精霊国の至純

ハナラビ

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旅路

3



「……フィル、フィル。着いたようだぞ」
 
「ん……ぇ……えっ!?」
 
 優しく揺り起こされて、僕は目を開けた。エディの腕の中という事実に驚いてから、話をするようねだっておきながら寝てしまったのだと思い出して愕然とする。
 エディが苦笑している。
 
「あぁ……エディ、ごめんなさい。僕、寝ちゃうなんて……」
 
「いいや。気に病む必要はない。俺にもいい練習になった」
 
「そう……ですか……?」
 
「ああ」
 
 優しいエディが気遣ってくれている。僕は気落ちしそうになる自分に喝を入れて、そろりとエディの膝の上から抜け出した。エディがベールを下ろしてくれる。
 すると見計らったようなタイミングで馬車の扉が開いた。驚きつつも、ラロに手を貸してもらい、僕は馬車から降りた。
 エディは続いて馬車から降りると、僕の手を取って一度握ってから、ルシモスの所へ行ってしまった。

 空は少し赤く染まり始めた頃で、まだ明るかった。ノルニ村では僕がようやく外に出る準備を始めるくらいの時間帯だ。
 そこは広い森の中にしてはかなりひらけた場所だった。道から逸れたところに馬車を停め、馬を繋ぎ、何人かが奥の方で天幕をいくつか張り、食事の支度をしているらしい人たちもいた。
 僕は僕の遠目からでも分かるその様子に愕然とする。皆働いているのに、僕だけ寝こけていたなんて!
 
「ら、ラロ。僕も何か手伝いをしたいんだけど」
 
 するとラロはぎょっとして僕を見たし、聞こえたらしい何人かが驚いたように振り返ってきたが、僕にはさっぱり意味が分からない。
 ラロは少し考えてからにっこり笑った。
 
「フィシェルさま。もし体調がよろしいのでしたら、背中の治癒を先にしてはいかがですか。湿布を剥がしたところはベタついているでしょうし、治癒の後お湯をもらって、軽くお身体をお拭きしましょう。ちょうど幕屋も用意ができたようなので」
 
「あ、背中か……そっか。まずは自分のことをちゃんとしなくちゃね……」
 
 ラロが手を引いてくれて、僕は天幕の元まで歩いた。一団は何人かずつで集まり、それぞれが別の場所で仕事をしているので、一団の全員が視界に入ることもなかった。
 ラロに手を引かれるまま一番大きな幕屋へ入ると、入り口で靴を脱ぐように言われた。中は何と絨毯が敷いてあり、奥の方には寝床のようなクッションがたくさん置かれた所もあった。
 それを骨組みから吊るしたランプが控えめな明るさで照らしている。
 僕が入り口の土間で靴を脱ぐと、ラロが外の誰かに何事かを言い付けて入り口の布扉を閉めた。
  
「すごいね。なんだかこのまま暮らせそう」
 
 敷かれている絨毯はふかふかで、僕の家のどの家具よりも高いのだろうなと分かる。
 
「快適にお過ごしいただけそうなら良かったです。魔法で組んだ枠組みに、防水や防音の魔法をかけた丈夫な布を被せてあるそうですよ。フィシェルさま、明かりは眩しくはありませんか?」
 
 そう言われたので、ベールを捲ってみる。高い場所にあるランプは大人しい明るさで、僕は大丈夫だと頷いた。
 ラロが一度長いベールを取り外し、僕が服を脱ぐのを手伝ってくれた。
 
「フィシェルさまは、治癒はどのようになさるのですか?」
 
 ラロが服を軽く畳みながら僕に確認してくる。ラロに魔力がないから分からない……という訳ではない。
 言霊である程度決まった効果を指定する魔術とは違い、この国では各々の魂に一番合った魔法を発動させるので、人によって使い方や効果が違ってくる。エディのように遠く離れたところにあらゆる魔法を使える人もいれば、僕みたいにちょっとした治癒も手を当てないと効果が薄かったりする人もいる。

「僕の場合は……簡単な打撲くらいなら意識を集中させれば治せるけど、ひどい怪我は手を……患部に当てないといけないんだ。あとは自分と手を繋いだ人の存在を隠せるくらいしかできなくて」
 
