ヒミツのワンルーム

近井とお

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ヒミツのワンルーム 4

「先輩、嫌です。僕以外を選ぶなんて、嫌です、許せないです。何が足りなかったんですか。でも、先輩がそういう人じゃないから、僕は先輩がよかったんです。炭木先輩のそういうところが、大好きで、大嫌いです」

 また、ハレサクは座椅子に戻ってしまった。肩に額を当てて、俺に恨み言をずっとこぼしている。手は重ねられ、指同士を絡ませ合うように遊ばれていた。よく分からないが言葉の合間に謝罪してみると、なんの主張かぐりぐりと顔を押し当ててきて、セットされていない柔らかな髪先が肌上で踊り、くすぐったかった。

「ハレサク」
「嫌です」
「俺がお前に酷いことをしたのなら謝りたいから、教えてくれないか? ……違うな、それは話したくなったらでいい、もっと楽しい話でもしようか。昨日観た映画の感想とか、明日の予定とか」
「せんぱいは、ずるいです」

 指が離れたと思ったら、一本一本を確かめるように触り始めた。右手の小指、薬指、中指、と順番に撫でて、揉んでいく。確認動作は左手の薬指に来て、より丁寧になった。形や太さを何度もなぞった後、根本に近い場所にずっと留まっている。

「もっと、この部屋から出せなくなりました。許せない、僕をこんなに欲張りにしたのは炭木先輩なのに、置いていくんですね。僕、先輩になにをされてもいいと思ってました。もう一度会えただけで、食事に行けただけで、同じ講義を取れただけで、休憩時間に会うだけで、休日に遊びに行くだけで、側にいてくれるだけで、それだけで良かったのに。先輩が僕を変えてくれたから、どんどん願望が膨れ上がっていくんです。だから、ずっとこの部屋にいて、僕以外と話さないで下さい。それだけで満足します、お願いです、炭木先輩……」

 俺と暮らして、遊ぶだけでこんなに喜んでくれる人間は、ハレサクだけだ。自分が思っているよりも慕われていたんだと思うと、なんだか感慨深い。

「ハレサク」
「すみき、せんぱい」
「さっきも言った通り、それだけは出来ない。他のことなら俺の出来る限りで叶えてやりたいけど、部屋に引きこもっているだけは無理だ」
「どうしてですか」
「それは……、明日話す。だから、一日待ってくれ」

 左手の薬指が、強く押しつぶされた。加減をしているわけではないはずだが、思いの外痛くはなかった。じゃれつかれているだけだと、ハレサクは俺に傷付けたいわけではないのだと、許せてしまえた。
 まさか、ここまで取り乱すとは想像していなかった。隠し事がすべてバレているわけではない、……はずだけど、どこまで知っているんだろう。
 嫌われてもいいと覚悟を決めていた。でも、何も知られないまま拒絶されるのは、嫌だ。例えハレサクを傷付けることになっても、自分の意思を伝えなければならない。

「ハレサク、お前に言わなければならないことがある」


  *


 九月はあっという間に終わった。月初めはシフトが入っていたが、半ばからはもう自由の身となってしまい、心苦しい気持ちを抱えながらハレサクと大学生の夏休みを満喫した。部屋で読書会をして、カフェで真夏の街並みを眺めて、様々な展示に囲まれながら涼み、寝る前にハレサクがカレンダーに書き込みをするのを見つめていた。
 誕生日に行ったプラネタリウムは、楽しかった。二人掛けのシートで、星座に詳しくない者同士、肩を寄せ合いながら星空の動きを追いかけた。行ってみれば、ハレサクがどうとか、『銀河鉄道の夜』がどうとか、そんなのは気にならなくなっていた。ただ、いつの間にか本棚から『銀河鉄道の夜』は消えていた。
 夏の間でハレサクに心境の変化があったらしい。

「僕目当てで先輩に話しかける人間がいたら、絶対に教えて下さい。僕が直接話をします」

 後期のオリエンテーション終わりに、力強くそう言われた。いつもの可愛げのある内気な雰囲気はどこにもなく、惚れ惚れするような落ち着いた格好良さがあった。
 言葉通り、何度も目の前で告白を傍観することになり、その都度ハレサクは端的な言い回しでそれを断った。初めは指を遊ばせているが、唇が動くとそれはすぐに静止する。そして、彼女らが去ると同時に、眉を下げながら俺の方を向くのだ。

