ヒミツのワンルーム

近井とお

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ファーストステップ 2

 ハレサクに会いたがる両親と、両親に会いたがるハレサク。間に入る身としては気恥ずかしさがあるものの、一応双方の事情を踏まえて、金土日の三日間で調整を付けていた。二人とも仕事のない土日は朝の食卓の空気が緩く、時間に決まりがない。好きなものを食べろ、という方針の母さんも、今日ばかりは二人分の朝食も用意してくれていた。
 なんとなくサラダの盛り付けを手伝っていると、本当にショウジの後輩なの? と昨日と同じようなことを隣から言われた。ミニトマトが指から逃げ、サラダの上に着地する。リビングの方を見れば当事者と目が合って、わかりやすく表情を輝かせた。
 後輩だけど、恋人でもある。
 寝る前の温かな時間が、身体の内側に火を点けた。何を言えばいいのか分からなくなって、口を噤んだ。

「思ったよりも素朴な子ね。ショウジを慕ってるなんて、信じられない」

 それは、自分でも未だに思う。たまたま通りかかって声を掛けただけなのに、ハレサクは俺を慕って、好きだと言ってくれる。ただ、その言葉を疑うのはハレサクに失礼だと、今は素直に受け入れるようにしていた。

「俺は、あいつの先輩になれて良かったって、思ってる」
「そうよ。もう二度とあんな子と出会う機会なんてないわ」

 口と一緒に手も動かす、と母さんに促され、再びミニトマトを手に取った。

「ハレサクくんは、付き合ってる人とかいるの? 大学でも相当モテてるでしょう。あんまりあんたが束縛しちゃ駄目よ」

 またちょっとした隙間を縫って落ちていくのを、ただただ見つめていた。
 ハレサクと付き合っているのは、他でもない俺だ。
 それを母さんに伝えたら、どう思われるのだろう。もしかしたら、ハレサクが昨日緊張していたのも、こっちが理由だったのかもしれない。
 思い返せば、ハレサクがまっすぐに好きだと言ってくれたから、性別に対して何かを考えたりはしなかった。けれど、母さんは、どうなのだろう。

「……モテるよ、すごく。でも、いつも断ってる」

 嘘は言っていないのに、言葉を吐き出すと胸が痛んだ。今、俺は、ひどいことをハレサクにしている。
 そこから少しずつ話の内容は大学生活の方へと移っていった。出来上がって、三人で食卓を囲むと、今度は今日の予定に関して母さんは俺たちに問いかけてきた。あえて計画を立てなかった俺たちに、たまには練習しないと、と言って車の鍵を預けてきたのだった。
 黒い箱型の軽自動車に乗り込んで、座席の位置を調整する。上下や前後に移動させおそらくここでよいのだろう、と納得したところで、シートベルトをつけた。久しぶりな上に、隣にはハレサクもいて、緊張する。ブレーキを踏み込む足に力が籠もり、強ばった指先がエンジンのスタートスイッチを押し込んだ。ピピ、と電子音が鳴って、メーターやナビがぱっと点灯していく。

「行きたいところとか、ある?」
「先輩の行きたいところに行きたいですっ!」

 隣を見れば、長身をちょこんと行儀良く助手席に納めていた。それなのに、シートベルトに触れる指先は落ち着きがなく、興味津々な様子が顔に浮かんでいる。

「前も言ったけど、観光するような場所はないからなあ……。まあ、おつかいもあるし、ショッピングモールにでも行ってから考えればいいか」
「分かりました!」
「……迷ったら、ごめん」
「そうなったら僕が案内しますから、大丈夫ですよ」

 その声には、優しさと力強さが同居していた。まるで昔からここに住んでいて、周辺のどんな場所でも案内出来そうな雰囲気があった。
 ハレサクの言葉に安心して、レバーを握る。左右から車が来ないことを確認して、ゆっくりと発進させた。
 十何年も過ごしていたのに、自分で歩くのと、運転席から見るのとでは、まったく違う風景のように映っていた。車一台分の道を抜け、大通りも目前となったところで、どちらにウインカーを出すのが正解なのか早速分からなくなった。
 なんとなく、左じゃないような気がする。道路標識に丁寧に従う素振りをとって、ゆっくりと道の向こうを確認した。やっぱり、右の方が目に馴染んでいる。ウインカーを出し、まばらに車が行き交う隙間にそろそろと飛び込んだ。
 とりあえず、道なりに進んでいく。