「存在を隠す、ですか……?」
 
「うーんと、別に透明になったりできるわけじゃないんだ。音を出したら効果がなくなっていくし」
 
 僕は慌てて付け足した。流石に、影が薄くなって周りから存在を意識してもらえなくなりますとは言い辛い。
 
「とても素晴らしい魔法です。いざとなればそれで身を隠すことができますね」
 
「いざと……なるときが想像できないけど……」
 
 僕は髪の毛を体の前の方に垂らすようにして、背中をラロに見せた。
 
「うーん、肩甲骨の辺りですね。手は届きそうですか……?」
 
 湿布を剥がしながらラロが言うけど、確かにその感触がするところに綺麗に手を当てるのは難しい気がする。
 
「ちょっと手なしでやってみるよ。あまり効果がなさそうだったら、手を伸ばすね」
 
「はい。分かりました」
 
 僕は深呼吸して背中に意識を向けた。内出血をしていない状態をできるだけ思い浮かべる。
 
「……どうかな」
 
「かなり薄くなりましたね。内出血はほぼ治っているかと……あとは少し黄色っぽくなっている程度です。痛むか確認しましょう。触ってもよろしいですか?」
 
「うん、お願い」
 
 ラロが控えめな力でそっと患部を押してくる。多少違和感はあったけれど、もう痛みは無い。
 
「……やっぱりまだ普段とは違う感じだけど、痛くはないかな」
 
「ではこのままで、後は自然治癒でよろしいかと。一応あとでルシモスさまに診ていただきますが……湿布ももう必要ないですね。湿布を貼っていた所はやはり少々ベタついているようなので……すぐにお湯をもらってきます。少しお待ち下さい」
 
 ラロが僕に大きめの布を被せ、幕屋を出て行くと、すぐにお湯の入った桶を持って……エディが入ってきた。
 
「あ、れ……ラロは……」
 
 僕がエディを見て呆然と呟くと、エディはニヤリと笑って桶を置いた。
 
「俺なら万が一零しても、すぐに乾かせるからな。ラロは着替えを取りに行っている」
 
 僕は顔が瞬く間に熱くなるのを感じた。つまり、エディがやると言っているのだ。
 
「なっ……そんな、エディ!王子様なんですよ!?」
 
「役割分担だ」
 
「やく、わりって……ぅわっ!」
 
 役割分担って、こういうことだっけ……?
 エディの紛うこと無き王国最強の膂力で布を引き剥がされ、僕は上半身裸の無防備な姿になってしまった。
 
「じ、じぶんでできるところは、やりますから!」
 
「では俺は背中をやるから、終わったら声をかけてくれ」
 
 そう言ってエディが背を向けてくれたので、僕は大人しく身体を拭くことにした。エディはやるといったらやるのだ。諦めよう。
 秋の入りの午後は、まだ少し暑い。その時間に人の体温のそばでぐっすり眠ってしまったので、僕は少し汗をかいていた。
 ちょうどいい温度のお湯に浸した手拭いを絞り、手早く身体を拭いていく。エディをあまり待たせてはいけないと慌ててズボンも下着も脱いでしまって、急いで拭いたのだけど……こ、この後どうしよう?まだ着替えは届いていない。
 僕はちらりとエディを見た。ちゃんと背を向けてくれているのを確認して、そろそろと近づく。
 
「エディ、そのまま、動かないでくださいね。こっちも見ないで」
 
「フィル、何を……」
 
 僕は身体を見られないように後ろからエディにくっつき、手に持っている布を奪い取った。それを素早く腰に巻く。
 
「……これでよし。エディ、こっちを向いてもいいですよ……って、エディ?どうしたんですか?」
 
「い、いや……ちょっと……油断をしていたもので」
 
 僕はエディの言葉の意味が全く分からなかったけれど、エディがふぅと息を吐いて振り向き、僕から手拭いを受け取ったので、背を向けた。ちらりと見えた顔いつもと変わらない。僕は再び髪を体の前に流した。

「背中なんですけど、あんまり綺麗に治癒できませんでした。手が届かなくて……」
 
「フィルは本来、接触治癒なのか。家ではどちらもやっていたから不思議に思っていたが……確かにこの辺りに手を伸ばすのはちょっときついな」
 
「前にぶつけた肩とか、簡単なものなら手はいらないんですが。……ここまで内出血していると、手が届かない場合は完全には治せないみたいです。でも、湿布が効いていたみたいでもう痛みはないです。なので普通に拭いてもらって平気です」
 
