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とある女帝と偽善者
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王都から西に数キロ離れた所に、処刑場がある。
処刑場とはいうが、外壁などはない。
境目として木の柵が適度な間隔で設置されているだけの、ただの荒野だ。
王都の西門から処刑場に続く道も舗装などされていない。
犯罪者のみならず悪政を強いた歴代の王族も皆、この場で処刑されてきた。
どんなに晴れた爽やかな日であっても、ここはいつでも血生臭く、空気が重く感じられる。
ローズがアインス帝国の女帝となって2年が経った、ある秋の日のこと。
処刑場には緊張感と重苦しい空気が流れていた。
午後の執務の合間を縫って処刑場に赴いたローズは、顔には出さないが苛ついていた。
この後も片付けなければならない書類が溜っているため、さっさと用事を済ませて帰りたかったのだが、予期せぬ妨害により予定通りに事を進められずにいる。
本日処刑場では、昨日捉えた害獣を殺処分することとなっていた。
害獣といっても、ネズミのような小物ではない。
この国には生息していないはずの狼型の魔獣だ。
白銀の毛並み持つソレは、立ち上がれば成人男性を軽く超える程の大きさを持っている。
魔獣であるため、鋭い爪と牙による物理攻撃だけでは無く、魔力を用いて攻撃してくる。
部下からの報告によると、銀狼は氷結魔法を使ったそうだ。
銀狼は王都から南下した海辺に、突如現れた。
漁船の乗組員が港町から近い浜辺でうろついている銀狼を見つけ、すぐに役人に知らされた。
ほどなくして皇帝であるローズの耳に入り、即刻、魔道部隊が派遣され銀狼を捕縛したのだ。
発見が早かったことと、魔道部隊が優秀であったこともあり、運良く人的被害は出ていない。
だが魔獣である以上、このまま野放しには出来ない。
ましてや、この国には生息していない生き物だ。
解放してやることは出来ないため、処分することが決まった。
慣例により、処刑場では必ず皇帝が立ち会うこととなっている。
ローズは銀狼の処分を見届けるために、忙しい時間の合間を縫って、わざわざ馬を駆ってやってきたのだ。
ローズの前には強固な檻があり、その中には魔封じと弱体化の効果が付与された鎖で押さえつけられている銀狼の姿があった。
檻の中で牙を剥き、唸り声を上げて周囲の人間達を睨み付けている。
ローズを不快にさせているのは銀狼ではない。
過去この場で処刑された者たちは、総じて刑を下した張本人である皇帝を睨んできた。さらに意思疎通の出来ない獣なのだから、敵意をむき出しにされるのは当然のことだ。
銀狼からの敵意など想定の範囲内だ。不快になることはない。
「この子を殺すのはやめてください、可哀想です!」
不快にさせるのは、ローズと銀狼の間に立ち、悲痛な顔で訴えてくる少女の存在だった。
「――それで? 可哀想だからなんだというのだ?」
「その子だって生きているんです。解放してあげるべきです!」
銀狼の檻を守るようにしてローズに立ち向かうのは、医療協会に所属する治癒師の少女――エラだ。
柔らかな金髪を腰まで垂らし、白いワンピースに身を包む彼女は、15歳と言う若さでありながら協会でもトップクラスの治癒師である。
容姿も整っており、一部の者達の間では彼女を聖女と呼ぶ者もいるらしい。
対するローズは燃えるような赤い髪を後ろでひとまとめにしており、乗馬服に身を包んだ彼女は女帝としての威厳を備えていた。
「なんて無駄な時間だ…。無能と話すことほど無駄なものはないな」
「なっ!?失礼な!」
皇帝が言う無能が自らを指しているとわかると、エラは顔を紅潮させた。
(――こんな簡単な挑発に乗るとは。聖女だなんだと持ち上げられていい気になっているようだが、まだまだ青いな。誰も止めに来ないところを見ると、後ろ盾があるわけではなさそうだ)
実際に失礼なのはエラの方なのだが、彼女はそれに気づいていない。
幼い頃から魔力が高く、治癒師としての能力に抜きん出ていることで周囲からもてはやされてきたため、それが彼女を傲慢にさせた。
