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(さっき、台所でみんなとした話。驪竜さま、聞いていたのかな……聞いていないと良いけれど)
そう期待してしまう自分がいて、センは落ち込みそうになる。
城外と言っても南側に広がる一番の大通りは避けて、西側に広がる貴族と庶民との住処の境目へと連れ出された。驪竜は普段着ているものよりも数段格式を落としたとでも言えば良いのか、門を守る衛兵に似た、簡素な格好に外套を纏っている。これではセンの方が身分が高く見えないかと心配になってしまう。
(いやいや、むしろ何かあった時はおれが囮になれば……)
そんなことまで考えたところで、隣を黙々と歩く驪竜をそっと見上げてみる。驪竜が言っていた伯皓の散歩というのはやはり口実で、外朝から城外に出る時に伯皓はあっさりと紫麟殿へと戻っていった。伯皓がいないのに間が持つのかを心配しながらだったが、城外の雑多な空気やめずらしい店などが見えてくると、センはすぐにそれらを見ることに夢中になった。
翼飛の里には店だとか商売という考えは存在しない。みな、自然の中で得られるものを分け合っていて、山の恵みを代価として、必要なものを禮の商人から買う程度だ。禮に来てからも、紫麟殿は王宮の中でも奥の方にあり、使用人も少ないので静かだ。街に出て、どんどんと耳に飛び込んでくる色んな音に驚きながらも、色とりどりに並べられる様々な品物をセンは興味深げに見やった。
「何か気になるものは、あるか?」
「いえ、驪竜さまの用事が大事ですから」
ずっと無言でいた驪竜が唐突に口を開いて、センを慌てさせた。そんなに物欲しげな目で見ていたのだろうか。僅かに足を止めてしまった店には、木で作られた様々な動物が売られている。店先で子どもたちが楽しげにそれを見やっている光景が微笑ましい。
「それが俺の用事だ。朱から、お前に給金を渡そうとしても、一切受け取らぬと聞いた。給金がだめなら、現物支給しかなかろう」
「ええ? だって、おれは紫麟殿で何もしていないですよ? 精々、伯皓に遊んでもらって、朱さんたちに話を聞いてもらっているだけで――」
そこまで話して、センは先ほどの朱たちとの会話を思い出して思わず顔を赤くした。まさかあんなに自分の心情を曝け出してしまうとは、先ほどの自分はどうにかしていたのだ。迷子にならないよう自分の手を繋いでいる驪竜の手を引っ張るように、足を動かしだすと近くで鳥が羽ばたく音がした。
「隼――いや、白い鷹か? めずらしいな」
空を見上げ、その鳥を見た驪竜が感嘆の声を出す。センもつられて空を見上げると、空からひらひらと青いもの落ちてきた。ピィ、と短く鷹らしき鳥は鳴いて、また空高く飛んで行ってしまう。
「あっ、この布! 驪竜さま、これっ、あの悪いカラスが盗っていってしまった、驪竜さまの大事な布ですよ! ……でも、この刺繍の模様……小さい頃に失くした、母上からもらったものに良く似ている……」
センが生まれることを願って、母がせっせと作ってくれた、刺繍が施された青い布。誕生を願う刺繍は、その子ども一人一人のためのものなので、同じ柄は一つとしてない。幼い頃に失くしたとはいえ、センは自分のために母が考えてくれたその柄をぼんやりと覚えている。
だがこれは先日、強い風に吹き飛ばされた挙句、どこかの悪いカラスが持ち去ってしまったあの青い布とも似ているようにも思える。これは何なのだろう、とセンがひと思案してから驪竜を見やった。驪竜はといえば、無言で何かを考えていたが、少ししてから近くの茶屋にセンを連れて行き、座らせた。まだ昼前なのもあり、茶屋はがらんとしている。注文を取りに来た老婆に温かい飲み物を二つ頼んだ驪竜は、ようやくセンへと視線を向けた。
センも無言で青い布を差し出すと、驪竜が眉根を寄せる。だが、それは不機嫌さのためというより、困って見えた。
「その青い布……先日、悪いカラスが盗っていったものですよね。不思議なことに、その布はおれが昔失くしたものと、そっくりなのです」
「……知っている。お前が幼い頃に落としたそれを、拾ったのが俺なのだから」
