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近くて遠い10cm
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有給休暇は意外なほどあっさり取れた。
なんでも、後輩や同僚が事前に掛け合ってくれていたらしく課長は苦虫を噛み潰したような顔で許可をくれた。
「あんまりひどいと法務部とか人事部に相談しますって仄めかしたんですよ」
後輩はそう言って悪そうな顔で笑っており、俺としては感謝しかない。
無事有給休暇を取得した俺は飛行機に乗っており、初めての海外旅行に緊張している。
何の連絡も約束もしてないから彼女に会えるわけではない。そもそも連絡先すら知らない。
それでもフランスの空の下で同じ空気を吸えるだけで満足だ。
パリに着いてホテルに荷物を置いて一息ついた後、まずは遠目にも見え隠れしていたエッフェル塔を目指すことにした。
「そりゃ桜田さんが、桜田さんのお母さんやお婆ちゃんが絵を描きたくなるわけだ」
エッフェル塔の麓までたどり着いた俺は、思わず感嘆の声を上げた。
パリの街並みは、東京のようにビル群が立ち並ぶわけでもないし、札幌のような自然豊かな景観があるわけでもない。
それでも、そんな街の中でひと際目立つ巨大な建造物は他の景色など霞ませるほどの存在感を放っている。
残念ながら芸術的センスが皆無な俺に絵なんて描けるわけもなく、大人しくスマホを取り出し風景ごと切り取ることにした。この感動はぜひとも写真に残しておきたい。
スマホを掲げベストなアングルを模索していると、不意に流暢なフランス語が聞こえた。
「Je sais? La hauteur de la tour Eiffel diffère d'environ 10 centimètres entre l'été et l'hiver.」
明らかに俺に向けて投げかけられた言葉だった。
フランス語なんて翻訳機を使わないとわからないけど、そんなことはどうだってよかった。
ずっと、ずっとずっとずっと聞きたいと思っていた声だった。
振り返るよりも少し早く、先ほどのフランス語を訳してくれたであろう昔日の思い出が日本語で蘇る。
「知ってる? エッフェル塔の高さは夏と冬で10㎝ぐらい違うんだよ」
「熱膨張だよね。塔の素材が錬鉄だから、夏は暑さで膨脹して冬は寒さで収縮する」
なんて色気のない再会の挨拶だろう。
だけどこれが俺達2人の距離感なんだ。
触れそうで触れられない、触れられないようで触れられそうな、長さにして10㎝ぐらいのもどかしい距離、これが僕達だった。
振り向くとそこには、大きめのキャンバスと画材を抱えた美しい女性が立っていた。
記憶の中より少しだけ背は高くなっているものの、桜をバックに見せた最高の笑顔をそのままに。
そしてその瞳には俺が映っている。その事実が何よりも嬉しかった。
今だからわかる、当時の俺は背伸びをしてただけだったんだ。
恋愛ごとには興味がないと、一生懸命背伸びをしてクールなのが大人なんだと必死に演じてただけだった。
でも今の俺は違う。
大人になった俺は、もう背伸びをしなくていい。
彼女が誕生日にここを訪れることは知っていたけど、この再会は完全に偶然だ。
なぜなら、当時の背伸びをしていた俺は彼女に誕生日を聞くことができなかったのだから。
さっきは強がって何とか言葉を絞り出したけど、まさか会うとは思っていなかったから驚きのあまり心臓がバクバク鳴っていて、とてもじゃないけどスマートな言葉なんか出てこない。
でも、だからこそ俺は精一杯の気持ちを込めて、彼女の名前を呼んで手を差し出した。
彼女も同じ思いでいてくれたのか、キャンバスや画材を置いて俺の手を取って力強く握り返してきた。
その手の温かさが俺に勇気をくれた。
彼女の手を優しく握ったまま、意を決して口を開く。
今度は恥ずかしいからではなく、伝えたかったから。
10cmの距離を詰められなかったあの当時、ねじふせていた感情を。
あまり感情を表に出さない俺だけど、今だけは顔を桜色に染めてるんだろうな。
「 」
過ぎ去った時間が戻らないことなんてわかっている。
それでも、数年ぶりに交わした言葉と言う魔法が、俺の中の止まっていた時計の針を動き出させるのだった。