「分かった」
 
「……本当にエディがやるんですか?」
 
「ああ。昨日も身体を流しただろう。それとも俺では嫌か?フィルは他人に慣れていないだろうから、俺で大丈夫そうなら今後はラロに任せようかと」
 
「嫌では……ないです。ありがとうございます……」

 でも、エディに世話をされると、恥ずかしさと申し訳なさで心臓が苦しくなる。ラロは仕事でやってくれるので、僕はそちらの方が割り切れる気がした。
 エディはすごく力が強いはずなのに、僕に対しては本当に優しく触れてくれていて、それを意識するとまた心臓がどきどきと煩くなった。湿布を貼っていた所は特に丹念に拭われる。
 うぅ……やっぱり次からは絶対にラロにお願いしよう。このままではそのうち、恥ずかしさと申し訳なさで死んでしまう。
 
 エディが手拭いを桶へ戻す。やっと終わったようだ。そう思って体の力を抜いた瞬間、エディの腕が後ろから腰に回ってきた。
 
「あっ!?」
 
 まるで背後から抱き竦められるような体勢で、エディの腕が僕の腰に巻き付けていた布を取り去り、肩から身体を隠すように掛け直した。
 
「え、エディ……言ってくれれば、やったのに……」
 
「……そうだろう?これはさっきの仕返しだ」
 
 エディは笑顔で桶を持ち、幕屋から出て行った。
 
「あ、ぅ……し、仕返し……?」
 
 何のだろう、と思いながら布に手をやった直後、まさにこの布をエディから奪ったときのことを思い出した。
 あの時は身体を見られないようにすることで頭がいっぱいで、そこまで気にしていなかったけど……
 もしかしなくても僕、相当恥ずかしいことをしたみたいだ。
 その後僕は、着替えを持ったラロが声をかけてくれるまで、放心状態だった。
 
 服は寝間着にする簡単な木綿の上下を着て、その上から裾が長くて上等な上着を着せられた。出される物が基本的に良いものばかりなので、うっかり汚してしまわないかとか気が気じゃない。
 再びベールにコサージュをつけて髪に留めてもらい、靴も足に負担の少ない布履きを土間に用意され、何時でも外に出られるようになった。
 
「只今何人かが狩りを行っていますので、お夕食はもう少し先になります」

「狩り……?動物を狩っているの?」
 
「はい。流石にこの人数の食事を、すべてノルニ村で購入した食材だけで用意することは出来ませんから……本日の夕食時には元々何かしらの動物を狩る予定でした」
 
 村にも狩人はいたけど、基本的にノルニ村の食品は全てパウロさんのお店に卸されるので、僕は加工されたお肉しか見たことがない。それも僕は自分で買ったことがあるのは一番安い干し肉だけで、その時々で中身も違う為、まあ……その……正直なところ、何の肉だったのかはよく知らない。たぶん、多く狩れた肉を加工していたんだろうとは思うんだけど……
 エディは村でアルアを走らせに行ったりするついでに、いつも何かしら買い物をしてご飯を作ってくれていた。
 僕は自分があまりにも食事に頓着していなかった事実を認めながら、ラロにこの辺の狩りではどういう生き物を獲るのか聞いた。
 
「主に陸棲の草食獣を狩りますよ。鹿あたりですかね……餌が豊富な春夏が一番美味しいと言われていますが、今はまだ秋の入りなので、十分美味しいはずです。殿下が一緒ですから、狩り自体もすぐ済むと思います」
 
「そう……やっぱりすごいね、エディは」
 
 狩りが少々気になったものの、ラロに暫くこの場で待つように言われたので、僕は裁縫道具を持ってきてもらった。
 
「空いた時間はこうやって刺繍をするから、持ってきておいてもらえる?」
 
「かしこまりました。今後はお泊りになるお部屋にお運びしておきますね」

 僕がベールを上げて刺繍をし始めると、ラロは僕に一言断って幕屋から辞去した。
 外を手伝うなら僕も行こうかと思ったけど、待てと言われたし、この目では野外の作業は大して手伝えることもないのかもしれない。
 僕はふと刺してみたい絵柄を思い付き、あまり使わない派手な色糸を引っ張り出した。
 