「炭木先輩、見てくれましたか?」
「見てたよ。自分の意思を伝えれて、偉いな」
「えへへ、これでまた二人きりです。先輩がいてくれれば、僕は何でも出来るんですよ」

 ハレサクは困り顔から一転して、表情に照れを滲ませる。そして、教授の長話やら、今日の夕食やら、俺たちの話題は他愛のないものへと移っていく。


 三年生に進級しても、ルームシェアは問題なく続いていた。前々から言っていた通り、ハレサクは俺と同じコースを選択していた。課題に困ったら先輩を頼ります、と新学期早々情けないことを言ってきて、二人で笑った。
 ワンルームでの日々は、夏休み以降劇的な変化はない。同居人に起こしてもらい、二人で朝食を食べ、俺が迷わないように仲良く通学して、講義を受け、寄り道をしながら家に帰り、眠くなるまで話す。毎日がその繰り返しで、けれど飽きるということは全くなかった。
 予報通り、大粒の雨が窓ガラスを叩いていた。マイク越しの解説も、今だけは聞きにくい。半分聞き流しながら配付資料をめくり、首を傾げた。突如現れた『ペアG』を指さしてハレサクの方を見れば、ハレサクも不思議そうに『ペアB』と俺の指の先を見比べている。

「たまには違う相手とペアワークをしましょう」

 その瞬間、小講義室がざわついた。特に、女子は友人ときゃあきゃあ言いながら、俺たちの席へ視線を向けていた。教授だけが何故学生達が浮き足立っているのか、分からずにいる。

「この講義取らなければよかったです……」
「まあまあ、今回だけだって」

 恨めしげにプリントを睨みつける横顔を宥めたが、効果はなかった。今から抜け出しましょう、と顔に似合わない不真面目なことすらこぼしている。

「それでは、スクリーン通りに移動して下さい」

 映し出された座席表情で、BとGで思いの外位置が離れていた。

「席を移動する振りをして、Gの人にBと変わってもらいます」
「バレたら面倒なことになるぞ」
「でも……」
「終わったら、そっちがどんな話をしてたのか教えてくれ」
「……先輩も、一句一言違わずに教えて下さいね」

 ハレサクは不機嫌そうに口の端を落とし、重たい手付きで荷物を持ち上げた。

「やっぱり、僕」
「移動、移動!」

 俺でも緊張するし、気心が知れない相手と課題をやるのはハレサクにとって苦しいことなのは理解している。だから俺を頼りたいだけなのも分かる。けれど、心を許されているんだなと勘違いさせられて、少しだけ嬉しかった。
 席に着くと同時に、晴佐久くんの先輩さんだ、と独り言のようなものが聞こえた。声の方向を向くと、恐らく二年生の女子が立ちすくんでいる。

「すみません、あの、本当にごめんなさい……」
「全然気にしてないですよ! ええっと、よろしくお願いします」

 彼女は気まずそうな表情で俺の隣に座った。同時に教授が、自己紹介も兼ねて五分雑談して下さい、と無理難題を突きつけてくる。顔を見合わせて、俺も彼女も黙り込み、同じタイミングで口を開きかけて、また閉じた。困ってハレサクの方を見れば、あいつもこっちに視線を向けてきている。

「あの」

 声に釣られて彼女の方に視線を移すと、演技の先輩なんですか、とよく分からない質問をされた。

「演技……?」
「晴佐久くんが先輩って言うからてっきりそうなのかと思って。晴佐久くんと小中高も同じなんです、でも先輩さん見かけたことないし。あ、こういうこと聞くのって、失礼ですよね、すみません……」
「ええっと、ごめん、演技って何ですか?」
「先輩さん、本当に知らないんですか?」

 信じられないものを見るように、怪訝な表情を向けられた。教授の方をちらりと確認して、彼女は素早くスマホを取り出し、机下に隠した。何かを打ち込んだ後、これです、とのぞき込んでやっと見えるような位置でスマホを差し出される。

