11 / 20
11
「ここにいたのか。逃げ足が速いな」
足の速さは負けないつもりだったのに、持久力となると体力が違いすぎた。獣人たちは総じて体力が普通の人間たちよりも優れているという噂は本当だったのだと、こんなところで知る羽目になる。袋小路になっていることにも気づかず、翡翠は自分でも情けなく思う程、あっさりと奥まで追い込まれてしまっていた。
いつもならもっと走り続けられるはずなのに、ついこの間まで臥せっていたせいか思ったよりも早く息が上がってしまい、これ以上走ることもできなかった。何より、あの黒い痣がある辺りが酷く痛む。
「……ッ、こっちに来るな!」
「冗談言うなよ。無防備にうろついていた、お前が悪い。安心しろよ、ちょっと味見したら、すぐにお前を欲しがる輩共がいるところに連れて行ってやる。こんなとこをうろついてるってことは、どうせもうお前に用事がある奴はいないんだろうよ」
諦めきれずにもがくのを、上から無理やり押さえつけられる。哂いながら。獣人の男が翡翠の口元に己の指を近づけてきた。それに思いっきり噛みついたが、返ってきたのは――笑い声だった。
「威勢だけはいいな、お前。知っているか? そういう奴程、屈してしまったら、その相手にはもう逆らえなくなるんだ」
翡翠の両の腕を、片腕一本で封じ込めてしまった男が満足げに喉を鳴らすのが聞こえた。恐怖を与えるためか、殊更ゆっくりと、翡翠の着ていた服に爪を立てて引き裂いてくる。
「なんだ? 笑ってやがる」
男の声色が、変わった。『屈してしまった相手には、もう逆らえない』――本当にその通りだと翡翠は思う。だから、紅玉以外には、絶対に屈せない。鋭そうな爪に首を引き裂かれても、絶対にだ。
「このガキ! おい、誰かそのガキを捕まえろ!!」
翡翠を押し倒していた男の股座を思いっきり蹴り上げ、相手の拘束が緩んだ。その隙に、握りしめた道端の砂を男の目に向かって投げつけ、翡翠は再び走り出す。
だが。全身を侵すように黒い痣から痛みが広がっていき、そう離れていないところで転ぶと、後ろから楽しげに野次を飛ばしていた元小間使いの男たちが、翡翠の周囲を取り囲んでいくのが分かった。
「あーあ、汚いねえ」
嘲笑う声。大きく襲った痛みに思わず呻くと、背後から髪を掴まれて地面へと押しつけられる。頬が砂で擦れるのと共に口の中に入り込んで、なんとも言えず気持ちの悪い感触がした。
「いい気味だ。どうせ神子サマに尻尾を振って、自分の都合のいい様にしようとしたんだろう? あー怖い怖い。そんな奴はとっとと消しておくのが世界のためってね」
「ちゃんと説明すれば陛下も分かってくれるはずだし……ぼく達は、悪いこと何もしていないんですよぉーって。ほらほら、助けてって言うなら、今のうちだよ?」
本当に勝手なことばかりを男たちは喚く。ふと、翡翠の脳裏に浮かんだのは――紅玉の顔だった。
痣に、飲み込まれていく手。それを一度だけ握り締めてから、翡翠は自身の髪を掴んでいた男の腕を引っ張り込み、精一杯の力で地面へと押し付けた。
「――助けてなんて言えるか!」
要の傍についていてくれ、と言ったこの口で言えるわけがない。
「~~~~~~コイツ!!」
男たちの目つきが変わった――その時。
それは、今まで聞いたことのないような、猛々しい咆哮だった。そちらへと顔を向けた翡翠の視界に映ったのは、白い双翼――それを背に戴いた、白い、雄々しい虎の姿。
虎は真っ直ぐに翡翠の傍に降り立つと、突然現れた大きな獣に悲鳴を上げ、逃げ惑う男たちを易々と引きずり倒していく。そこにあるのは、ただただ暴力による支配だった。
最後の一人を鋭い爪が生え揃った前足を掛けて地面へと叩き伏せてから、白い獣は、わずかではあるが血のしぶきを浴びた顔をゆっくりと振るう。そうして、翡翠を見てきた。その白い毛並みについてしまった血と同じくらい紅い、瞳で。
「……紅玉?」
初めて出会った時から変わることのない、力強い真紅の瞳。白い獣は人の言葉を介さないのか、一言も発することなく翡翠に近づいてきた。それでも、不思議と恐怖は感じない。すり寄せられる大きな虎の、首のあたりを抱きしめていると、その温かさに、勝手に涙が溢れて翡翠は戸惑う。
言葉はないけれど、『無事で良かった』と言われた気がした。