「小学生の頃の先輩はやんちゃだったと、お母様から聞きました。自転車でレースをして、転倒し大きな擦り傷を作ったって本当ですか?」
「母さん……」

 実家に着いた後も何か盛り上がっているなとは思っていたけど、そんなどうでもいいことを教えていたなんて。思わず、ため息が漏れ出る。

「本当だけど……。小三とかその辺りの話だよ、もう何年前だと思ってるんだ……」
「ゲームばかりしていたと言っていたので、てっきりあまり外では遊んでいないのかと思いました。あ、先輩、そのまま直進で大丈夫みたいです。あそこの案内看板に、書いてありますよ」
「ありがとう、俺だったら見落としていたかもな。当時は自転車レースが流行ってたんだよ。誕生日プレゼントでゲーム機をもらって、それからは友達が塾の日とか夜はゲームをしてた。で、ずっとゲームばっかりするなって怒られた」
「秘密基地ごっこをしていたり、田んぼに足をつっこんで出れなくなったりしていたとも聞きました。写真も見せてもらったんですよ。ふふ、小さい頃の炭木先輩って、元気いっぱいで可愛かったんですね」

 近所の子どもたちで秘密基地を作っていたのも、田んぼのことも、自転車レースより前の話だ。ハレサクに言われるまでそんなこと忘れていたし、思い出そうとしてみてもところどころが欠けていて、事実としてあったことが分かる程度でしかなかった。
 帰ったら、母さんに文句を言って、もう意味はないだろうが口止めもしよう。ハレサクの案内を聞きながら、そう決意した。

「幼いハレサクが俺と出会ってたら、きっと横矢くんみたいに苦手意識を持たれただろうな」
「そんなこと、ありえないですよ! 何歳だろうと絶対に僕は炭木先輩に惹かれて、ずっと側にいて欲しいと願います。先輩となら、自転車レースも、秘密基地ごっこもしたかったです」

 堂々と返されて、胸が痛む。これだけ慕ってくれているのに、裏切るような嘘をついたのが、申し訳なかった。

「ごめん」

 謝ったところで何の意味もないのに、言わないと耐えられなかった。どうしたんですか、と訊ねられて、お前に案内させて悪かったなと思って、とまた嘘を重ねる。
 いつの間にか、ショッピングモールの近くまでたどり着いていた。道路の先に、建物が見える。ハレサクが到着を大げさに祝ってくれている内に敷地内へと到達し、二人で駐車スペースを探した。
 夏休みが終わったと言っても、何もない土地である以上、休日のショッピングモールに人が集中していた。ただ、広がっている通路はあっちの何倍も歩くのに余裕がある。修繕の余裕がないのか、足下のパネルが割れているのをどうにかテープで補修されていた。

「な、田舎だろ。中の雰囲気も全然変わってないから、多分面白いような場所はないぞ」
「つまり、先輩が過ごされていた時間のまま保たれているということですか……!?」
「そうだな」
「こ、こんなに素敵な場所に案内してもらえるなんて……! 可愛らしい先輩の姿を見れただけで満足していたのに、こんな贅沢をさせてくれるんですか……! ありがとうございます、炭木先輩!」
「どういたしまして?」

 よく分からないが、こんな何の変哲もない場所をハレサクは気に入ってくれているらしかった。入り口で立ち止まっている訳にも行かず、館内を進んでいって、道の半ばに置かれた棚に意識が奪われた。

「花火……」

 夏が終わったからか、通路にはずらっとセール品が並んでいた。保冷剤や自由研究キット、日焼け止めなどとともに、手持ち花火も割引されている。
 脳裏に夏祭りの無邪気な姿が浮かび、思わず一つを手に取った。どれにしよう、と最初の一本を真剣に悩む様子が、簡単に想像できた。くるくると回して、笑いかけてくれそうだと思った。輪投げに手こずっていたように、線香花火を不器用に楽しんでくれるかもしれない。
 隣を向いてすぐに、穏やかな瞳と目が合う。その内側に、打ち上げ花火を見た日の綺麗な男の面影を見つけて、どきりとした。

「今日の夜、お前と花火がしたい。……いいか?」
「やりたいです!」

 上機嫌なハレサクが、可愛い。それなのに、まだ鼓動が落ち着かない自分がいる。

「ええっと、じゃあ、母さんに夜も車を使っていいか、聞いてみる」
「よろしくお願いします」

 ポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを立ち上げる。花火をしに行きたいから車を貸して欲しい、と送れば、すぐに既読がついた。そのまま返事を待っていると、ショウちゃんせんぱーい、と懐かしい声に呼ばれた。
 顔を上げると、かつての俺と同じ夏服を着た高校生が、こちらに手を振りながら近付いて来ている。

