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日常編
第一話 ボストンでの出会い
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「だめだ。もう死んでる。」
1942年11月、ガダルカナル島。そこは屋外というのに、血の臭いと死臭で充満していた。米兵の圧倒的な攻撃に太刀打ちできなかった日本軍の歩兵隊は、まるで虫ケラのように殺されたのだ。家畜を殺すが如く銃弾の的になった者もいれば、蟻が人間に踏み潰されるが如く戦車の下敷きになって死んだ者もいた。要するに血溜まりの地獄だ。そんな戦いが繰り広げられてから一夜明けた後、ある米兵の1人が、自分の仲間の死体を見つけた。自分の同胞の死体くらい、兵士として戦争に参加している以上、数えられないほど見てきた。現に今も、自分の足元には味方か敵かも区別がつかないほどの数多くの死体が転がっている。しかしその中に1体だけ、彼の目が惹きつけられた死体があったのだ。だから「見つけた」のである。その死体は、敵兵であるはずの日本兵の上に覆い被さっていた。しかし他の死体と違うところがあった。その死体だけ、まるで下にある日本兵の身体を、これ以上傷つけさせまいと守ろうとしているかのように、大事そうに被さっていたのだ。米兵は、その仲間の死体を退かしてみた。すると彼の右手から1人1台支給されている拳銃が落ちてきた。そして顔の方見てみると、右の側頭部に風穴が空いている。
「……自殺?」
戦争の惨状に耐えきれなくなって自殺する兵士は数多い。だからコイツもその類なのだろうと、そう思った。しかしやはり、日本兵に覆い被さっていたのがどうにも引っかかる。モヤモヤとした気分が晴れないまま、その米兵は上官に呼ばれ、その場を後にした。そしてその日限りで、その同胞の死体のことを思い出すことは二度となかった。
2030年3月、愛知県名古屋市。ここに昔からの大地主で大富豪の名家、如月家の豪邸に招かれた1人の男がいる。その男の名は青井海16歳。名前の通り、海のようにキレイな青い髪と目の持ち主だ。如月家豪邸のリビングで渋めのお茶と高級そうな茶菓子を頬張りながら、彼はそんなキレイな目を泥水のように濁らせていた。何せ無茶な依頼を如月家の当主、如月政由如月政由に申し込まれていたからだ。
「え………妹さんがアメリカで放浪してるから連れ戻してほしいって……いや、なんで俺に?!いろいろ突っ込みたいことあるんですが、普通に嫌ですけど??」
「そこを何とか…お願いします、海君。妹が一昨日リビングのテーブルの上に書き置きだけ残して消えてしまい、私たちも混乱しているのです。以前から勝手にフラッと居なくなって、一人旅に出てしまう子ではありましたが…今回は国外だなんて…。とても心配で夜も眠れません。海君はお婆さまがアメリカのボストンにお住まいですよね?また英語も堪能だとか。だからこれは海君にしか頼めないのです。どうかよろしくお願い申し上げます。」
政由は海に土下座の形で深々と頭を下げた。
「ちょ…頭上げてくださいよ…。確かに俺、英語が母国語だから喋りやすいですけど…。」
海は困り果てた。政由には普段からお世話になっている身なので、彼からの頼みを無碍にはできないのだ。政由は海の住んでいるシェアハウスのオーナーである。その縁もあって夕飯のお裾分けを貰ったり、家賃の支払いに融通を利かせてもらったり、とにかく色々と世話になっているのだ。なので海は彼からの頼みとなれば断りづらい。そうこうしているうちに、奥の書斎部屋から如月家次男、如月忠由がリビングへ入ってきた。彼は政由の双子の弟である。線の細い政由とは違い、筋骨隆々な彼は、部屋に入ってきただけで随分と迫力がある。ちなみにその勇ましい体つきと彼の豪快な性格に、同じ男として海は密かに憧れを抱いている。
「政由、海君を呼んで何をしているんだ?」
「忠由、ちょうどいいところに!忠由からも海君にお願いして下さい。」
「あ、我が妹の件か!そういうことなら…海君、俺からも頼のむ!」
忠由も政由の隣で頭を下げた。
「ちょ…忠由さんまで?!あ、頭上げてください!困りますよ!」
「もちろん渡米代、宿泊代、現地でかかった費用代、全てお支払いします。さらにそれ以外にかかったものがあれば、それも全てお支払いします。それと…」
「それと?」
「海君がずっと欲しがっていると聞きました、ティーゼルの腕時計をお礼にと思っていたのですが…。」
「……行きます。いや、行かせてください。」
最終的に、物に釣られたのであった。
如月邸に呼び出されてから2日後(正確には3日後)、海はローガン国際空港に降り立っていた。日本からまさに13時間の長旅だった。
「あーー体がバキバキする!やっと着いたぜ。でもばーちゃん家がボストンにあるから、荷物少なくていいし、ちょっと楽だったな。」
海は如月家の妹を探す1週間の間、ボストンの祖母の家に泊まることになった。依頼を受けてからすぐに祖母に連絡をしたところ、是非泊まりに来てくれと大喜びされた。
「さてと、まずは近くの交番にでも訪ねてみるか。絶対不審がられるだろうな。」
海は事前に政由から受け取った妹の写真を持って、まず交番に向かうことにした。それが人探しにはおそらく一番無難だし、それしかあまり方法が思い当たらなかったからだ。そしてボストンの交番に向かう理由がもう1つ…例の妹の残した書き置きには、アメリカのボストンに行ってくるとあったからだ。何故ボストンなのかは不明だ。
「しっかしこれしか写真がないって、どういうことよ。結構ボヤけてんなぁ…。」
政由から手渡された妹の写真はかなり不鮮明なものであった。一番重要な彼女の顔も遠目から撮ったような写真で、よくわからない。もっと他の写真はないかと尋ねても、彼女は写真を撮られることをひどく嫌っているらしく、これぐらいしか写真はないとのことだった。
「こんなんでわかる奴いるのか?絶対わかんないだろうな。」
海は早々に諦め気味だった。取り敢えず手荷物受取所で小さめのキャリーバッグだけ受け取って、空港を出た。スマホから地図アプリを起動し、近くの交番を検索した。すると今いる場所から5キロ離れた所に最寄りの交番があることがわかった。
「結構距離あるな。運動だと思って行くか。」
ひとまず荷物だけ祖母の家に置いておこうか迷ったが、祖母の家までは空港から車で1時間くらい掛かるので、面倒臭くなって辞めた。それよりも適当にやれることだけやっといて、残りは久しぶりの故郷満喫を楽しもうと思っていた。何せ今回の渡米費用は全てタダなのだ。海は自動販売機でオレンジジュースを買い、交番へ向かった。その時にいつものノリで、財布をパンツの後ろポケットに入れてしまった。それがいけなかった。ジュースを買ってから約3分後、海の顔は真っ青になった。
「無い!しまった!財布スられた!」
日本と違ってここはあまり治安がよろしく無い。外国から来た平和ボケしている観光客を狙う輩が、空港周りや観光スポットには沢山いるのだ。海は数分の間に運悪くポケットから財布を盗られてしまった。
「ヤッベ…クレジットカードとかも入ってたのに…。一旦ばあちゃんに連絡して迎えに来てもらうか…。いや、それよりも交番に…。」
海が今後の先行きに不安を感じていたその時、後ろから日本語で声をかけられた。
「オニーサン、日本人?今財布無いって焦ってたでしょ?ほい、これ。」
凛とした女の子の声だった。反射的に振り返ると、日本人の小柄な女の子が、海の財布を差し出して立っていた。彼女の目は黒曜石のようにどこまでも黒く、海はその目を見てドキリとした。
「いや、運悪かったね。でも私が現場見ててよかった!スリから取り返しといたから。」
「え…マジで?あ、ありがとうございます!!」
海は嬉しさのあまり一気に涙が出そうになった。海は彼女から財布を受け取った。
「でもすごいですね。スリから取り返すなんて…。」
「まぁ、ちょっとね。ノシといた。」
「え……どういうこと?」
海が女の子のさらに後方を見ると、道のど真ん中で海の財布を盗ったであろう大男がグッタリと白目を剥いてノビていた。恐らく身長が女の子の1.5倍はある男だった。大男の周りでは野次馬が騒いでいた。
「嘘…。アレ、やったの?」
海は自分の目を疑った。彼女は武術の使い手か何かなのか?こんな小柄で色白で、見たところ中学生くらいの女の子なのに?
「うん。顎に蹴り入れて一発。弱かったよ。じゃあ私はこれで。」
「あ!!待って!!何かお礼を……。」
女の子は特に何でもないという様にその場を去ろうとしたので、海は慌てて引き止めた。流石にもう二度と会わないであろう相手に借りをつくったままでは、夢見が悪いものである。しかし女の子は海の提案を拒否した。
「あぁ、別にお礼とかいいから。」
「いやいや、そういう訳にも…。」
「う~ん、じゃあ…昼ご飯、奢ってくんねぇ?もう12時じゃん?お腹ぺこぺこでさぁ。」
「もちろん!そんなので良ければ!」
大男を倒したという彼女を引き止めるのは少し勇気が必要だったが、やっぱり引き止めて良かったと、海はそう思った。しかしその思いはすぐに崩れ去ることとなる。
「めっっっちゃ食いますね。」
「うん、だから言ったじゃん。お腹ぺこぺこって。」
こんな細くて小さい体のどこに入るのかというくらい、彼女はサンドウィッチをハムスターの様に頬張っていた。彼女が今口に入れたサンドウィッチは4皿目。つまり4人前の量をペロリと平らげたのである。お昼を奢ることになって、近くの小洒落たカフェに入った2人は、海はコーヒーとアイス、女の子はBLTサンドウィッチとカフェオレを頼んだ。しかし1皿目を食べ終わった後女の子は「まだ足んねぇ」と言うと、次はローストビーフのサンドイッチ、次はシーフードのサンドウィッチと次々に注文していった。ただでさえアメリカは日本と違って1人前の量が桁違いに多いというのに、女の子は掃除機のようにサンドウィッチを体内へ吸い込んでいった。吸引力の変わらない掃除機である。海はその様子にただただ絶句していた。ここのカフェ、オシャレなのもあって値段が1品1品が少し高めに設定されている。たかだか昼ご飯代だけで合計で何ドルになってしまうのか…考えるだけでも嫌な予感しかしない。海は自分の考えを払拭する様に、話題を逸らした。
「ところでさ、観光でアメリカ来てるんですか?」
「うん、まぁそんなとこ。」
「親御さんは?」
「あ~そこら辺にいるんじゃないかな。」
何とも微妙な返事である。というか、そこら辺にいるならば、早く戻った方がいいのでは?