やっぱり、という顔になったセンの手に、驪竜は青い布をゆっくりとした動作で戻した。今日は日差しが暖かくて、外にいても寒さはあまり感じない。驪竜がくれた外套のお蔭もあるのだろう。
センは自分の手に戻ってきた青い布を握りしめると、じっと驪竜の薄鳶色の瞳を見つめた。センは、風花が舞ったあの日に初めて地上に来た。それまではずっと霞雲山の中にいたのだ。そして、青い布を失くした頃に偶然出会ったのが、次代の禮王になるはずの、少年だった。
――やはり、あの時。少年だった驪竜との邂逅は、夢ではなかったのだ。
驪竜を見つめているはずなのに、センは自分の目がじわじわと湿ってくるのを感じたが、頑張って堪えながら、センは驪竜を見ていた。微動だにしないセンの頬を、驪竜はそっとした手つきで触れようとして、その直前で止めた。
「……もう、幼い頃の約束など、とっくにお前は忘れているだろうと思っていた」
驪竜が、行き場をなくした片方の腕を下ろした。驪竜から紡がれる言葉に、センは必死に首を横に振る。忘れるわけがない。あの時の出会いがあったからこそ、センは常に前を向いて生きてきたのだから。
「俺はもう、お前との約束を守る資格を失っている。だから、秋の終わりに風花が舞った日に――真っすぐにセンが俺に向かって飛び降りて来た時は、驚いた。内心は、とても嬉しかった」
「し、資格が、ないって……?」
あふれ出そうなものを何とか堪えながら、センが尋ねる。驪竜は苦笑すると、遠く――過去を思い出すように、目を細めた。
「俺は確かに、センと初めて霞雲山で出会った後、生まれの順もあって王太子となった。しかし、母方の叔父が、謀反を企てたと疑われてろくな詮議もなく処刑され、母を含む一族全員が追放になった。俺も追放になるだろうと思われたが、今の治大官である呂老師が、あちこちを駆けまわり、母方の一族の無実を訴え続けてくれた。前王――父には子が少なかったのもあっただろう。結果として、臣籍降下という処分で終わった。俺まで野放しにすれば、俺を担ぎ上げ、臣下が割れて国が荒れるのを危惧したのもあるかもしれない」
「こ、降下……」
治大官といえば、最初に禮の国に来た時に、穏やかに話しかけてくれたあの老爺のことだ。治大官は宰相に次ぐ地位だと聞いたが、今それほどの地位にある人間が動いても、臣籍降下を免れなかったのだから当時は大変な騒動だっただろうと推測できる。想像もしていなかった話にセンが絶句をしていると、不意に驪竜が自嘲の笑みを浮かべた。
「情けないこと、この上ないだろう。必ず守ると言った約束を果たすこともできず。母の一族についていくことも、一族と共に、潔白の証明に死ぬことも……王族に留まりたいと、泣いて父に縋りつくことすらできなかった。ただ、叔父にかけられた疑念を晴らしたくて、死ぬことなくおめおめと王宮に残っている。そのくせ、瑞鸞――今の王が、すんなりと己の後宮にセンを迎え入れなかったことに、安堵したのだから。自分でも、本当に卑怯で悪趣味だと思う」
優し気だった少年の淡い色の瞳に、どんな酷い光景が映っていたのだろう。それを考えるだけで、センはとうとう声を殺して泣いた。頬を流れていく涙を、止められない。
「悪趣味ついでで申し訳ないが、先ほどの、朱たちの話も漏れ聞こえてしまった」
「……う、うわ……お恥ずかしい……」
滂沱と涙を流しながらも、先ほどの恥ずかしい会話をしっかりと聞かれていたことに止めを刺され、センは顔を盛大に赤くする。センの感情にあわせて翼が動いたが、外套に邪魔されてうまく動かせず、センは悶えてしまった。できるなら今すぐ、翼の中に隠れてしまいたい気分だ。
「センに再会した後、酷いことも言ってしまい、すまなかった。これは言い訳だが、センを愛しいと想うこの気持ちは、もう抱いてはならないものなのだと、必死に思うようにしていた。遠ざけなければ、と……なのに、お前が解き放ってしまった」
どうしてくれようと冗談めかして驪竜が微笑する。
「ま、まだ……おれは驪竜さまのことを、お、お慕いしていても……良い、の、ですか?」
どうしてもそれだけは聞いておきたかった。必死に涙を堪えて、再びセンが口を開いて驪竜に尋ねる。驪竜は、センの黒く柔らかな髪をひと房、すくい取った。