「ショウちゃん、先輩……?」

 重苦しい音で復唱するのが、いつもと違う呼び方の違和感を高めていた。何か説明する暇もなく、そいつはワゴンの向かいに到着した。

「久しぶり! 元気してた? え、隣の人、ショウちゃんの友達? めっちゃ格好良いね!」

 矢継ぎ早に言葉をぶつけてくるのは、昔から変わらない。勝手に友達だと判断したらしく、こんにちは、と大きな声で挨拶していた。
 こいつのノリは、ハレサクが苦手とするものではないだろうか。横顔を覗き見れば、恐ろしいくらいに綺麗な無表情が、その美貌に張り付いている。
 ただ、当事者はそれを気にしてはいないらしかった。にこにことしながらこちらを向いて、帰ってくるなら言ってよー、と声を弾ませた。

「言う訳ないだろ。俺はお前の連絡先も知らないし」
「兄ちゃんには言ってないの? 会わないの?」
「明日帰るし、会うつもりなかったから言ってない。よろしく伝えておいて」
「覚えてたら言っとく! あ、俺、待ち合わせしてたんだった。ショウちゃん、またね!」
「またなー」

 嵐のようだった。いつになっても子どもっぽさが抜けない背中に手を振っていれば、手首をぎゅっと握り込まれた。爪が皮膚にのめり込んで、痛い。

「ハレサク?」
「あれは、なんですか。僕だけの先輩なのに、他の人間にその立場を許していたんですか」

 やっぱり、相性の悪い相手だったらしい。俺を見下ろす双眸は、睨んでいるようにも見える。

「こっちの友達の、弟。俺の四個下だから、同じ校舎で過ごしたのは小学校の頃だけだな」
「お、とうと……」

 そう、と頷くと、少し握り込む力が緩んだ。

「俺と同じ高校に進学してから、先輩ってつけるのにハマってるらしい。でも、すぐにショウちゃん呼びに戻るんだよ」

 いつも兄について回っていたから、必然的に一緒に遊んでいた。当時は兄のことを名前にちゃん付けで呼んでいたから、それと同じ要領で俺のこともショウちゃんと呼んでくる。
 このことは、これ以上説明しようがない。

「だから、あいつにとっても、俺にとっても、『先輩』になんの意味もない」

 そう切り上げようとして、違うだろ、と自分を責めた。ハレサクにとって『先輩』という存在がどれだけ大きなものなのか教えてもらっていたのに、自分の意見を言うのが苦手なのに伝えてくれたという事実も含めて、蔑ろにしようとしていた。
 息をゆっくり吐き出すと、緩んでいた力が強まる。お前を怯えさせたいわけではないんだ、と出来る限りの笑みを作った。
「なんの意味もないから、ハレサクが嫌だと思うならあいつに呼び方を変えさせる。俺も、お前に炭木先輩って呼ばれるのが好きだし、それを特別なことだと思ってるよ」

「……炭木先輩は、ずるいです」
「それで許してくれるのか?」
「……あなたにそう言われて、僕が許さないわけないじゃないですか」

 拗ねるように呟いて、指の怒りが静まっていく。柔く触れて、皮膚下の血管を確かめるかのように、そっと指の腹で撫でられた。さっきは感じれなかったハレサクの手の温度が、肌にじんわりと滲んでいく。

「すみき、せんぱい」
「どうした?」

 困ったように眉を下げて、ハレサクは微笑んだ。頬が赤く火照って、指先は穏やかに皮膚を滑っていく。

「呼びたかっただけです」



 夜の海水浴場に忍び込んで、駐車場の海側に車を停めた。
 俺たち以外、誰もいなかった。海岸に街灯はなく、底のない暗闇が寄せては戻り、砂浜との境目を分かりにくくしている。海の奥深くから、ざあ、ざあ、と呻き声のようなものが鳴り響いていた。けれど、ハレサクの言葉はそれに邪魔をされても、かき消されることがなかった。

「ここも、素敵な場所ですね」

 砂浜へと繋がる階段に足をかけ、確かな足取りで進んでいく。

「先輩と行く場所は、どうしてこんなにも輝いているんでしょうか」

 海面はぬったりとしていて、輝きとは程遠かった。散りばめられた星や、左上のわずかに欠けた月がどんなに空の上で光を放っていても、こちらにまで届くことはない。
 ゆったりとした間隔のそれを、リズムよく降りていき、砂浜に足裏がつくと少しだけ長身がバランスを崩した。ハレサクは特に気にしていない様子で、こちらに振り返る。