そのため、この国で最も尊く敬うべき存在である皇帝を前にして、無礼を働いている自覚がない。
ローズの周囲には当然、皇帝を守るべくして騎士が控えている。
彼らがエラを捕らえないのは、ローズからの制止がかかっているからだ。
騎士達が動かないことで、エラに『自分は皇帝と対等な存在なのだ』と勘違いさせた。
優秀な騎士達は指示通り静かに控えているが、主君を軽んじる存在に、わずかに殺気立っていた。
「ソレを解放するとは、具体的にどういうことだ?」
「こんな牢獄に閉じ込めるのではなく、森に返してあげるんです!」
返ってきたのは呆れるほど幼稚な提案だった。
「どこの森だ?」
「え…。えっと、王都の北の森とか、東の樹海…とか」
「北の森と東の樹海で、ソレは生きていけるのか。そもそもソレはどこから来たんだ?」
「え…?それは、わかりませんけど…どこかの森か山じゃないかと…」
「では、ソレは何を食べる。肉食ではないのか?」
「そんなの…知りません…。あ、何か食べさせてみたらわかるかも」
「つまりソレについて、お前は何一つ知らないのだな」
「…」
エラは悔しそうな顔をローズに向ける。
例えば、とローズは口を開く。
「例えば、海の向こう――遙か南の大陸から連れてこられたオオカミがいるとしよう。
そのオオカミが迷子になって捕獲された時、お前はもとの森にかえすのではなく、近場にある適当な森に放とうというのだな。
森の近くには羊が放牧されている牧草地がある。オオカミは肉食だ。腹が減れば羊を襲う。
お前は、1匹のオオカミの命のために、放牧されていた羊が全滅するのをよしとするのか?」
「え、そんなつもりじゃ…」
「そんなつもりがなくたって、お前が主張するのはそう言うことだ。
現に、オオカミを解放してどうするつもりだったのだ?
まさかオオカミが羊を襲わないとでもいうつもりか?それほどまでに、お前はオオカミと心が通じているのか?
羊を襲わなかったとして、鶏、豚、牛は?人を襲う可能性はどうだ?
お前がここでソレの命を救ったことで、後に数百、数千の犠牲がでるとしても、それを解き放つのか?」
「も、もとの住処にかえすわ!」
「どうやって?どこに?誰が?」
「…」
方法など何も思いつかないのだろう。
エラは押し黙った。
「できないのなら、お前は無能なただの偽善者だ。
真にソレの命を救いたいと考えるなら、他人に任せず自ら方法を提案しろ。
言っておくが、ソレを解放したのち、この国で家畜や人的被害が出た場合、お前の両手足を切り落とす」
「そんな!」
エラは顔を青くさせた。
「その程度の覚悟もないのなら、何もするな。
お前の両手足になぞ、なんの価値もないのだ。
やめろと訴えるだけでなく具体的な案を出せ。誰もが納得できるものをな」
エラは医療協会のトップクラスの能力を持っているが、上には上がいる。
また治癒師の数は多く、替わりはいるのだ。エラ1人がいなくなったところで何ら問題がない。
「いいか小娘――これは遊びじゃないんだ。
お前の後先考えない偽善で今後、数百、数千の命が奪われる可能性が出てくるのだ。
もし心の底からソレを救いたいのならバカの一つ覚えみたいに『命は大切に』と訴えるのではなく、具体的な解決策を出せ。
また、実行に移すために必要な資金と人材を確保せよ」
「で、でもその子が…その間にその子が殺されちゃう…」
具体的な解決策など、何一つ思いつかない。
エラは予想と違う展開に戸惑い、誰かが助けてくれないかと、周囲に目を向けるが、誰も彼女と目を合わせてくれない。
女帝だけは、射貫くような目で彼女を見ている。
「――もしお前の言う通りにソレを野に放った後、人が襲われたらどうするつもりだ?
お前は、子供をソレに食い殺された親に向かって何と声をかける?
お前が怪物を解き放ったことで子が死んだ親に対して、『怪物の命の方が人間の子供の命よりも大事』だと言うつもりか?
お前がソレを助けなければ、失われることのなかった命だとしても」
「う…」
「仮に、ソレの住処が分かったとしよう。
そこに連れて行くのは誰がやるのか?お前1人でできるか?
