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王子が婚約破棄なんてするから

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王立学園の来客用の応接室に、3人の男女の姿があった。
彼らは皆この学園の制服に身を包んでおり、学生であることがわかる。
さして広くもない部屋には2人掛けのソファが2台向き合うようにして置かれ、間にあるローテーブルの上には紅茶を入れたカップが3客ある。
入り口に近いソファには女子生徒が1人で座り、向かいには男女が並んで座っていた。2人の距離は極めて近い。

1人で座る彼女――リーリアは涼しい顔で目の前のカップルを見る。
男子生徒はこの国の第一王子であるクロード。そして、その隣には彼と恋仲だと周知されている男爵令嬢のルナ・カートンがいる。
リーリアにとって、彼らは学園で最も関わりたくない人物であった。

学園に入学してからの1年間で、身分の差を超えて愛を育んだ2人は、あろうことか1学年の終業式後に断罪劇を繰り広げたのだ。

断罪されたのは、クロード王子の婚約者である、アリーナ・ブラウンストーン公爵令嬢だった。
クロード王子には幼少期に定められた婚約者である彼女を、日頃から遠ざけ、蔑ろにしていた。
アリーナ嬢の性格はキツく、我が儘で横暴でもあったため、王子のみが悪いとは言えない。だがそれでも、彼の言動は婚約者に接する態度として褒められたものではなかった。

アリーナは当然のごとく、婚約者にまとわりつく女を排除しようとした。
しかし、やり方が不味かった。
彼女がもう少し冷静で、物事を深く考えることが出来ていればよかったのだが、怒りで周りが見えなくなっていた彼女は自らの行いで身を滅ぼしてしまった。
ガラの悪い連中を雇い、ルナ嬢を亡き者にしようとしたことについては、証拠が揃っており、言い逃れが出来なかった。
秘密裏に相手を排除することは歴史の中で当然のように行われてきた手段であるため、貴族連中にとって、それだけでは彼女が悪しき者だと判断されることは無かっただろう。
しかし、彼女が自ら依頼したという確固たる証拠が出揃ってしまっては、詰めの甘い彼女は王子妃――次代の王妃にはふさわしくないと判断され、擁護する者はいない。
家族さえ味方になることは無く、アリーナは僻地の修道院で余生を過ごすことになった。


断罪劇を繰り広げたのが、終業式後で閑散としているカフェテラスだったのは、王子にとって不幸中の幸いだったといえよう。
目撃している人間が少なく、また幸運なことにその場に居合わせたのは良識ある者たちであったため、王子は陛下や国の重鎮たちからのお叱りと、教育の見直しだけで済んでいる。
これが終業式の最中など、人の多い場で行ったのであったら、廃嫡となる可能性もあっただろう。
いくらアリーナ公爵令嬢に非があるとはいえ、元はと言えば王子の婚約者への態度が原因なのだから。
女1人満足に扱えぬような者が、一癖も二癖もある貴族連中や、他国の王族と渡り合うことなどできるはずがない。王子は無能であることを周知せずに済んだのだ。

教育の見直しということで、勉強量が倍以上に増えた王子の元に次の婚約者の報せが届いたのは、断罪劇から三日後のことだった。
無事に公爵令嬢と婚約破棄が出来たものの、今度は侯爵令嬢が婚約者となるという。
当然ながら父である国王陛下に抗議をしたのだが、なんと鼻で笑われて終わった。
翌日から勉強量が更に増えた。それも国の歴史や国内の貴族についての課題が大量に出された。

腹立たしい思いを抱える王子は、まずは次の婚約者となる令嬢について、情報を集めた。
次の婚約者であるリーリア・レッドチェストの人柄は悪くなかった。
侯爵家の次女で今まで婚約者はおらず、普段は1人で読書を楽しみ、時折親しい友人数人とお茶を楽しむような静かな令嬢だという。
可も無く不可も無い。侯爵家であるため、家柄も問題ないようである。

アリーナのような失態を置かす可能性は低いため、それならばと、王子は話し合いで解決をしようとした。
王子としての教育が見直されてからは自由な時間が無く、ルナと合うどころか次の婚約者であるはずのリーリアともなかなか会うことが出来なかった。

そしてようやく機会が設けられたのが今日。2学年となった始業式の後、学園の応接室を借りて、リーリアとの交渉を行うこととなった。
新学期が始まり、ようやく会うことが出来たルナも一緒だ。