「もう、王族ですらない俺でも良いのか? ――センの身体に触れても、良いだろうか」
驪竜からの告白に頭がついていかず、センは更に慌てふためいてしまう。耳まで赤くしながらも、センは必死に驪竜の言葉を反芻していた。時間をかけてゆっくりと言葉を飲み込んでから、涙目のまま、センはおずおずと驪竜を見上げて、小さく「おれは、驪竜さまが良いです」と答えていた。
それに驪竜が何と答えるのだろうかと待っていると、先程は触れることもなかった指が、センの頬に触れた。その冷たさに、驪竜も緊張しているのを感じる。
それから、精悍な顔が近づいてきて、センは思わず目をとじてしまった。温かなものがセンの唇に触れる。それが離れていってから、恐る恐る目を開く。視界には優しく笑んだ驪竜がいて、センは、自分が夢の中にいるのではないかと疑い始めた。
「こ、こんな都合が良いことが……おれは、夢を……見て、いるのでしょうか」
ぎゅ、と己の頬を思いっきりつねって、「痛い」と泣きそうな声を出したセンに、驪竜が笑いを堪えるために咳払いするのが聞こえた。それから――強く抱きしめられる。
「本当に、愛しくて仕方がない」
耳元で低く呟いた驪竜の言葉に、これ以上ないくらい赤くなった顔が抱擁のおかげで隠れたことにセンは安堵した。驪竜のしっかりとした胸は服越しでも温かく感じられる。彼らの頭上を、鷹が高く一声を上げて、飛び去っていく音がした。
いつの間にか、傍に温かなお茶が置かれていたことに、驪竜から体を離してから気づき、センはこれまた盛大に慌てた。しかし、香りの良いそのお茶に気を取られて、ようやく気持ちが落ち着く。お茶に使われているのは、遠い異国から運ばれてきた花なのだと驪竜から教わった。
「禮や翼飛では冬でも、花が咲くくらい暖かい国もあるなんて面白いですよね」
「そうだな。禮より南にある麗国も、我が国より春が来るのも早い。南の端では売るための花を育てていて、その花畑が見事だと聞く。春が近くなったら、見に行くのも良いな。……花畑で、センが転ばなければ良いが」
そこですか? とセンが抗議の声を上げると、驪竜が声を立てて笑った。
そう期待してしまう自分がいて、センは落ち込みそうになる。
城外と言っても南側に広がる一番の大通りは避けて、西側に広がる貴族と庶民との住処の境目へと連れ出された。驪竜は普段着ているものよりも数段格式を落としたとでも言えば良いのか、門を守る衛兵に似た、簡素な格好に外套を纏っている。これではセンの方が身分が高く見えないかと心配になってしまう。
(いやいや、むしろ何かあった時はおれが囮になれば……)
そんなことまで考えたところで、隣を黙々と歩く驪竜をそっと見上げてみる。驪竜が言っていた伯皓の散歩というのはやはり口実で、外朝から城外に出る時に伯皓はあっさりと紫麟殿へと戻っていった。伯皓がいないのに間が持つのかを心配しながらだったが、城外の雑多な空気やめずらしい店などが見えてくると、センはすぐにそれらを見ることに夢中になった。
翼飛の里には店だとか商売という考えは存在しない。みな、自然の中で得られるものを分け合っていて、山の恵みを代価として、必要なものを禮の商人から買う程度だ。禮に来てからも、紫麟殿は王宮の中でも奥の方にあり、使用人も少ないので静かだ。街に出て、どんどんと耳に飛び込んでくる色んな音に驚きながらも、色とりどりに並べられる様々な品物をセンは興味深げに見やった。
「何か気になるものは、あるか?」
「いえ、驪竜さまの用事が大事ですから」
ずっと無言でいた驪竜が唐突に口を開いて、センを慌てさせた。そんなに物欲しげな目で見ていたのだろうか。僅かに足を止めてしまった店には、木で作られた様々な動物が売られている。店先で子どもたちが楽しげにそれを見やっている光景が微笑ましい。
「それが俺の用事だ。朱から、お前に給金を渡そうとしても、一切受け取らぬと聞いた。給金がだめなら、現物支給しかなかろう」
「ええ? だって、おれは紫麟殿で何もしていないですよ? 精々、伯皓に遊んでもらって、朱さんたちに話を聞いてもらっているだけで――」