 暫くして、エディが幕屋に戻ってきた。軍服の詰襟のホックを外しながら靴を脱いで絨毯に上がる。
 
「お疲れ様です」
 
「ああ。フィルは刺繍をしていたのか?」
 
「あっ……はい。旅の間にいくつか仕上がればいいなと思って」
 
 使っている色糸を見られたくなくて、思わず隠すようにしてしまう。エディはそんな僕に苦笑しながら上着を脱いだ。長い襟足が白いシャツに掛かるので、金茶に濃紅の差し色のエディの髪はよく映えた。まさにそのイメージを刺したかったので、僕は思わず見とれてしまう。
 
「フィル?」
 
 エディに声をかけられてハッとした。
 
「あ……すみません。ぼーっとしてました」
 
「今日は疲れたか?」
 
 そう言われると僕は渋い顔になった。午後はほとんど寝ていたのだ。朝早起きをしたせいかもしれないが、昼寝のおかげで治癒をしてもさほど疲労を感じていない。
 
「僕は疲れてません。それよりエディは疲れていないんですか?」

 僕を午後いっぱい抱きかかえて、おまけに狩りまでしてきたというのだ。僕からしたらすでに信じられない体力だが、エディは肩を竦めながら僕の隣に腰を下ろした。
 
「全く……というわけではないが、大して疲れてはないな」
 
「……すごいですね。僕からしたら信じられないです。だってずっと僕を抱えて……」
 
「フィルの可愛い寝顔に癒やされていたから、馬車では疲れていないよ」
 
 僕が恥ずかしがると分かっていてエディがからかうような笑みを浮かべているので、僕は堪らずそっぽを向いた。
 
「フィル。こっちを向いて」
 
「嫌です」
 
「……次は親しげに見せる反応を練習してみてくれ」
 
「……ほ、褒めてくれて、ありがとうございます」

 僕が俯いてぼそぼそ言うと、エディは本当に楽しそうに笑う。
 
「……そんなに楽しいですか?」
 
「そう見えるか?」
 
「はい」
 
「確かに、そうかもしれないな。フィルといると退屈しない」
 
 一体どういう意味で言ってるんだろう……
 僕が聞こうとすると、ちょうどラロが幕屋の入り口を上げた。何人かが軽く頭を下げつつ幕屋へ入り、中にいい匂いのする料理が運ばれてくる。
 
「あれ、もう出来ちゃったんですか?」
 
「ああ。火加減も手伝っていたからな」
 
「なるほど……確かにエディがやると、食事ができるの早かったですもんね……」
 
 僕は手早く裁縫道具を片付け、食事が並べられるのを眺めた。
 
「あれ……そういえば、ここで食べるんですね」
 
 ラロの手で絨毯の上にシンプルなチェック柄のマットが広げられ、その上に料理が並ぶ。焼き物が多いが、僕の前には温かそうなスープも並べられた。デザートと思われる、凍った果物が入った器まで置かれると、ラロがそばに控えて他の人は出ていった。
 ラロに空の杯へ冷たい果実水を注いでもらい、僕は目の前の御馳走に嘆息する。
 
「……王子様って、毎日こういうものを食べているんですか?」
 
「毎日というわけではないし、それにこれは……いや、まあ、そうだな……」
 
 エディが言い淀んで、誤魔化すように串焼きを齧った。僕も食べてみたかったけれど、串焼きはそこそこ大きい。それに僕はこういうものを食べるのが初めてなので、どうしたらいいか悩んだ。
 
「エディ、それ美味しいですか?」
 
「ん?食べてみるか?」
 
 ラロが動こうとするのをエディが制止して、串焼きを僕が食べやすい向きに差し出してくる。
 ちらりとエディを見上げると視線で食べろと促されたので、大人しくよく焼けた肉に齧り付く。
 
「そのまま噛んでいて」
 
「はひ」
 
 僕がぎゅっと目を瞑って歯に力を入れると、エディがスッと串を引いた。思ったより抵抗はなく、熱い肉の塊が口の中に飛び込んできて、僕はふぅふぅ言いながら何とか咀嚼する。