「ごちそうさまでした!」
女の子はようやく満足した様で、笑顔で手を合わせた。
「お勘定やっとくから、早く親御さんのところ戻った方がいいのでは?」
「あ~そうだね。そうしよっかな。お昼ご飯、ありがとな。ごちそうさま。じゃあ、もう二度と会うことはないだろうけど、元気でね。」
女の子は席から立ち上がり、海に握手を求めた。海は彼女の名前だけでも聞いておこうかと思ったが、確かに彼女の言う通りもう会うことは無いと思われるので、無理矢理声を引っ込めた。その代わり海も握手に応じようとした。その時だった。海はふと下の方を見ると、自分たちの座っていた席のテーブルの下に、小さい男の子がいることに気づいた。男の子は上目遣いでじっと海を見つめている。見たところ小学校低学年くらいの可愛らしい男の子だ。しかし海は心臓が飛び出るかというほど吃驚した。それもそのはず、海は幽霊やお化けの類が大の苦手なのだ。16歳の誕生日、海は突然霊感が覚醒したのか、この世でないものがはっきり見えるようになった。しかも厄介なことに、生きているモノと区別がつかないくらい、この世のものではないモノがはっきり見えるようになってしまった。これは大変珍しいことなのだろうが、元々ホラーが苦手な海にとって、ただただストレスでしかない。
「うわぁ!!!え!何で??!」
女の子の方も何事かとテーブルの下を覗いた。
「あ、いるね。迷子かな。迷子って英語でどう言うんだ?」
男の子は頷いた。
「迷子?!迷子か…。迷子はLost child。英語分かるし俺が喋るよ。」
海は心から安堵した。女の子にも見えるということは、幽霊ではないということだ。海が英語で男の子に話しかけると、男の子は机の下から出てきた。先程の海の言葉に頷いたので、どうやら本当に迷子らしかった。
「困ったな…家わかる?とか聞いても全然答えてくんねぇ。本当に何にもわかんないみたいだな。交番に連れて行くか…。ていうかここのカフェにいねーの?」
「交番はやめといた方がいいよ。」
「え?何で?」
「面倒臭いことになる。」
海は女の子の言っていることがよく分からなかった。
「しょうがねぇ、これも何かの縁か。私も付き合うからさ、一緒にこの子の親探そうぜ。」
女の子はそう言って、男の子を安心させるよう、笑顔で彼の手を握った。海も迷子の男の子を見捨てるほど、外道ではなかった。
「そうだな。そうしよう。」
とは言ったもののどうすればいいのか。取り敢えずカフェの店員に子供を探している客はいないか聞いてみたが、そんな人はいないと返ってきた。カフェから出た後、海は地図アプリを開いた。
「分かる範囲でいいからさ、どこら辺に家があるか分かるかな?」
男の子にボストン全体が映っているスマホの画面を見せ英語で尋ねると、少し迷った後、彼はビーコンヒル辺りを指差した。ビーコンヒルとはボストンでも高級住宅街で、昔から上流階級の人が住む場所である。
「え、ここら辺?いいところ住んでるじゃん。じゃあ取り敢えずここに向かうか。もしかしたら思い出すかもしれないし。」
「遠いの?」
女の子が海のスマホを覗き込んで尋ねてきた。
「いや、そんなに遠くないな。地下鉄で行けるくらい。小さい男の子だし、行動範囲は限られてるよな。」
3人は最寄りの駅、ローガン空港駅からグリーンラインに乗ってマサチューセッツ州議事堂前まで来た。およそ20分程で到着できた。しかしこのわずか20分の間で、海には不安が募っていた。
「この子…切符買わなくても乗れちゃったんだけど、大丈夫なのか?まさか、子供料金とかでタダだったとか?」
男の子だけ何故か無賃乗車できてしまったのである。しかし海とは対象に、女の子はどうでもよさそうだった。
「別に乗れたんならいいんじゃね?きっと無料だったんだよ。ほら、世の中少子化じゃん?これぐらいのサービスやんないと。」
「え、そういうもんなの?俺しょっちゅうボストンに来てる訳じゃないからそこまでわかんないんだよね。…まぁいいか。」
「そうそう。そんなことよりさ、ビーコンヒルってどこなの?」
「あ、もうここら辺一体がビーコンヒルだよ。」
そこには石畳の道とレンガ造の家並みが続いていて、静かで心が落ち着く、とてもキレイな街が広がっていた。まるで御伽噺に出てくるような街だ。住宅の他にもアンティークショップや、いかにも敷居が高そうなレストランがあった。
「うわぁ、きれー!」
女の子は目を輝かせた。海にとってはこの付近に彼の祖母のお気に入りの店があるので、ボストンに訪れた際は必ず行く場所となっていた。それゆえにそこまで新鮮には思わなかったが、確かに初めて来た人にとってはとても素晴らしい街に見えるに違いなかった。
「さてと、ここまで来たけど、お家思い出せないかな?」
海は男の子の目線に合わせて、優しい英語で尋ねた。しかし男の子は不安そうに首を横に振った。そしてカフェからずっと繋いでいる手を、より離さないように強く握った。
「マジか、もう絶対分かると思ったんだけどな。」
海は頭を掻いて困った顔をした。実際ここの議事堂はボストンの中でもかなり有名な場所だ。ここまで来れば、芋づる式に家の場所を思い出せるものだと、そう踏んでいたのだ。
「え、何?家分かんないって?」
「うん。そうみたい。」
その時、今まで何も喋らなかった男の子が聞こえるか聞こえないかくらいかの声で口を開いた。
『この大きな建物は覚えてるんだけど…道がわかんない…。』
「え!喋った!」
海は軽く感動した。
「え、この子何て言ったの?」
せっかく男の子が口を開いたが、英語だったので、女の子にはさっぱりわからなかった。
「このでっかい議事堂は覚えてるって。でも道がわかんないらしい。まぁ確かに似たような建物や道ばっかだもんな。」
「一件ずつ回って行くのは効率悪すぎだよな。例えばさ、家の近くにこんなお店があったとか覚えてない?」
彼女の言ったことを、そのまま海が英語で尋ねた。
『僕の家の前に、お人形屋さんがあるよ。可愛い服着た女の子や、兵隊さんがたくさんいるんだ。僕、そこに一度だけ勝手に入って怒られたことある。』
「人形屋って…おもちゃ屋ってことかな。」
男の子は一度喋ったことで緊張が解れたのか、人形屋での話を続けた。
『後はね、クマとか、ウサギとかの人形もあった。だけどね、いっぱいある人形さんの中で、1つだけ僕のお兄ちゃんに似てるのがあったんだ。』
「へぇ~そんなのなかなかないよ。すごいね。」
『うん!お兄ちゃん3年前に死んじゃったから、この人形絶対欲しいってママに頼んだんだ。そしたら誕生日に買ってあげるって言ってくれたの。』
「え…そうなんだ。」
こんな小さい歳でもう兄が死んでいるとは…海は居た堪れない気持ちになった。
「それで人形は買ってもらったの?」
『約束したのに、結局買ってくれなかった。だってその時僕逸れちゃって、パパはいなかったし…ママとも一緒じゃなかったから。』
「え…それってどういう…」
海は彼の言うことに違和感を感じ、聞き返そうとした。しかしそれと同時に、いつの間に海のスマホを取ったのか、女の子がビーコンヒル周辺の雑貨屋を見つけた。
「お!例のおもちゃ屋か?ここ行ってみようよ。」
彼女が海に見せたのは、ここからさらに数kmはある小さい雑貨屋だった。
海は日が暮れないうちに男の子を送り届けたいため、随分早足で歩いた。しかし途中で散々道に迷った挙句、明らかにこの世のものではないモノからじっと見つめられ、恐怖心のあまりその場から動けなくなったり、女の子が喉乾いたと言うのでスーパーに寄ったりして、正味2時間はかかった。たかだか数kmの距離だというのに。
普段から特に運動していない海は、かなり疲弊していた。しかしそんな海とは対象的に2人は、特に疲れているという様子ではなかった。
「はぁ…こ…ここら辺だよなぁ?まだ着かねーの?」
「うーん、地図によると本当にここら辺なんだけどな。」
「お店らしい建物なんてどこにもねーし…まさか、今日は閉店してるとか?」
「それはあり得るな。うーん、でもな…」
「でも…何だよ。」
「いや、検索してる時何かおかしかったんだよ。それまで全然雑貨屋なんてヒットしなかったのに、その店だけ急に引っかかったから。」
「偶々なんじゃね?それよりも地図見せてよ。」
海は女の子から自分のスマホを取り上げた。地図を見ると、正しく今3人が立っている場所が、雑貨屋を指し示すマーク地点になっていた。
「え…どゆこと?GPSの調子悪いのか?」
すると、困り果ててる海を見兼ねたのか、通りすがりのビジネスマンが声を掛けてくれた。もちろん英語でだが。
「何かお困りのようですね。道に迷いましたか?ここら辺は観光地ですが、よく道に迷う方がいるので。俺ここら辺地元なので、良ければ案内しますよ。」
「助かった!あの…ここの雑貨屋に行きたいんですが…。」
海は声をかけてくれた男性にスマホを見せた。
「……?」
しかしこの辺に詳しいという男性も顔を顰めてしまった。
「あの…わからないですかね?知る人ぞ知るってところなのかな?」
「いや…GPSは正しくここを指してますし、それよりも雑貨屋なんて画面のどこにも映ってないですよ。ていうか雑貨屋なんてここらへんあったかな?何を調べられてたんですか?」
「え?いや、そんなはずは…。」
海はもう一度スマホを見直した。すると男性の言う通り、雑貨屋の名前で調べていたはずなのに、検索欄が空欄になっていた。
「はぁ!?どういうことだ?!」
気づくと辺りは薄暗くなり始めていた。
「やべ、早く見つけないと….!」
「どこに行きたいんですか?」
「いや、実はこの子の家を探していて…。」
海は男の子の方を見た。男の子は人見知りを発動して、女の子の後ろに隠れた。
「ん?そこの女の子の家ですか?」
「あ、いやいや、その後ろにいる…」
ビジネスマンは顔を顰めた。
「…?え、彼女の後ろになんか誰もいませんけど?」
男性の声のトーンは、冗談を言っているようには聞こえなかった。海はある一つの嫌な考えが浮かんだ。自分にとって一番避けたい考えだ。海の顔はみるみるうちに青くなっていった。青井だけに。
「え、もしかしてさ、気づいてなかったの?」
そこで女の子が海に向けて言った。
「男の子、生きてないよ。」
ビジネスマンが我関せずと言わんばかりに早足で去っていった後、海は女の子の言葉に卒倒しそうになった。
「あ、ああああ!!ゆ…幽霊!!」
海の心に一気に恐怖感が込み上げてきて、2人からすぐさま距離をとった。目にも止まらぬ速さだった。
「え、逆に私気づいているものかと思ってたわ。」
「気づいていたら無賃乗車とか言わないだろ?!」
「あぁ、あれは一種のジョークかなって。」
「そんなジョーク誰も言わねーよ!て言うか俺、側から見たら何もない空間に喋りかけてたってこと?!」
「まぁ、そういうことになるな。周りの人、私たちをヤベー奴らだなってドン引きしてたよ。それも気づいてなかったの?」
「ああ!!全く気づかなかった!!」
女の子は声をあげて爆笑した。それとは対象的に海は泣きそうになっていた。いや、もう泣いていた。