「『ハレサクくん』ですよ、元子役の晴佐久カイくん。『銀河鉄道の夜』の映画で主演のジョバンニ役だったじゃないですか。私もそれで原作読みましたもん」

 彼女の手の中に、いつか見た幼少期のハレサクと瓜二つの子どもがいた。間違いなくハレサクのはずなのに、余裕ありげな笑みをこちらに向けているのが不思議だった。内気で、恥ずかしがり屋で、よく照れるハレサクとは、全く違っていた。
 言われてみると、確かにこの顔立ちに懐かしさがあった。
 子どもの頃はゲームと読書以外興味がなかったから、芸能関係の有名人のことなんてほとんど覚えていなかった。だから、あれだけ一緒にいたのに、気付くことが出来なかった。
 一気に、頭の中で記憶同士が繋がっていく。
 ハレサクの名前に懐かしさや耳馴染みがいいと思ったのは、『ハレサクくん』として当時人気だったから。料理に疎く、登校頻度が低いような言い回しをしていたのは、撮影で通えなかったから。自分で稼いだという多額の貯金は、子役時代の給料をすべて親から受け取ったから。
 思いつきがすべて真実だとして、どうして『銀河鉄道の夜』のことを分からないと言ったのだろう? プラネタリウムだけ日時指定券だったのは、何か意味があったんじゃないか?
 俺が『銀河鉄道の夜』を観ていないと言ったばかりに、ハレサクが打ち明けてくれる機会を潰してしまったのだとしたら……。

「あのー、先輩さん?」
「ごめん、本当に知らなかったからびっくりしてました」

 珍しいですね、と言いながら、彼女はスマホの画面を落とした。俺の反応がおかしかったのか、声色は明るく、少し砕けたような雰囲気がある。

「大学に入ってからの晴佐久くん、今までと別人みたいに楽しそうです。きっと、先輩さんが知らなかったから、安心出来たんですよ。特に『銀河鉄道の夜』の頃が一番酷かったですから」
「酷かった?」
「学校中の女子はみんな晴佐久くんのことが好き! って感じでしたけど、忙しいのかあまり学校には来なくて。小学五年生辺りの夏休みに晴佐久くんの誕生日を祝いに行こうとか言って、女子のグループで押し掛けたこともあるんです。それを言い出した子、毎年そんなことやってたらしいですけど」
「誕、生日……」

 僕の誕生日がいつだったか忘れちゃいました。
 去年の夏にはぐらかされた言葉の意味を、ようやく理解出来た。ハレサクが自分の誕生日を隠していたのは、祝われることに良い思い出がなかったからなのだろう。

「先輩さん、私、ずっと後悔してるんです。その日、私も誘われてそのグループの中にいました。晴佐久くん、本当に嫌がっていたんです。でも、言い出した子が無理矢理押し切ろうとして、晴佐久くんが拒んで、彼女が泣いちゃったからみんなで晴佐久くんに文句を言って……。ずっと謝りたいなと思っていたけど、タイミングがないまま、ここまで来てしまったんです。流石にこの歳となると、謝られる方が思い出させられて嫌ですよね」
「そうやって配慮出来るのは、すごいと思います。罪悪感を晴らすために言いたくなるだろうし」
「いえ、私は加害者側なので……。こういう話をするのも間違ってるとは分かっているんですけど……」

 話さずにはいられない気持ちは、痛いほどに伝わっていた。
 俺の誕生日を本人以上に楽しんでいたハレサクが、自分の誕生日を忌々しい思い出としているのは、あまりにも寂しい。ハレサク自身は、きっと自分の生まれた日を大切にしているはずだ。何度かご両親から食事に誘われてお会いしたことがあるが、ハレサクの意思を大切にする優しい人たちで、家族仲は良好だった。あのご両親の元で生まれ育って、俺のことを精一杯に祝ってくれる人間なのだから、その日の大切さを理解していないはずがない。
 だから、ハレサクに自分の誕生日を心の底から祝えるようになって欲しい。例えあいつの隠したがった秘密を暴いたことで決別を招く結果となっても、俺はハレサクのために出来ることをしたい。

「ええっと、小中高が同じってことは、こっちが地元なんですよね?」
「はい。それがどうかしました?」
「ハレサクのためにやりたいことがあるんですけど、土地勘も情報もさっぱり持ってなくて。相談したいことがあるので、連絡先交換してもらえませんか? それ以外の用途には使わないので」
「私が手伝えることなら、是非」

 彼女がまたスマホを操作したことで、幼いハレサクが姿を現した。ハレサクはこの頃にはもう誕生日を嫌っていたのだろうか。

「あ、ちなみに、ハレサクの誕生日って知ってますか?」
「うーん、夏休みに入って少しした頃だったと思うんですけど……。あ、待って下さい。……ありました! そうだ、八月六日です。これ、間違いないです!」

