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飛び込んできた青い鳥
(――綺麗な、青い髪だ)
突然、目の前が美しい色で彩られた気がして。幼いユージーンは驚いて、目を瞬かせた。
ランス兄が城下に行きたいと我儘を言いだし、それならユージーンも行きたいだろうと特段行きたいわけでもないのに連れて来られてしまった。普段着ている服よりも軽い服なのは嬉しいが、人が多くうるさいと感じるだけで、早く帰りたいとすら考えていた。市街にある大きな公園で休憩することになり、馬車が止まる。兄に馬車の中から引っ張りだされたものの、兄のランスはさっさと他の子どもの輪に入っていき、ユージーンだけが大人たちと共に取り残された。
城にいる時。この国の王である父や、王妃である母といる時――ユージーンの周囲には大人から子どもまでわらわらと人が寄ってくる。みな笑顔で「お近づきになりたい」と同じことを言う。しかし。何故かユージーンには、彼らの視線が自分を透かして父や母――もしくは、既に王太子の座にある兄へと向けられているのだと、分かっていた。一度だけ、それを父に言ったことがある。父は「本質を見る力は重要だ」とだけ返してきた。
幸い、ユージーンが生まれた時から侍従長となったデバランの采配が良かったせいか、上の兄たちと比べて侍従や侍女の数は少なくても、気にせず生活はしてこられた。成人したらそのままひっそりとどこか――兄たちの迷惑にならない場所で生きていけたら良いとすら、考えていた。
(本を、持って来れば良かった)
どこでも打ち解けられるのが、ランス兄のすごいところだとは思う。清濁あわせて飲み込むことができて、敵すらも味方に変えてしまえる力がある。公園に備え付けられているベンチに腰かけていると、視界に青が映った。自分よりは年上なのかな、と分かる背丈の子ども――少年だ。茶や金の髪を持つ者が大半の国では、ユージーンの黒い髪もめずらしいのだが。少年の柔らかそうな青い髪は、もっと稀有に思えた。
ユージーンが腰かけているベンチに駆け込んでくると、その蔭にさっと座り込む。
「ちょっとだけここに、隠れさせてください」
それから。内緒話のつもりなのか、青い髪の少年が、ベンチの蔭からユージーンに小声で話しかけてきた。少年の髪は晴れた日の海を思わせて、くっきりとした二重の大きな瞳は深い青をしている。服を見なければ女児なのかと間違われることもあるだろう程に、可愛らしく整った顔立ち。その顔でニコニコと笑いかけられて、ユージーンは思わず「いいよ」と答えていた。
ユージーンの周りに集まってくる人間たちも、みんないつでも笑ってはいるけれど――『第三王子のユージーン』を知らないまま向けられた笑みを見たのは、恐らく初めての経験だった。それは思っていたよりも鮮やかで、驚いているうちに他の少年たちがこちらに向かって駆けてくる。隠れている少年の友人らなのかもしれない。
「ティトー! どこに隠れたんだ。また木の上かなあ……」
ふふ、とユージーンの耳に少年が漏らす笑い声が聞こえる。自分までもが少年の隠しごとに付き合っている気がして、いつになく高揚感を覚えた。
「ティト、どこだよお! いつもは隠れるのが下手なくせに……」
ぶつぶつ言いながら近づいてきた少年たちに、ユージーンは思わず「あっちに行った」と嘘の方角を指さした。「そう? ありがと!」と口々に言い、少年らはまた駆け去っていく。広くて木々も多い公園の中、あっという間に少年の背中が小さくなると、もぞもぞと動く気配がした。
「わあ、すごくドキドキしました」
「……私もだ」
まだ地面にしゃがみ込んだまま、笑いかけてくる少年。しかし、黒い髪であることが知られたら、第三王子・ユージーンだとばれてしまうかもしれない。目深にフードを被ったまま、ユージーンは少年を見ていた。
「おれの髪、青いから目立つみたいで。すぐ見つかっちゃうのです。みんなと同じ色だったらなあ……」
「私は、きれいな色だと思う。……きれいで、とくべつな色だ」
ほんとう? と少年が深い青色の目を瞬かせた。そして、はにかみながら「うれしいです」と笑う。ティト、と呼ばれていた。その名前を口にしてもいいものか悩みながら、「ここに来たら、また会える?」と、今まで経験したことのない必死さで、ユージーンは問いかけていた。しかし返ってきたのは沈黙だった。首を左右に振っている。
