カエルのマユちゃん。

SB亭孟谷

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麻由とマユ

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 雀の鳴き声が聞こえる。朝だ。
 後から追いかけるように、カラスの鳴き声も聞こえる。「カー」ではない。「コー コー コー」であったり、
「ギョワンギャー」であったり、「グア」であったり。不思議な鳴き声だが、カラスであることには間違いはない。 東京の朝だ。
 今日も一雨来そうな曇り空だが、夏の終わりで残暑がきついこの時期では、曇ってるぐらいが過ごしやすかったりする。東京の朝だ。
 宏明は新居の自室で起き上がり、庭で朝の空気を吸い込んで深呼吸がしたいと思った。
 蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗う。
 そして、コップに注いで一口のむ。蛇口を閉める。

 この辺りは幼稚園もたくさんあり、この時間から子供の声が聞こえる。それが大きな泣き声であっても、宏明はそれがやかましいと感じたことはなかった。
 実に朝然とした、東京の朝だ。
 両腕を上に伸ばし、「伸び」をしてから、庭に通ずる勝手口の扉を開けた。芝生の香りと共に朝日が差し込んでくる。



 昨日の怪異の背中が、「ででん!」と、宏明の目に映った。


 ぎゃあああ

「グア」

 怪異の背中には、幾億年昔からここにあったという神々しさと、
数億年先も「テコ」でも動かないという図々しさを兼ね備えていた。



「まあまあ朝から賑やかですこと。どうしましたの宏明さん?」

先に起きてた妻の靖子が腰を抜かした宏明の元にやってきた。

「あ……あ……あれ…… ……あれ……まだいる」

「グア」

「あれ?ああ。カエルちゃんですか? 東京ではそんなに珍しいですか?」

「長野にはあんなのが沢山いるのかい!?」

「ええ。雨の日はよく見かけたものですよ。鳴き声が賑やかで、大合唱みたいでした」

「…… ……あー……ちがう! カエルじゃない! あの怪物のことだ!」

「怪物? まあ可哀想ですよカエルちゃんに」

「靖子さん……あれを見てなんとも思わないの…… ……?」

「まあ……多少『でぶっちょ』なカエルちゃんだとは思いますけど。可愛らしいじゃないですか。あんなにお行儀よく座って」

「違う違う。恰幅の良さじゃない。まあ恰幅も見事なもんだが…… ……全体的なサイズの話をしてるんだ!」

「おはよーー…… ……」

 少し大きい声を出しすぎたのだろうか。麻由にしては早く起きてきた。
 麻由の血圧は低い。ほとんど閉じた目を擦って、声のする方向にやってきたのだろう。

「あ!! マユちゃん!! おはよう!!」

 突然、麻由の覚醒スイッチが起動したのか、走り出して怪異に抱きつこうとしたので、宏明は慌てて抑えた。

「まち……待ちなさい!」

「なんで! 離して!」

「グア」

「あんな汚いものに触ってはいけません!」

「マユちゃんは汚くないもん! 体が冷たくて、抱っこするとひんやりして気持ちいいの!」

「抱きついたのか!!!! アレに!!!」

「グア」

 庭の前を、幼稚園生と親御さんが通り過ぎていく。

「ママ見てマユちゃんいた!! マユちゃーーん!!」

 幼稚園児が怪異に向かって手を振る。

「グア」

その光景を宏明は唖然と見ていた。

「有名なのか……このカエルは」

「有名なんじゃないですか? 可愛らしいカエルさんですもの」

「だからってなんで我が家に……」

 すると宏明は、祖父の遺書に『くれぐれもマユちゃんのことを頼む』と書いてあったのを思い出した。

 ……この化物のことじゃないよな……?
 そんなはずがない。娘のことに決まっている。

「あなたそんなに悩むことですか? 家の庭にカエルさんがいることぐらい」

「パパ、カエル怖いの?」

「怖くない。…… ……あーいや……なんか怖くなってきた。カエルというかこの状況が」

「何をおっしゃってるの? そんなことをいっったってこれが現実なんですから。駄々こねてないで受け入れてください。さあ朝ご飯にしましょう。麻由もカエルさんに触ったらちゃんと手を洗いなさいね」

「はーい。じゃあね! あとでねマユちゃん!!」

「グア」

 宏明は微動だにしない堂々とした身の丈4尺半ほどのカエルの背中を見た。
 少なくとも今すぐ家族に危害を加えるようなことはないようだ。
 だが、明らかに異形な怪物としか言えない生物を前に、現実を受け入れろと妻に言われても飲み込みきれない自分がいた。
 望む望まぬに関わらず、このようにして鈴木家の新生活は始まった。
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