私の臣下たちは貸さないぞ。なぜなら、私がお前を全く信用していないからだ。
お前に心を動かされない、意見に賛同も出来ない。手を貸したところで利益が全く見込めない。そんな相手になぜ手を貸してやらねばならぬ」
「…」
「大丈夫だというのなら、まずはお前がソレをおとなしくして見せよ。
弱体化されてなお、隙あらば襲いかかろうとしてくるソレを」
エラは今まで誰かに睨まれたことも、否定されたことも無かった。
思い通りにならない展開に彼女が感じるのは、屈辱と怒りだった。
また涙を流すエラを、周囲の者が誰1人心配しないことに、驚いてもいた。
(私がこんなに困っているのに、なぜあの男達はなにもしないの?! このおばさんが皇帝だからって、私を"いじめて"いい理由にはならないでしょ!?)
エラの中では、あくまでも自分が被害者だった。
周囲の騎士達にとっては、エラこそが異物であり、排除すべき対象だ。
「良いか小娘、我ら王族はこの国の500万の民の命を背負っている。私の発言1つで、この国が滅ぶのだ。
それに対してお前はどうだ?何かを背負っているか?ただ目の前にある命を憐れんだだけだろう?
やることと言ったら『可哀想』と声を上げるだけ。救う方法は人任せ。問題が起きた場合の対処法も人任せ…。
そんな軽すぎるお前の言葉を、何故私が聞き入れねばならん。
ソレを殺したらこの国に災いが起きるのか。ソレを生かしたらこの国に利益があるのか」
「も、もしかしたらこの子が何かの役に…」
「"もしかしたら"と言っている時点で駄目なのだ。500万の命がかかっているのだ。確信を持って発言しろ。そうしなければ国――人の心は動かせぬ」
「…」
「動物の命を大切に思うのは良い。だが、問題なのは奪う者を批判するだけで、他の手段を考えないことだ」
ボロボロと大粒の涙を流すエラは、悔しさと怒りにより醜い顔を晒している。
乱暴に涙を拭いながら、彼女は立ちはだかる女帝を睨み付けるのをやめない。
ローズはため息を1つ吐くと、後ろに控える魔道士に声をかけた。
「ソレをいつまで押さえておける?」
「術士の人数、体力を考えますと――明日の正午までは問題ありません」
「ふむ」
ローズは懐中時計を取り出す。時刻は午後2時をまわったところだ。
(魔道部隊が総出で対処している以上、無駄に長引かせることは愚策。この魔獣が決して人には懐かず、肉食であることは調べがついている以上、殺処分は決定事項だ。
――かといって、この流れで魔獣を処分したのでは、皇帝への印象が悪くなるか…。
少し時間を取ってやってもいいが、この娘に唆された愚か者が手を貸す可能性も考えられる…明日に延ばすのは危険だろう。日没までには処分しておきたいところだな)
一呼吸置くと、ローズは声高に宣言する。
「本日午後6時に、ソレを処分する。異のある者はそれまでに申し出よ!」
ローズの目線の先には、部下の1人が設置した映像発信機があった。
処刑場でのやりとりは、国内すべての町村に配信されている。
これは先々代の皇帝が取り決めたことで、処刑場の様子は国内のすべての町村に映像として配信される。
各町村の中央に設置された投影石が、空中に映像を映し出す仕組みとなっている。
普段は国政にまつわる情報の配信で用いられるが、戒めの意味を込めて犯罪者の処刑の様子も映し出すのだ。
処刑の様子を見せつけられることで犯罪者の数は激減したらしく、効果は絶大だった。
実際に前回、この処刑場の映像が投影されたのは8年も前だ。
当時7歳のエラは、両親のはからいによって処刑の映像を見ることが無かった。
そのため彼女は知らなかった。
すべての国民が、今までの女帝と聖女のやりとりを見ていたことを。
聖女ともてはやされた彼女が、ただの無謀で常識知らずの愚かな少女であったことが、全国民に知られたことを。
強制執行せず、わずかだが猶予を与えた女帝に対しては、国民が各々違った印象を抱いたことだろう。
午後6時。
ローズの執務は滞りなく行われた。
数日後、医療協会で治癒師が1人退職した旨が記録されたが、ローズの耳には入らなかった。