「勘弁してくれよ…フツーに怖ぇんだけど…。あと、お前も幽霊見えるんだな…。」
「うん。物心ついた時から見えてたかな。その調子だと、生きてる人間と全く区別ついてないみたいだな。じゃあ何か能力使えたりする?」
「は…?能力?」
彼女から意味不明な言葉が出た。能力…?何だそれは。
「お前、能力使いの存在も知らねーのか。2018年、ニュースになったじゃん。」
「いや、2018年って…覚えてねーよ、小さ過ぎて。まだ4歳くらいだぞ?」
「お前とか私みたいな強い霊感の持ち主の中で、フツーの人間じゃ到底出来ないことを能力で成し遂げられる奴が稀に出てくるんだよ。所謂超能力ってやつだな。2018年に初めて能力使いが確認された。当時は大きなニュースになったらしい。それからわかってるだけで世界に20人いるかなってとこ。確認されてるだけで…だけど。」
「へぇ…そうなんだ。そんな奴いるんだ…スゲェし何かそれも怖いな。」
そんな漫画の設定にありそうな人間、この世に存在するのかと、海はすこし感心してさしまった。
「あ、俺はその能力使いじゃねぇぞ。」
確かに海は霊感が強いが、そんな人間を超越するような能力は持った記憶がない。今まで普通の人間として生きてきたのだ。しかしそんな海の思いを否定するかのように、女の子は海の足元に目線を下げ、こう言った。
「いや、お前能力使いじゃん。」
「へ?」
海は素っ頓狂な声をあげ、女の子の目線のを追い、自分の足元を見た。すると自分の足元にだけ、石畳でできた小道に雑草が生い茂っていた。雑草により、まるで海が立っているところだけ緑の絨毯が敷いてあるようになっていた。
「うわぁ!!何コレ??!」
海は自分の足元を見て、軽く混乱した。片足上げてみると、靴裏にベットリと苔が付いていた。もちろんこんな光景、生まれて初めてである。
「へぇ、植物を生やす能力なのか。お前、今まで自分の能力に気づかなかったの?」
「これが初めてだよ!?」
「おかしいな。普通は大体先天的に能力は持ってるものだけど。」
「だって俺、16歳の誕生日…大体半年前くらいに急に霊が見えるようになったし…。そもそもそれまで霊とは全くの無縁だったし…。」
女の子は海の言葉に顔を顰めた。
「何だそれ。聞いたことねぇ事例だな。お前は珍しい存在の中でも更にレアな存在ってことだ。」
「それよりも!男の子、どうにかしないと!」
自分が能力使いだったということは確かに驚くべきことだ。しかし今はそれよりも、男の子のことである。今まで話してきた男の子が、今は可愛いとは到底思えない。むしろ怖すぎて、早くここから立ち去ってしまいたい。
「それもそうだな。何か聞き出してよ。私英語分かんねーし。」
「でも…幽霊と喋んの…?」
海はブルっと身を震わせ、心底嫌そうな顔した。
「お前今まで散々喋ってきたじゃねーか!逆に何が怖ぇんだよ。」
「だって…。」
「ヘタレな男はモテねーぞ。」
いい加減にしろと目で訴えかけてきたので、海は意を決して男の子に話しかけた。
「あのさ、その、おもちゃ屋さんなんてなかったんだけど…お家、ここら辺で合ってる?」
男の子は首をキョロキョロ動かし、辺りを見渡した。
『確かにお人形屋さんない…けど…ここら辺、何か見たことある…。』
「マジ?!やっと一歩前進じゃん!」
先程までの恐怖はどこへやら、海はその言葉で表情を明るくした。しかし喜びも束の間、その時不意に海の背後から女性の声がした。海はまた肩をビクっと震わして恐る恐る後ろを振り向いた。そこにはキレイな金髪の背の高い女の人が立っていた。ただし半透明だったが。
『ノア!!本当にノアなの?!』
『ママ!!』
男の子はパッと繋いでいた手を離し、その女性の元へ飛び出して行った。そして女性に抱きつくと、2人は抱き合って泣き始めた。
『ごめんね!怖かったね、辛かったね!もう絶対離さないから!』
『ママぁ~!!会いたかったよ~!!僕ずっと探してたよ!』
海は目の前の光景に、上手く状況が飲み込めずにいた。
「え、やっぱ逸れてたのは事実だったってこと?」
「そのようだな。あの男の子…ノアくんや、ノアくんのお母さんが着てる服ってさ、今の人あんまりきてるイメージないんだけど、どれくらい前の人なんだろ。」
言われて気づいた。確かにノアの服は、白いワイシャツに茶色のベスト、黒い半ズボンとあまり現代の子が着ているような服ではないものとなっていた。海は流行には結構敏感な方だからわかる。ノアの母親は、肩パッド入りモスグリーンのワンピースを着ていた。肩パッド入り服なんて、今着る人はそうそういない。しかしかえって可愛らしくも感じる。
「確かに…。1900年代…とか?」
するとノアの母親が漸く2人に気づいたように、顔を上げた。
『あなた方がノアをここまで連れてきてくださったのですね。本当にありがとうございました。これでやっと安心できます。』
「あ、いや、別に大したことじゃないです。スマホの地図辿ってきただけですし。」
海は急に霊に話しかけられて再び体が固まってしまった。
『お察しの通り、私たちはもう死んでいます。私たちは1930年代、世の中が第二次世界大戦一色に染まってきた時の人間です。』
ああ通りでその服を着ているわけだ、と海は納得できた。
『世の中は混沌としていました。今のように物に恵まれてもいませんでしたし、生きることに必死でした。それでも私たちの家庭は幸いにも裕福な方でした。しかし最悪なことが起きてしまったのです。』
「最悪なことって?」
『私たちの長男のマイケルが戦死してしまったのです。1941年のことでした。それから私たちの家庭もだんだん崩れていき、長男の死の2年後、夫は心を病んで自殺してしまいました。彼は長男であるマイケルにとても期待していましたから…。私はノアと2人きりとなってしまい、大きな収入もなくなって、ここから去るしかなくなりました。しかしそこからも最悪なことが起こってしまったのです。』
「ノアくんと逸れちゃったってことですか?」
ノアの母親は頷いた。
『当時私たちは逃げるようにここを去ろうとしていました。周囲から夫に先立たれ没落した女という目を向けられていましたので…。今みたいに女性に仕事なんてあまりなかった時代ですから、もっと都心に出ないといけなかったんです。その引っ越しの最中にノアと離れ離れになってしまいました。私がちょっと目を話した隙に、いなくなってしまったのです。』
「え、そんなことってあるのか?普通すぐ見つかりそうなものだけど。」
「攫われたんだよ。」
女の子が海の隣に来て言った。
「え?犯罪に巻き込まれたってこと?」
「それは違う。それだったら今のノアくんの姿が違うはず。あまり良くない感情を溜め込んでいる幽霊は、大抵死んだ時の姿で出てくるから。犯罪に巻き込まれたなら血だらけの酷い姿とか、精液まみれでアザだらけな姿とか…。でもノアくんはキレイな状態だろ?私日中彼をよく見てたけど、見た限り何にも跡とか傷はなかった。」
「サラッと恐ろしいこと言うなよ…。」
海は女の子の言葉に寒気を覚えた。
「だから生きている者に誘拐された線は薄い。だから私が思うにノアくんは、生きてない…この世にいてはいけないモノに攫われた。」
「つまりそれって…化け物に襲われたってこと?」
女の子は頷いた。
「子供は特に攫われやすい。心が穢れてなくて、隙が多いから。それに生きる力が強いから。ほら、私たち生きてる人ってさ、『死』に関心を持つだろ?どうやったら長生きできるか、とか逆に早く死にたいとか。故人を悼むこともあるし、『死』に取り憑かれたように宗教にハマる人もいる。それと同じで、死んでるモノも『生』に惹かれ、人を襲うことがある。だからノアくんのお母さん。今はノアくんに離れた方がいい。」
女の子の纏う雰囲気が、突如冷たくなった。今まで女の子は、ヘラヘラと割と楽観的に見えていたので、突然感じたギャップに海は驚きを隠せなかった。
「え…?お前何言って…。」
「私の嫌な予感が当たれば、今のノアくんは幽霊というよりお前の言う化け物だ。生きてるモノ、死んでるモノ見境なく襲ってくる。自身の両親に会えたら姿を現すかと思って見計らっていた。」
女の子がそう言った瞬間、彼女の周りだけでなく、辺りが一気に悍ましい空気になった。どうにもここに居たくないと思わせる空気だ。海は今まで感じたことのない雰囲気に呑まれそうになった。動いてもないのに汗が止まらない。少しでも気が緩むと襲われそうだ。そして今まで可愛らしかったノアの姿が、白目を剥いて呻きながらカタカタ壊れた人形のように動き始めた。さらに真っ白な彼の肌が血が抜かれたようにだんだん紫色に変色していった。こんなこと、ホラー映画でしか見たことがない。いや、フィクションの世界より何倍も惨たらしく、物恐ろしく思える。それでもノアの母親は彼から離れようとせず、むしろ抱きしめる力を強くした。
『ごめんね…私の所為だわ…。私がちゃんとこの子を見ていれば、こんなことにはならなかった。もう離さないって決めたから、ずっと一緒にいるって決めたから。』
「お母さん!離れて下さい!とにかく今は!!」
海は必死に叫んだ。たとえ彼女が幽霊でも、とにかく危ないと感じたからだ。しかしそれでも彼女は離れず、とうとう口から血のようなものを吹き出した。それは真っ黒だった。
「ヒッ!!や…ヤバい!なんかよくわからねーけど、死んでる人間でも助けなきゃ!!俺たちに何ができる?!」
「しょーがねーな。お前能力覚醒したばっかだし、私の後ろに隠れて見てろ。」
女の子が海の前へ出て、軽い足取りでノアに近づいていった。
「おい!何考えてるんだ!危険だ!やめとけって!」
そんな海の忠告は彼女には聞こえてないようだった。女の子は自分の左親指を思いっきり噛んで傷を作ると、その親指を自身の左瞼に当て、血を付けた。そして左目を開けると……眼球があるはずのところが、空洞になっていた。そこには真っ暗な底無しの闇だけがあった。
『還れ。』
彼女がそう言った瞬間、左目の空洞から無数の腕が伸びてきた。それらはノアの形をした化け物を捕らえ、出口のない底無しの奈落へと引きずり消えていった。
ノアは長い夢を見ていた。誕生日プレゼントに兵隊の人形を買ってもらったのだ。そこにはカッコいい父も、優しかった兄マイケルもいて、母の手作りケーキを囲み、暖かい部屋でみんなが笑っている。
「ノア、6歳の誕生日おめでとう。お前はどんどん大きくなるな。あっという間に立派な男の人になってしまうんだろうな。」
朗らかでたまに厳しかったけどすごく優しかったお父さん。
「僕の愛しい弟。心優しく育ってくれよ。人に優しく、自分に厳しくだ。これからは紳士的な男性の時代だぞ。」
ずっと僕の憧れのお兄ちゃん。僕はいつかお兄ちゃんみたいな優しくてカッコいい男になりたいんだ。
「ノア、もう6歳なのね。あなたはどんな大人になるのかしら。楽しみね。」
いつも明るいお母さん。僕はお勉強が大嫌いだからついつい遊んじゃって、いっつもお母さんに叱られるけど、でも大好き!
