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嫌悪感を抱く
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コンコン。
「アッシュ様。リンリーです。入室してもよろしいでしょうか」
声をかけてしばし返答を待つ。
「…アッシュ様?」
返答がない。
耳を澄ませて待つが、何も聞こえない。
「あの…アッシュ様…?」
先程のセオのように、許可がないまま扉を開けてしまおうか迷ったところで、小さな声が聞こえた。
「…どう…ぞ…」
「――っ! 失礼します」
ゆっくりと扉を開けると、異臭が漂う。
換気もかねてドアを開け放つと、部屋に一歩入ったところでベッドの上の白い塊に声をかけた。
「はじめまして。本日よりアッシュ様のお世話をさせて頂くことになりましたリンリーと申します。よろしくお願いいたします」
腰を折り丁寧な礼をとる。
心の中で3秒数えてから体を起こした。
「空気の入れ換えを行うために、窓を開けてもよろしいでしょうか」
「…」
返答はないが、わずかにシーツの塊が動いた。
頷いたように見えたので、リンリーは窓を開け放った。
(そうだ。廊下の窓も開けた方が空気の通り道が出来て、早く換気できるはず)
リンリーは廊下に出て窓を開けた。
風が通り抜けていくのがわかった。
しばらくすれば異臭が薄らいでいくだろう。
――さて、次はどうしようか。
入口から部屋の中を見渡して、何から手を付けたらよいかを考える。
窓を開けたことで埃が舞ってしまっているので、掃除は必須だ。
だが一番気になるのは――。
「アッシュ様、寝具を洗濯いたしますので、大変申し訳ないのですがベッドから降りていただけないでしょうか」
今日は天気が良く、風もある。
まだ昼前なので、今から洗えば夕方までには乾くだろう。
――もっとも、ここまで黄ばんだシーツは洗ってもきれいにならないかもしれないが、とにかく異臭の素を取り去りたかった。
それになにより、異臭の大元であるアッシュの姿をこの目で確認しておきたい。
先程のセオの台詞とこの部屋の惨状を見るに、きっと彼は風呂に入っていないだろう。
シーツで隠されてしまった彼を、確認したい。
「……」
「アッシュ様?」
返事は無く、シーツの塊は動かない。
焦らずリンリーは声をかけた。
「アッシュ様。私にこのお部屋をお掃除させて頂けないでしょうか。それと――無理にとは申しませんが、出来ればアッシュ様のお顔を拝見したいのですが…」
「……」
無言ではあったが、のろのろとシーツの塊が動き出した。
瞳だけを覗かせていたシーツの隙間が、徐々に開いていく。
リンリーの反応を伺いつつ少しずつシーツがどかされ、ついにはアッシュの顔が見えるようになった。
「――っ!?」
リンリーは息をのんだ。
シーツから現れたアッシュの顔は、酷いものだった。
手入れのされていない髪は伸びっぱなしで絡まり、一部は固まっているようだ。
栄養失調だろう、やつれており吹き出物ができている。
首から下は未だシーツに覆われて見えないが、おそらく想像通りに痩せ細っているに違いない。
セオは『最低限の食事の配膳』をすればよいといっていたが、アッシュは本当に『生きるために最低限の食事』しか与えられなかったのだろう。
これが伯爵家当主の指示であるならば別だが、使用人が伯爵家子息を虐待したと訴えられても仕方が無い有様だ。
リンリーはアッシュの顔を見て衝撃を受けていた。
(…あぁ、私この子嫌いだわ…)
初対面の子供を見て最初に感じたのは、哀れみでも同情でもなく、どうしようもない嫌悪感だった。
リンリーの心を支配する感情は、嫌悪感でいっぱいになった。
だが彼女は表情筋を引き締め、極力、嫌悪感を顔に出さぬようつとめた。
上級使用人を目指す彼女は、日頃から主人に失礼があってはいけないという強い思いを抱いていた。
何かやらかしたらクビになるのだ。クビになったら実家の借金が返せない。
金のためならばどんなクソやろうにも仕えてみせるのだと、己に言い聞かせた。
(これじゃあ、物置小屋に押し込まれるのは当然ね。ビビアナ様の害にしかならないもの。何でこんな子が伯爵家の子供なのかしら)