「おれ、お城に行くことになったのです。シドリルさまのお話し相手に選ばれて……。でもおれ、ちゃんとお話できるかなあ」
自分の兄の名前が出てきても、たいして驚きはない。シドリル兄にもランス兄にも、『遊び相手』として将来の侍従候補である貴族の子息たちが、何人も付けられているからだ。ユージーンにも何度か候補は上がったものの、笑わない第三王子の『遊び相手』はずっと不在だった。そういえば青い鳥がどうのと、シドリル兄が嬉しそうに話していたのを思い出す。
(……青い、鳥)
城にいれば、またそのうち会えるのだとは分かったが、きっと青い髪の少年――ティトのことは、シドリル兄も大好きになるだろうという変な予感があった。いつもなら――たとえば教師が出してくる問題なら、明確に答えが分かるのに。今のユージーンに何ができるのか分からず、思わず俯くと、ふわりと良い香りがした。
「だいじょうぶ? 厚着しているし、もしかして具合悪いのですか? これっ、この青い花、よかったらあげます。気持ちがね、やわらかくなるんです」
気持ちが柔らかくとは、どういうことだろう。そう不思議に思ったけれど、そのあたりで摘んだのだろう青い花を持って笑いかけてくれた少年の素直な好意が、とても嬉しくて。「ありがとう」と手を差し出し、受け取っていた。
「ティトーーーっ! みぃーつけたーーーっ!!」
「見つかっちゃった! あのっ、またいつか……いっしょに遊びましょうね」
フードを被ったままのユージーンに向かって、青髪の少年――ティトがぺこりと小さな頭を下げた。ふわふわとした少年の柔らかな髪が、少年の動きに合わせてそよぐ。他の子どもたちのところへと駆けていく後ろ姿は軽やかで、青い鳥というのは間違いなく彼のことなのだろうな、と思った。
「……デバラン」
ティトがいる間はずっと気配を消してくれていた侍従のデバランを呼ぶと、「はい」と穏やかに返事をしてくる。「帰る」と一言告げると、ユージーンの侍従はおや、という顔をしてみせた。
「先ほどの少年と、よくお話されていらっしゃいましたが……呼び戻して参りましょうか」
「いや、いい。私と一緒では、遊ぶに遊べないだろうし……あの子が喜ぶような遊びを、私は知らない。……それより、この青い花はどうすれば長持ちする? 庭師に尋ねたらすぐ分かるだろうか」
庭師に聞きましょう、とデバランが頷き返した。
そうして。庭師に教えられた通りに、王城にある自室で飾っていた青い花を片づけていると、デバランが微笑みながら近づいてきた。
「ああ、散ってしまったのですか。片づけておきましょう」
「いや。これは、自分でやる」
庭師から、紙に挟んだ花を厚い本か何かを重しにして押し花にすれば、ずっと手許に置いておけるのだと教わった。その方法を試してみたかったのだが、「とにかくお庭に参りましょう、ユージーン様」と微笑んだまま、デバランが促してくる。
「間もなく、お庭にめずらしい鳥が参りましょう。飛んで来たら、逃がしてはなりません。契機は一度だけですからね」
「……鳥? そんなにめずらしい鳥なのか」
何事からも距離を置いたところにいるユージーンだが、動植物のことはその限りではない。頷いてみせたデバランや侍女たちと共に、本を持って中庭へ向かう。中庭の東屋は、ユージーンにとって図書室の次にお気に入りの場所だ。駆けまわるには狭いので、ここまでは兄たちもやって来ず、静かである。
今日もまた、いつも通り静かな時間を送るはずが――ふと、人の声が聞こえてきた。
「デバラン。めずらしい鳥とやらは、いつ来る?」
「いま参りましたよ。通称、『蒼鳥一族』――ルオーン子爵家のご子息です」
蒼鳥一族、とユージーンは頭の中で復唱した。その存在は、先日デバランから聞かされたばかりだ。あの日、公園で言葉を交わした少年の髪が、青い理由。異国からの流民でありながら、ユージーンたちの始祖を助け開国を手助けした、幸福の青い鳥と謳われた勇敢な騎士の末裔。だがあの少年は、シドリル兄の遊び相手となる予定だ。しかも、シドリル兄と会うのは……後日の約束であるはず。疑問に思っているうちに、ユージーンの視界にも、あの少年のふわふわとした青い髪が映り始めた。
