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茶会
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その日、リリーラ・ホットマグとその婚約者のケビン・パールスプーンは、ホットマグ子爵家のサロンでお茶を楽しんでいた。
婚約者としての交流を図るための、月に一度の茶会である。
ケビンが持参した老舗洋菓子店のマドレーヌとリリーラが選んだ茶葉は相性が良く、リリーラは口の中が幸せになり思わずうっとりした。
当たり障りのない雑談が落ち着くと、ケビンは突如こう切り出した。
「これからしばらくの間、私はあなたに不誠実な行いをせねばなりません。――詳細は明かせないのですが…ただ、これは決して私の本心ではないことをあなたには知っていて欲しいのです」
「はぁ…」
神妙な顔で告げる婚約者に、リリーラは間の抜けた返答しか出来なかった。
不誠実な行いと言われても、ピンとこない。
いったい何をされるというのか。
困惑するリリーラに、ケビンは言葉を続ける。
「月に一度、貴女と過ごすこの貴重な時間も、来月以降は難しくなりそうなのです…。手紙のやりとりや、場合によっては贈り物も控えねばなりません…」
ケビンの表情にはあまり変化が見られないが、その声音は沈んでいた。
リリーラは彼の珍しい様子に戸惑う。
「まあ、そうなのですか?」
「…」
(もしかして遠征かしら…?)
ケビンは王国騎士団に所属する騎士だ。
まだ若手である彼は、騎士団の仕事で日々忙しくしている。
月に二日しかない休日も、一日はリリーラのために時間を割くことになり、それ以外は勉学や自主トレーニングに宛てているそうだ。
ほとんど休んでいないも同然だ。
もしケビンが休息をとりたいがために茶会を欠席すると言い出しても、リリーラは怒るつもりはないし、もとより怒る権利はないだろう。
そもそも地方遠征などあれば、月に一度の茶会さえ出席できなくなることはあたりまえだった。
「不誠実な行い」と遠回しに言っているが、騎士団の任務が原因ならば、リリーラは深追いせず了承するしかない。
騎士団の任務はたとえ家族でも漏らしてはいけないのだから、婚約者に言えるわけがないのだ。
――中には弁えずに「婚約者・伴侶なのだから隠し事は無しだ!」と無理に聞き出そうとするパートナーもいるらしいが、そういう人はたいてい離縁されてしまうという。
リリーラは婚約者という立場を掲げて、彼から理由を聞き出そうとは思わなかった。
別に、理解のある婚約者を演じているわけではない。
リリーラは単純に、面倒なことに首を突っ込みたくないだけである。
聞かなければ、何かあったときに「私は知りませんでした」と胸を張って言えるからだ。
「――では、来月以降のお茶会の予定は無しになりますのね。残念です。
貴方様のやるべきことが終わりましたら、その時にまた、こうしてお話させてくださいませ。
あまり無理をなさらないようにお体にお気を付けてくださいね」
「…感謝します」
ケビンは心底ホッとしたようだ。
リリーラから責められるとでも思っていたのだろうか。
(もし仕事じゃないとしても、別に怒るつもりはないけれど)
「あ、そうだわ。私からケビン様へ手紙や贈り物をすることも控えたほうがよろしいでしょうか?」
「そう…ですね…。――あ、いえ! リリーラ嬢からの贈り物については、特に禁止しておりません。
ただ返信することが難しくなりますので、お任せいたします。
――貴女からいただく手紙は私の励みになりますので、もしいただけるのならば嬉しいです」