クロードはさっそく本題に入る。

「リーリア嬢。申し訳ないのだが、僕は君を婚約者として認めることが出来ない。僕はルナを愛しているんだ。彼女以外を選ぶことは出来ない」
「クロード様…」

心底申し訳なさそうに言うクロードと、彼に寄り添い不安げな表情を見せるルナ。
リーリアは、ため息を1つ吐くと、わからずやの子供に言い聞かせる心持ちで口を開いた。

「まず最初にお伝えしておきます。勘違いされると困りますので、言葉を選ばずはっきりと言いますが、私は、殿下のなりたくありません」

その言葉に、彼らが驚いたように目を見張る。
どこか希望を持ったようだ。

「それじゃあ――」
「それにもかかわらず、私がこうして婚約者となることが決まっているのは何故か、おわかりですか?」

口を開いた王子の言葉を遮り、リーリアは問いかける。
問いかけはしたが、彼はきっとわかっていないだろう。

「――君の家…レッドチェスト侯爵が、君を薦めたのではないのか」

婚約を破棄したブラウンストーン公爵家に次いで、力の大きい家なのだから。クロードは言外にそうにじませていた。

「なるほど、殿下は王家の婚約の取り決めについて何もご存じでは無いと言うことがわかりました」

馬鹿にしたような言い方をしたのはわざとだ。
言われたクロードはムッとしたようだが、口をつぐんだ。
国王や実母である王妃にも「お前は婚約を何もわかっていない」と言われたばかりだからだ。

「現時点では、私はまだ婚約者候補です。正式な婚約発表は来年、私たちが3学年に上がってからとなります。ここまではよろしいですか?」

クロードは頷く。
ルナは初耳だったようだが、口を挟む様子はない。


「アリーナ様との婚約が正式に破棄されて、想い人と結ばれると思ったところで、私が候補者になったことがご不満なのでしょうね」
「……」

図星であるため、クロードは何も言えない。
リーリアはため息を吐く。

「まったく…殿下は本当におわかりでないようですね。アリーナ様を含めて、もともと婚約者候補は5人おりましたのよ。どこの誰とは申しませんが、最年少はまだ10歳にもなっておりません」
「――なんだって?」
「皆、婚約者候補となってからは等しく王妃教育を受けております。第1候補者以外は、すべてスペアとお考えください。候補者は公表されることはありませんから、第1候補である令嬢との婚姻が済めば、その他の候補者は候補者であったことすら無かったこととなります。第1候補の令嬢と婚姻できない事態となれば、繰り上がって第2候補の令嬢が次の婚約者となります。第2もだめなら、第3が。第3がだめならその次と、順次繰り上がって婚約者となります」

リーリアはいったん言葉を句切る。
目の前の2人は、驚いた顔をしている。
身分の低いルナはともかく、王族であるクロードがこれを知らないのは、恥でしかない。

「国の歴史を見ても、ご病気で儚くなった場合を除いて、婚約者が変わることは希でしたわ」

その希な前例も、同盟のため他国の王族との婚姻や家の没落などが要因となっている。
つまり、個人の我が儘で婚約者を変えた愚か者はいないのだ。

「そのため、第2以降の候補者が世に出ることはありませんでした。特に第3以降など、全くと言って良いほど出る幕はありません。どちらかというと、無償で高等な教育を受けることが出来、好待遇が約束されるため、過去に功績を挙げた家に対しての褒美という扱いに近いでしょう」

王妃教育は受けようと思ってもそう簡単に受けられない。
特に爵位の低い子爵や男爵にとってはそのチャンスが皆無である。しかし、第5候補者となると、男爵の令嬢が選ばれることが多くなってくる。
王妃教育は当然難しく、容易に身につくものではないが、これをクリアできるということは、どこに出しても恥ずかしくない淑女であることの証明となる。
爵位の低い令嬢が今後活躍の場を広げるためにも、受けて損はないものだった。


「それと、勘違いなさらないで欲しいのですが、私たちにとって、王妃の座はまったくもってありがた迷惑なのです。
王妃にならない場合、私たち――とくに、婚約者がいてしかるべき年齢となっている最年長の私ですね。
もう国内では良縁が見込めませんので、王妃となる以上の好待遇を約束されております。
第1候補を除いて候補者は、その家の次女以降のものが必ず選ばれます。私たちは家を継ぐ必要はありませんし、行き遅れても家に不利益が出ないようになっています。
ただの候補で終わった場合は、王家から相応の金額が支払われますし、私たち個人は好きな職につくことが約束されています」

