爺ちゃんの時計

北川 悠

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新一の意識

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(この章は物語の性質上、多元視点としています。尚、新一の声は『』で表されています)

 目が覚めると隣に上田がいた。ここは何処だ? なにがあった? もう一度目を閉じると、少しずつ記憶が蘇ってきた。そうだ、上田と走っていた。そしてどうした。もう一度目を開ける……
「相良、気が付いたか。良かった。どうだ、何処か具合の悪い処はないか?」
「大丈夫だ。俺はどうした? 貴様と走っていたのだと思うが……」
「貴様、覚えていないのか?」
「なにがあった?」
「地獄の石段を上った後、急にふらついて倒れたのだ。貴様、最近寝ていないだろ! 無理するからだ! 体調管理がなっとらん。貴様の体調次第では出撃を代わるからそう思え」
 厳しい口調であったが、上田は本気で自分の事を心配してくれている。解っている。体調管理がなっていない。死は近い、だがその日は万全の体調で臨みたい。
「すまない、貴様のいう通りだ。だがもう大丈夫だ」
 そう言って相良は起き上がろうとしたが、まだ軽い眩暈を感じる。
「無理するな。この後の訓練は止めておけ。俺から説明しておいてやる」
「いや、順番を後にしてもらってくれ。もう少し休めば大丈夫だ」
 相良は、あの何とも言えない不快感に悩まされ、ここ最近は寝不足が続いていた。
「まあいい、貴様が大丈夫だと言うならいいだろう。後で誰か呼びに来させる」
「上田、すまない」

 二時間後、発射訓練場には相良の的が用意されていた。
「相良少尉、お身体は大丈夫ですか?」
 声をかけて来たのは高野整備兵だった。
「大丈夫だ。では頼む」
 相良は回天に乗り込んだ。既に慣れ親しんだ鉄とオイルの臭いが漂っている。

「発動手順開始!」
 毎度の事だが、相良は気持ちを引き締めた。
「電動縦舵機起動―ベント弁閉鎖―金氏弁閉鎖―操空塞気弁全開―縦舵機発動弁全開―縦舵機排気弁全開―安全逃気弁閉鎖」

 真っ暗な暗闇の向こうから声がする。
 誰だ? 誰かがしゃべっている。何も見えない……

「潤滑油導水弁全開―燃料中間弁全開」

 声は続いている。なんの事だ? 何をしている?

「起動弁全開―人力舵―面舵一杯取舵一杯舵中央―海水タンク調整弁閉鎖」
   
 相変わらず意味不明な言葉が続いているが、薄っすらと周りの情景が見えて来た。ここはどこだ?

「調速―調深―特眼鏡作動確認」
   
 狭い空間に、何やらメーターや配管が並んでいる。
 それを操作している人物の手が見える。声を発しているのはこの人なのか? 何だ? これは自分なのか? いや違う。誰だ? ここは何処だ? 新一は叫んだ。だが、それは声として音を発しなかったし、自分の肉体である感じがしない。何がおきている。夢?……そうだ、女の子……風船を持った女の子……転んだ……そうか。それで気を失ったのか。

「ケッチ―良し―深度導水弁全開―時計―整合―発進用意終わり。上部ハッチ閉鎖」

「上部ハッチ閉鎖」
 別の声がする。

「回天発進準備」
「ハッチ―良し―人力舵―舵良し―調深―良し」

 何? 回天? ここは回天の中なのか?
 そんなバカな……夢? 夢にしてはリアルすぎる。今や視界はハッキリとしている。見た事がある……そうだ、ここはまさしく回天の操縦席だ。つい先ほど、記念館で見て来たばかりだ。本物? そんなバカな……

「調速―良し―特眼鏡―良し―斜進―良し―傾斜計―良し」

 確認の声はまだまだ続いている。いつまで続くんだ?

「起動弁―良し―燃料中間弁―良し―応急ブロー弁―良し―縦舵機排気弁―良し―深度導水弁―良し―操空塞気弁―良し―縦舵機発動弁―良し」

 頭を整理してみよう。
 自分は回天記念館を見学した後、秀美ちゃんと一緒にフェリー乗り場に向かっていた。そこで、倒れそうになった女の子を助けようとして、その子を抱えたまま転んだ……そこまでは確かだろう。女の子はどうした? たぶん無事だろう。あのまま転んだところで、せいぜい擦り傷を作っただけだろう。余計なおせっかいをして自分の頭を打ったのだ。いずれにしろ自分の腕の中にいた女の子に怪我はないだろう。

「潤滑油導水弁―良し―海水タンク注水弁―良し―海水タンク排気弁―良し」

 その次が今の場面だ。
 夢……ではなさそうだ。そもそも夢の中で、これは夢なのだと思った事など一度も無い。

「海水タンク中間切換コック―良し―内圧排気弁―良し―気筒溜水排除弁―良し」

 これは現実に起きている事なのか? だとしたら、自分は今何処にいる? 回天の中? であれば、この回天を操っているのは誰だ? 自分が回天を操っている訳ではない。自分と同じ視界で同じものを見ているこの人物か? 多分そうだろう。自分は何処にいるのだろう? この人物の頭の中? 正確には自分の、新一の意識がこの人物と同化している……確証はないが、そう考えるのが一番納得がいく。しかも、それは一方通行らしい。時はいつだ? この回天が現実のものだとするならば……昭和十九年か二十年か……あり得ない……