「わかりましたわ」
(いっそのこと出さなくていいと断定して欲しかったわ…)
不要だと言われなかったため、今後も婚約者の義務として手紙を出す必要があるだろう。
普段、家と職場の往復しかしていないリリーラには、手紙に書けるような話題を持っていないし、そもそも手紙を書くことが好きでは無かった。
これからも、月に一度は机の前で頭を抱えることになるのかと思うと、憂鬱である。
しばらく当たり障りのない会話を続けた後、ケビンは帰っていった。
帰り際に見た彼の眼差しが、少し寂しそうに見えたのは、きっとリリーラの気のせいだろう。
ケビンとは出会ってから10年、婚約してから2年たつ。
貴賤を問わず、13歳から15歳までのすべての子供が通う王立学園で、彼女達は同級生だった。
最終学年を迎える頃には、成長期を迎えたケビンは女子に好まれる容姿となり、人気があった。
パールスプーンは伯爵家であり、家柄も成績も申し分ない。
表情の変化は薄く常に女性から距離を置いている様子は、敬遠されるどころか、かえって好感を持たれていた。
色事に興味の無かったリリーラでさえ、彼が女生徒達から人気があることは理解できた。
彼に婚約を申し込んだ御令嬢の数は、決して少なくない。
ケビンの婚約が決まった報を受けて、しばらく寝込んだ者もいたという。
そんな人気者のケビン・パールスプーンと、これといった特徴の無いリリーラ・ホットマグが何故婚約を結んだのか。
リリーラは学園卒業後、王立病院の事務として働きだした。
働き始めてから4年の間に何度か病院を訪れたケビンが、真面目に勤務する彼女を見初めたらしい。
ケビンがリリーラに惚れたから、ということになっているが、実際はどうかわからないとリリーラは疑っている。
リリーラには明かされていないが、もしかしたら両家で何か取引でもあったのかもしれない。
こんな魅力的な男性が、こんな普通の娘を好きになるわけがないと、リリーラは心の底から思っている。
――とはいえ婚約してからの2年間、ケビンの態度はずっと誠実であった。
どんな思惑があるにせよ、誠実に接してくる相手に対しては、リリーラも誠実であることを心がけた。
彼女は婚約者を信用しているようで、その実あまり信じていない。
きっとこの婚約が破談になったとしても、「やっぱりな」と思うだろう。
「婚約したのは実は冗談だったのだ」と言われても、リリーラは納得できると思う。
――きっと、泣かない。
婚約者としての交流を図るための、月に一度の茶会である。
ケビンが持参した老舗洋菓子店のマドレーヌとリリーラが選んだ茶葉は相性が良く、リリーラは口の中が幸せになり思わずうっとりした。
当たり障りのない雑談が落ち着くと、ケビンは突如こう切り出した。
「これからしばらくの間、私はあなたに不誠実な行いをせねばなりません。――詳細は明かせないのですが…ただ、これは決して私の本心ではないことをあなたには知っていて欲しいのです」
「はぁ…」
神妙な顔で告げる婚約者に、リリーラは間の抜けた返答しか出来なかった。
不誠実な行いと言われても、ピンとこない。
いったい何をされるというのか。
困惑するリリーラに、ケビンは言葉を続ける。
「月に一度、貴女と過ごすこの貴重な時間も、来月以降は難しくなりそうなのです…。手紙のやりとりや、場合によっては贈り物も控えねばなりません…」
ケビンの表情にはあまり変化が見られないが、その声音は沈んでいた。
リリーラは彼の珍しい様子に戸惑う。
「まあ、そうなのですか?」
「…」
(もしかして遠征かしら…?)