リーリアは紅茶を一口飲む。

「大事なことですので、もう一度言いますね。私は、王妃になりたくないのです。我が家にとっても、王妃となるより、候補のままお役御免となった方が利益が大きいのです」
「君が…婚約者でなくなっても、次の婚約者が決まるだけ…なのか…」
「…そんなことって…」

クロードとルナは絶望したような顔をする。

「そんな被害者みたいな顔をしないでくださる?私だって、好きでもない殿方に嫁がなければならないのですよ」
「…」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか…」

傷ついた顔で押し黙るクロードを見て、ルナが反論しようとするが、リーリアがそれを遮って問いかける。

「それで、クロード殿下、カートン男爵令嬢。あなた方はこれからどうなさるおつもりですか?」
「え?」
「…どうって、どういうことだい?」
「アリーナ様の時のように、私を排除しようとしても無駄ですわよ。候補者はあと3人いますからね。繰り上がって次の候補者がやってくるだけですわ」

リーリア自身は、特にこれといって問題行動を起こす気は無いが、万が一、罪をねつ造されては困るので先手を打っておく。

「…僕は、どうしたってルナと結ばれることが出来ないのか…」
「クロード様…」

悔しそうに、拳を握りしめるクロードを見て、ルナが悲しそうに目を伏せる。

「何を勝手に諦めているのですか。あなた方が結ばれるか否かは、今後1年間にかかっているのですよ」
「え?」
「ど、どういういことでしょうか?」

あきれた様子のリーリアに対して、2人は困惑した顔を向ける。

「王子の婚約者候補が複数いると言うことは、極端な話、ふさわしい能力を備えていれば誰でも良いということです。爵位の問題は、どこかの家に養子に入れば良いですからね。第5候補者には男爵家のご令嬢が選ばれることも多いようですし、実際に彼女が婚約者となる場合は、一度、上位の家の養女となります」

実例はありませんけれど、と言う言葉は心の中にしまっておく。
男爵家の候補者がいるのなら、ルナの身分の低さはどうにでもできるということだ。
それでもルナを婚約者とできない理由はただ一つ、彼女が必要な知識を身に着けていないからだ。

「わ、私は…今のままではクロード様にふさわしくないのですね…」
「はい、その通りです」
「なっ!」
「事実ですわ。クロード殿下にとって最愛の人であることと、王妃にふさわしいかどうかは別問題です」

反論しかけたクロードを、リーリアは涼しい顔で見返す。

「この国では国王といえども一夫一妻制が適用されます。仮に側妃が認められていようとも、今のカートン男爵令嬢では、せいぜい王の愛妾止まりでしょう」

側妃にさえふさわしくない。
そう言われてルナはうつむく。

「相応しくないのなら、相応しくなればいいのです。誰からも文句を言われないほど、相応しい令嬢になればよいだけですわ」
「そ、そんな…」
「もちろん、並々ならぬ努力が必要です。私たちが幼少期から時間をかけてゆっくりと学んだことを、短期間で詰め込むのですから。
カートン男爵令嬢はまず学園での成績を上げなくてはなりません。身のこなし、会話、芸術等をよく学び身につけなさい。国王となるクロード殿下を王妃としてお支えになるとおっしゃるのなら、まずはこの私を超えてみせなさい。
それと、周囲のご令嬢方から泣かされる度に、殿下に泣きつくようでは、とても王妃は務まりませんわ。
あなたはアリーナ様とご友人があなたのことを馬鹿にして笑うとおっしゃったようですけれど、真実あなたは馬鹿な行動をとっていたのです。何のことかおわかりにならないでしょう?」
「…はい…」

クロードが何か言いたそうにしたが、リーリアは目線だけで黙らせる。

「ですので、馬鹿にされないようにマナーを学びなさい。
国内の貴族令嬢であれば、殿下が身分を振りかざして命ずればどうにかなるでしょうが、他国の王族が相手ではそうはいきません。知らないままでは、今までのように悲しい思いをするだけでなく、我が国の王妃はものを知らないのだと馬鹿にされ、侮られます」