 プロフィールの書かれたウェブページの一カ所を爪で刺して、彼女は俺に教えてくれた。八月六日、去年はもう俺とハレサクはルームシェアを開始していて、ちょうどバイトを辞めるとか辞めないとか、そんな話が出始めた頃だろう。教えてくれれば祝ったのに。頼られていると思っていたから、悔しい。
 連絡先を交換した辺りで、講義は再開となった。ペアワークやミニレポートをこなしながら、二つ大きな問題があるということに気付く。
 方向音痴なのに、この夏場に一人でケーキを持って帰れるのか?
 そもそも、今はバイトもしていないのに、誕生日プレゼントはどうやって準備するんだ?


 部屋から出ようとして、背中に冷ややかな音がぶつけられた。

「せーんぱい、どこに行くんですか?」
「……同級生の家に忘れ物を取りに行くんだよ」

 振り返れば、寝ていたはずのハレサクが目を細めてこちらを見つめていた。手を後ろで組んでいて、指の動きが見えないのが少しだけ怖い。

「また同級生。宅飲みの次は忘れ物ですか。僕をほったらかしにして、随分と楽しそうで。何時に帰ってくるんです?」
「ええっと、六時までには……」
「ふふ、炭木先輩ってば変なことを言いますね」

 ハレサクはスマホのロック画面をこちらに見せつけた。朝日はカーテンによって遮られており、薄暗い部屋で簡素な壁紙が眩しかった。

「今が、六時ですよ。朝の六時。先輩は方向音痴の自覚があるから、いつも時間にゆとりを持って移動しますよね。だから、先輩の言う六時は、十八時のはずです。忘れ物を取りに行くだけで、なんで半日掛かるんですか?」
「実家から通ってるやつで、こっちの方に住んでなくて」
「へえ、その人間の名前は? 住所は? 移動手段は? 大変でしょうから僕が案内してあげますよ」
「慣れてるし、一人で行けるから大丈夫だ」
「慣れてる? じゃあ、僕と何度も行ったことがある場所ですね? それとも、僕の知らないところで、先輩が道に自信を持てるほど何度も通っていると?」

 寝起きのハレサクって、こんな不機嫌だったっけ?
 頭は冴えきっているのか、冷静に俺の言葉の退路を断っていく。このまま部屋に留まっていれば、言い訳の矛盾を指摘されて、計画のすべてを吐かされてしまうだろう。
 去年してくれたように、俺だってハレサクへのサプライズを成功させたい。

「ハレサク」

 名前を呼ぶと、計算されたかのように綺麗に目元を緩めさせた。透明感のある肌には、何の色も宿っていない。

「はい、炭木先輩」
「夕食は二人で作ろうな。……行ってくる」

 目を見て言えば、分かりました、と俺の予定を受け入れてくれた。音は固く、まだ納得はしていないというのがありありと伝わってくる。
 振り返ってドアを開けたところで、先輩、と見送りに一言付け足された。

「ご両親にも、よろしく、お伝え下さい」

 ……俺が最近連絡を取り合っているのが両親じゃないとも、バレている。
 逃げるように部屋から出て、外まで駆け抜けた。朝でも夏の日差しは強く、太陽にじんわりと熱されながら足を進める。今日はハレサクの母校で英検の試験監督のバイトだ。駅の近くまで行けば校舎が見えるから、地図アプリで確認しなくてもたどり着くことが出来る。
 サプライズに関する問題の解決策は、一応見つけれた。
 誕生日ケーキの店舗探しと、道中の案内はハレサクの同級生である大火さんに協力してもらうことにした。電車で目的地の最寄り駅まで行ってそこから店舗までは彼女と一緒に行く予定だ。ケーキのデザインも少しだけ相談させてもらっている。彼女への協力費やプレゼントの費用は、単発バイトを何本か入れて賄うことにした。仕送りに手をつけるわけには行かないし、貯金は万が一の場合のために取っておきたかった。
 単発バイトを同級生と遊ぶ、彼女への相談を両親への連絡、ということにしているのだが、やはり仕切りのほとんどないワンルームで過ごしていれば隠し通すのは難しそうだった。
 ハレサクの誕生日までもう一ヶ月を切った。サプライズを成功させれる自信は、全くない。


 ショッピングモールは子ども連れで賑わっている。運良く入れた珈琲店でケーキセットを待ちながら、紙袋の中をのぞき込んだ。ハレサクは、俺のプレゼントを喜んでくれるだろうか。