そこまで話して、センは先ほどの朱たちとの会話を思い出して思わず顔を赤くした。まさかあんなに自分の心情を曝け出してしまうとは、先ほどの自分はどうにかしていたのだ。迷子にならないよう自分の手を繋いでいる驪竜の手を引っ張るように、足を動かしだすと近くで鳥が羽ばたく音がした。
「隼――いや、白い鷹か? めずらしいな」
空を見上げ、その鳥を見た驪竜が感嘆の声を出す。センもつられて空を見上げると、空からひらひらと青いもの落ちてきた。ピィ、と短く鷹らしき鳥は鳴いて、また空高く飛んで行ってしまう。
「あっ、この布! 驪竜さま、これっ、あの悪いカラスが盗っていってしまった、驪竜さまの大事な布ですよ! ……でも、この刺繍の模様……小さい頃に失くした、母上からもらったものに良く似ている……」
センが生まれることを願って、母がせっせと作ってくれた、刺繍が施された青い布。誕生を願う刺繍は、その子ども一人一人のためのものなので、同じ柄は一つとしてない。幼い頃に失くしたとはいえ、センは自分のために母が考えてくれたその柄をぼんやりと覚えている。
だがこれは先日、強い風に吹き飛ばされた挙句、どこかの悪いカラスが持ち去ってしまったあの青い布とも似ているようにも思える。これは何なのだろう、とセンがひと思案してから驪竜を見やった。驪竜はといえば、無言で何かを考えていたが、少ししてから近くの茶屋にセンを連れて行き、座らせた。まだ昼前なのもあり、茶屋はがらんとしている。注文を取りに来た老婆に温かい飲み物を二つ頼んだ驪竜は、ようやくセンへと視線を向けた。
センも無言で青い布を差し出すと、驪竜が眉根を寄せる。だが、それは不機嫌さのためというより、困って見えた。
「その青い布……先日、悪いカラスが盗っていったものですよね。不思議なことに、その布はおれが昔失くしたものと、そっくりなのです」
「……知っている。お前が幼い頃に落としたそれを、拾ったのが俺なのだから」
やっぱり、という顔になったセンの手に、驪竜は青い布をゆっくりとした動作で戻した。今日は日差しが暖かくて、外にいても寒さはあまり感じない。驪竜がくれた外套のお蔭もあるのだろう。
センは自分の手に戻ってきた青い布を握りしめると、じっと驪竜の薄鳶色の瞳を見つめた。センは、風花が舞ったあの日に初めて地上に来た。それまではずっと霞雲山の中にいたのだ。そして、青い布を失くした頃に偶然出会ったのが、次代の禮王になるはずの、少年だった。
――やはり、あの時。少年だった驪竜との邂逅は、夢ではなかったのだ。
驪竜を見つめているはずなのに、センは自分の目がじわじわと湿ってくるのを感じたが、頑張って堪えながら、センは驪竜を見ていた。微動だにしないセンの頬を、驪竜はそっとした手つきで触れようとして、その直前で止めた。
「……もう、幼い頃の約束など、とっくにお前は忘れているだろうと思っていた」
驪竜が、行き場をなくした片方の腕を下ろした。驪竜から紡がれる言葉に、センは必死に首を横に振る。忘れるわけがない。あの時の出会いがあったからこそ、センは常に前を向いて生きてきたのだから。
「俺はもう、お前との約束を守る資格を失っている。だから、秋の終わりに風花が舞った日に――真っすぐにセンが俺に向かって飛び降りて来た時は、驚いた。内心は、とても嬉しかった」
「し、資格が、ないって……?」
あふれ出そうなものを何とか堪えながら、センが尋ねる。驪竜は苦笑すると、遠く――過去を思い出すように、目を細めた。
「俺は確かに、センと初めて霞雲山で出会った後、生まれの順もあって王太子となった。しかし、母方の叔父が、謀反を企てたと疑われてろくな詮議もなく処刑され、母を含む一族全員が追放になった。俺も追放になるだろうと思われたが、今の治大官である呂老師が、あちこちを駆けまわり、母方の一族の無実を訴え続けてくれた。前王――父には子が少なかったのもあっただろう。結果として、臣籍降下という処分で終わった。俺まで野放しにすれば、俺を担ぎ上げ、臣下が割れて国が荒れるのを危惧したのもあるかもしれない」
「こ、降下……」
