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「男子は後宮に立ち入ることすら禁止されていますからね。もしかしたら、昔の約束事というものにも、何か違いがあったのかもしれません。でも、陛下のお許しは出ました。この内廷を自由に散策されて構わないのですよ。この禮でも、内廷で自由にできる者は限られていますから。貴方は翼飛からの貴重なお客人ですし。……それにしても、セン殿の翼は美しいですね」
話し終えた若い医官は、窮屈そうにとじられていたセンの翼が緩やかに開いたのを見て、感嘆の声を上げた。
翼飛、というのは国であり種族の名前だ。
地上の人々が、有翼の民を指してそう呼んだのが始まりで、いつの間にかそれが、彼らの住まう小さな国の名となった。有翼の人々は争いごとを厭い、ただの人が踏破することも難しいほどの、高いところに住まう。そのために戦禍からは逃れられたが、地上とは離れて暮らすがために、医療などの発展は乏しく、厳しい環境で生きる有翼の人々が長生きするのは難しいことだった。
だが、彼らは戦禍に巻き込まれなかったからこそ、知識を蓄積し続けた。独特の字と言葉を持ち、今でも世界を飛び回り、あらゆる出来事を書き留め続けている者もいるという。いつの頃からか、翼飛たちが住まう霞雲山の麓に禮という小さな国が起きた。禮国の誕生に立ち会った有翼の人々を、初代の禮王は厚くもてなした。禮王は、豊富な知識を持つ翼飛たちに敬意を払ったのだ。有翼の人々は、昔から人妖やら化け物と呼ばれて常に追い回され、もの珍しさで囚われることが多かった。自分たちと友になろうとした禮国の王に、彼らは喜んだ。
やがて二つの国には交流が起こり、禮は国土を広げていくと同時に翼飛たちを保護し、翼飛は世界中を飛び回って禮に知識を授けてきた――と云われている。有翼の人々が住まう空の国には不足しがちな物資も、禮は提供し続けている。そのためか、幼い頃から禮国に好意を持つ者は多く、殊更禮の王族は翼飛の人々にとっても関心ごとだった。冬を迎える前に風花が舞うというのを合図に、翼飛から禮の王に嫁ぐことがいつの時代からか約束事となり、今がその約束の時となったのだ。
季節を先駆けした風花が、翼飛たちが住まう小さな里の中に舞い込むのを見た時、センはどこまでも飛んでいけそうな気持ちだった。幼い頃に出会った、あの少年の許に自分は嫁ぐのだと思い込んでいたので。あれから二十年近く経っている。センはいつでもあの時のことを思い出せたが、相手はもう、センのことなど忘れているみたいだった。
(……間違い、だったみたい)
慰めてくれた若い医官にお礼を告げてから、改めて自分に与えられた居室を見回す。内廷の一角にある来賓のための建物だと説明された。調度品も趣味が良いものでまとめられており、内装はいたるところに花の模様で彩られていて美しい。そういうところでも、ここが『翼飛の姫』を迎えるためだったのだと気づかされる。
「セン殿、そちらは扉ではありませんよ」
「ちょっとだけ、散策してきます」
丸い形をした窓。そこにかけられていた垂布を払うと、二階部分にあるこの部屋から見下ろす限り、見事な庭園が広がっている。枯れかけの花たちが慰めてくれるような気がして、センはふわりと窓から飛び出し、若い医官が驚く声が聞こえた。
***
華麗に着地するつもりが、地に足をつけたところで足を滑らせ、地面へと尻餅をついた。厄続きだが、ここまで来るとすごいと、センは思わず笑ってしまった。それから、みじめな気持ちになる。元々、センは翼飛の中でも重用されていたわけではなかった、と思う。翼飛の民には、稀に『応』と呼ばれる特別な子が生まれる。内側に色が混じることはあるものの、黒い翼を持つ。そういう翼を持つ翼飛は男の性を持っていても、子を孕むことができた。遥か昔、翼飛が長く生きられず亡くなる子が多かった時代に、神が授けてくれたのだろうと云われている。