「僕ね、お兄ちゃんみたいな男になりたい!優しくて、カッコよくて、強い男になりたい!それでね、ずっと家族みんなで一緒に暮らしていきたいな。」
ノアは目を覚ますと、母に抱き抱えられていた。
『ノア!!よかった…!!』
ノアの母は咽び泣いていた。
『お母さん…お父さんもお兄ちゃんもどこいっちゃたの?みんなに会いたいよぉ…!!みんなでまた暮らしたいよ、生きていきたいよぉ…!!』
ノアも泣き出した。キレイな涙が彼の澄んだ瞳から溢れて止まらない。海も2人の姿を見て視界が滲んだ。
「お前も見えたか?ノアくんの夢。あれが彼がこの世に残ってしまった理由だ。まぁ要するにありきたりだけど、この世に未練があるってこと。本当は彼の夢が現実になるはずだったんだ。だけど当時の社会がそれを潰してしまった。」
いつの間にか、また女の子が海の隣に立っていた。左目はもう戻っていた。海には何が起こったかよくわからなかった。後ろで見ていろと言われ見ていたが、ノアが発狂したかと思ったら、急に憑き物が取れたかのように力なく気絶してしまった。その後、ノアの夢が急に映像として頭に流れ込んできたのだ。でも唯一わかったことは…
「俺…幽霊はやっぱり怖いけど…でもちょっと変わったよ。なんかさ、霊感がある俺たちにしかできないことがあるんだって思った。俺、幽霊でも…もうこの世には存在してはいけない人たちであっても、彼らの想いを救ってあげたい…!!」
海の目は涙で滲み、サファイアの宝石のようにどこまでも澄んでいてキラキラ輝いていた。まるで宇宙の輝きだ。女の子はその目を見て感動を通り越し、驚愕した。彼女は思った。どんな海賊でも泥棒でも見つけ出せなかったこの世の宝はここにあったのだと。思わず心の中の言葉が彼女の口から漏れていた。
「お前…綺麗だな。」
「え?何か言った?」
その時、ノアと母親が2人に近づいてきた。
『ありがとうございました。あなたたちのおかげで漸く家族の元へ逝けます。夫とマイケルが待ってるところへ。』
「それはよかったです。早く行ってあげて下さい。絶対待ってます。」
彼女は海の言葉に微笑んだ。
『あと、1つ謝らないといけないことが。その…あなたの持っていた地図なんですけど、私が勝手に操作してしまいました。すみません。実は今までここら辺を立ち寄ってくれた方全ての人にやっていたことなのです。もしかしたらノアを連れてきてくれているかもと思って…。私はここから動けなかったものですから。』
「だからここら辺道に迷う人がいたのか。」
海は通りすがりのビジネスマンの言っていたことを思い出した。
『では私たちそろそろ逝きます。本当にお世話になりました。』
ノアの母親は一礼し、ノアは笑顔で2人に手を振って風と共に消えてしまった。
「お前さ、能力使えるんだな。」
「うん、私、世界に20人くらいしかいない人の1人な。まぁ別に申告とかしてないからカウントされてないけど。」
女の子は謎にドヤった。海は無視した。
「あーあ、もう真っ暗だ。今日のところは帰るか。」
海は自分がここに来た本来の目的を思い出して落ち込んだ。タイムリミットは7日しかないというのに、捜索は1ミリたりとも進展していない。上を見上げると空には星が珍しく輝いていて、肌寒いそよ風が2人を襲った。まだ3月なので冬の寒さが残っている。
「お前さ、もうこんな時間だけど、親心配してんじゃねーの?」
「あ…うん…そうかも。」
彼女からはどうにも歯切れの悪い返事が返ってきた。
「しょーがねぇから送ってやるよ。あ、そうだ。1日一緒に過ごしたのにまだ名前聞いてない。俺、青井海っていうんだ。青い海で青井海な。みんなからは『あおいろ』って呼ばれてる。お前は?」
「確かに言われてみれば…。私は如月真実。まぁ今後会えるかどうかはわからないけど、よろしく。」
真実と名乗った女の子は再度海に握手を求め、右手を差し出した。
「え……?如月…真実…?」
その名前は正しく海が探し求めていた名前だった。目から鱗とは正にこのこと。海は彼女を逃がすまいと差し出された右手を素早くそして力強く握った。真実は彼の予想外の行動にビクッと肩を震わせた。そして海は怒り任せに叫んだ。
「お前かよ!!!クソ妹ぉぉぉ!!!」
「いやぁ、本当によかった…よかったです!!」
政由は彼の妹…真実に左から抱きついていた。
「我が妹よぉ…!心配かけさせおって!」
忠由は咽び泣きながら真実に右から抱きついていた。そしてそれを正面で見せつけられている海は虚無になっていた。しかし彼の右腕には、以前から喉が出るほど欲しがっていた新品のティーゼルの腕時計がキラキラと輝いていた。
「あなた方がそんなふうに甘やかすから、今回のようなことが起こるんですよ!!」
あの後海は彼女を強制連行し、1日祖母宅に泊まった後、寂しがる祖母を説得してすぐに日本へ帰国した。海はもうヘトヘトだった。
「そうですね。彼のおっしゃる通りです。」
政由は真剣な面持ちで真実に向き直った。
「そこで真実、忠由、私あることを決めました。」
「「何?」」
真実と忠由は同じ表情で同じことを言った。
「真実、あなたは海くんの住んでいるシェアハウスで暮らしなさい。」
「え?」
政由の言葉に素っ頓狂な声を上げたのは、海の方だった。
「真実、あなた来月からもう中学3年生ですね。あなたの通う中学は、確かここよりシェアハウスから通った方が近いはず。それに私たちは何かと忙しくて真実を1人にしてしまう機会が多かったので、このようなことが起こったのです。シェアハウスでなら1人になる機会はそうそうないでしょう。高校も可能ならそこから通えばいいじゃありませんか。これを機に引っ越ししなさい。」
政由の提案に真っ先に異議を唱えたのは、真実本人ではなく忠由だった。
「嫌だ!!俺は嫌だぞ、政由!!真実と離れ離れになるなんて…そんな…無理だ!生きていけない!!」
いや…生きていけはするだろ、と海は心の中でツッコんだ。どんだけシスコンなんだよ、俺の憧れの人は…。
「忠由、これは真実のためですよ。」
「うぅ…でも…。」
「俺も反対です!政由さん!」
海も手を上げ、すかさず異議を唱えた。
「こいつと一緒に暮らしていける自信がありません!!」
「確かに少しヤンチャかもしれません。」
いや、少しどころではないんだよなぁと海は付け足そうとした。しかしそこで真実がようやく口を挟んだ。
「うん、行くよ。シェアハウス。」
「おい!なんで?!そこは反対しろよ!」
海は真実の肩を力強く掴んで揺さぶった。
「だって面白そうじゃん。」
「そんな理由?!4年も居るところなんだぞ?!」
「だって本当に面白ければいいんだもん。それに4年も、じゃなくて、4年しか、だ。私さ、ボストンでの出来事で結構お前に関心が湧いた。お前は他人にも霊にさえ同調できるから、今後どんな能力使いになるか見てみたい。」
真実はニヤリと笑ってそう言った。彼女の背後にある太陽がやけに眩しい。
「お前なぁ…。」
「む??何やら甘い気配が…。海くん!真実はやらんからな。真実は俺の嫁に来てくれるって言ったんだ。」
忠由が険悪な表情で海に詰め寄った。
「いや、そんなつもり全くないですし、むしろそんなん俺からお断りです。」
海は至って真面目だ。
「忠由兄さん、何年前の話してんの?それ私が3歳の時言ったことだよね。」
気持ち悪いほどのシスコンだな…だから顔はいいのに未だに結婚出来てないんだな…と海は密かに失礼なことを思った。ちなみに政由と忠由は29歳である。
「とにかく!もう決めたことですから。さぁ、早速引越しの準備を始めますよ!」
政由の鶴の一声で全てが決まってしまった。
「はぁ…な~んでこんなことになっちまったかね。」
「グダグダ言う男はモテねーぞ。」
「うっせ!俺は元からモテてんだからいーんだよ!」
真実の引っ越しが決まってから2日後、海と真実はキャリーバッグを引きずってシェアハウスを目指していた。海は何故か、彼女の荷物運びの手伝いをさせられているのである。シェアハウスは如月邸から車で1時間のところにあり、2人は私鉄でシェアハウスまで向かった。
「あ、言っとくけどシェアハウス男しかいねぇからな。みんな超いい奴だからあんまり困らせんなよ。」
「私紅一点じゃん。みんな私を可愛がれ。愛でてもいいよ。」
真実は謎にドヤった。
「ほらそうやってすぐ調子乗る。だーれがお前みたいな奴可愛がるかよ。どっちかって言えばお前俄然男寄りだろ。体が辛うじて女ってだけ。」
「わ~すごい煽ってくんじゃん。何?喧嘩売ってんの?買うけど?」
そんなこと言っていると、シェアハウスの前に着いた。
「ほら、着いたぞ。ちゃんと挨拶しろよ。」
2人は門を潜り、海が玄関の鍵を開けようとしたところ、同時に扉が開いた。そこには黒髪短髪の若々しい青年が立っていた。
「お、あおいろ。お帰り。」
「ただいま~たっくん。」
「その子が新しい子?」
たっくんと呼ばれた青年は、海の後方に立っている真実を見てフワリと微笑んだ。
「はじめまして。俺は石島拓也っていいます。わかんないことあったらなんでも聞いて下さい。あと俺のことは是非『たっくん』って呼んで下さい。これからよろしく。」
真実は雷が落ちたかのように、拓也を見て固まった。海は異変に気づき、後ろを振り返った。
「おい、どうした?」
海が小声で尋ねると、ようやく返答が返ってきた。
「めっちゃいい…。」
「は?」
真実は海を押しのけて、拓也の手を握った。
「私は如月真実。たっくん、今日から私の嫁になって!」
「は?」
「へ?」
時が止まった。嫁とは何なのかとか、出会って早々プロポーズとか気持ち悪すぎるとか、ツッコみたいことは山々だが、取り敢えず今は……
「お前、やっぱ帰ったら?」
海はこの時思ってもいなかった。真実との出会いが、今後自身の運命を大きく左右するなんてことは、微塵も思ってなかったのである。