(こんな子がビビアナ様の兄だなんて信じられない)
(こんなのが近くにいたら、ビビアナ様の教育に悪いわ)
表に出さないように己を律したが、心の中はどうにもできない。
目の前の少年を嫌悪する気持ちを止めることは出来なかった。
「……アッシュ様、寝具を洗濯したいのでベッドから降りて頂けますか」
「――っ!?」
努めて冷静に声をかけたリンリーに、アッシュは目を見開いて驚いた。
その表情さえも、リンリーを不快にする。
恐る恐るシーツから出てベッドから降りたアッシュは、予想通り黄ばんで襟元や袖口がヘロヘロになったシャツ――ぼろ切れと言った方が適切か――を身に纏っていた。
リンリーは目の前に山積みになっている仕事をとにかく片付けたかった。
「…今日は天気が良いので寝具と…アッシュ様のお召し物を洗濯いたします。まずは着替えを用意いたしますね」
リンリーはドア左横のクローゼットを開けた。
元々物置部屋だった名残か、クローゼットの片隅には掃除用具が置いてあった。
さび付いたバケツと、バケツの縁に引っかけた形で乾いて固まった雑巾、布の部分が朽ちてもはやただの棒になっているハタキ。
それ以外はなにもなかった。
リンリーは心の中でため息を吐くと、アッシュの方に体を向けた。
「――大変申し訳ありません。お着替えと寝具の替えをお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
腰を折り一礼すると、アッシュの返事を待たずに部屋を出た。
音を立てないように静かにドアを閉める。
換気のためにはドアを開けておいた方が良いのだが、アッシュが外に出ないようにドアは閉めておかないといけない。
着替えとシーツの替えについて、セオ――いや、いっそのこと家政婦長か執事長に指示を仰いだ方がよいかもしれない。
――とはいえ質問事項や相談事は直属の上司に聞くのが基本である。
今の時点では、上級侍女が下級侍女の上司だ。
彼女はアッシュの世話が嫌で皿洗い女中として働いていると言っていたので、おそらく厨房にいるだろう。
リンリーは厨房へと向かった。
「アッシュ様。リンリーです。入室してもよろしいでしょうか」
声をかけてしばし返答を待つ。
「…アッシュ様?」
返答がない。
耳を澄ませて待つが、何も聞こえない。
「あの…アッシュ様…?」
先程のセオのように、許可がないまま扉を開けてしまおうか迷ったところで、小さな声が聞こえた。
「…どう…ぞ…」
「――っ! 失礼します」
ゆっくりと扉を開けると、異臭が漂う。
換気もかねてドアを開け放つと、部屋に一歩入ったところでベッドの上の白い塊に声をかけた。
「はじめまして。本日よりアッシュ様のお世話をさせて頂くことになりましたリンリーと申します。よろしくお願いいたします」
腰を折り丁寧な礼をとる。
心の中で3秒数えてから体を起こした。
「空気の入れ換えを行うために、窓を開けてもよろしいでしょうか」
「…」
返答はないが、わずかにシーツの塊が動いた。
頷いたように見えたので、リンリーは窓を開け放った。
(そうだ。廊下の窓も開けた方が空気の通り道が出来て、早く換気できるはず)
リンリーは廊下に出て窓を開けた。
風が通り抜けていくのがわかった。
しばらくすれば異臭が薄らいでいくだろう。
――さて、次はどうしようか。
入口から部屋の中を見渡して、何から手を付けたらよいかを考える。
窓を開けたことで埃が舞ってしまっているので、掃除は必須だ。
だが一番気になるのは――。
「アッシュ様、寝具を洗濯いたしますので、大変申し訳ないのですがベッドから降りていただけないでしょうか」
今日は天気が良く、風もある。
まだ昼前なので、今から洗えば夕方までには乾くだろう。
――もっとも、ここまで黄ばんだシーツは洗ってもきれいにならないかもしれないが、とにかく異臭の素を取り去りたかった。
それになにより、異臭の大元であるアッシュの姿をこの目で確認しておきたい。
先程のセオの台詞とこの部屋の惨状を見るに、きっと彼は風呂に入っていないだろう。
シーツで隠されてしまった彼を、確認したい。
「……」
「アッシュ様?」