『応』として生まれるとすぐに、祭祀を行う役目を負う。翼飛と、センたち『応』を生み出した神との橋渡し役となるためだ。『応』は誰かと婚姻するまでは、神のものとして奉仕することを教え込まれる。
神は、翼飛たちが住むよりも更に上、天上の世界に住んでいるという。『応』は神への供物を小さい頃から神のための、翼飛の里よりも更に高いところにある小さな宮へと運び、翼飛の中にあっては祭祀を執り行った。『応』がその役目に着くと、祭祀の王という意味で『祀君(しくん)』とも呼ばれる。神使という見方もされていて、政治的な力はないけれど、翼飛の中では王よりも身分だけは高い。
翼飛たちの神が姿を現して、『応』に何かをしてくれることはない。時折、供物を運ぶ過酷な空の道の途中を、他の空飛ぶ獣に襲われて命を落とす『応』すらいたという。翼飛の中でも、殊更飛ぶことに長けていなければならないので食べる物も限られ、他の翼飛のように好物をつくることは許されなかった。翼飛であるのに、同じ翼飛と思われていないような気すら、したものだ。
ただ、神に供物を運ぶだけ。神のための場所を掃除するだけ――そんな存在だった自分だけれど、身分だけは高く『応』であるために、古の約束事を果たす日が来たら、今生ではセンの役目だと言われて育った。そして幼い頃、確かに次の禮王だと言う少年と、邂逅したはずだった。
(あれは、都合の良いおれの夢だったのかな……)
輿入れのためにと新調してもらった、上衣についた土を丁寧に払い終えると、翼を引きずるようにして歩く。大輪を咲かせていたのだろう、枯れかけた花々に近づいてみると、まだ良い香りがしていた。背の高い茂みの中に潜り込んでみる。『応』は同じ翼飛の人々とすら、積極的に交わることは禁止されていた。翼飛の中にいる時も、こんな風に何かあると自然の中に埋もれていたのを思い出す。翼で自分を覆うようにして、世界をとじる。
そうしていたら一気に疲れを思い出したのか。身体がそれに驚いたのか。急激に具合が悪くなってきた。
(いや、匂い、かな……花の匂いが強いのかも)
見たこともない花の欠片。『お前など不要だ』と花々にも言われているようで、花にも嫌われているのかな、と頭をぼうっとさせながらセンは考える。
翼飛に帰るのは、最後に禮の国を飛び回ってからでも良いだろうか。戻ったところで自分に居場所はあるのだろうか――いや、元々ないようなものだったが。なに一つ禮国の、禮王の役に立たなかった自分に翼飛のみなはがっかりするだろうか。正式な輿入れの準備をしなければと張り切っていた者たちは、肩を落としてしまうだろうか。
そんなことを考えているうちに、ずるずると翼からは力が失われていき、茂みの中でだらりと広がった。
「そこで、何をしている?」
低い、男の声だ。その声は緊張を孕んでいる。それから、べろりと生温かいものがセンの顔を舐めた。ふと意識が戻ったセンは、大いに慌てた。目の前に、犬――いや、オオカミという生き物だ――の顔がある。なんと、地上ではオオカミがしゃべるのか。鋭い牙を持つ大きな獣は、ぴくりと耳を動かして見せる。翼飛はもともと鳥で、神が人の姿を与えたと云われているので本性は鳥だな、と感じることは多い。だから、肉食の獣に出会うと、食べられてしまうのではという本能的な怯えがあり、怖かった。
「す、すみません。ちょっと落ち込むのに場所がほしかったんです……食べないでもらえると……」
センが弱々しい声で懇願すると、獣は困った風に首を傾げ、顔を遠ざける。
「食べるなら、もっと良い肉を食べさせている。お前のような、痩せている鳥など食わん」
「はあ……そうですか」