「せーんぱいっ!」

 こちらを見上げ、俺を呼んだ。ハレサクと俺の間には、まだ数段の距離があった。

「すみきせんぱーいっ!」

 潮風が髪の毛を撫で、顔に掛かっていた。海に近付くほど、波の音も大きくなっていく。それなのに、ここにいるどれもが、ハレサクの存在を損なわせることが出来ない。光のない場所だからこそ、身体の内側から出る輝きが一層強く感じれた。

「好きでーす!」

 胸をくすぐったくさせる言葉は俺の元に届いてから、波音に隠されていく。

「……俺もだよ」
「聞こえませーん!」

 恋人になってくれた男は、可愛く、どこまでも無邪気に笑っていた。砂浜に降り立ち、もう一度言葉を紡ぐ。

「ハレサクのこと、俺も好きだよ」
「やっと、聞こえました!」

 ハレサクは不安定なことも楽しんでいるようだった。砂浜の上を飛び跳ねるように進んで、ここがいいです、と再び立ち止まった。
 ビニール袋を砂浜に降ろし、スマホのライトを頼りに中を漁った。大量に買い込んだ花火をハレサクに一旦託す。
 花火の半分くらいの大きさのパッケージを取り出して、裏面の説明をもう一度確認した。そのままそれを開け、入っていた小袋を取り出す。家から持ってきたペットボトルの水をすべて注いだ後、その小袋の中身の粉を入れ、適当な位置にセットした。バケツ代わりのそれは、粉が水を吸ってジェル状になっている。
 ハレサクも丁寧にパッケージを開けて、花火を出してくれていた。砂を掘りながらそれを見ていれば、思ったよりも深く進んでしまっていた。風除けになるから、と自分に言い訳をして、バースデーケーキを彩ったものとは真逆の、味気ない丸い容器に収まった蝋燭をセットした。
 試しに、蝋燭に火を点けてみる。家から借りてきたライターの炎は、不安定な潮風に揺られながらもしっかりと糸に飛び移った。
 顔を上げれば、花火の準備も整っていた。一つの上に数え切れないほど敷き詰められていたため、これは何色かな、と想像しながら青と白のストライプ柄のものを手に取る。先端を火に近づけると、じわじわと燃え、前触れもなく白い火花を散らし始めた。
 花火のおかげで、ハレサクがどれにするかを悩んでいるのが、よく見えた。首を傾げながら、じっと観察を続けている。

「ハレサクも、早く」

 俺の声に反応して、ぱっと顔を上げる。そのまま、手元を見ることもなく、指に触れたものを握り込んだ。

「じゃ、じゃあ、これにしますっ」
「分かった」

 立ち上がって、その先端を見せつけるように差し出してきた。吹き出る光をそれに重ねていれば、ふとした瞬間に輝きの柱が二本に増える。弾ける光が、ハレサクの美貌を眩く照らした。

「すごい……!」

 また、自分の手元を眺め、幸せそう目元を緩めてにこちらを見た。この顔も、好きだ。心の底から楽しんでくれていると、もっと何かしてあげたいと思う。
 ハレサクが幸せなら俺も幸せで、ハレサクが悲しんでいるのなら俺はそれを慰めてあげたい。手を伸ばしたら触れれるような距離で、笑いあっていたい。そうやって、二人でずっと一緒にあの部屋で暮らしていきたい。俺にとって、恋人らしいこと、とは、そういうものなのかもしれない。
 手元で奏でられる音は頼りなくなり、ついに火が消えた。花火を凝固剤の中に入れて、新しいものを手に取った。伸びてきた炎を受け取って、また違った輝きが灯る。

「ごめん、ハレサク。お前が恋人だって、母さんにも、父さんにも紹介出来てない。言っていいのか分からなくなって、まだ言い出せてない……」

 俯いて、花火を見つめていた。青い光が一直線に吹き出ている。それに何かが割り込んできて、同じ色の光をもう一つ生み出した。

「そんなこと、気にしていたんですか?」

 ぱっと顔を上げると、ハレサクは落ち着きのある微笑みを浮かべていた。違いますね、と自分の言葉を訂正する。

「僕のことを気にしてくれていたんですか、が正しいですよね」

 こう言い換えるのって炭木先輩みたいです、と一人で笑っている。俺達の間にある輝きがゆっくりと勢いを失い、暗闇が戻ってきても、ハレサクは綺麗なままだった。俺の花火が穏やかな指に回収されていく。

