カエルのマユちゃん。

SB亭孟谷

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決闘

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 宏明は熟考の末、麻由には今朝のことは伏せておこうと思った。

 麻由は繊細で弱虫な子だ。余計な心配は与えたくなかった。

 そんな子に、「大男ほどの巨大ザリガニに決闘を申し込まれてる」と言えるわけがなかった。やはり警察に相談するべきだ。

「麻由? お手紙が届いてるわよ」

「えー? 誰からー?」

「かわいいザリガニちゃんからですよー」

 宏明は思わず、口に含んだばかりのコーヒーを吹き出した。新聞とテーブルが汚れる。

 ……いつも穏やかな靖子の、堪忍袋の緒が断裂するタイミングは決まって嘘をつかれた時、そしてお気に入りにのテーブルを汚された時だ。

「…… ……宏明さん……?」

「ぶ…… ごめんなさい!! ごめんなさい!! でも、言っちゃうんですか!? あのザリガニのこと!!」

 宏明は半分泣きながら、「フキン」でテーブルを水拭きした。

「ザリガニ? なんの話ー?」

「朝、立派なザリガニちゃんが訪ねてきたのよ。それで麻由にこれをって」

 靖子はテーブルの下で宏明を蹴りながら、果し状を麻由に手渡す。

「…… ??? なんて書いてあるの?」

「麻由に、『友達になってください』っていうことよ」

「違いますよね!?」

 宏明は、重曹とセスキソーダで浸したキッチンペーパーを、テーブルの幹部に押し当てながら答えた。

「あら。でも麻由はザリガニ好きでしょ?」

「好き!! 友達になりたい!! なんで起こしてくれなかったの!?」

「あれはザリガニじゃなくて妖怪の類だからです!!!」

 宏明は、コーヒーの「しみ」がこびりついた部分を、サンドペーパーで軽くやすりがけした後、ワックスでテーブルを磨きながら答えた。

「今日の夕方にもう一度会いにくるみたいよ。会いたい?」

「会う!!!!」

「お父さんの話を聞いて下さい!!」

「あなた、テーブルの周りをちゃんと掃除して下さいね。私は麻由を学校に送っていきますから」




 夕方は、一瞬にしてやってきた。
 宏明はいてもたってもいられず、上司に頭を下げて残業を断り帰ってきた。

 雨はすっかり上がり、真っ赤な夕焼けが松原の庭を照らしている。

「来ないね」

「そろそろ来るんじゃないかしら?」

 麻由と靖子は、乾いた芝生の上にしゃがんで、庭の通りの先を眺めている。
 宏明は落ち着きなく、会社から持ってきた「さすまた」を握りしめている。

 ややあって、ほら貝の笛の音が「ブオオオ」と遠く、隣町は赤堤の方向から聞こえてきた。

「あれかしら」

 夕日をバックに、鉢巻を巻いた赤いアメリカザリガニが、砂ぼこりをあげ、ほら貝を吹きながら鈴木家の庭にカサカサと駆け寄ってくる。

「ヤアヤア!!! それがしは赤堤の名家は嫡男!! 春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!! (ブオオ!!)
 ヤアヤア!! 鈴木家に仰ぐ名誉に我が心、武士としての矜持が震え申した! 鈴木家に恨みはござらんが! 拙者は義の為に立たねばならぬがゆえ!! (ブオオ!!)
 お相手いたす!!!」

「まあまあ、相変わらず賑やかですね」

 こちらに走ってくるザリガニを、外を歩いている幼稚園児が指を刺して笑っている。

「ママ見て!! バルちゃんがきた!!」

「ほんとだー。久しぶりね」

 カサカサと、身の丈6尺はあるアメリカザリガニが、鈴木家の庭の「しきり」を器用に登り、そして器用に降り、麻由と靖子の前に立つと両のはさみを誇らしげに宙にかかげた。

「御免!! 拙者、春崎藤右衛門と申す!! マユちゃんはおらぬのか!! 決着をつけに参った!!」

「初めまして!! 鈴木麻由です!!!」

 麻由がザリガニの前に出て、宏明はさすまたを構えた。

「やや!! これは、お初にお目にかかる!! 拙者、春崎藤右衛門と申す!!」

 ザリガニは硬い胴体の部分を精一杯曲げて、麻由に会釈をした。

 会釈をしながら右のハサミで「ドウモ ドウモ」というジェスチャーをしている。

「出会いを祝して、拙者のお家芸である『浪花節』を披露したいところではあるが、拙者は今決闘中の身故、ご勘弁願いたい!!」 

「私が麻由よ!!」

「むむぉ!!」

 ザリガニが、硬い胴体を精一杯曲げて麻由に顔を近づけた。
 宏明は額に大粒の汗をかきながら、刺股を構えている。

 ザリガニはしばらく麻由の顔をジーっと眺めたのち、元のポーズに戻った。

「マユちゃんめ!! 拙者に恐れをなしたか!! かような幼き女子を影武者に仕立てるとは卑怯千万なり!!」

 気がつけば、鈴木家の庭の周りには数人、人だかりができていた。
 不思議と誰も、動画を撮るものはいなかった。宏明には信じ難い光景だが、皆迷惑やら、恐怖心といった感情はなく、大道芸でもみにきたかのような表情を浮かべている。
 ここいらでは、このザリガニはちょっとした名物なのかもしれない……。

「違うもん! 私が麻由だもん!!」

 するとザリガニは、ハサミを顔の前で左右に振った。

「かような小さき体で立派に影武者を務めんとするその姿勢! まさに武士の鑑なり! 拙者、感嘆を禁じ得ず、
 思わず拙者の十八番(おはこ)『伽羅先代萩 政岡忠義の段(めいぼくせんだいはぎ まさおかちゅうぎのだん)』を披露したいところではあるが、
 拙者、修行中の身故女人との接触は慎みたく存ずる! 拙者! 赤堤の志士、春崎藤右衛門でござる!!」

「えー!!」

 その時である、鈴木家の庭の離れにある、『マユちゃんの小屋』から……

「マーーユーーー」と声がしたのだ。

「むぉ!! その声は!!!!」

 小屋から、4尺の巨大なカエルがのっし、のっしと出てきた。
 西日が眩しいのか、起きたばかりなのか、目を閉じている。

「あ!! マユちゃん!!」

 麻由がカエルに駆け寄り、頭を撫でた。

「グォア」

「居たんだね! マユちゃん!!」

「ヤアヤア現れよったわ!! 我が宿敵! わざと決闘時間に遅れ、あまつさえ影武者まで立てよって!
 決闘相手を苛つかせる! これぞまさに宮本武蔵の巌流島で用いた兵法なり!! 敵ながら天晴である(ブオオオ!!)」

 ザリガニがほら貝を吹いた。
 外野に集まった人々がざわつきはじめた。拍手をするものまで現れる始末だった。

「まあ! 皆様どうぞどうぞお庭にいらして。汚い庭でお恥ずかしいけれどお茶ぐらい出しますわね!」

 靖子がエントランスの受付係を買って出ている間、宏明は状況が全く飲み込めずただただ呆然としていた。

「グア」

「敵手が現れたからにはこの春崎藤右衛門! 逃げもせぬ隠れもせぬ! 我が背の後には吉報を待ち望む多くの家臣が待っておる!
 あ、勝負ーー!!!」

「グオ」

 会場が拍手で包まれた。「頑張れ! マユちゃん!!」という声まで聞こえてきた。

 カエルとザリガニの決闘は、このようにして始まった。

 
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