1942年11月、ガダルカナル島。そこは屋外というのに、血の臭いと死臭で充満していた。米兵の圧倒的な攻撃に太刀打ちできなかった日本軍の歩兵隊は、まるで虫ケラのように殺されたのだ。家畜を殺すが如く銃弾の的になった者もいれば、蟻が人間に踏み潰されるが如く戦車の下敷きになって死んだ者もいた。要するに血溜まりの地獄だ。そんな戦いが繰り広げられてから一夜明けた後、ある米兵の1人が、自分の仲間の死体を見つけた。自分の同胞の死体くらい、兵士として戦争に参加している以上、数えられないほど見てきた。現に今も、自分の足元には味方か敵かも区別がつかないほどの数多くの死体が転がっている。しかしその中に1体だけ、彼の目が惹きつけられた死体があったのだ。だから「見つけた」のである。その死体は、敵兵であるはずの日本兵の上に覆い被さっていた。しかし他の死体と違うところがあった。その死体だけ、まるで下にある日本兵の身体を、これ以上傷つけさせまいと守ろうとしているかのように、大事そうに被さっていたのだ。米兵は、その仲間の死体を退かしてみた。すると彼の右手から1人1台支給されている拳銃が落ちてきた。そして顔の方見てみると、右の側頭部に風穴が空いている。
「……自殺?」
戦争の惨状に耐えきれなくなって自殺する兵士は数多い。だからコイツもその類なのだろうと、そう思った。しかしやはり、日本兵に覆い被さっていたのがどうにも引っかかる。モヤモヤとした気分が晴れないまま、その米兵は上官に呼ばれ、その場を後にした。そしてその日限りで、その同胞の死体のことを思い出すことは二度となかった。
2030年3月、愛知県名古屋市。ここに昔からの大地主で大富豪の名家、如月家の豪邸に招かれた1人の男がいる。その男の名は青井海16歳。名前の通り、海のようにキレイな青い髪と目の持ち主だ。如月家豪邸のリビングで渋めのお茶と高級そうな茶菓子を頬張りながら、彼はそんなキレイな目を泥水のように濁らせていた。何せ無茶な依頼を如月家の当主、如月政由如月政由に申し込まれていたからだ。
「え………妹さんがアメリカで放浪してるから連れ戻してほしいって……いや、なんで俺に?!いろいろ突っ込みたいことあるんですが、普通に嫌ですけど??」
「そこを何とか…お願いします、海君。妹が一昨日リビングのテーブルの上に書き置きだけ残して消えてしまい、私たちも混乱しているのです。以前から勝手にフラッと居なくなって、一人旅に出てしまう子ではありましたが…今回は国外だなんて…。とても心配で夜も眠れません。海君はお婆さまがアメリカのボストンにお住まいですよね?また英語も堪能だとか。だからこれは海君にしか頼めないのです。どうかよろしくお願い申し上げます。」
政由は海に土下座の形で深々と頭を下げた。
「ちょ…頭上げてくださいよ…。確かに俺、英語が母国語だから喋りやすいですけど…。」
海は困り果てた。政由には普段からお世話になっている身なので、彼からの頼みを無碍にはできないのだ。政由は海の住んでいるシェアハウスのオーナーである。その縁もあって夕飯のお裾分けを貰ったり、家賃の支払いに融通を利かせてもらったり、とにかく色々と世話になっているのだ。なので海は彼からの頼みとなれば断りづらい。そうこうしているうちに、奥の書斎部屋から如月家次男、如月忠由がリビングへ入ってきた。彼は政由の双子の弟である。線の細い政由とは違い、筋骨隆々な彼は、部屋に入ってきただけで随分と迫力がある。ちなみにその勇ましい体つきと彼の豪快な性格に、同じ男として海は密かに憧れを抱いている。
「政由、海君を呼んで何をしているんだ?」
「忠由、ちょうどいいところに!忠由からも海君にお願いして下さい。」
「あ、我が妹の件か!そういうことなら…海君、俺からも頼のむ!」
忠由も政由の隣で頭を下げた。
「ちょ…忠由さんまで?!あ、頭上げてください!困りますよ!」
「もちろん渡米代、宿泊代、現地でかかった費用代、全てお支払いします。さらにそれ以外にかかったものがあれば、それも全てお支払いします。それと…」
「それと?」
「海君がずっと欲しがっていると聞きました、ティーゼルの腕時計をお礼にと思っていたのですが…。」
「……行きます。いや、行かせてください。」
最終的に、物に釣られたのであった。
如月邸に呼び出されてから2日後(正確には3日後)、海はローガン国際空港に降り立っていた。日本からまさに13時間の長旅だった。
「あーー体がバキバキする!やっと着いたぜ。でもばーちゃん家がボストンにあるから、荷物少なくていいし、ちょっと楽だったな。」
海は如月家の妹を探す1週間の間、ボストンの祖母の家に泊まることになった。依頼を受けてからすぐに祖母に連絡をしたところ、是非泊まりに来てくれと大喜びされた。
「さてと、まずは近くの交番にでも訪ねてみるか。絶対不審がられるだろうな。」
海は事前に政由から受け取った妹の写真を持って、まず交番に向かうことにした。それが人探しにはおそらく一番無難だし、それしかあまり方法が思い当たらなかったからだ。そしてボストンの交番に向かう理由がもう1つ…例の妹の残した書き置きには、アメリカのボストンに行ってくるとあったからだ。何故ボストンなのかは不明だ。
「しっかしこれしか写真がないって、どういうことよ。結構ボヤけてんなぁ…。」
政由から手渡された妹の写真はかなり不鮮明なものであった。一番重要な彼女の顔も遠目から撮ったような写真で、よくわからない。もっと他の写真はないかと尋ねても、彼女は写真を撮られることをひどく嫌っているらしく、これぐらいしか写真はないとのことだった。
「こんなんでわかる奴いるのか?絶対わかんないだろうな。」
海は早々に諦め気味だった。取り敢えず手荷物受取所で小さめのキャリーバッグだけ受け取って、空港を出た。スマホから地図アプリを起動し、近くの交番を検索した。すると今いる場所から5キロ離れた所に最寄りの交番があることがわかった。
「結構距離あるな。運動だと思って行くか。」
ひとまず荷物だけ祖母の家に置いておこうか迷ったが、祖母の家までは空港から車で1時間くらい掛かるので、面倒臭くなって辞めた。それよりも適当にやれることだけやっといて、残りは久しぶりの故郷満喫を楽しもうと思っていた。何せ今回の渡米費用は全てタダなのだ。海は自動販売機でオレンジジュースを買い、交番へ向かった。その時にいつものノリで、財布をパンツの後ろポケットに入れてしまった。それがいけなかった。ジュースを買ってから約3分後、海の顔は真っ青になった。
「無い!しまった!財布スられた!」
日本と違ってここはあまり治安がよろしく無い。外国から来た平和ボケしている観光客を狙う輩が、空港周りや観光スポットには沢山いるのだ。海は数分の間に運悪くポケットから財布を盗られてしまった。
「ヤッベ…クレジットカードとかも入ってたのに…。一旦ばあちゃんに連絡して迎えに来てもらうか…。いや、それよりも交番に…。」
海が今後の先行きに不安を感じていたその時、後ろから日本語で声をかけられた。
「オニーサン、日本人?今財布無いって焦ってたでしょ?ほい、これ。」
凛とした女の子の声だった。反射的に振り返ると、日本人の小柄な女の子が、海の財布を差し出して立っていた。彼女の目は黒曜石のようにどこまでも黒く、海はその目を見てドキリとした。
「いや、運悪かったね。でも私が現場見ててよかった!スリから取り返しといたから。」
「え…マジで?あ、ありがとうございます!!」
海は嬉しさのあまり一気に涙が出そうになった。海は彼女から財布を受け取った。
「でもすごいですね。スリから取り返すなんて…。」
「まぁ、ちょっとね。ノシといた。」
「え……どういうこと?」
海が女の子のさらに後方を見ると、道のど真ん中で海の財布を盗ったであろう大男がグッタリと白目を剥いてノビていた。恐らく身長が女の子の1.5倍はある男だった。大男の周りでは野次馬が騒いでいた。
「嘘…。アレ、やったの?」
海は自分の目を疑った。彼女は武術の使い手か何かなのか?こんな小柄で色白で、見たところ中学生くらいの女の子なのに?
「うん。顎に蹴り入れて一発。弱かったよ。じゃあ私はこれで。」
「あ!!待って!!何かお礼を……。」
女の子は特に何でもないという様にその場を去ろうとしたので、海は慌てて引き止めた。流石にもう二度と会わないであろう相手に借りをつくったままでは、夢見が悪いものである。しかし女の子は海の提案を拒否した。
「あぁ、別にお礼とかいいから。」
「いやいや、そういう訳にも…。」
「う~ん、じゃあ…昼ご飯、奢ってくんねぇ?もう12時じゃん?お腹ぺこぺこでさぁ。」
「もちろん!そんなので良ければ!」
大男を倒したという彼女を引き止めるのは少し勇気が必要だったが、やっぱり引き止めて良かったと、海はそう思った。しかしその思いはすぐに崩れ去ることとなる。
「めっっっちゃ食いますね。」
「うん、だから言ったじゃん。お腹ぺこぺこって。」
こんな細くて小さい体のどこに入るのかというくらい、彼女はサンドウィッチをハムスターの様に頬張っていた。彼女が今口に入れたサンドウィッチは4皿目。つまり4人前の量をペロリと平らげたのである。お昼を奢ることになって、近くの小洒落たカフェに入った2人は、海はコーヒーとアイス、女の子はBLTサンドウィッチとカフェオレを頼んだ。しかし1皿目を食べ終わった後女の子は「まだ足んねぇ」と言うと、次はローストビーフのサンドイッチ、次はシーフードのサンドウィッチと次々に注文していった。ただでさえアメリカは日本と違って1人前の量が桁違いに多いというのに、女の子は掃除機のようにサンドウィッチを体内へ吸い込んでいった。吸引力の変わらない掃除機である。海はその様子にただただ絶句していた。ここのカフェ、オシャレなのもあって値段が1品1品が少し高めに設定されている。たかだか昼ご飯代だけで合計で何ドルになってしまうのか…考えるだけでも嫌な予感しかしない。海は自分の考えを払拭する様に、話題を逸らした。
「ところでさ、観光でアメリカ来てるんですか?」
「うん、まぁそんなとこ。」
「親御さんは?」
「あ~そこら辺にいるんじゃないかな。」
何とも微妙な返事である。というか、そこら辺にいるならば、早く戻った方がいいのでは?