「……彼が来るのは、今日ではなかったはずだ」
「ええ、そうですね。ルオーン子爵がうっかり顔合わせの日を間違えてしまわれたとか。せっかくならば中庭にいらしてはと、お誘いしました」
デバランがすまして答えているうちに、あの少年――ティトが、ユージーンたちに気づいた。もう、自分の服装や年齢、そして周囲にいる侍従たちのせいでユージーンが何者かは問わずとも、分かるだろう。ルオーン子爵と思われる大人の男から、何かを聞かされている。
(ティトの表情も、変わってしまうのだろうか)
この国の王族である自分たちに群がろうとする、美しくない人間たちのように、目つきや笑い方が変わりはしないだろうか。その変化を少年に見出してしまったらと思うと途端に怖くなって、ユージーンは読みかけの本へと視線を落とした。そんなユージーンに、「あの……」と声がかかる。あの時。公園で会話した時、ユージーンは顔をティトに見せることもしなかった。ユージーンの代わりに、侍従が答える。殿下にご挨拶を、と少年が緊張した声音で返した時だった。
「ひゃああああっっ?!」
青い髪の少年が、飛び上がった。そんな少年の足元を、しっぽだけがふわっとした大きな栗鼠が駆けていく。近くの低木に飛び乗った少年に、ユージーンもさすがに視線を上げた。
「なななっ、なんかとても、素早いものが……っ!!」
「あれは栗鼠だ、怖くない。……それより、動きが……お前が、栗鼠みたいで……」
可愛い。そう言いかけてユージーンは慌てて自身の口を塞いだけれど、泣きそうな目でこちらを見ている少年を――ティトを見ていると、緊張とともによく分からない、でも温かい気持ちになってくる。本を台の上に置き、少年がいる低木まで歩いていくと、「おりるの、手伝う」と手を差し伸べてみた。自分が思っているよりもずっと己の背は小さくて、ティトには届かない。それでも精一杯手を差し伸べていると、ようやく少年が小さく頷いて、軽い身のこなしで低木から飛び降りてきた。駆け寄ったユージーンの目の前に、青が広がって――「ふぎゃ」と変な声が上がった。着地に失敗して、尻餅をついたらしい。
「……けがは!?」
「ありません。あれが栗鼠なのですね……ええと、殿下におけがは」
尻餅をついたままの少年に差し出した手が、今度はちゃんと届いた。「ジーンで良い」と緊張しながら伝えると、「ジーンさま?」と少年が繰り返す。
「おれ……自分はティト・ルオーンです、ジーンさま!」
そう言って笑いかけてきたティトに、ユージーンの表情もまた、自然と柔らかくなった。ティトは、変わらない。公園で出会った、何者とも知らない子どもに対するのと同じ笑顔で、自分を見てくる。王の子であろうとなかろうと、少年だけは態度を変えない。
「楽しそうだな」
陛下、とルオーン子爵――ティトの父親がそう口にして、その場で片膝をついた。他の者たちもみな、挨拶の姿勢を取る中、ユージーンとティトのところにこの国の王である父がやってくる。
「この子がティトか。なるほど、可愛らしい子だ。ジーンの遊び相手になってくれるかな? 子どもらしい遊びが苦手な子なのだが、兄たちとですら、こんなに打ち解けた様子は見たことがない。ぜひ、ユージーンの側にほしいのだが……ルオーンも許してくれるか?」
もちろんです、とティトの父親が快諾する。中庭で父に会ったことなど、一度もないのに――それを不思議に思いながらも、ティトとこれからも一緒にいられることにユージーンは自分の気持ちが高揚していることに気づく。
「……ティト。私のそばに、いてくれるだろうか」
「はい! 蒼鳥一族として、死ぬまでおそばに仕えます!!」
死ぬまでとは律儀だな、と父が笑い、その場の全員が朗らかな雰囲気に包まれる。
そうして、部屋に戻った後。あの青い花は片づけられてしまっていたけれど、ユージーンはもう気にならなかった。
「ティトから、良い香りがする」
「お庭の中にいたからですね、きっと。ええと……ジーンさまのこと、たくさん教えてくださいね!」
そう言って満面の笑みを浮かべた少年の手許には、中庭で摘んだ青い花があるから。そして、ユージーンは少年の柔らかな青髪に口づけていた。
――誓いを、込めて。
Fin.