彼女の治世はその後も緩やかに長く続いた。
処刑場とはいうが、外壁などはない。
境目として木の柵が適度な間隔で設置されているだけの、ただの荒野だ。
王都の西門から処刑場に続く道も舗装などされていない。
犯罪者のみならず悪政を強いた歴代の王族も皆、この場で処刑されてきた。
どんなに晴れた爽やかな日であっても、ここはいつでも血生臭く、空気が重く感じられる。
ローズがアインス帝国の女帝となって2年が経った、ある秋の日のこと。
処刑場には緊張感と重苦しい空気が流れていた。
午後の執務の合間を縫って処刑場に赴いたローズは、顔には出さないが苛ついていた。
この後も片付けなければならない書類が溜っているため、さっさと用事を済ませて帰りたかったのだが、予期せぬ妨害により予定通りに事を進められずにいる。
本日処刑場では、昨日捉えた害獣を殺処分することとなっていた。
害獣といっても、ネズミのような小物ではない。
この国には生息していないはずの狼型の魔獣だ。
白銀の毛並み持つソレは、立ち上がれば成人男性を軽く超える程の大きさを持っている。
魔獣であるため、鋭い爪と牙による物理攻撃だけでは無く、魔力を用いて攻撃してくる。
部下からの報告によると、銀狼は氷結魔法を使ったそうだ。
銀狼は王都から南下した海辺に、突如現れた。
漁船の乗組員が港町から近い浜辺でうろついている銀狼を見つけ、すぐに役人に知らされた。
ほどなくして皇帝であるローズの耳に入り、即刻、魔道部隊が派遣され銀狼を捕縛したのだ。
発見が早かったことと、魔道部隊が優秀であったこともあり、運良く人的被害は出ていない。
だが魔獣である以上、このまま野放しには出来ない。
ましてや、この国には生息していない生き物だ。
解放してやることは出来ないため、処分することが決まった。
慣例により、処刑場では必ず皇帝が立ち会うこととなっている。
ローズは銀狼の処分を見届けるために、忙しい時間の合間を縫って、わざわざ馬を駆ってやってきたのだ。
ローズの前には強固な檻があり、その中には魔封じと弱体化の効果が付与された鎖で押さえつけられている銀狼の姿があった。
檻の中で牙を剥き、唸り声を上げて周囲の人間達を睨み付けている。
ローズを不快にさせているのは銀狼ではない。
過去この場で処刑された者たちは、総じて刑を下した張本人である皇帝を睨んできた。さらに意思疎通の出来ない獣なのだから、敵意をむき出しにされるのは当然のことだ。
銀狼からの敵意など想定の範囲内だ。不快になることはない。
「この子を殺すのはやめてください、可哀想です!」
不快にさせるのは、ローズと銀狼の間に立ち、悲痛な顔で訴えてくる少女の存在だった。
「――それで? 可哀想だからなんだというのだ?」
「その子だって生きているんです。解放してあげるべきです!」
銀狼の檻を守るようにしてローズに立ち向かうのは、医療協会に所属する治癒師の少女――エラだ。
柔らかな金髪を腰まで垂らし、白いワンピースに身を包む彼女は、15歳と言う若さでありながら協会でもトップクラスの治癒師である。
容姿も整っており、一部の者達の間では彼女を聖女と呼ぶ者もいるらしい。
対するローズは燃えるような赤い髪を後ろでひとまとめにしており、乗馬服に身を包んだ彼女は女帝としての威厳を備えていた。
「なんて無駄な時間だ…。無能と話すことほど無駄なものはないな」
「なっ!?失礼な!」
皇帝が言う無能が自らを指しているとわかると、エラは顔を紅潮させた。
(――こんな簡単な挑発に乗るとは。聖女だなんだと持ち上げられていい気になっているようだが、まだまだ青いな。誰も止めに来ないところを見ると、後ろ盾があるわけではなさそうだ)
実際に失礼なのはエラの方なのだが、彼女はそれに気づいていない。
幼い頃から魔力が高く、治癒師としての能力に抜きん出ていることで周囲からもてはやされてきたため、それが彼女を傲慢にさせた。
そのため、この国で最も尊く敬うべき存在である皇帝を前にして、無礼を働いている自覚がない。