「ごちそうさまでした!」
女の子はようやく満足した様で、笑顔で手を合わせた。
「お勘定やっとくから、早く親御さんのところ戻った方がいいのでは?」
「あ~そうだね。そうしよっかな。お昼ご飯、ありがとな。ごちそうさま。じゃあ、もう二度と会うことはないだろうけど、元気でね。」
女の子は席から立ち上がり、海に握手を求めた。海は彼女の名前だけでも聞いておこうかと思ったが、確かに彼女の言う通りもう会うことは無いと思われるので、無理矢理声を引っ込めた。その代わり海も握手に応じようとした。その時だった。海はふと下の方を見ると、自分たちの座っていた席のテーブルの下に、小さい男の子がいることに気づいた。男の子は上目遣いでじっと海を見つめている。見たところ小学校低学年くらいの可愛らしい男の子だ。しかし海は心臓が飛び出るかというほど吃驚した。それもそのはず、海は幽霊やお化けの類が大の苦手なのだ。16歳の誕生日、海は突然霊感が覚醒したのか、この世でないものがはっきり見えるようになった。しかも厄介なことに、生きているモノと区別がつかないくらい、この世のものではないモノがはっきり見えるようになってしまった。これは大変珍しいことなのだろうが、元々ホラーが苦手な海にとって、ただただストレスでしかない。
「うわぁ!!!え!何で??!」
女の子の方も何事かとテーブルの下を覗いた。
「あ、いるね。迷子かな。迷子って英語でどう言うんだ?」
男の子は頷いた。
「迷子?!迷子か…。迷子はLost child。英語分かるし俺が喋るよ。」
海は心から安堵した。女の子にも見えるということは、幽霊ではないということだ。海が英語で男の子に話しかけると、男の子は机の下から出てきた。先程の海の言葉に頷いたので、どうやら本当に迷子らしかった。
「困ったな…家わかる?とか聞いても全然答えてくんねぇ。本当に何にもわかんないみたいだな。交番に連れて行くか…。ていうかここのカフェにいねーの?」
「交番はやめといた方がいいよ。」
「え?何で?」
「面倒臭いことになる。」
海は女の子の言っていることがよく分からなかった。
「しょうがねぇ、これも何かの縁か。私も付き合うからさ、一緒にこの子の親探そうぜ。」
女の子はそう言って、男の子を安心させるよう、笑顔で彼の手を握った。海も迷子の男の子を見捨てるほど、外道ではなかった。
「そうだな。そうしよう。」
とは言ったもののどうすればいいのか。取り敢えずカフェの店員に子供を探している客はいないか聞いてみたが、そんな人はいないと返ってきた。カフェから出た後、海は地図アプリを開いた。
「分かる範囲でいいからさ、どこら辺に家があるか分かるかな?」
男の子にボストン全体が映っているスマホの画面を見せ英語で尋ねると、少し迷った後、彼はビーコンヒル辺りを指差した。ビーコンヒルとはボストンでも高級住宅街で、昔から上流階級の人が住む場所である。
「え、ここら辺?いいところ住んでるじゃん。じゃあ取り敢えずここに向かうか。もしかしたら思い出すかもしれないし。」
「遠いの?」
女の子が海のスマホを覗き込んで尋ねてきた。
「いや、そんなに遠くないな。地下鉄で行けるくらい。小さい男の子だし、行動範囲は限られてるよな。」
3人は最寄りの駅、ローガン空港駅からグリーンラインに乗ってマサチューセッツ州議事堂前まで来た。およそ20分程で到着できた。しかしこのわずか20分の間で、海には不安が募っていた。
「この子…切符買わなくても乗れちゃったんだけど、大丈夫なのか?まさか、子供料金とかでタダだったとか?」
男の子だけ何故か無賃乗車できてしまったのである。しかし海とは対象に、女の子はどうでもよさそうだった。
「別に乗れたんならいいんじゃね?きっと無料だったんだよ。ほら、世の中少子化じゃん?これぐらいのサービスやんないと。」
「え、そういうもんなの?俺しょっちゅうボストンに来てる訳じゃないからそこまでわかんないんだよね。…まぁいいか。」
「そうそう。そんなことよりさ、ビーコンヒルってどこなの?」
「あ、もうここら辺一体がビーコンヒルだよ。」
そこには石畳の道とレンガ造の家並みが続いていて、静かで心が落ち着く、とてもキレイな街が広がっていた。まるで御伽噺に出てくるような街だ。住宅の他にもアンティークショップや、いかにも敷居が高そうなレストランがあった。
「うわぁ、きれー!」
女の子は目を輝かせた。海にとってはこの付近に彼の祖母のお気に入りの店があるので、ボストンに訪れた際は必ず行く場所となっていた。それゆえにそこまで新鮮には思わなかったが、確かに初めて来た人にとってはとても素晴らしい街に見えるに違いなかった。
「さてと、ここまで来たけど、お家思い出せないかな?」
海は男の子の目線に合わせて、優しい英語で尋ねた。しかし男の子は不安そうに首を横に振った。そしてカフェからずっと繋いでいる手を、より離さないように強く握った。
「マジか、もう絶対分かると思ったんだけどな。」
海は頭を掻いて困った顔をした。実際ここの議事堂はボストンの中でもかなり有名な場所だ。ここまで来れば、芋づる式に家の場所を思い出せるものだと、そう踏んでいたのだ。
「え、何?家分かんないって?」
「うん。そうみたい。」
その時、今まで何も喋らなかった男の子が聞こえるか聞こえないかくらいかの声で口を開いた。
『この大きな建物は覚えてるんだけど…道がわかんない…。』
「え!喋った!」
海は軽く感動した。
「え、この子何て言ったの?」
せっかく男の子が口を開いたが、英語だったので、女の子にはさっぱりわからなかった。
「このでっかい議事堂は覚えてるって。でも道がわかんないらしい。まぁ確かに似たような建物や道ばっかだもんな。」
「一件ずつ回って行くのは効率悪すぎだよな。例えばさ、家の近くにこんなお店があったとか覚えてない?」
彼女の言ったことを、そのまま海が英語で尋ねた。
『僕の家の前に、お人形屋さんがあるよ。可愛い服着た女の子や、兵隊さんがたくさんいるんだ。僕、そこに一度だけ勝手に入って怒られたことある。』
「人形屋って…おもちゃ屋ってことかな。」
男の子は一度喋ったことで緊張が解れたのか、人形屋での話を続けた。
『後はね、クマとか、ウサギとかの人形もあった。だけどね、いっぱいある人形さんの中で、1つだけ僕のお兄ちゃんに似てるのがあったんだ。』
「へぇ~そんなのなかなかないよ。すごいね。」
『うん!お兄ちゃん3年前に死んじゃったから、この人形絶対欲しいってママに頼んだんだ。そしたら誕生日に買ってあげるって言ってくれたの。』
「え…そうなんだ。」
こんな小さい歳でもう兄が死んでいるとは…海は居た堪れない気持ちになった。
「それで人形は買ってもらったの?」
『約束したのに、結局買ってくれなかった。だってその時僕逸れちゃって、パパはいなかったし…ママとも一緒じゃなかったから。』
「え…それってどういう…」
海は彼の言うことに違和感を感じ、聞き返そうとした。しかしそれと同時に、いつの間に海のスマホを取ったのか、女の子がビーコンヒル周辺の雑貨屋を見つけた。
「お!例のおもちゃ屋か?ここ行ってみようよ。」
彼女が海に見せたのは、ここからさらに数kmはある小さい雑貨屋だった。
海は日が暮れないうちに男の子を送り届けたいため、随分早足で歩いた。しかし途中で散々道に迷った挙句、明らかにこの世のものではないモノからじっと見つめられ、恐怖心のあまりその場から動けなくなったり、女の子が喉乾いたと言うのでスーパーに寄ったりして、正味2時間はかかった。たかだか数kmの距離だというのに。
普段から特に運動していない海は、かなり疲弊していた。しかしそんな海とは対象的に2人は、特に疲れているという様子ではなかった。
「はぁ…こ…ここら辺だよなぁ?まだ着かねーの?」
「うーん、地図によると本当にここら辺なんだけどな。」
「お店らしい建物なんてどこにもねーし…まさか、今日は閉店してるとか?」
「それはあり得るな。うーん、でもな…」
「でも…何だよ。」
「いや、検索してる時何かおかしかったんだよ。それまで全然雑貨屋なんてヒットしなかったのに、その店だけ急に引っかかったから。」
「偶々なんじゃね?それよりも地図見せてよ。」
海は女の子から自分のスマホを取り上げた。地図を見ると、正しく今3人が立っている場所が、雑貨屋を指し示すマーク地点になっていた。
「え…どゆこと?GPSの調子悪いのか?」
すると、困り果ててる海を見兼ねたのか、通りすがりのビジネスマンが声を掛けてくれた。もちろん英語でだが。
「何かお困りのようですね。道に迷いましたか?ここら辺は観光地ですが、よく道に迷う方がいるので。俺ここら辺地元なので、良ければ案内しますよ。」
「助かった!あの…ここの雑貨屋に行きたいんですが…。」
海は声をかけてくれた男性にスマホを見せた。
「……?」
しかしこの辺に詳しいという男性も顔を顰めてしまった。
「あの…わからないですかね?知る人ぞ知るってところなのかな?」
「いや…GPSは正しくここを指してますし、それよりも雑貨屋なんて画面のどこにも映ってないですよ。ていうか雑貨屋なんてここらへんあったかな?何を調べられてたんですか?」
「え?いや、そんなはずは…。」
海はもう一度スマホを見直した。すると男性の言う通り、雑貨屋の名前で調べていたはずなのに、検索欄が空欄になっていた。
「はぁ!?どういうことだ?!」
気づくと辺りは薄暗くなり始めていた。
「やべ、早く見つけないと….!」
「どこに行きたいんですか?」
「いや、実はこの子の家を探していて…。」
海は男の子の方を見た。男の子は人見知りを発動して、女の子の後ろに隠れた。
「ん?そこの女の子の家ですか?」
「あ、いやいや、その後ろにいる…」
ビジネスマンは顔を顰めた。
「…?え、彼女の後ろになんか誰もいませんけど?」
男性の声のトーンは、冗談を言っているようには聞こえなかった。海はある一つの嫌な考えが浮かんだ。自分にとって一番避けたい考えだ。海の顔はみるみるうちに青くなっていった。青井だけに。
「え、もしかしてさ、気づいてなかったの?」
そこで女の子が海に向けて言った。
「男の子、生きてないよ。」
ビジネスマンが我関せずと言わんばかりに早足で去っていった後、海は女の子の言葉に卒倒しそうになった。
「あ、ああああ!!ゆ…幽霊!!」
海の心に一気に恐怖感が込み上げてきて、2人からすぐさま距離をとった。目にも止まらぬ速さだった。
「え、逆に私気づいているものかと思ってたわ。」
「気づいていたら無賃乗車とか言わないだろ?!」
「あぁ、あれは一種のジョークかなって。」
「そんなジョーク誰も言わねーよ!て言うか俺、側から見たら何もない空間に喋りかけてたってこと?!」
「まぁ、そういうことになるな。周りの人、私たちをヤベー奴らだなってドン引きしてたよ。それも気づいてなかったの?」
「ああ!!全く気づかなかった!!」
女の子は声をあげて爆笑した。それとは対象的に海は泣きそうになっていた。いや、もう泣いていた。