「そのまま先輩の言葉をお借りすると、言いたくなったら言えばいい、ってやつです。僕は先輩の生まれ育った環境を知って、ご両親にきちんと挨拶をしたかっただけですから」
「でも、お前が、緊張してたし……」
「大切な人の、ご両親に会うんです。お前は息子に相応しくない! って思われないように、張り切っちゃいますよ」

 潮風を曖昧に掴んでいた。隣にやってきた恋人の温かい手のひらが、そっと重ねられる。同じ右手でも、俺よりも大きくて、頼もしい形をしていた。優しさの宿った指が俺の指を包み、二人で一つの花火を持った。これから火に向かって腕を伸ばしていくはずなのに、もう手の中は十分過ぎるほどに温かい。いつの間にか腹部に左腕が回っていて、蝋燭に近付こうと屈まされ、距離が詰まる。お腹も、背中も、首も、耳も、顔も、身体のあちこちが心地良い熱に触れていた。

「炭木先輩の心を、僕だけが独占できていますか?」

 耳の裏を、吐息が撫でた。それに弾かれるように頭が落ちて、また上がる。すると、今度は跳ねるような小さな息遣いが耳たぶに触れた。

「今、先輩が恋人だと思ってくれてるんだ、って嬉しくなっちゃいました。僕はそれだけで十分なんですよ」

 先端から伸びる黄色を、炎がじわじわと燃やしていく。いくら経っても火花を散らさない。不思議そうに身体を横にずらし、花火の方をのぞき込み始めた。

「ハレサク」
「どうしま、し」

 言葉は最後まで紡がれなかった。俺の唇が、その続きをすべて奪ってしまった。どうしてか、そうしなければならない気がした。
 驚きを描く瞳の中には、俺しかいない。腹部を抱く腕に力が籠もる。もっと互いの隙間をなくすように、身体がぴったりと重ね合わされる。触れた部分の体温が、俺のものなのか、ハレサクのものなのか、もはや分からなくなっていた。
 花火が音を立てて、こちらを照らした。今の俺達には不必要な光だった。あまりにも眩しいせいで、唇を離す。

「せん、ぱい……?」

 ハレサクの指が忙しなく俺の手を握るせいで、火花が顔にまで飛び移ったようだった。今までになく真っ赤な顔で、さっきまで触れていた場所を確かめるように口をぱくぱくとさせていた。

「……いつか、両親にちゃんと紹介するから。それまで、どれだけ時間が掛かっても、待ってくれるか?」

 俺を見つめる瞳が、花火よりもずっと綺麗に輝く。可愛い表情を照らす光を拒むように、皮膚下に滲む火照りが消えない。ハレサクをこうすることが出来るのは、俺だけであって欲しいと願っていた。
 徐々に夜闇が強くなってくる。花火が消えると同時に、視界が暗くなった。問いかけようとして、そのすべてがハレサクの舌に奪われた。手の中から花火がこぼれ落ちていって、その隙間を雄弁な指が埋めていく。ぎこちない動きで、こちらに甘えるように側面をなぞり、じゃれつくように絡め合わされた。
 身体の奥から、熱が沸き上がる。まるで、自分が自分でなくなるような、制御の聞かない何かが皮膚の下でうごめいている。
 頭が回らなくなるとより、口内を弄ぶものの輪郭が強くなった。体重を後ろへ預けると、名残惜しそうに舌先でつついて、離れていく。

「せんぱい、そんな可愛いこと、僕以外に言わないで下さいね」

 可愛いことというのはよく分からないが、お前以外に言う相手なんていない。
 何か返そうとしても、俺の舌には何かが絡み付いたままで、上手く言葉を発することが出来なかった。ただ、荒い息を吐き出すだけで、精一杯だった。

「あっ、え、あ……」

 それは、ハレサクも同じらしかった。意味のない音を呟いて、さっと身体を離す。慌ただしく花火を掴み取ろうとして、どれもが落ち着きのない指から逃げていく。

「ま、まちます……。まちたいです……」

 ようやく出てきた言葉はか細く、波の音にかき消されてしまいそうだった。俺以外には、聞き取ることの出来ない、可愛い返事だった。
 なんて言ったんだ、とからかいたかったのに、そんな余裕もなく、ハレサクが花火に格闘している様をただただ見つめていた。
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