ローズの周囲には当然、皇帝を守るべくして騎士が控えている。
彼らがエラを捕らえないのは、ローズからの制止がかかっているからだ。
騎士達が動かないことで、エラに『自分は皇帝と対等な存在なのだ』と勘違いさせた。
優秀な騎士達は指示通り静かに控えているが、主君を軽んじる存在に、わずかに殺気立っていた。
「ソレを解放するとは、具体的にどういうことだ?」
「こんな牢獄に閉じ込めるのではなく、森に返してあげるんです!」
返ってきたのは呆れるほど幼稚な提案だった。
「どこの森だ?」
「え…。えっと、王都の北の森とか、東の樹海…とか」
「北の森と東の樹海で、ソレは生きていけるのか。そもそもソレはどこから来たんだ?」
「え…?それは、わかりませんけど…どこかの森か山じゃないかと…」
「では、ソレは何を食べる。肉食ではないのか?」
「そんなの…知りません…。あ、何か食べさせてみたらわかるかも」
「つまりソレについて、お前は何一つ知らないのだな」
「…」
エラは悔しそうな顔をローズに向ける。
例えば、とローズは口を開く。
「例えば、海の向こう――遙か南の大陸から連れてこられたオオカミがいるとしよう。
そのオオカミが迷子になって捕獲された時、お前はもとの森にかえすのではなく、近場にある適当な森に放とうというのだな。
森の近くには羊が放牧されている牧草地がある。オオカミは肉食だ。腹が減れば羊を襲う。
お前は、1匹のオオカミの命のために、放牧されていた羊が全滅するのをよしとするのか?」
「え、そんなつもりじゃ…」
「そんなつもりがなくたって、お前が主張するのはそう言うことだ。
現に、オオカミを解放してどうするつもりだったのだ?
まさかオオカミが羊を襲わないとでもいうつもりか?それほどまでに、お前はオオカミと心が通じているのか?
羊を襲わなかったとして、鶏、豚、牛は?人を襲う可能性はどうだ?
お前がここでソレの命を救ったことで、後に数百、数千の犠牲がでるとしても、それを解き放つのか?」
「も、もとの住処にかえすわ!」
「どうやって?どこに?誰が?」
「…」
方法など何も思いつかないのだろう。
エラは押し黙った。
「できないのなら、お前は無能なただの偽善者だ。
真にソレの命を救いたいと考えるなら、他人に任せず自ら方法を提案しろ。
言っておくが、ソレを解放したのち、この国で家畜や人的被害が出た場合、お前の両手足を切り落とす」
「そんな!」
エラは顔を青くさせた。
「その程度の覚悟もないのなら、何もするな。
お前の両手足になぞ、なんの価値もないのだ。
やめろと訴えるだけでなく具体的な案を出せ。誰もが納得できるものをな」
エラは医療協会のトップクラスの能力を持っているが、上には上がいる。
また治癒師の数は多く、替わりはいるのだ。エラ1人がいなくなったところで何ら問題がない。
「いいか小娘――これは遊びじゃないんだ。
お前の後先考えない偽善で今後、数百、数千の命が奪われる可能性が出てくるのだ。
もし心の底からソレを救いたいのならバカの一つ覚えみたいに『命は大切に』と訴えるのではなく、具体的な解決策を出せ。
また、実行に移すために必要な資金と人材を確保せよ」
「で、でもその子が…その間にその子が殺されちゃう…」
具体的な解決策など、何一つ思いつかない。
エラは予想と違う展開に戸惑い、誰かが助けてくれないかと、周囲に目を向けるが、誰も彼女と目を合わせてくれない。
女帝だけは、射貫くような目で彼女を見ている。
「――もしお前の言う通りにソレを野に放った後、人が襲われたらどうするつもりだ?
お前は、子供をソレに食い殺された親に向かって何と声をかける?
お前が怪物を解き放ったことで子が死んだ親に対して、『怪物の命の方が人間の子供の命よりも大事』だと言うつもりか?
お前がソレを助けなければ、失われることのなかった命だとしても」
「う…」
「仮に、ソレの住処が分かったとしよう。
そこに連れて行くのは誰がやるのか?お前1人でできるか?