返事は無く、シーツの塊は動かない。
焦らずリンリーは声をかけた。
「アッシュ様。私にこのお部屋をお掃除させて頂けないでしょうか。それと――無理にとは申しませんが、出来ればアッシュ様のお顔を拝見したいのですが…」
「……」
無言ではあったが、のろのろとシーツの塊が動き出した。
瞳だけを覗かせていたシーツの隙間が、徐々に開いていく。
リンリーの反応を伺いつつ少しずつシーツがどかされ、ついにはアッシュの顔が見えるようになった。
「――っ!?」
リンリーは息をのんだ。
シーツから現れたアッシュの顔は、酷いものだった。
手入れのされていない髪は伸びっぱなしで絡まり、一部は固まっているようだ。
栄養失調だろう、やつれており吹き出物ができている。
首から下は未だシーツに覆われて見えないが、おそらく想像通りに痩せ細っているに違いない。
セオは『最低限の食事の配膳』をすればよいといっていたが、アッシュは本当に『生きるために最低限の食事』しか与えられなかったのだろう。
これが伯爵家当主の指示であるならば別だが、使用人が伯爵家子息を虐待したと訴えられても仕方が無い有様だ。
リンリーはアッシュの顔を見て衝撃を受けていた。
(…あぁ、私この子嫌いだわ…)
初対面の子供を見て最初に感じたのは、哀れみでも同情でもなく、どうしようもない嫌悪感だった。
リンリーの心を支配する感情は、嫌悪感でいっぱいになった。
だが彼女は表情筋を引き締め、極力、嫌悪感を顔に出さぬようつとめた。
上級使用人を目指す彼女は、日頃から主人に失礼があってはいけないという強い思いを抱いていた。
何かやらかしたらクビになるのだ。クビになったら実家の借金が返せない。
金のためならばどんなクソやろうにも仕えてみせるのだと、己に言い聞かせた。
(これじゃあ、物置小屋に押し込まれるのは当然ね。ビビアナ様の害にしかならないもの。何でこんな子が伯爵家の子供なのかしら)
(こんな子がビビアナ様の兄だなんて信じられない)
(こんなのが近くにいたら、ビビアナ様の教育に悪いわ)
表に出さないように己を律したが、心の中はどうにもできない。
目の前の少年を嫌悪する気持ちを止めることは出来なかった。
「……アッシュ様、寝具を洗濯したいのでベッドから降りて頂けますか」
「――っ!?」
努めて冷静に声をかけたリンリーに、アッシュは目を見開いて驚いた。
その表情さえも、リンリーを不快にする。
恐る恐るシーツから出てベッドから降りたアッシュは、予想通り黄ばんで襟元や袖口がヘロヘロになったシャツ――ぼろ切れと言った方が適切か――を身に纏っていた。
リンリーは目の前に山積みになっている仕事をとにかく片付けたかった。
「…今日は天気が良いので寝具と…アッシュ様のお召し物を洗濯いたします。まずは着替えを用意いたしますね」
リンリーはドア左横のクローゼットを開けた。
元々物置部屋だった名残か、クローゼットの片隅には掃除用具が置いてあった。
さび付いたバケツと、バケツの縁に引っかけた形で乾いて固まった雑巾、布の部分が朽ちてもはやただの棒になっているハタキ。
それ以外はなにもなかった。
リンリーは心の中でため息を吐くと、アッシュの方に体を向けた。
「――大変申し訳ありません。お着替えと寝具の替えをお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
腰を折り一礼すると、アッシュの返事を待たずに部屋を出た。
音を立てないように静かにドアを閉める。
換気のためにはドアを開けておいた方が良いのだが、アッシュが外に出ないようにドアは閉めておかないといけない。
着替えとシーツの替えについて、セオ――いや、いっそのこと家政婦長か執事長に指示を仰いだ方がよいかもしれない。
――とはいえ質問事項や相談事は直属の上司に聞くのが基本である。
今の時点では、上級侍女が下級侍女の上司だ。
彼女はアッシュの世話が嫌で皿洗い女中として働いていると言っていたので、おそらく厨房にいるだろう。
リンリーは厨房へと向かった。
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