「炭木さん、さっきからずっと中身を気にしてますね。まるで炭木さんの方が誕生日みたい」
「あはは……」

 去年はハレサクへ同じことを考えていたのに、今年は俺が言われる番だった。

「提出類終わってすぐに手伝ってもらって、ごめん。今回の件は本当に助かりました」
「いえ、気にしないで下さい。私も勝手に罪滅ぼしのつもりでいたので。そのプレゼントはどこに隠すんですか? 晴佐久くんとルームシェアしてるんですよね?」
「大学のロッカーです。集中講義のおかげで施錠されることは絶対にないので、ケーキを買って、大学に寄って、それから家に帰ろうかなって」

 彼女には早い段階で方向音痴であると伝えていたこともあり、なら迷わないですね、とからかうように言われた。異性の友達がいないから不安だったが、大火さんは気さくで優しい。ハレサクの彼女になる人は、きっとこんな雰囲気なんだろうな、と買い物の道中に感じた。
 ハレサクはいつまで俺とルームシェアをしてくれるのだろうか。せめて大学生の間までは、一緒にいて欲しい。あいつが隣にいる生活に身体も心も慣れすぎてしまった。もう一人暮らしに戻れる気がしない。ああ、でも、ルームシェアを解消しないとハレサクは恋人を作れないだろうし、俺の分の生活費の負担をかけ続けることになる……。
 おまたせしました、と思考を遮るように声が掛けられた。スタッフさんが二人分のケーキセットが机上に置いて去ると同時に、すぐに終わらせるので、と大火さんが申し訳なさそうに言った。ティラミスとアイスカフェラテの位置を調整し、さっとスマホのカメラを向けている。
 折角だし、俺も一枚撮っておこう。鞄からスマホを取り出してロック画面を立ち上げると、ハレサクからメッセージが届いていた。

『ひどいひと』
『僕の何が駄目でしたか』

 ……何のことだろう。ハレサクには同級生と買い物に行くときちんと伝えて、家を出ていた。あいつも、いってらっしゃい、と見送ってくれたし、勝手に出掛けたわけじゃない。
 まるで俺の姿が見えているように、新しいメッセージが届く。

『明日のお出掛け、朝一からにしましょう。いっぱい外での思い出を作りましょうね』

「炭木さん?」

 向かいから声を掛けられて、思わず肩が跳ねた。大火さんの瞳がじっとこちらを探っている。うっすらと眉間に皺を寄せて、大丈夫ですか、と尋ねられた。

「緊急事態ですか? 大変なことが起きた、みたいな表情してます」
「ええっと、そういうわけじゃないですよ。ちょっと変なメッセージが届いてて……」

 詐欺系はブロックに限りますよ、と言われ、曖昧に笑って誤魔化した。ロックを解除して、了承のスタンプだけ送り、写真を撮らないまま閉じる。
 ケーキを食べながら明後日の集合時間と場所を確認した。彼女に何度も改札から出ないで下さい、と念押しされ、構内にあるクレープ屋さんの話に移り、そのままいくつか美味しいお店を教えてもらった。


 予定を変更して朝一で映画を観て、そのまま軽食を取り、近くの大型書店へ足を運んで、夕暮れとともに小洒落たレストランに入った。全部ハレサクの支払いだった。しかも、俺が迷子にならないように手を繋いでくれたりと気を使ってくれていた。
 どうしてか、ハレサクに優しくされると、恋人が出来なければいいのにと願ってしまう自分がいる。
 きっと、昨日の帰り道に聞こえた会話がそう思わせているのだ。サラリーマン風の男性二人が、ゲーム仲間がまた一人減った、とぼやいていた。彼女と付き合ってからゲームのログイン頻度が下がり、結婚と同時にやらなくなったのだと言う。他人の話なのに、つい自分とハレサクを重ねてしまった。元々住む世界が違うのだ、俺以外に親しい相手が出来たら、きっとこの友情関係は解消になるに違いない。
 予約してくれていたレストランも、相変わらず高級そうな出で立ちをしていた。冷房が効き過ぎているのあって、なんとなく居心地が悪い。ハレサクが向かいではなく、隣にいてくれればいいのに、と場違いなことばかり考えていた。
 久しぶりの、味のしない食事だった。味覚が機能していないことを悟られないように、夏休みの予定やさっき買った本の話をした。そうやってデザートメニューに到達したところで、不意にハレサクが切り出してきた。