「勘弁してくれよ…フツーに怖ぇんだけど…。あと、お前も幽霊見えるんだな…。」
「うん。物心ついた時から見えてたかな。その調子だと、生きてる人間と全く区別ついてないみたいだな。じゃあ何か能力使えたりする?」
「は…?能力?」
彼女から意味不明な言葉が出た。能力…?何だそれは。
「お前、能力使いの存在も知らねーのか。2018年、ニュースになったじゃん。」
「いや、2018年って…覚えてねーよ、小さ過ぎて。まだ4歳くらいだぞ?」
「お前とか私みたいな強い霊感の持ち主の中で、フツーの人間じゃ到底出来ないことを能力で成し遂げられる奴が稀に出てくるんだよ。所謂超能力ってやつだな。2018年に初めて能力使いが確認された。当時は大きなニュースになったらしい。それからわかってるだけで世界に20人いるかなってとこ。確認されてるだけで…だけど。」
「へぇ…そうなんだ。そんな奴いるんだ…スゲェし何かそれも怖いな。」
そんな漫画の設定にありそうな人間、この世に存在するのかと、海はすこし感心してさしまった。
「あ、俺はその能力使いじゃねぇぞ。」
確かに海は霊感が強いが、そんな人間を超越するような能力は持った記憶がない。今まで普通の人間として生きてきたのだ。しかしそんな海の思いを否定するかのように、女の子は海の足元に目線を下げ、こう言った。
「いや、お前能力使いじゃん。」
「へ?」
海は素っ頓狂な声をあげ、女の子の目線のを追い、自分の足元を見た。すると自分の足元にだけ、石畳でできた小道に雑草が生い茂っていた。雑草により、まるで海が立っているところだけ緑の絨毯が敷いてあるようになっていた。
「うわぁ!!何コレ??!」
海は自分の足元を見て、軽く混乱した。片足上げてみると、靴裏にベットリと苔が付いていた。もちろんこんな光景、生まれて初めてである。
「へぇ、植物を生やす能力なのか。お前、今まで自分の能力に気づかなかったの?」
「これが初めてだよ!?」
「おかしいな。普通は大体先天的に能力は持ってるものだけど。」
「だって俺、16歳の誕生日…大体半年前くらいに急に霊が見えるようになったし…。そもそもそれまで霊とは全くの無縁だったし…。」
女の子は海の言葉に顔を顰めた。
「何だそれ。聞いたことねぇ事例だな。お前は珍しい存在の中でも更にレアな存在ってことだ。」
「それよりも!男の子、どうにかしないと!」
自分が能力使いだったということは確かに驚くべきことだ。しかし今はそれよりも、男の子のことである。今まで話してきた男の子が、今は可愛いとは到底思えない。むしろ怖すぎて、早くここから立ち去ってしまいたい。
「それもそうだな。何か聞き出してよ。私英語分かんねーし。」
「でも…幽霊と喋んの…?」
海はブルっと身を震わせ、心底嫌そうな顔した。
「お前今まで散々喋ってきたじゃねーか!逆に何が怖ぇんだよ。」
「だって…。」
「ヘタレな男はモテねーぞ。」
いい加減にしろと目で訴えかけてきたので、海は意を決して男の子に話しかけた。
「あのさ、その、おもちゃ屋さんなんてなかったんだけど…お家、ここら辺で合ってる?」
男の子は首をキョロキョロ動かし、辺りを見渡した。
『確かにお人形屋さんない…けど…ここら辺、何か見たことある…。』
「マジ?!やっと一歩前進じゃん!」
先程までの恐怖はどこへやら、海はその言葉で表情を明るくした。しかし喜びも束の間、その時不意に海の背後から女性の声がした。海はまた肩をビクっと震わして恐る恐る後ろを振り向いた。そこにはキレイな金髪の背の高い女の人が立っていた。ただし半透明だったが。
『ノア!!本当にノアなの?!』
『ママ!!』
男の子はパッと繋いでいた手を離し、その女性の元へ飛び出して行った。そして女性に抱きつくと、2人は抱き合って泣き始めた。
『ごめんね!怖かったね、辛かったね!もう絶対離さないから!』
『ママぁ~!!会いたかったよ~!!僕ずっと探してたよ!』
海は目の前の光景に、上手く状況が飲み込めずにいた。
「え、やっぱ逸れてたのは事実だったってこと?」
「そのようだな。あの男の子…ノアくんや、ノアくんのお母さんが着てる服ってさ、今の人あんまりきてるイメージないんだけど、どれくらい前の人なんだろ。」
言われて気づいた。確かにノアの服は、白いワイシャツに茶色のベスト、黒い半ズボンとあまり現代の子が着ているような服ではないものとなっていた。海は流行には結構敏感な方だからわかる。ノアの母親は、肩パッド入りモスグリーンのワンピースを着ていた。肩パッド入り服なんて、今着る人はそうそういない。しかしかえって可愛らしくも感じる。
「確かに…。1900年代…とか?」
するとノアの母親が漸く2人に気づいたように、顔を上げた。
『あなた方がノアをここまで連れてきてくださったのですね。本当にありがとうございました。これでやっと安心できます。』
「あ、いや、別に大したことじゃないです。スマホの地図辿ってきただけですし。」
海は急に霊に話しかけられて再び体が固まってしまった。
『お察しの通り、私たちはもう死んでいます。私たちは1930年代、世の中が第二次世界大戦一色に染まってきた時の人間です。』
ああ通りでその服を着ているわけだ、と海は納得できた。
『世の中は混沌としていました。今のように物に恵まれてもいませんでしたし、生きることに必死でした。それでも私たちの家庭は幸いにも裕福な方でした。しかし最悪なことが起きてしまったのです。』
「最悪なことって?」
『私たちの長男のマイケルが戦死してしまったのです。1941年のことでした。それから私たちの家庭もだんだん崩れていき、長男の死の2年後、夫は心を病んで自殺してしまいました。彼は長男であるマイケルにとても期待していましたから…。私はノアと2人きりとなってしまい、大きな収入もなくなって、ここから去るしかなくなりました。しかしそこからも最悪なことが起こってしまったのです。』
「ノアくんと逸れちゃったってことですか?」
ノアの母親は頷いた。
『当時私たちは逃げるようにここを去ろうとしていました。周囲から夫に先立たれ没落した女という目を向けられていましたので…。今みたいに女性に仕事なんてあまりなかった時代ですから、もっと都心に出ないといけなかったんです。その引っ越しの最中にノアと離れ離れになってしまいました。私がちょっと目を話した隙に、いなくなってしまったのです。』
「え、そんなことってあるのか?普通すぐ見つかりそうなものだけど。」
「攫われたんだよ。」
女の子が海の隣に来て言った。
「え?犯罪に巻き込まれたってこと?」
「それは違う。それだったら今のノアくんの姿が違うはず。あまり良くない感情を溜め込んでいる幽霊は、大抵死んだ時の姿で出てくるから。犯罪に巻き込まれたなら血だらけの酷い姿とか、精液まみれでアザだらけな姿とか…。でもノアくんはキレイな状態だろ?私日中彼をよく見てたけど、見た限り何にも跡とか傷はなかった。」
「サラッと恐ろしいこと言うなよ…。」
海は女の子の言葉に寒気を覚えた。
「だから生きている者に誘拐された線は薄い。だから私が思うにノアくんは、生きてない…この世にいてはいけないモノに攫われた。」
「つまりそれって…化け物に襲われたってこと?」
女の子は頷いた。
「子供は特に攫われやすい。心が穢れてなくて、隙が多いから。それに生きる力が強いから。ほら、私たち生きてる人ってさ、『死』に関心を持つだろ?どうやったら長生きできるか、とか逆に早く死にたいとか。故人を悼むこともあるし、『死』に取り憑かれたように宗教にハマる人もいる。それと同じで、死んでるモノも『生』に惹かれ、人を襲うことがある。だからノアくんのお母さん。今はノアくんに離れた方がいい。」
女の子の纏う雰囲気が、突如冷たくなった。今まで女の子は、ヘラヘラと割と楽観的に見えていたので、突然感じたギャップに海は驚きを隠せなかった。
「え…?お前何言って…。」
「私の嫌な予感が当たれば、今のノアくんは幽霊というよりお前の言う化け物だ。生きてるモノ、死んでるモノ見境なく襲ってくる。自身の両親に会えたら姿を現すかと思って見計らっていた。」
女の子がそう言った瞬間、彼女の周りだけでなく、辺りが一気に悍ましい空気になった。どうにもここに居たくないと思わせる空気だ。海は今まで感じたことのない雰囲気に呑まれそうになった。動いてもないのに汗が止まらない。少しでも気が緩むと襲われそうだ。そして今まで可愛らしかったノアの姿が、白目を剥いて呻きながらカタカタ壊れた人形のように動き始めた。さらに真っ白な彼の肌が血が抜かれたようにだんだん紫色に変色していった。こんなこと、ホラー映画でしか見たことがない。いや、フィクションの世界より何倍も惨たらしく、物恐ろしく思える。それでもノアの母親は彼から離れようとせず、むしろ抱きしめる力を強くした。
『ごめんね…私の所為だわ…。私がちゃんとこの子を見ていれば、こんなことにはならなかった。もう離さないって決めたから、ずっと一緒にいるって決めたから。』
「お母さん!離れて下さい!とにかく今は!!」
海は必死に叫んだ。たとえ彼女が幽霊でも、とにかく危ないと感じたからだ。しかしそれでも彼女は離れず、とうとう口から血のようなものを吹き出した。それは真っ黒だった。
「ヒッ!!や…ヤバい!なんかよくわからねーけど、死んでる人間でも助けなきゃ!!俺たちに何ができる?!」
「しょーがねーな。お前能力覚醒したばっかだし、私の後ろに隠れて見てろ。」
女の子が海の前へ出て、軽い足取りでノアに近づいていった。
「おい!何考えてるんだ!危険だ!やめとけって!」
そんな海の忠告は彼女には聞こえてないようだった。女の子は自分の左親指を思いっきり噛んで傷を作ると、その親指を自身の左瞼に当て、血を付けた。そして左目を開けると……眼球があるはずのところが、空洞になっていた。そこには真っ暗な底無しの闇だけがあった。
『還れ。』
彼女がそう言った瞬間、左目の空洞から無数の腕が伸びてきた。それらはノアの形をした化け物を捕らえ、出口のない底無しの奈落へと引きずり消えていった。
ノアは長い夢を見ていた。誕生日プレゼントに兵隊の人形を買ってもらったのだ。そこにはカッコいい父も、優しかった兄マイケルもいて、母の手作りケーキを囲み、暖かい部屋でみんなが笑っている。
「ノア、6歳の誕生日おめでとう。お前はどんどん大きくなるな。あっという間に立派な男の人になってしまうんだろうな。」
朗らかでたまに厳しかったけどすごく優しかったお父さん。
「僕の愛しい弟。心優しく育ってくれよ。人に優しく、自分に厳しくだ。これからは紳士的な男性の時代だぞ。」
ずっと僕の憧れのお兄ちゃん。僕はいつかお兄ちゃんみたいな優しくてカッコいい男になりたいんだ。
「ノア、もう6歳なのね。あなたはどんな大人になるのかしら。楽しみね。」
いつも明るいお母さん。僕はお勉強が大嫌いだからついつい遊んじゃって、いっつもお母さんに叱られるけど、でも大好き!