足の速さは負けないつもりだったのに、持久力となると体力が違いすぎた。獣人たちは総じて体力が普通の人間たちよりも優れているという噂は本当だったのだと、こんなところで知る羽目になる。袋小路になっていることにも気づかず、翡翠は自分でも情けなく思う程、あっさりと奥まで追い込まれてしまっていた。
いつもならもっと走り続けられるはずなのに、ついこの間まで臥せっていたせいか思ったよりも早く息が上がってしまい、これ以上走ることもできなかった。何より、あの黒い痣がある辺りが酷く痛む。
「……ッ、こっちに来るな!」
「冗談言うなよ。無防備にうろついていた、お前が悪い。安心しろよ、ちょっと味見したら、すぐにお前を欲しがる輩共がいるところに連れて行ってやる。こんなとこをうろついてるってことは、どうせもうお前に用事がある奴はいないんだろうよ」
諦めきれずにもがくのを、上から無理やり押さえつけられる。哂いながら。獣人の男が翡翠の口元に己の指を近づけてきた。それに思いっきり噛みついたが、返ってきたのは――笑い声だった。
「威勢だけはいいな、お前。知っているか? そういう奴程、屈してしまったら、その相手にはもう逆らえなくなるんだ」
翡翠の両の腕を、片腕一本で封じ込めてしまった男が満足げに喉を鳴らすのが聞こえた。恐怖を与えるためか、殊更ゆっくりと、翡翠の着ていた服に爪を立てて引き裂いてくる。
「なんだ? 笑ってやがる」
男の声色が、変わった。『屈してしまった相手には、もう逆らえない』――本当にその通りだと翡翠は思う。だから、紅玉以外には、絶対に屈せない。鋭そうな爪に首を引き裂かれても、絶対にだ。
「このガキ! おい、誰かそのガキを捕まえろ!!」
翡翠を押し倒していた男の股座を思いっきり蹴り上げ、相手の拘束が緩んだ。その隙に、握りしめた道端の砂を男の目に向かって投げつけ、翡翠は再び走り出す。
だが。全身を侵すように黒い痣から痛みが広がっていき、そう離れていないところで転ぶと、後ろから楽しげに野次を飛ばしていた元小間使いの男たちが、翡翠の周囲を取り囲んでいくのが分かった。
「あーあ、汚いねえ」
嘲笑う声。大きく襲った痛みに思わず呻くと、背後から髪を掴まれて地面へと押しつけられる。頬が砂で擦れるのと共に口の中に入り込んで、なんとも言えず気持ちの悪い感触がした。
「いい気味だ。どうせ神子サマに尻尾を振って、自分の都合のいい様にしようとしたんだろう? あー怖い怖い。そんな奴はとっとと消しておくのが世界のためってね」
「ちゃんと説明すれば陛下も分かってくれるはずだし……ぼく達は、悪いこと何もしていないんですよぉーって。ほらほら、助けてって言うなら、今のうちだよ?」
本当に勝手なことばかりを男たちは喚く。ふと、翡翠の脳裏に浮かんだのは――紅玉の顔だった。
痣に、飲み込まれていく手。それを一度だけ握り締めてから、翡翠は自身の髪を掴んでいた男の腕を引っ張り込み、精一杯の力で地面へと押し付けた。
「――助けてなんて言えるか!」
要の傍についていてくれ、と言ったこの口で言えるわけがない。
「~~~~~~コイツ!!」
男たちの目つきが変わった――その時。
それは、今まで聞いたことのないような、猛々しい咆哮だった。そちらへと顔を向けた翡翠の視界に映ったのは、白い双翼――それを背に戴いた、白い、雄々しい虎の姿。
虎は真っ直ぐに翡翠の傍に降り立つと、突然現れた大きな獣に悲鳴を上げ、逃げ惑う男たちを易々と引きずり倒していく。そこにあるのは、ただただ暴力による支配だった。
最後の一人を鋭い爪が生え揃った前足を掛けて地面へと叩き伏せてから、白い獣は、わずかではあるが血のしぶきを浴びた顔をゆっくりと振るう。そうして、翡翠を見てきた。その白い毛並みについてしまった血と同じくらい紅い、瞳で。
「……紅玉?」
初めて出会った時から変わることのない、力強い真紅の瞳。白い獣は人の言葉を介さないのか、一言も発することなく翡翠に近づいてきた。それでも、不思議と恐怖は感じない。すり寄せられる大きな虎の、首のあたりを抱きしめていると、その温かさに、勝手に涙が溢れて翡翠は戸惑う。
言葉はないけれど、『無事で良かった』と言われた気がした。
あなたにおすすめの小説
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。