「どうだ?」
 
「んっ、美味しい、けど、熱くて……エディは何でそんなに平気そうなんですか?」
 
「俺は熱には強いからな」
 
 僕は納得して頷いた。スパイスが振ってある串焼きは美味しかったけれど、焼き立てでかなり熱かった。僕は果実水を飲み干してようやく一息ついた。すかさずラロが杯を注ぎ足してくれる。
 
「ありがとう、ラロ。……あの……エディって、火傷とかしないんですか?」
 
「今のところ記憶にないな。……だからフィルが日光で火傷すると聞いたときにはかなり驚いた」
 
「う、羨ましいです……」
 
 僕は大人しくスープを手に取って、冷ましながら少しずつ飲んだ。
 
 
 
 とんでもない御馳走を食べた後、ルシモスが僕を診察しに幕屋へやってきた。朝と同じように呼吸の音と脈拍を確認され、背中もラロに脱着衣を手伝ってもらいながら見せた。
 
「はい、結構です。フィシェル様はご自身で何か気になることはありませんか?」
 
「特には……午後寝ちゃったから、夜眠れるかちょっと心配なくらいで、元気です」
 
「お元気なら良かったです。背中も、これくらいなら数日で綺麗になるでしょう」
 
 ルシモスの診察は、旅の間朝晩とやるらしい。不甲斐ない自分の身体を悲しく思いつつも、ちゃんとしたお医者さまに診てもらえているというのは安心感があった。
 
 僕がラロに服装を整えてもらったところで、ルシモスと一緒にエディも上着を羽織りながら立ち上がった。思わず見上げる。
 
「ルシモス、ルドラはどうしてる?」
 
「……フィシェル様に会えないかと何度か詰め寄られました。そこから推察するに、元気を持て余しているようですね。その元気は少々狩りに出たくらいでは無くならなかったようですよ」
 
 ルシモスはため息をついて眼鏡を押し上げた。不遜な態度でルシモスに詰め寄るルドラが容易に想像できてしまい、僕も今にもため息が出そうな心地になる。
 
「では、軽く食後の運動と行くか」
 
 エディの言葉にルシモスが「やっぱり」と言いながら心底嫌そうな顔をしたので、僕とラロは顔を見合わせた。
 
「エディ、外に行くんですか?」
 
「ああ。フィルも見に来るか?」
 
 僕は何のことなのかさっぱり分からなかったが、頷いて立ち上がる。ラロがベールを下ろして手を引いてくれた。布靴を履いて外に出ると、もうすっかり暗くなっていて、虫や夜の生き物の鳴き声がする。
 この辺りには獣が近寄らないように、魔法の灯りをいくつも宙に浮かべてあった。ベールをしているとはいえ、高いところにあるそれを直接視界に入れないよう、目線は下げておく。
 
 風も昼間に比べて随分と涼しくて、過ごしやすい。確かに食後の軽い散歩も良いかもしれないと思い、僕はラロと一緒にエディの後ろをついて行った。
 
「フィー!」
 
 すぐにこちらを見つけたルドラが駆け寄ってきた。僕の前にラロが立ち、更にその前にルシモスとエディが立って阻む。
 
「オイなんなんだよ!話くらいしたっていいだろッ」
 
「いや、俺がルドラに用があってな」
 
「……殿下が……オレにィ?」
 
「ああ。お前がどこまで動けるか、今一度見せてくれ」
 
 それを聞いて僕は思わずラロの袖を掴んだ。軽く運動って、そういうこと!?
 
「フィシェルさま?お戻りになりますか?」
 
「ううん……大丈夫、だけど……」
 
 二人とも火を使うのに、こんな森の中でどうするんだろう。そう思っていると、エディは川の方へ歩き出した。動揺してすっかり聞いていなかったが、ルドラもエディの話に同意したらしい。
 河畔も随分とひらけた砂礫地になっていて、なだらかだった。少し焚き火をして休む程度なら、この辺りは良いのかもしれない。二人がどれくらいの火を使うのか分からなかったけど……ここなら大丈夫そうだ。
 
 山道脇に休憩もできる広い待避所があったり、野宿用のスペースがあることも知っていたけれど、なんでこんなところにここまで拓けた場所があるのかは不明だった。しかし、リグトラントの魔導師達にかかれば、精霊の許可をもらう事さえできればこの程度を開拓することくらい簡単なのだろうとすぐに思い直す。
 ルシモスが僕たちに自分の近くにいるようにと言ったので、対峙するルドラとエディから少し離れて、僕はラロと一緒にルシモスの元にいた。
 