「僕ね、お兄ちゃんみたいな男になりたい!優しくて、カッコよくて、強い男になりたい!それでね、ずっと家族みんなで一緒に暮らしていきたいな。」
ノアは目を覚ますと、母に抱き抱えられていた。
『ノア!!よかった…!!』
ノアの母は咽び泣いていた。
『お母さん…お父さんもお兄ちゃんもどこいっちゃたの?みんなに会いたいよぉ…!!みんなでまた暮らしたいよ、生きていきたいよぉ…!!』
ノアも泣き出した。キレイな涙が彼の澄んだ瞳から溢れて止まらない。海も2人の姿を見て視界が滲んだ。
「お前も見えたか?ノアくんの夢。あれが彼がこの世に残ってしまった理由だ。まぁ要するにありきたりだけど、この世に未練があるってこと。本当は彼の夢が現実になるはずだったんだ。だけど当時の社会がそれを潰してしまった。」
いつの間にか、また女の子が海の隣に立っていた。左目はもう戻っていた。海には何が起こったかよくわからなかった。後ろで見ていろと言われ見ていたが、ノアが発狂したかと思ったら、急に憑き物が取れたかのように力なく気絶してしまった。その後、ノアの夢が急に映像として頭に流れ込んできたのだ。でも唯一わかったことは…
「俺…幽霊はやっぱり怖いけど…でもちょっと変わったよ。なんかさ、霊感がある俺たちにしかできないことがあるんだって思った。俺、幽霊でも…もうこの世には存在してはいけない人たちであっても、彼らの想いを救ってあげたい…!!」
海の目は涙で滲み、サファイアの宝石のようにどこまでも澄んでいてキラキラ輝いていた。まるで宇宙の輝きだ。女の子はその目を見て感動を通り越し、驚愕した。彼女は思った。どんな海賊でも泥棒でも見つけ出せなかったこの世の宝はここにあったのだと。思わず心の中の言葉が彼女の口から漏れていた。
「お前…綺麗だな。」
「え?何か言った?」
その時、ノアと母親が2人に近づいてきた。
『ありがとうございました。あなたたちのおかげで漸く家族の元へ逝けます。夫とマイケルが待ってるところへ。』
「それはよかったです。早く行ってあげて下さい。絶対待ってます。」
彼女は海の言葉に微笑んだ。
『あと、1つ謝らないといけないことが。その…あなたの持っていた地図なんですけど、私が勝手に操作してしまいました。すみません。実は今までここら辺を立ち寄ってくれた方全ての人にやっていたことなのです。もしかしたらノアを連れてきてくれているかもと思って…。私はここから動けなかったものですから。』
「だからここら辺道に迷う人がいたのか。」
海は通りすがりのビジネスマンの言っていたことを思い出した。
『では私たちそろそろ逝きます。本当にお世話になりました。』
ノアの母親は一礼し、ノアは笑顔で2人に手を振って風と共に消えてしまった。
「お前さ、能力使えるんだな。」
「うん、私、世界に20人くらいしかいない人の1人な。まぁ別に申告とかしてないからカウントされてないけど。」
女の子は謎にドヤった。海は無視した。
「あーあ、もう真っ暗だ。今日のところは帰るか。」
海は自分がここに来た本来の目的を思い出して落ち込んだ。タイムリミットは7日しかないというのに、捜索は1ミリたりとも進展していない。上を見上げると空には星が珍しく輝いていて、肌寒いそよ風が2人を襲った。まだ3月なので冬の寒さが残っている。
「お前さ、もうこんな時間だけど、親心配してんじゃねーの?」
「あ…うん…そうかも。」
彼女からはどうにも歯切れの悪い返事が返ってきた。
「しょーがねぇから送ってやるよ。あ、そうだ。1日一緒に過ごしたのにまだ名前聞いてない。俺、青井海っていうんだ。青い海で青井海な。みんなからは『あおいろ』って呼ばれてる。お前は?」
「確かに言われてみれば…。私は如月真実。まぁ今後会えるかどうかはわからないけど、よろしく。」
真実と名乗った女の子は再度海に握手を求め、右手を差し出した。
「え……?如月…真実…?」
その名前は正しく海が探し求めていた名前だった。目から鱗とは正にこのこと。海は彼女を逃がすまいと差し出された右手を素早くそして力強く握った。真実は彼の予想外の行動にビクッと肩を震わせた。そして海は怒り任せに叫んだ。
「お前かよ!!!クソ妹ぉぉぉ!!!」
「いやぁ、本当によかった…よかったです!!」
政由は彼の妹…真実に左から抱きついていた。
「我が妹よぉ…!心配かけさせおって!」
忠由は咽び泣きながら真実に右から抱きついていた。そしてそれを正面で見せつけられている海は虚無になっていた。しかし彼の右腕には、以前から喉が出るほど欲しがっていた新品のティーゼルの腕時計がキラキラと輝いていた。
「あなた方がそんなふうに甘やかすから、今回のようなことが起こるんですよ!!」
あの後海は彼女を強制連行し、1日祖母宅に泊まった後、寂しがる祖母を説得してすぐに日本へ帰国した。海はもうヘトヘトだった。
「そうですね。彼のおっしゃる通りです。」
政由は真剣な面持ちで真実に向き直った。
「そこで真実、忠由、私あることを決めました。」
「「何?」」
真実と忠由は同じ表情で同じことを言った。
「真実、あなたは海くんの住んでいるシェアハウスで暮らしなさい。」
「え?」
政由の言葉に素っ頓狂な声を上げたのは、海の方だった。
「真実、あなた来月からもう中学3年生ですね。あなたの通う中学は、確かここよりシェアハウスから通った方が近いはず。それに私たちは何かと忙しくて真実を1人にしてしまう機会が多かったので、このようなことが起こったのです。シェアハウスでなら1人になる機会はそうそうないでしょう。高校も可能ならそこから通えばいいじゃありませんか。これを機に引っ越ししなさい。」
政由の提案に真っ先に異議を唱えたのは、真実本人ではなく忠由だった。
「嫌だ!!俺は嫌だぞ、政由!!真実と離れ離れになるなんて…そんな…無理だ!生きていけない!!」
いや…生きていけはするだろ、と海は心の中でツッコんだ。どんだけシスコンなんだよ、俺の憧れの人は…。
「忠由、これは真実のためですよ。」
「うぅ…でも…。」
「俺も反対です!政由さん!」
海も手を上げ、すかさず異議を唱えた。
「こいつと一緒に暮らしていける自信がありません!!」
「確かに少しヤンチャかもしれません。」
いや、少しどころではないんだよなぁと海は付け足そうとした。しかしそこで真実がようやく口を挟んだ。
「うん、行くよ。シェアハウス。」
「おい!なんで?!そこは反対しろよ!」
海は真実の肩を力強く掴んで揺さぶった。
「だって面白そうじゃん。」
「そんな理由?!4年も居るところなんだぞ?!」
「だって本当に面白ければいいんだもん。それに4年も、じゃなくて、4年しか、だ。私さ、ボストンでの出来事で結構お前に関心が湧いた。お前は他人にも霊にさえ同調できるから、今後どんな能力使いになるか見てみたい。」
真実はニヤリと笑ってそう言った。彼女の背後にある太陽がやけに眩しい。
「お前なぁ…。」
「む??何やら甘い気配が…。海くん!真実はやらんからな。真実は俺の嫁に来てくれるって言ったんだ。」
忠由が険悪な表情で海に詰め寄った。
「いや、そんなつもり全くないですし、むしろそんなん俺からお断りです。」
海は至って真面目だ。
「忠由兄さん、何年前の話してんの?それ私が3歳の時言ったことだよね。」
気持ち悪いほどのシスコンだな…だから顔はいいのに未だに結婚出来てないんだな…と海は密かに失礼なことを思った。ちなみに政由と忠由は29歳である。
「とにかく!もう決めたことですから。さぁ、早速引越しの準備を始めますよ!」
政由の鶴の一声で全てが決まってしまった。
「はぁ…な~んでこんなことになっちまったかね。」
「グダグダ言う男はモテねーぞ。」
「うっせ!俺は元からモテてんだからいーんだよ!」
真実の引っ越しが決まってから2日後、海と真実はキャリーバッグを引きずってシェアハウスを目指していた。海は何故か、彼女の荷物運びの手伝いをさせられているのである。シェアハウスは如月邸から車で1時間のところにあり、2人は私鉄でシェアハウスまで向かった。
「あ、言っとくけどシェアハウス男しかいねぇからな。みんな超いい奴だからあんまり困らせんなよ。」
「私紅一点じゃん。みんな私を可愛がれ。愛でてもいいよ。」
真実は謎にドヤった。
「ほらそうやってすぐ調子乗る。だーれがお前みたいな奴可愛がるかよ。どっちかって言えばお前俄然男寄りだろ。体が辛うじて女ってだけ。」
「わ~すごい煽ってくんじゃん。何?喧嘩売ってんの?買うけど?」
そんなこと言っていると、シェアハウスの前に着いた。
「ほら、着いたぞ。ちゃんと挨拶しろよ。」
2人は門を潜り、海が玄関の鍵を開けようとしたところ、同時に扉が開いた。そこには黒髪短髪の若々しい青年が立っていた。
「お、あおいろ。お帰り。」
「ただいま~たっくん。」
「その子が新しい子?」
たっくんと呼ばれた青年は、海の後方に立っている真実を見てフワリと微笑んだ。
「はじめまして。俺は石島拓也っていいます。わかんないことあったらなんでも聞いて下さい。あと俺のことは是非『たっくん』って呼んで下さい。これからよろしく。」
真実は雷が落ちたかのように、拓也を見て固まった。海は異変に気づき、後ろを振り返った。
「おい、どうした?」
海が小声で尋ねると、ようやく返答が返ってきた。
「めっちゃいい…。」
「は?」
真実は海を押しのけて、拓也の手を握った。
「私は如月真実。たっくん、今日から私の嫁になって!」
「は?」
「へ?」
時が止まった。嫁とは何なのかとか、出会って早々プロポーズとか気持ち悪すぎるとか、ツッコみたいことは山々だが、取り敢えず今は……
「お前、やっぱ帰ったら?」
海はこの時思ってもいなかった。真実との出会いが、今後自身の運命を大きく左右するなんてことは、微塵も思ってなかったのである。
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