それは良かったです、とセンは答えたつもりだった。食べられることはないらしい、と分かって急激に安堵するとともに、意識が遠ざかっていく。
冷たい指が触れてくる。顔はオオカミなのに、手は人の形をしているのが不思議だ。混乱した意識の中でそう思いながら、センは意識を失った。
話し終えた若い医官は、窮屈そうにとじられていたセンの翼が緩やかに開いたのを見て、感嘆の声を上げた。
翼飛、というのは国であり種族の名前だ。
地上の人々が、有翼の民を指してそう呼んだのが始まりで、いつの間にかそれが、彼らの住まう小さな国の名となった。有翼の人々は争いごとを厭い、ただの人が踏破することも難しいほどの、高いところに住まう。そのために戦禍からは逃れられたが、地上とは離れて暮らすがために、医療などの発展は乏しく、厳しい環境で生きる有翼の人々が長生きするのは難しいことだった。
だが、彼らは戦禍に巻き込まれなかったからこそ、知識を蓄積し続けた。独特の字と言葉を持ち、今でも世界を飛び回り、あらゆる出来事を書き留め続けている者もいるという。いつの頃からか、翼飛たちが住まう霞雲山の麓に禮という小さな国が起きた。禮国の誕生に立ち会った有翼の人々を、初代の禮王は厚くもてなした。禮王は、豊富な知識を持つ翼飛たちに敬意を払ったのだ。有翼の人々は、昔から人妖やら化け物と呼ばれて常に追い回され、もの珍しさで囚われることが多かった。自分たちと友になろうとした禮国の王に、彼らは喜んだ。
やがて二つの国には交流が起こり、禮は国土を広げていくと同時に翼飛たちを保護し、翼飛は世界中を飛び回って禮に知識を授けてきた――と云われている。有翼の人々が住まう空の国には不足しがちな物資も、禮は提供し続けている。そのためか、幼い頃から禮国に好意を持つ者は多く、殊更禮の王族は翼飛の人々にとっても関心ごとだった。冬を迎える前に風花が舞うというのを合図に、翼飛から禮の王に嫁ぐことがいつの時代からか約束事となり、今がその約束の時となったのだ。
季節を先駆けした風花が、翼飛たちが住まう小さな里の中に舞い込むのを見た時、センはどこまでも飛んでいけそうな気持ちだった。幼い頃に出会った、あの少年の許に自分は嫁ぐのだと思い込んでいたので。あれから二十年近く経っている。センはいつでもあの時のことを思い出せたが、相手はもう、センのことなど忘れているみたいだった。
(……間違い、だったみたい)
慰めてくれた若い医官にお礼を告げてから、改めて自分に与えられた居室を見回す。内廷の一角にある来賓のための建物だと説明された。調度品も趣味が良いものでまとめられており、内装はいたるところに花の模様で彩られていて美しい。そういうところでも、ここが『翼飛の姫』を迎えるためだったのだと気づかされる。
「セン殿、そちらは扉ではありませんよ」
「ちょっとだけ、散策してきます」
丸い形をした窓。そこにかけられていた垂布を払うと、二階部分にあるこの部屋から見下ろす限り、見事な庭園が広がっている。枯れかけの花たちが慰めてくれるような気がして、センはふわりと窓から飛び出し、若い医官が驚く声が聞こえた。
***
華麗に着地するつもりが、地に足をつけたところで足を滑らせ、地面へと尻餅をついた。厄続きだが、ここまで来るとすごいと、センは思わず笑ってしまった。それから、みじめな気持ちになる。元々、センは翼飛の中でも重用されていたわけではなかった、と思う。翼飛の民には、稀に『応』と呼ばれる特別な子が生まれる。内側に色が混じることはあるものの、黒い翼を持つ。そういう翼を持つ翼飛は男の性を持っていても、子を孕むことができた。遥か昔、翼飛が長く生きられず亡くなる子が多かった時代に、神が授けてくれたのだろうと云われている。