突然、目の前が美しい色で彩られた気がして。幼いユージーンは驚いて、目を瞬かせた。
ランス兄が城下に行きたいと我儘を言いだし、それならユージーンも行きたいだろうと特段行きたいわけでもないのに連れて来られてしまった。普段着ている服よりも軽い服なのは嬉しいが、人が多くうるさいと感じるだけで、早く帰りたいとすら考えていた。市街にある大きな公園で休憩することになり、馬車が止まる。兄に馬車の中から引っ張りだされたものの、兄のランスはさっさと他の子どもの輪に入っていき、ユージーンだけが大人たちと共に取り残された。
城にいる時。この国の王である父や、王妃である母といる時――ユージーンの周囲には大人から子どもまでわらわらと人が寄ってくる。みな笑顔で「お近づきになりたい」と同じことを言う。しかし。何故かユージーンには、彼らの視線が自分を透かして父や母――もしくは、既に王太子の座にある兄へと向けられているのだと、分かっていた。一度だけ、それを父に言ったことがある。父は「本質を見る力は重要だ」とだけ返してきた。
幸い、ユージーンが生まれた時から侍従長となったデバランの采配が良かったせいか、上の兄たちと比べて侍従や侍女の数は少なくても、気にせず生活はしてこられた。成人したらそのままひっそりとどこか――兄たちの迷惑にならない場所で生きていけたら良いとすら、考えていた。
(本を、持って来れば良かった)
どこでも打ち解けられるのが、ランス兄のすごいところだとは思う。清濁あわせて飲み込むことができて、敵すらも味方に変えてしまえる力がある。公園に備え付けられているベンチに腰かけていると、視界に青が映った。自分よりは年上なのかな、と分かる背丈の子ども――少年だ。茶や金の髪を持つ者が大半の国では、ユージーンの黒い髪もめずらしいのだが。少年の柔らかそうな青い髪は、もっと稀有に思えた。
ユージーンが腰かけているベンチに駆け込んでくると、その蔭にさっと座り込む。
「ちょっとだけここに、隠れさせてください」
それから。内緒話のつもりなのか、青い髪の少年が、ベンチの蔭からユージーンに小声で話しかけてきた。少年の髪は晴れた日の海を思わせて、くっきりとした二重の大きな瞳は深い青をしている。服を見なければ女児なのかと間違われることもあるだろう程に、可愛らしく整った顔立ち。その顔でニコニコと笑いかけられて、ユージーンは思わず「いいよ」と答えていた。
ユージーンの周りに集まってくる人間たちも、みんないつでも笑ってはいるけれど――『第三王子のユージーン』を知らないまま向けられた笑みを見たのは、恐らく初めての経験だった。それは思っていたよりも鮮やかで、驚いているうちに他の少年たちがこちらに向かって駆けてくる。隠れている少年の友人らなのかもしれない。
「ティトー! どこに隠れたんだ。また木の上かなあ……」
ふふ、とユージーンの耳に少年が漏らす笑い声が聞こえる。自分までもが少年の隠しごとに付き合っている気がして、いつになく高揚感を覚えた。
「ティト、どこだよお! いつもは隠れるのが下手なくせに……」
ぶつぶつ言いながら近づいてきた少年たちに、ユージーンは思わず「あっちに行った」と嘘の方角を指さした。「そう? ありがと!」と口々に言い、少年らはまた駆け去っていく。広くて木々も多い公園の中、あっという間に少年の背中が小さくなると、もぞもぞと動く気配がした。
「わあ、すごくドキドキしました」
「……私もだ」
まだ地面にしゃがみ込んだまま、笑いかけてくる少年。しかし、黒い髪であることが知られたら、第三王子・ユージーンだとばれてしまうかもしれない。目深にフードを被ったまま、ユージーンは少年を見ていた。
「おれの髪、青いから目立つみたいで。すぐ見つかっちゃうのです。みんなと同じ色だったらなあ……」
「私は、きれいな色だと思う。……きれいで、とくべつな色だ」
ほんとう? と少年が深い青色の目を瞬かせた。そして、はにかみながら「うれしいです」と笑う。ティト、と呼ばれていた。その名前を口にしてもいいものか悩みながら、「ここに来たら、また会える?」と、今まで経験したことのない必死さで、ユージーンは問いかけていた。しかし返ってきたのは沈黙だった。首を左右に振っている。
「おれ、お城に行くことになったのです。シドリルさまのお話し相手に選ばれて……。でもおれ、ちゃんとお話できるかなあ」