~Fin~
※「 」にはお好きな言葉を入れて想像を楽しんでください。
なんでも、後輩や同僚が事前に掛け合ってくれていたらしく課長は苦虫を噛み潰したような顔で許可をくれた。
「あんまりひどいと法務部とか人事部に相談しますって仄めかしたんですよ」
後輩はそう言って悪そうな顔で笑っており、俺としては感謝しかない。
無事有給休暇を取得した俺は飛行機に乗っており、初めての海外旅行に緊張している。
何の連絡も約束もしてないから彼女に会えるわけではない。そもそも連絡先すら知らない。
それでもフランスの空の下で同じ空気を吸えるだけで満足だ。
パリに着いてホテルに荷物を置いて一息ついた後、まずは遠目にも見え隠れしていたエッフェル塔を目指すことにした。
「そりゃ桜田さんが、桜田さんのお母さんやお婆ちゃんが絵を描きたくなるわけだ」
エッフェル塔の麓までたどり着いた俺は、思わず感嘆の声を上げた。
パリの街並みは、東京のようにビル群が立ち並ぶわけでもないし、札幌のような自然豊かな景観があるわけでもない。
それでも、そんな街の中でひと際目立つ巨大な建造物は他の景色など霞ませるほどの存在感を放っている。
残念ながら芸術的センスが皆無な俺に絵なんて描けるわけもなく、大人しくスマホを取り出し風景ごと切り取ることにした。この感動はぜひとも写真に残しておきたい。
スマホを掲げベストなアングルを模索していると、不意に流暢なフランス語が聞こえた。
「Je sais? La hauteur de la tour Eiffel diffère d'environ 10 centimètres entre l'été et l'hiver.」
明らかに俺に向けて投げかけられた言葉だった。
フランス語なんて翻訳機を使わないとわからないけど、そんなことはどうだってよかった。
ずっと、ずっとずっとずっと聞きたいと思っていた声だった。
振り返るよりも少し早く、先ほどのフランス語を訳してくれたであろう昔日の思い出が日本語で蘇る。
「知ってる? エッフェル塔の高さは夏と冬で10㎝ぐらい違うんだよ」
「熱膨張だよね。塔の素材が錬鉄だから、夏は暑さで膨脹して冬は寒さで収縮する」
なんて色気のない再会の挨拶だろう。
だけどこれが俺達2人の距離感なんだ。
触れそうで触れられない、触れられないようで触れられそうな、長さにして10㎝ぐらいのもどかしい距離、これが僕達だった。
振り向くとそこには、大きめのキャンバスと画材を抱えた美しい女性が立っていた。
記憶の中より少しだけ背は高くなっているものの、桜をバックに見せた最高の笑顔をそのままに。
そしてその瞳には俺が映っている。その事実が何よりも嬉しかった。
今だからわかる、当時の俺は背伸びをしてただけだったんだ。
恋愛ごとには興味がないと、一生懸命背伸びをしてクールなのが大人なんだと必死に演じてただけだった。
でも今の俺は違う。
大人になった俺は、もう背伸びをしなくていい。
彼女が誕生日にここを訪れることは知っていたけど、この再会は完全に偶然だ。
なぜなら、当時の背伸びをしていた俺は彼女に誕生日を聞くことができなかったのだから。
さっきは強がって何とか言葉を絞り出したけど、まさか会うとは思っていなかったから驚きのあまり心臓がバクバク鳴っていて、とてもじゃないけどスマートな言葉なんか出てこない。
でも、だからこそ俺は精一杯の気持ちを込めて、彼女の名前を呼んで手を差し出した。
彼女も同じ思いでいてくれたのか、キャンバスや画材を置いて俺の手を取って力強く握り返してきた。
その手の温かさが俺に勇気をくれた。
彼女の手を優しく握ったまま、意を決して口を開く。
今度は恥ずかしいからではなく、伝えたかったから。
10cmの距離を詰められなかったあの当時、ねじふせていた感情を。
あまり感情を表に出さない俺だけど、今だけは顔を桜色に染めてるんだろうな。
「 」
過ぎ去った時間が戻らないことなんてわかっている。
それでも、数年ぶりに交わした言葉と言う魔法が、俺の中の止まっていた時計の針を動き出させるのだった。
~Fin~
※「 」にはお好きな言葉を入れて想像を楽しんでください。
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