「先輩は明後日出掛けるんでしたっけ」
「そうだ。でも二時、……十四時までには戻ってくる。そうしたら、俺の用事に付き合って欲しい」

 この話をするのは、初めてじゃない。カレンダーに書き込んでいる横顔へ伝えてから毎日、同じことを確認されている。本当は俺だって八月六日に『ハレサクの誕生日』と書いてあげたかった。飾りたてられた八月三十日を見ると胸が痛んだ。どうしてハレサクだけが、自分自身の誕生日を喜ばしいものとして祝えないのだろうと苦しく思った。

「その予定、別日に変更できませんか? 僕からもその人間に謝罪するので。お願いです、炭木先輩……」
「変更できるならそうするんだけど、明後日だけは無理だ」
「そうですか」

 あっさりと引き下がって、ハレサクはアールグレイに何かを混ぜ入れた。シュガーだろうか。気が動転していてアイスコーヒーを頼んでしまったから、少し羨ましい。
 手元を眺めていたのがバレたのか、よかったら、とティーカップが差し出される。お礼を言いながら、それを受け取った。手を少し温めてから、口を付けた。思ったより甘くないおかげで、飲みやすい。
 美味しいですか、と問われて、素直に頷いた。

「ハレサク、ありがとう。アールグレイだけじゃなくて、映画も、食事も、本屋も全部。お前が俺と友達になってくれて、良かった。今日改めてハレサクのことが好きだなって思ったよ」

 ハレサクは返事の代わりに、綺麗な笑顔を向けてくれた。机上で組まれた手はいつになく落ち着いていて、暖色系のランプが白い肌を照らしていた。『ハレサクくん』のような、お手本のような微笑みだった。

「先輩は、ずるいです」

 俺を責めているはずなのに、不釣り合いな爽やかな音をしていた。

「炭木先輩、僕たち一緒にいましょうね。どこまでも、どこまでも、僕たちずっと一緒にいましょう」
「ああ、きっと、いれる限りはずっとな」

 それから、ハレサクは途方のない旅行計画を俺に話してくれた。近辺から、県外、いつしか国外へとそれは広がっていった。何カ国目かに突入した辺りで、何故かハレサクの声が遠くなっていった。聞いていたいのに、入ってきた言葉は頭に留まることなく、すり抜けていってしまう。身体は俺の意思に反して、少しずつ頼りないものになり、上半身が勝手に揺れる。ハレサクのはなしを、もっと、ききたい、のに……。

「おやすみなさい、炭木先輩。明日からは永遠に夏休みです。僕たちずっと一緒にいましょうね」


  *


「嫌です、聞きたくないです!」

 取り乱したハレサクによって、再び床に落とされた。手を突いて身体を支えようとしたが、手錠のせいで中途半端に体勢を崩し、左腕が下敷きになった。あいつの顔を見ようと全身で位置を変えようと動いている途中に、足に体重が掛けられ、首を床に押しつけられる。

「落ち、着けって」
「僕は先輩が側にいてくれるだけで良かったです。だから、僕に嘘をついていることも、見て見ぬ振りをしました。他の人間と出掛ける背中を、見送り続けました。確かに先輩は三年生で来年の今頃は就活だ、遊ぶタイミングは今しかないのかも知れない、相手はあの女じゃないしバイトなんかしていない、そう自分に言い聞かせ続けました」
「ハレ、サ、クっ!」
「あの日、無理矢理にでも講義を抜ければ良かった。それか、テキストを入れ替えてしまえば良かった。ねえ、炭木先輩。僕が女だったら、あなたは僕を選んでくれましたか? この顔が、身体が、あなた好みだったら、僕はずっと一緒にいれましたか? ……なんて、冗談です。先輩は見た目や地位で相手を選ぶ人じゃないですもんね。だから、僕は先輩に愛されたかった。そういうところが大好きで、大嫌いです」

 俺は今、ハレサクに何の話をされている……?
 とりあえず、大火さんと俺の関係を勘違いされていることは理解出来た。ただ、それとハレサクの性別がどう関係あるのかさっぱり分からない。折角ハレサクは苦手としていた言葉を使ってまでこちらに意思を伝えてきてくれたのに、もどかしい。
 不意に身体を押さえつける力が弱まった。頭上で、すみきせんぱい、と今にも泣き出しそうな声が聞こえる。