 何でこんなことになったんだっけ……
 困惑する僕を他所に二人は何かを話していた。それが上手く聞き取れなくて怪訝な顔をしていると、ルシモスが魔法を使ってくれる。僕はお礼を言って二人の会話に耳を傾けた。
 
「俺を殺すつもりでこい」
 
「ハァ~……それって今の実力にそこまで開きがあるってことだろ?」
 
「そうだな」
 
「んで?殿下はどうなさるんデスカ?」
 
 ルドラの投げ槍な敬語があんまりにも棒読みなので、僕は思わずベールの下で頭を抱えた。
 
「俺は特に何もしない。今のお前を昏倒させようと思えばいつでもできる。覚えてるだろう」
 
「……ああ……アレどうやったんだ?」
 
「俺に勝てたら教えてやろう」
 
「教える気ねェってことじゃん……」
 
 ルドラはため息をついて距離を取った。意外だった。ルドラも距離を取って戦うんだなとぼんやり思った。
 
 ルドラは河畔の地面を足で突いて感触を確かめてから、唐突にエディへ向かって高速で地を這う火槍を何本も放った。燃え上がりながら凄い速さで向かっていくそれは、赤い鎌のようにも見える。
 ルドラは火槍と共に駆け出して、身体を捻りながらエディに強烈な蹴りを放った。
 エディはそれを難なく受け止めつつ、目の前に迫る火槍に干渉し、掻き消そうとした……んだと思う。ルドラは勢いをつけて後ろに跳ね戻ると、火槍を操ってエディの周りをぐるりと取り囲む。そのまま魔法を弄って、中心のエディを焼き殺す火柱を作り上げた。
 ルドラはそこへ立て続けに、空中に発生させた高速の火球を放ち続けたが……やがて自ら首を振って止めてしまった。
 
「ハァ~……」
 
 ルドラはしゃがんで頭を抱え、ため息をついた。手応えがないらしい。
 
「すごいな。やはりいい素質だ」
 
 炎が掻き消え、何事も無かったかのようにエディがそこに立っている。こっちは見ているだけで熱い気さえしたのに……
 しかし、僕はベールのおかげで目を焼かれることもなく、恐らくルシモスが守ってくれたおかげで実際に熱気を感じることもなかった。
 ラロは珍しく興奮した表情で二人を見ている。魔力がないからこういうことに憧れているのかもしれない。
 
「属性が不利すぎる。勝てるようになる気がしない」
 
「ちなみに言っておくが俺に苦手な属性はないぞ」
 
「まァ、ですよね……」
 
 ルドラが聞いたこともない調子で落ち込み始めたので、僕たちは二人の所へ近付いた。
 
「ルドラ、すごかったよ」
 
 僕がそう言うと、ルドラは嫌そうに顔を顰め、しゃがんだまま僕から顔を背けた。こんなにも歯が立たない場面は見られて気分が良いはずがなかった……のかも。僕は心からすごいと思ったんだけど、もう黙って大人しくしていよう……
 と思ったが、僕だけじゃなくルシモスもルドラを褒める。
 
「これくらい動けるなら、騎士学校でもすぐ一目置かれますよ。躊躇いが無いのがいいですね。魔力量もかなりのものですし……魔導師にもなれそうなほどの素質です」
 
「でも、才能があったところで、学校では田舎者だから虐められるんだろ?」
 
「それはそうでしょう。貴方が転入する一年生は特に悪い意味で貴族やお金持ちのおぼっちゃんばかりですからね。現在の騎士学校は独特のマナーと無礼が共存してひどく歪になっていますし。しかしこの調子で力を見せ付ければ、数カ月もすれば全員黙るんじゃないでしょうか」
 
「フン、どうだかな」
 
 ルドラは立ち上がって伸びをした。
 
「虐めで教科書や制服を隠されでもしたらすぐ言ってくれ。なんでも追加で用意しよう」
 
「めんどくせェー……そういう目に合うのは確定なのかよ」
 
 話しながら歩き始めた二人に付いていきながらふと振り返ると、焼け焦げた地面がゆっくり元に戻っていっていて、僕はエディの底の見えなさに心臓がぎゅっと縮み上がった。
 
 
 
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