いつもは紳士的で、一定の距離を保っていた朔さんの瞳が、今は真っ暗な欲望に染まり、僕を射抜いている。
「そんなふうに呼ばれたら、もう……我慢できないじゃないか。十数年も、俺がどれだけこの日を待っていたか……君にはわからないだろうね」
シャツのボタンが、無理やり引きちぎられるように弾け飛んだ。パチン、という乾いた音が床に響く。
冷たい空気に触れたのも束の間、すぐに朔さんの異常なほど高い体温がそれを塗りつぶした。
首筋に落とされる、焼けるような熱い口づけ。朔さんが肌を吸い上げるたびに、そこが自分の領土だと主張するような、甘い痛みが走る。
「あ……っ、やだ、朔さん……っ」
「嫌じゃないはずだ。お前の体は、こんなに俺を求めて震えている。……可愛いよ、澪」
剥き出しになった腰に大きな手が割り込み、力強く引き寄せられる。布越しでもわかる、彼の昂った硬さが太ももに押し当てられた。
シトラスの香りが、逃げ場を塞ぐように濃く、深く、僕の意識を混濁させていく。
図書館で静かに本をめくっていた日常が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
彼に抱かれる恐怖。けれど同時に、あの雪山で僕を抱きしめてくれた「あーくん」の幻影が重なり、脳が抗えない快楽に麻痺していく。
「……いいよ、澪。全部忘れて、俺だけを感じていればいい。……そうだよ、いい子だ」
朔さんの指先が、僕の最も敏感な場所に触れる。
窓の外、雪は激しさを増し、僕たちの住む世界を完全に孤立させていた。
僕を犯すこの男の体温だけが、今の僕にとっての唯一の現実になっていく——。
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