「嘘でもいいです。その場しのぎの言葉で十分です。どうか、僕のことが好きだって、ずっと側にいるって、言って下さい。お願いです……」

 緩めたのは、俺の言葉を求めているかららしかった。
 もう、サプライズなんて言っている場合じゃない。こうなった事情は後で聞くとして、ハレサクが俺に伝える努力をしてくれたように、俺もきちんと伝えるべきだ。そのチャンスは多分、今しかない。

「ハレサク」
「はい、炭木先輩」
「少し早いけど、誕生日おめでとう。二十歳だよな。明日は俺とお酒を飲んでみないか。いつかハレサクとって思って、まだ飲んだことないんだよ」

 沈黙が、怖い。
 言葉が返ってくることも、今以上に身体の自由を奪われることもなかった。足に掛けられていた重みもなくなったため、みっともない動きで身体を回す。

「え……?」

 綺麗な顔をいつも以上に真っ赤に染め、力なくベッドに背を預けていた。困ったように眉を下げ、たんじょうび、おさけ、と唇が繰り返している。
 さっき本棚を漁るときに試したおかげで、拘束具があっても起き上がること自体は難しくなかった。筋肉に力を入れて身体を持ち上げ、ハレサクの方へと倒れ込む。
 懐かしい、この格好は大学で出会ったときに似ている。
 長い睫毛が震え、瞳は期待で潤んでいるようだった。ミルクブラウンの柔らかな髪をどこかそばだてている感じがする。顔全体に照れが滲んでいるのが、やっぱり可愛い。

「ずっと黙っててごめん。少し前に、明日がお前の誕生日だってことと、その件でのいざこざを知った。お前なりに理由があって言わなかったのに、自分でも酷いことをしてしまったと思う。本当はハレサクの口から直接聞くべきだった。それに、準備ばかりを優先して、一緒に暮らしているお前を蔑ろにしたのも、悪かった。明日の午前中は、人に手伝ってもらってケーキを取りに行く予定だ」

 知らなければよかったとは、思わない。ハレサクの誕生日は一年に一度しかないのだから、祝える回数は多ければ多いほどいい。

「酷いことだとしても、ハレサクの誕生日を祝いたかったんだ。去年、俺の誕生日で楽しそうにしていたから、俺はハレサクのことが好きだから、自分の誕生日はそれ以上に楽しいものになって欲しかった。俺のことが嫌いで閉じこめているんだと思うが、せめて明日だけは今まで通りでいて欲しい」
「すみき、せんぱい……! つ、つまり、僕のことが好きって、ことですか!?」
「ああ、好きだよ。こんな俺と一緒にいたいって言うやつなんて、ハレサクしかいないし」
「ど、どうしよう、僕たち両想いだったんですね……!」
「両、想い……?」

 思考が追いつかず、頭が横に傾いた。友情を表現するには重たいように感じる。そもそも、こういうときに両想いなんて使うのだろうか。
 ハレサクの頬の紅潮が、ゆっくりと引いていった。溜め息をついて、困ったように笑っていた。

「先輩はずるいです。ひどいです。嫌いです」
「ええっと、ごめん……」
「許してあげます。僕は、鈍感な炭木先輩のことが、……好きですから」

 おずおずと腕が背中に回り、きつく抱きしめられた。やはり、彼の身体は俺が心地良いと感じる、ほどよい温かさを持っていた。

「ハレサク、じゃあ」
「さて、先輩。話し合いをしましょうか」

 話し合い。この言葉にあまり良い印象がない。片腕で俺の腰を抱き、もう片腕は手錠に繋がる紐を掴んだ。引っ張ると同時に、ハレサクの身体に押しつけられ、身動きが取れなくなる。

「先輩が好きって言ってくれたから、もっと欲張りになっちゃいました。先輩に隠し事をするのは、嫌なんです。僕の全部を知って、受け入れて欲しい。もう、我慢できません」

 熱っぽい視線が、俺に向けられていた。甘えるような声色は、いつもと違う温度をまとっていて、居心地が悪かった。

「僕は炭木先輩のことが、好きです。あなたに恋をしていて、あなたの全てを僕が独占して、僕の全てを受け取って欲しいと願っていました。だから、どうか、僕と付き合って下さい。そうしたら、この紐だけは外してあげます。出掛けたくなったら、僕がどこへでも連れて行ってあげます。お願いです、炭木先輩?」
「ええっと、ハレサク? 俺のことが、好き……? 付き合いたい……?」
「はい。もう一度会えたら初恋を諦めよう、食事に行けたら初恋を諦めよう、同じ講義を取れたら初恋を諦めよう……。ずっと諦めようとしていたのに、先輩は僕との縁を繋ぎ続けてくれたから、諦められなくなっちゃいましたっ! 僕のことを振ってもいいですよ、何を言われても僕はもう諦められないので。でも、僕の意思を尊重してくれる先輩なら、なんて返事をすればいいか分かりますよね?」