ルナの失態は、ルナを選んだクロード自身の評価にも直結する。
定められた婚約者ではなく、クロードが自ら選んだ伴侶だとすれば、さらに心象は悪くなる。

「期限は私が正式な婚約者として発表されるまでの1年間です。発表されてからでは、クロード殿下は私情で二度も婚約破棄をした王子として歴史に名を残すことになるでしょう。そのような不名誉なことにならないためにも、私との婚約が発表される前に動く必要があります。
1年間でカートン男爵令嬢には、どこへ出ても恥ずかしくないほどの淑女となっていただく必要があります。
期間が短いので多少は大目に見てもらえるかもしれませんが、それでも最低ラインは超えていなければお話になりません。付け焼刃でもなんでも、それをクリアさえできれば、あなたは堂々と殿下の隣に立つことができます」
「は、はい…」

うつむいていたルナは顔を上げる。その瞳は希望と決意を宿していた。

「そして関係なさそうな顔をしているクロード殿下、あなたこそ、この一年が正念場ですよ。ここで何の成果も出せなければ、あなたは次期国王になることは出来ません」
「えっ?!」
「王子はあなたしかおりませんが、あなたが国王にならずとも他に継承権を持つ者はおります。あなたは既に、国の重鎮である公爵家を敵に回しております。たとえ非がアリーナ様にあったとしてもです。このまま私と結婚して我が家が後ろ盾になったとしても、まだ苦しいでしょうね。それにもかかわらず、後ろ盾のないカートン男爵令嬢を娶るのですから、何もしなければ味方となる貴族は一人もいないと思ってください」
「一人も…か?」
「はい。国王一人では政を行うことはできません。国王は決定を下すものであり、細事は臣下に任せることとなります。臣下との信頼関係がなければ、あなたの意見には誰も耳を貸しませんし、嘘の報告を受けることもあるでしょう。はたまた、傀儡の王としてただそこに存在しているだけになるやもしれません」
「……」

クロードは呆けたような顔をする。

「クロード殿下、あなたはまず味方を増やしてください。甘い戯れ言のみを口にする者ではありません。あなたが道を踏み外しそうなとき、命を賭して諫めてくれるような、真の味方を増やすのです」
「真の…味方…」
「――カートン男爵家は、ご長男が継がれるのですよね。そのため、クロード殿下が婿入りすることは叶いません。カートン男爵令嬢が王妃たる実力を身に着けることができず、またクロード殿下も王として相応しい能力、人脈を得られないのであれば、平民として市井で過ごす方が幸せになれるでしょう」

元々それほど裕福ではないルナはともかく、衣食住に困ったことのない甘ったれた王子に、平民の暮らしができるとは思えない。
また廃嫡したとはいえ、王族の血が平民に受け継がれていくことを良しとしない人間がいれば、気の毒だが彼ら二人は子供を望むことができないだろう。
国王陛下からの恩情があれば、一代限りの爵位を与えられてどこかの領地でひっそりと暮らすこともできるかもしれないが、期待してはいけない。
王族として生まれた以上、定められた婚約者をないがしろにして、ただ好きな相手と婚姻することを選ぶ意味を、よく考えてほしい。

決心した顔をするルナと、リーリアの言葉を聞き深く考えている様子のクロード。

「お二人とも、真実の愛で結ばれたとおっしゃるのなら、それを示してくださいませ」

2人とも、リーリアの目を見てしっかりと頷いた。
その様子に、リーリアは顔には出さないが少し安心する。

話は終わったと、リーリアは静かに席を立つ。
クロードたちも立ち上がった。

「リーリア嬢、時間を取らせてすまなかった。そして――ありがとう」
「ありがとうございます、リーリア様。私、勉強します。あなたに負けない、淑女になるために」
「…失礼します」

立場上、頭を下げられないクロードの隣で、ルナが深く頭を下げた。
リーリアはふっとほほ笑むと、応接室を後にした。



リーリアにとって、クロード殿下は平穏な生活を脅かす面倒な男に過ぎない。
そのためぜひとも、ルナには頑張ってほしいものだ。
ルナが本気で王妃を目指すのなら、リーリアは協力を惜しまないつもりだ。

1年は短い。間に合わない可能性は高いだろう。
もしもこのまま、リーリアが正式な婚約者となった場合、リーリアは王子に言いたいことがある。

――私からの愛は望まないでくださいね。

かつて王子が婚約者に言ったセリフを、今度はリーリアが言ってやるのだ。


渡り廊下に出た彼女は、足を止め、空を見上げる。
もう会うことができない、ともに厳しい教育を受けた友人を思う。


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