自分の兄の名前が出てきても、たいして驚きはない。シドリル兄にもランス兄にも、『遊び相手』として将来の侍従候補である貴族の子息たちが、何人も付けられているからだ。ユージーンにも何度か候補は上がったものの、笑わない第三王子の『遊び相手』はずっと不在だった。そういえば青い鳥がどうのと、シドリル兄が嬉しそうに話していたのを思い出す。
(……青い、鳥)
城にいれば、またそのうち会えるのだとは分かったが、きっと青い髪の少年――ティトのことは、シドリル兄も大好きになるだろうという変な予感があった。いつもなら――たとえば教師が出してくる問題なら、明確に答えが分かるのに。今のユージーンに何ができるのか分からず、思わず俯くと、ふわりと良い香りがした。
「だいじょうぶ? 厚着しているし、もしかして具合悪いのですか? これっ、この青い花、よかったらあげます。気持ちがね、やわらかくなるんです」
気持ちが柔らかくとは、どういうことだろう。そう不思議に思ったけれど、そのあたりで摘んだのだろう青い花を持って笑いかけてくれた少年の素直な好意が、とても嬉しくて。「ありがとう」と手を差し出し、受け取っていた。
「ティトーーーっ! みぃーつけたーーーっ!!」
「見つかっちゃった! あのっ、またいつか……いっしょに遊びましょうね」
フードを被ったままのユージーンに向かって、青髪の少年――ティトがぺこりと小さな頭を下げた。ふわふわとした少年の柔らかな髪が、少年の動きに合わせてそよぐ。他の子どもたちのところへと駆けていく後ろ姿は軽やかで、青い鳥というのは間違いなく彼のことなのだろうな、と思った。
「……デバラン」
ティトがいる間はずっと気配を消してくれていた侍従のデバランを呼ぶと、「はい」と穏やかに返事をしてくる。「帰る」と一言告げると、ユージーンの侍従はおや、という顔をしてみせた。
「先ほどの少年と、よくお話されていらっしゃいましたが……呼び戻して参りましょうか」
「いや、いい。私と一緒では、遊ぶに遊べないだろうし……あの子が喜ぶような遊びを、私は知らない。……それより、この青い花はどうすれば長持ちする? 庭師に尋ねたらすぐ分かるだろうか」
庭師に聞きましょう、とデバランが頷き返した。
そうして。庭師に教えられた通りに、王城にある自室で飾っていた青い花を片づけていると、デバランが微笑みながら近づいてきた。
「ああ、散ってしまったのですか。片づけておきましょう」
「いや。これは、自分でやる」
庭師から、紙に挟んだ花を厚い本か何かを重しにして押し花にすれば、ずっと手許に置いておけるのだと教わった。その方法を試してみたかったのだが、「とにかくお庭に参りましょう、ユージーン様」と微笑んだまま、デバランが促してくる。
「間もなく、お庭にめずらしい鳥が参りましょう。飛んで来たら、逃がしてはなりません。契機は一度だけですからね」
「……鳥? そんなにめずらしい鳥なのか」
何事からも距離を置いたところにいるユージーンだが、動植物のことはその限りではない。頷いてみせたデバランや侍女たちと共に、本を持って中庭へ向かう。中庭の東屋は、ユージーンにとって図書室の次にお気に入りの場所だ。駆けまわるには狭いので、ここまでは兄たちもやって来ず、静かである。
今日もまた、いつも通り静かな時間を送るはずが――ふと、人の声が聞こえてきた。
「デバラン。めずらしい鳥とやらは、いつ来る?」
「いま参りましたよ。通称、『蒼鳥一族』――ルオーン子爵家のご子息です」
蒼鳥一族、とユージーンは頭の中で復唱した。その存在は、先日デバランから聞かされたばかりだ。あの日、公園で言葉を交わした少年の髪が、青い理由。異国からの流民でありながら、ユージーンたちの始祖を助け開国を手助けした、幸福の青い鳥と謳われた勇敢な騎士の末裔。だがあの少年は、シドリル兄の遊び相手となる予定だ。しかも、シドリル兄と会うのは……後日の約束であるはず。疑問に思っているうちに、ユージーンの視界にも、あの少年のふわふわとした青い髪が映り始めた。
「……彼が来るのは、今日ではなかったはずだ」
「ええ、そうですね。ルオーン子爵がうっかり顔合わせの日を間違えてしまわれたとか。せっかくならば中庭にいらしてはと、お誘いしました」
デバランがすまして答えているうちに、あの少年――ティトが、ユージーンたちに気づいた。もう、自分の服装や年齢、そして周囲にいる侍従たちのせいでユージーンが何者かは問わずとも、分かるだろう。ルオーン子爵と思われる大人の男から、何かを聞かされている。
(ティトの表情も、変わってしまうのだろうか)