ケビンは王国騎士団に所属する騎士だ。
まだ若手である彼は、騎士団の仕事で日々忙しくしている。
月に二日しかない休日も、一日はリリーラのために時間を割くことになり、それ以外は勉学や自主トレーニングに宛てているそうだ。
ほとんど休んでいないも同然だ。
もしケビンが休息をとりたいがために茶会を欠席すると言い出しても、リリーラは怒るつもりはないし、もとより怒る権利はないだろう。
そもそも地方遠征などあれば、月に一度の茶会さえ出席できなくなることはあたりまえだった。
「不誠実な行い」と遠回しに言っているが、騎士団の任務が原因ならば、リリーラは深追いせず了承するしかない。
騎士団の任務はたとえ家族でも漏らしてはいけないのだから、婚約者に言えるわけがないのだ。
――中には弁えずに「婚約者・伴侶なのだから隠し事は無しだ!」と無理に聞き出そうとするパートナーもいるらしいが、そういう人はたいてい離縁されてしまうという。
リリーラは婚約者という立場を掲げて、彼から理由を聞き出そうとは思わなかった。
別に、理解のある婚約者を演じているわけではない。
リリーラは単純に、面倒なことに首を突っ込みたくないだけである。
聞かなければ、何かあったときに「私は知りませんでした」と胸を張って言えるからだ。
「――では、来月以降のお茶会の予定は無しになりますのね。残念です。
貴方様のやるべきことが終わりましたら、その時にまた、こうしてお話させてくださいませ。
あまり無理をなさらないようにお体にお気を付けてくださいね」
「…感謝します」
ケビンは心底ホッとしたようだ。
リリーラから責められるとでも思っていたのだろうか。
(もし仕事じゃないとしても、別に怒るつもりはないけれど)
「あ、そうだわ。私からケビン様へ手紙や贈り物をすることも控えたほうがよろしいでしょうか?」
「そう…ですね…。――あ、いえ! リリーラ嬢からの贈り物については、特に禁止しておりません。
ただ返信することが難しくなりますので、お任せいたします。
――貴女からいただく手紙は私の励みになりますので、もしいただけるのならば嬉しいです」
「わかりましたわ」
(いっそのこと出さなくていいと断定して欲しかったわ…)
不要だと言われなかったため、今後も婚約者の義務として手紙を出す必要があるだろう。
普段、家と職場の往復しかしていないリリーラには、手紙に書けるような話題を持っていないし、そもそも手紙を書くことが好きでは無かった。
これからも、月に一度は机の前で頭を抱えることになるのかと思うと、憂鬱である。
しばらく当たり障りのない会話を続けた後、ケビンは帰っていった。
帰り際に見た彼の眼差しが、少し寂しそうに見えたのは、きっとリリーラの気のせいだろう。
ケビンとは出会ってから10年、婚約してから2年たつ。
貴賤を問わず、13歳から15歳までのすべての子供が通う王立学園で、彼女達は同級生だった。
最終学年を迎える頃には、成長期を迎えたケビンは女子に好まれる容姿となり、人気があった。
パールスプーンは伯爵家であり、家柄も成績も申し分ない。
表情の変化は薄く常に女性から距離を置いている様子は、敬遠されるどころか、かえって好感を持たれていた。
色事に興味の無かったリリーラでさえ、彼が女生徒達から人気があることは理解できた。
彼に婚約を申し込んだ御令嬢の数は、決して少なくない。
ケビンの婚約が決まった報を受けて、しばらく寝込んだ者もいたという。
そんな人気者のケビン・パールスプーンと、これといった特徴の無いリリーラ・ホットマグが何故婚約を結んだのか。
リリーラは学園卒業後、王立病院の事務として働きだした。
働き始めてから4年の間に何度か病院を訪れたケビンが、真面目に勤務する彼女を見初めたらしい。
ケビンがリリーラに惚れたから、ということになっているが、実際はどうかわからないとリリーラは疑っている。
リリーラには明かされていないが、もしかしたら両家で何か取引でもあったのかもしれない。
こんな魅力的な男性が、こんな普通の娘を好きになるわけがないと、リリーラは心の底から思っている。
――とはいえ婚約してからの2年間、ケビンの態度はずっと誠実であった。
どんな思惑があるにせよ、誠実に接してくる相手に対しては、リリーラも誠実であることを心がけた。
彼女は婚約者を信用しているようで、その実あまり信じていない。
きっとこの婚約が破談になったとしても、「やっぱりな」と思うだろう。
「婚約したのは実は冗談だったのだ」と言われても、リリーラは納得できると思う。
――きっと、泣かない。
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