治大官といえば、最初に禮の国に来た時に、穏やかに話しかけてくれたあの老爺のことだ。治大官は宰相に次ぐ地位だと聞いたが、今それほどの地位にある人間が動いても、臣籍降下を免れなかったのだから当時は大変な騒動だっただろうと推測できる。想像もしていなかった話にセンが絶句をしていると、不意に驪竜が自嘲の笑みを浮かべた。
「情けないこと、この上ないだろう。必ず守ると言った約束を果たすこともできず。母の一族についていくことも、一族と共に、潔白の証明に死ぬことも……王族に留まりたいと、泣いて父に縋りつくことすらできなかった。ただ、叔父にかけられた疑念を晴らしたくて、死ぬことなくおめおめと王宮に残っている。そのくせ、瑞鸞――今の王が、すんなりと己の後宮にセンを迎え入れなかったことに、安堵したのだから。自分でも、本当に卑怯で悪趣味だと思う」
優し気だった少年の淡い色の瞳に、どんな酷い光景が映っていたのだろう。それを考えるだけで、センはとうとう声を殺して泣いた。頬を流れていく涙を、止められない。
「悪趣味ついでで申し訳ないが、先ほどの、朱たちの話も漏れ聞こえてしまった」
「……う、うわ……お恥ずかしい……」
滂沱と涙を流しながらも、先ほどの恥ずかしい会話をしっかりと聞かれていたことに止めを刺され、センは顔を盛大に赤くする。センの感情にあわせて翼が動いたが、外套に邪魔されてうまく動かせず、センは悶えてしまった。できるなら今すぐ、翼の中に隠れてしまいたい気分だ。
「センに再会した後、酷いことも言ってしまい、すまなかった。これは言い訳だが、センを愛しいと想うこの気持ちは、もう抱いてはならないものなのだと、必死に思うようにしていた。遠ざけなければ、と……なのに、お前が解き放ってしまった」
どうしてくれようと冗談めかして驪竜が微笑する。
「ま、まだ……おれは驪竜さまのことを、お、お慕いしていても……良い、の、ですか?」
どうしてもそれだけは聞いておきたかった。必死に涙を堪えて、再びセンが口を開いて驪竜に尋ねる。驪竜は、センの黒く柔らかな髪をひと房、すくい取った。
「もう、王族ですらない俺でも良いのか? ――センの身体に触れても、良いだろうか」
驪竜からの告白に頭がついていかず、センは更に慌てふためいてしまう。耳まで赤くしながらも、センは必死に驪竜の言葉を反芻していた。時間をかけてゆっくりと言葉を飲み込んでから、涙目のまま、センはおずおずと驪竜を見上げて、小さく「おれは、驪竜さまが良いです」と答えていた。
それに驪竜が何と答えるのだろうかと待っていると、先程は触れることもなかった指が、センの頬に触れた。その冷たさに、驪竜も緊張しているのを感じる。
それから、精悍な顔が近づいてきて、センは思わず目をとじてしまった。温かなものがセンの唇に触れる。それが離れていってから、恐る恐る目を開く。視界には優しく笑んだ驪竜がいて、センは、自分が夢の中にいるのではないかと疑い始めた。
「こ、こんな都合が良いことが……おれは、夢を……見て、いるのでしょうか」
ぎゅ、と己の頬を思いっきりつねって、「痛い」と泣きそうな声を出したセンに、驪竜が笑いを堪えるために咳払いするのが聞こえた。それから――強く抱きしめられる。
「本当に、愛しくて仕方がない」
耳元で低く呟いた驪竜の言葉に、これ以上ないくらい赤くなった顔が抱擁のおかげで隠れたことにセンは安堵した。驪竜のしっかりとした胸は服越しでも温かく感じられる。彼らの頭上を、鷹が高く一声を上げて、飛び去っていく音がした。
いつの間にか、傍に温かなお茶が置かれていたことに、驪竜から体を離してから気づき、センはこれまた盛大に慌てた。しかし、香りの良いそのお茶に気を取られて、ようやく気持ちが落ち着く。お茶に使われているのは、遠い異国から運ばれてきた花なのだと驪竜から教わった。
「禮や翼飛では冬でも、花が咲くくらい暖かい国もあるなんて面白いですよね」
「そうだな。禮より南にある麗国も、我が国より春が来るのも早い。南の端では売るための花を育てていて、その花畑が見事だと聞く。春が近くなったら、見に行くのも良いな。……花畑で、センが転ばなければ良いが」
そこですか? とセンが抗議の声を上げると、驪竜が声を立てて笑った。
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