この国の王族である自分たちに群がろうとする、美しくない人間たちのように、目つきや笑い方が変わりはしないだろうか。その変化を少年に見出してしまったらと思うと途端に怖くなって、ユージーンは読みかけの本へと視線を落とした。そんなユージーンに、「あの……」と声がかかる。あの時。公園で会話した時、ユージーンは顔をティトに見せることもしなかった。ユージーンの代わりに、侍従が答える。殿下にご挨拶を、と少年が緊張した声音で返した時だった。
「ひゃああああっっ?!」
青い髪の少年が、飛び上がった。そんな少年の足元を、しっぽだけがふわっとした大きな栗鼠が駆けていく。近くの低木に飛び乗った少年に、ユージーンもさすがに視線を上げた。
「なななっ、なんかとても、素早いものが……っ!!」
「あれは栗鼠だ、怖くない。……それより、動きが……お前が、栗鼠みたいで……」
可愛い。そう言いかけてユージーンは慌てて自身の口を塞いだけれど、泣きそうな目でこちらを見ている少年を――ティトを見ていると、緊張とともによく分からない、でも温かい気持ちになってくる。本を台の上に置き、少年がいる低木まで歩いていくと、「おりるの、手伝う」と手を差し伸べてみた。自分が思っているよりもずっと己の背は小さくて、ティトには届かない。それでも精一杯手を差し伸べていると、ようやく少年が小さく頷いて、軽い身のこなしで低木から飛び降りてきた。駆け寄ったユージーンの目の前に、青が広がって――「ふぎゃ」と変な声が上がった。着地に失敗して、尻餅をついたらしい。
「……けがは!?」
「ありません。あれが栗鼠なのですね……ええと、殿下におけがは」
尻餅をついたままの少年に差し出した手が、今度はちゃんと届いた。「ジーンで良い」と緊張しながら伝えると、「ジーンさま?」と少年が繰り返す。
「おれ……自分はティト・ルオーンです、ジーンさま!」
そう言って笑いかけてきたティトに、ユージーンの表情もまた、自然と柔らかくなった。ティトは、変わらない。公園で出会った、何者とも知らない子どもに対するのと同じ笑顔で、自分を見てくる。王の子であろうとなかろうと、少年だけは態度を変えない。
「楽しそうだな」
陛下、とルオーン子爵――ティトの父親がそう口にして、その場で片膝をついた。他の者たちもみな、挨拶の姿勢を取る中、ユージーンとティトのところにこの国の王である父がやってくる。
「この子がティトか。なるほど、可愛らしい子だ。ジーンの遊び相手になってくれるかな? 子どもらしい遊びが苦手な子なのだが、兄たちとですら、こんなに打ち解けた様子は見たことがない。ぜひ、ユージーンの側にほしいのだが……ルオーンも許してくれるか?」
もちろんです、とティトの父親が快諾する。中庭で父に会ったことなど、一度もないのに――それを不思議に思いながらも、ティトとこれからも一緒にいられることにユージーンは自分の気持ちが高揚していることに気づく。
「……ティト。私のそばに、いてくれるだろうか」
「はい! 蒼鳥一族として、死ぬまでおそばに仕えます!!」
死ぬまでとは律儀だな、と父が笑い、その場の全員が朗らかな雰囲気に包まれる。
そうして、部屋に戻った後。あの青い花は片づけられてしまっていたけれど、ユージーンはもう気にならなかった。
「ティトから、良い香りがする」
「お庭の中にいたからですね、きっと。ええと……ジーンさまのこと、たくさん教えてくださいね!」
そう言って満面の笑みを浮かべた少年の手許には、中庭で摘んだ青い花があるから。そして、ユージーンは少年の柔らかな青髪に口づけていた。
――誓いを、込めて。
Fin.
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応援のコメント嬉しかったです( ´ ▽ ` )!
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お兄ちゃん大慌てでユージーン様にお知らせに行ったんでしょうね。
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歌川ピロシキ様
続けてのコメントありがとうございます、嬉しいですヽ(´▽`)/!
酔っ払い無双な展開となっておりますが最後までお付き合いいただけたら嬉しいです( ´ ▽ ` )
うわ、これ本人と叔母さんだけがわかってない?
ティトさん可愛いですね((ヾ(≧∇≦)〃))
歌川ピロシキ様
コメントありがとうございます( ´ ▽ ` )!
ふふふ、今後の展開をお楽しみに…(ΦωΦ)
ティトを可愛いと言っていただけて嬉しいです(*´꒳`*)