 ハレサクが、俺のことを、恋愛対象として好き……?
 今まで考えたこともなかった。慕ってくれる後輩で、趣味の合う友人で、ずっと一緒に暮らしていきたい同居人だった。確かに好きではあるが、友情として彼に好意を向けていた。
 流石に、俺が告白を断る立場にないのは分かる。でも、場の流れだけで付き合うのは、正解なのだろうか。俺もハレサクの意思を尊重したいとは思っている。相手のことを考えるなら、自分が救われるために了承するのはハレサクの好意に対して失礼だ。

「ハレサク」
「はい、炭木先輩」
「それは無理だ、お前とは付き合えない」

 ハレサクのは顔色を全く変えずに、どうしてですか、と冷たく吐き捨てた。

「場の流れだけで、簡単に返事をしたくない。ハレサクが俺のために頑張って選んだ言葉を、保身のために踏みにじりたくない。お前のことは好きだし、可愛いと思う。だから、……恋人候補から始めさせてもらってもいいか?」
「すみき、せんぱい……!」

 ハレサクは頬に照れを滲ませて、何度も大きく頷いた。ふわりと跳ねるミルクブラウンが、言葉にならない興奮を教えてくれているようだった。

「ああ、やっぱり、炭木先輩はずるいです。先輩のそういうところが好きなんです。外見や立場なんて関係なく、僕自身を見てくれる人だから、初恋を諦められないんです」

 嬉しそうに声を弾まされると、胸がくすぐったくなる。なんだかんだ、ハレサクの顔や態度に弱いのだ。保留一つで喜ばれるのなら、その内考えなしに告白を了承してしまいそうだなと思った。

「じゃあ、手錠を」
「今日一日だけ、そのままにさせて下さい。食事や排泄は僕がしてあげます。だから先輩、駄目ですか……?」
「……排泄だけは勘弁してくれ」

 やった、と喜ぶ姿に、それ以上は何も言えなかった。きっと明日は外に出してもらえる、……はずだ。後はスマホも返してもらって、ついでにカレンダーにもハレサクの誕生日と書かせてもらおう。
 不意に紐の拘束が解かれた。体勢を整えて、ハレサクと向かい合う。恋人候補だと思うだけで、瞳に捕らえられることすらむず痒かった。 

「お返事楽しみにしています。ずっと一緒に長い夏休みを過ごしましょうね、炭木先輩」
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演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

【完結】口遊むのはいつもブルージー 〜双子の兄に惚れている後輩から、弟の俺が迫られています〜

星寝むぎ
BL
お気に入りやハートを押してくださって本当にありがとうございます! 心から嬉しいです( ; ; ) ――ただ幸せを願うことが美しい愛なら、これはみっともない恋だ―― “隠しごとありの年下イケメン攻め×双子の兄に劣等感を持つ年上受け” 音楽が好きで、SNSにひっそりと歌ってみた動画を投稿している桃輔。ある日、新入生から唐突な告白を受ける。学校説明会の時に一目惚れされたらしいが、出席した覚えはない。なるほど双子の兄のことか。人違いだと一蹴したが、その新入生・瀬名はめげずに毎日桃輔の元へやってくる。 イタズラ心で兄のことを隠した桃輔は、次第に瀬名と過ごす時間が楽しくなっていく――

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

完結|好きから一番遠いはずだった

七角
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

花びらは散らない

美絢
BL
 15歳のミコトは貴族の責務を全うするため、翌日に王宮で『祝福』の儀式を受けることになっていた。儀式回避のため親友のリノに逃げようと誘われるが、その現場を王太子であるミカドに目撃されてしまう。儀式後、ミカドから貴族と王族に与えられる「薔薇」を咲かせないと学園から卒業できないことを聞かされる。その条件を満たすため、ミカドはミコトに激しく執着する。