『応』として生まれるとすぐに、祭祀を行う役目を負う。翼飛と、センたち『応』を生み出した神との橋渡し役となるためだ。『応』は誰かと婚姻するまでは、神のものとして奉仕することを教え込まれる。
神は、翼飛たちが住むよりも更に上、天上の世界に住んでいるという。『応』は神への供物を小さい頃から神のための、翼飛の里よりも更に高いところにある小さな宮へと運び、翼飛の中にあっては祭祀を執り行った。『応』がその役目に着くと、祭祀の王という意味で『祀君(しくん)』とも呼ばれる。神使という見方もされていて、政治的な力はないけれど、翼飛の中では王よりも身分だけは高い。
翼飛たちの神が姿を現して、『応』に何かをしてくれることはない。時折、供物を運ぶ過酷な空の道の途中を、他の空飛ぶ獣に襲われて命を落とす『応』すらいたという。翼飛の中でも、殊更飛ぶことに長けていなければならないので食べる物も限られ、他の翼飛のように好物をつくることは許されなかった。翼飛であるのに、同じ翼飛と思われていないような気すら、したものだ。
ただ、神に供物を運ぶだけ。神のための場所を掃除するだけ――そんな存在だった自分だけれど、身分だけは高く『応』であるために、古の約束事を果たす日が来たら、今生ではセンの役目だと言われて育った。そして幼い頃、確かに次の禮王だと言う少年と、邂逅したはずだった。
(あれは、都合の良いおれの夢だったのかな……)
輿入れのためにと新調してもらった、上衣についた土を丁寧に払い終えると、翼を引きずるようにして歩く。大輪を咲かせていたのだろう、枯れかけた花々に近づいてみると、まだ良い香りがしていた。背の高い茂みの中に潜り込んでみる。『応』は同じ翼飛の人々とすら、積極的に交わることは禁止されていた。翼飛の中にいる時も、こんな風に何かあると自然の中に埋もれていたのを思い出す。翼で自分を覆うようにして、世界をとじる。
そうしていたら一気に疲れを思い出したのか。身体がそれに驚いたのか。急激に具合が悪くなってきた。
(いや、匂い、かな……花の匂いが強いのかも)
見たこともない花の欠片。『お前など不要だ』と花々にも言われているようで、花にも嫌われているのかな、と頭をぼうっとさせながらセンは考える。
翼飛に帰るのは、最後に禮の国を飛び回ってからでも良いだろうか。戻ったところで自分に居場所はあるのだろうか――いや、元々ないようなものだったが。なに一つ禮国の、禮王の役に立たなかった自分に翼飛のみなはがっかりするだろうか。正式な輿入れの準備をしなければと張り切っていた者たちは、肩を落としてしまうだろうか。
そんなことを考えているうちに、ずるずると翼からは力が失われていき、茂みの中でだらりと広がった。
「そこで、何をしている?」
低い、男の声だ。その声は緊張を孕んでいる。それから、べろりと生温かいものがセンの顔を舐めた。ふと意識が戻ったセンは、大いに慌てた。目の前に、犬――いや、オオカミという生き物だ――の顔がある。なんと、地上ではオオカミがしゃべるのか。鋭い牙を持つ大きな獣は、ぴくりと耳を動かして見せる。翼飛はもともと鳥で、神が人の姿を与えたと云われているので本性は鳥だな、と感じることは多い。だから、肉食の獣に出会うと、食べられてしまうのではという本能的な怯えがあり、怖かった。
「す、すみません。ちょっと落ち込むのに場所がほしかったんです……食べないでもらえると……」
センが弱々しい声で懇願すると、獣は困った風に首を傾げ、顔を遠ざける。
「食べるなら、もっと良い肉を食べさせている。お前のような、痩せている鳥など食わん」
「はあ……そうですか」
それは良かったです、とセンは答えたつもりだった。食べられることはないらしい、と分かって急激に安堵するとともに、意識が遠ざかっていく。
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