「回天発進!」
 ゴオーという音とともに回天が発進した。いや、発進したのだという感覚が伝わってくる。五感で感じるのではない。感覚だ。表現はできないが、感じるのだ。
 新一は今、自分の置かれている状況をもう一度整理してみた。そして大変な事に気が付いた。
自分は今、回天の操縦席にいる。誰が操縦しているのかはわからないが、自分もここにいる。少なくとも自分の意識は……そして回天は発射されたのだ。ここは何処だ? 海の中という事は間違いないだろう。
 この回天は何処に向かっている? 敵艦? アメリカの艦隊? ではもうすぐ爆発するのか? そうしたら自分はどうなる? 死ぬ? いや、そもそも自分の肉体はここにはない。少なくともこの回天を操っているのは自分ではない。
 爆発したら、目が覚めるのか? そうだ。そうに違いない。だがまてよ……爆発と同時に自分も消えてしまうのかも……そうしたらどうなる? そもそも自分の肉体は? 現実の世界……この世界も現実なのかもしれない。だが、秀美ちゃんと一緒にいた山口県の大津島、あそこにいた自分はどうなったのだろう……まさか死んだ? 死んだ事によって、意識だけこの時間に飛んだのか? そんな事……あり得ない……
『ねえ、君は誰? ここは何処? 回天の中?』
 新一は、この人物に話しかけてみた。と言っても声に出したのではない。そもそも声など出ないのだ。自分の姿も見えないし、物理的な感覚もない。心の声、とでも言えばいいだろうか、とにかく話しかけてみた。というよりは想ってみた。といった方がいいだろう。
 一瞬、動きが止まったような気がした。聞こえたのか? もしかして通じた?
『ねえ? 聞こえたの? 僕の声が聞こえていますか?』
 また、動きが止まった。聞こえている。自分の言葉がこの人物には聞こえているのだ。確信は無かったが、新一はそう感じた。
 ひょっとしてこの人は……爺ちゃん? 爺ちゃんなのか? かなりSFチックで、とても現実の事とは思えないが、現にこうして今、自分は回天の中にいる。新一が、新一の意識がこの時代に飛ばされたのだとしたら、何かきっかけがあるはずだ。だとしたらそれは回天だ。爺ちゃんに回天の話を聞いて大津島にきた。そこで事故にあい……突拍子もない考えだが、現実に自分の意識がここにある以上、そう考えるのが一番理にかなっている。
『ねえ、聞こえてる? 俺、新一だよ。爺ちゃん? 爺ちゃんなの?』
 やはり返事はない。
 そうか、この時代の爺ちゃんは十八か十九歳だ。自分は新一だと言ってもわかるはずがない。
『あなたは、もしかして柳原賢一さんではありませんか?』
 また一瞬、操縦士の手が止まったが、やはり返事は無い。違うのか?……そうか、そう言えば爺ちゃんの回天は故障で出撃出来なかったと言っていた。爺ちゃんじゃないのか?

「貴様はいったい誰だ! 何処にいる! 何を言っているのだ! 俺の頭がおかしくなったのか」
 とうとう我慢が出来なくなり、相良は声に出して叫んだ。

 聞こえている。一方通行じゃなかった。この人物に新一の心の声は届いていたのだ。

 洋上を航行する目標に向かって行く訓練。本来であればUターンして、二度行う事になっていたが、相良は一回で引き返した。
 自分は頭を打ったのだ。そして、今の不安定な精神状態、更には寝不足。それらが重なり、奇妙な声が聞こえるのだ。
 精神医学や大脳生理学の分野において、しばしばそういった事象が報告されている。実際には聞こえていない声を、あたかも聞こえているかのように大脳が錯覚するのだ。酒や薬物による幻覚や幻聴も、そのたぐいである。
 この世に幽霊は存在する。そう言った同級生の言葉を論破する為に、大学の図書館にこもって、調べた事がある。間違いない、俺は疲れている。相良は頭の中で響く奇妙な声を無視する事に決めた。

「相良少尉、二回のはずですが、故障ですか?」
 高野整備兵は心配そうに、ハッチの中を覗き込んだ。
「すまない。的の調子は良好だ。私の調子が優れなくてな、いや心配には及ばない。少し休めば楽になる」
「そうでしたか、お大事にしてください」
 高野は敬礼して相良を見送った。

 そうか、訓練だったんだ。そうか、うんそうか。新一は納得した。と同時に大きな不安が現実となった。
 自分は今、大津島にいる。目の前に見えているのは今日、秀美ちゃんと一緒に見たばかりの魚雷発射試験場だ。しかしそれは、新一達が見た、あのコンクリートの骨組みだけでなく、しっかりと建物として機能している。令和の時代には無いはずのクレーンも明らかに現役で機能している。
 ここは……太平洋戦争末期の大津島だ……
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