私の臣下たちは貸さないぞ。なぜなら、私がお前を全く信用していないからだ。
お前に心を動かされない、意見に賛同も出来ない。手を貸したところで利益が全く見込めない。そんな相手になぜ手を貸してやらねばならぬ」
「…」
「大丈夫だというのなら、まずはお前がソレをおとなしくして見せよ。
弱体化されてなお、隙あらば襲いかかろうとしてくるソレを」
エラは今まで誰かに睨まれたことも、否定されたことも無かった。
思い通りにならない展開に彼女が感じるのは、屈辱と怒りだった。
また涙を流すエラを、周囲の者が誰1人心配しないことに、驚いてもいた。
(私がこんなに困っているのに、なぜあの男達はなにもしないの?! このおばさんが皇帝だからって、私を"いじめて"いい理由にはならないでしょ!?)
エラの中では、あくまでも自分が被害者だった。
周囲の騎士達にとっては、エラこそが異物であり、排除すべき対象だ。
「良いか小娘、我ら王族はこの国の500万の民の命を背負っている。私の発言1つで、この国が滅ぶのだ。
それに対してお前はどうだ?何かを背負っているか?ただ目の前にある命を憐れんだだけだろう?
やることと言ったら『可哀想』と声を上げるだけ。救う方法は人任せ。問題が起きた場合の対処法も人任せ…。
そんな軽すぎるお前の言葉を、何故私が聞き入れねばならん。
ソレを殺したらこの国に災いが起きるのか。ソレを生かしたらこの国に利益があるのか」
「も、もしかしたらこの子が何かの役に…」
「"もしかしたら"と言っている時点で駄目なのだ。500万の命がかかっているのだ。確信を持って発言しろ。そうしなければ国――人の心は動かせぬ」
「…」
「動物の命を大切に思うのは良い。だが、問題なのは奪う者を批判するだけで、他の手段を考えないことだ」
ボロボロと大粒の涙を流すエラは、悔しさと怒りにより醜い顔を晒している。
乱暴に涙を拭いながら、彼女は立ちはだかる女帝を睨み付けるのをやめない。
ローズはため息を1つ吐くと、後ろに控える魔道士に声をかけた。
「ソレをいつまで押さえておける?」
「術士の人数、体力を考えますと――明日の正午までは問題ありません」
「ふむ」
ローズは懐中時計を取り出す。時刻は午後2時をまわったところだ。
(魔道部隊が総出で対処している以上、無駄に長引かせることは愚策。この魔獣が決して人には懐かず、肉食であることは調べがついている以上、殺処分は決定事項だ。
――かといって、この流れで魔獣を処分したのでは、皇帝への印象が悪くなるか…。
少し時間を取ってやってもいいが、この娘に唆された愚か者が手を貸す可能性も考えられる…明日に延ばすのは危険だろう。日没までには処分しておきたいところだな)
一呼吸置くと、ローズは声高に宣言する。
「本日午後6時に、ソレを処分する。異のある者はそれまでに申し出よ!」
ローズの目線の先には、部下の1人が設置した映像発信機があった。
処刑場でのやりとりは、国内すべての町村に配信されている。
これは先々代の皇帝が取り決めたことで、処刑場の様子は国内のすべての町村に映像として配信される。
各町村の中央に設置された投影石が、空中に映像を映し出す仕組みとなっている。
普段は国政にまつわる情報の配信で用いられるが、戒めの意味を込めて犯罪者の処刑の様子も映し出すのだ。
処刑の様子を見せつけられることで犯罪者の数は激減したらしく、効果は絶大だった。
実際に前回、この処刑場の映像が投影されたのは8年も前だ。
当時7歳のエラは、両親のはからいによって処刑の映像を見ることが無かった。
そのため彼女は知らなかった。
すべての国民が、今までの女帝と聖女のやりとりを見ていたことを。
聖女ともてはやされた彼女が、ただの無謀で常識知らずの愚かな少女であったことが、全国民に知られたことを。
強制執行せず、わずかだが猶予を与えた女帝に対しては、国民が各々違った印象を抱いたことだろう。
午後6時。
ローズの執務は滞りなく行われた。
数日後、医療協会で治癒師が1人退職した旨が記録されたが、ローズの耳には入らなかった。
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