Changeling

SF

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第三章

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翌日は子ども達から聞いた、隣人達の出没した場所を巡った。小さな村全体を散策して1箇所でも痕跡が見つかれば良い方だ。
しかしここでは畑でクラ・ファーダ耳長ウサギが葉を齧った跡や、小川の畔でイア・イオラー蛙鳥が残した緑色の羽毛が見つかり豊作だった。
採取した葉は紙に包んで本に挟み、羽毛は試験管に入れ栓をした。
大学に戻ればしばらく研究室に篭りきりの生活になりそうだ。葉に残された歯型がどの動物や虫とも似ていないことや、羽毛に特殊な脂が含まれていることを証明しなくてはならない。架空生物と聞くとドラゴンやフェアリーなどドラマチックな生き物との遭遇を思い浮かべがちだが、私が行っているのは他の学者達と同様に地道な作業の繰り返しだ。

針葉樹の森に入ったのは陽が傾きかけ空気に冷たさが混じる頃だった。
子ども達に聞いた"隣人"の目撃談の場所は、村の北側の森だ。杉の実から昆虫の脚のようなものが生えのそのそと歩いていたそうだ。
フェイシディ松笠虫・パインコーンかもしれない。松毬や杉の実をヤドカリの殻のように背負っている生物だ
私は杉の木の並ぶ地面にしゃがみ込み、杉の実を探し始めた。彼らが棲家にしていた実には綺麗にスプーンで掬ったような痕がある。
杉の実を拾い集めていると、頭上からポトリと何かが落ちてきた。杉の実だ。
見上げれば、木の枝に垂れ下がる白い布がはためいていた。その先の秀麗な顔には緑の眼が輝き、花弁のような唇が悪戯っぽく引き伸ばされていた。

『ソラス』

私の口元が勝手に綻ぶ。

『                             』

何をしているのか問われたので、フェイシディ松笠虫・パインコーンを探していると言うと、枝を無雑作に揺らし、実を落とした。ふわりと地面に降り、その内の2つ3つを摘むと私の掌に乗せる。その途端、杉の実から脚が生えもぞもぞと動き出したではないか。

『凄い、こんなに』

感嘆していると、ソラスは不思議そうな顔をしてそこら中にいると教えてくれた。
私は俄然張り切って、少年に戻ったように採取に夢中になってしまった。
フェイシディ松笠虫・パインコーンの抜け殻だけでなく、コーナッチ苔蟹・ポータンの繊毛まで手に入ることが出来た。かつて無いほどの収穫だ。

『ありがとう、これで』

振り向くと、ソラスのいた場所には光の軌跡の残滓が尾を引いていた。
正面からは子ども達の声が聞こえてくる。すっかり子ども達に懐かれてしまった私は、遊びに付き合ってやりながらもソラスの姿を探していた。

私は次の日から、村のあちこちを回って"隣人"達の痕跡を追う傍ら、森に入り浸りソラスに会いにいった。
ソラスに導かれ、"隣人達"と触れ合うたび、私は森以外の場所でも彼らを目の端に捉えることが増えてきた。
見つけるコツを掴んできたのだろうか。しかしそんな楽天的な考えは、すぐ覆されることになる。
酪農家の家でチーズや牛乳が少しずつ消えるとの話を聞いた。自分のせいにされて困っていると酪農家の末っ子に泣きつかれた。
おそらくコンフィデイスヤスリ猫・ケットだろう。その名の通り、鑢のような舌でチーズやバターを刮げとっていく。

悪戯好きのレプラコーンの可能性も考えられたが、そのチーズを見せて貰うと欠けている箇所はザラついており、やはりコンフィデイスヤスリ猫・ケットの仕業だと確信した。
私は何か緑色のものを乗せておくよう進言した。チーズにカビが生えていると思い食べなくなる。
私は銅貨を数枚支払い、欠けたチーズを切り分けてもらった。
村長から借りた小屋に戻り、痕跡を保存する。そのまま保管してもカビが生えてしまうので、欠けた箇所にインクを付けて版画に残しておいた。
残りは少しずつ食べるとしよう。そうだ、ソラスにも分けてやろう。どんな顔をするだろうか。いや、どんな食べ物が好きなのだろう。
浮き足立つ私の手の甲がひりついた。見れば、子猫のような真っ赤な色をした獣が私の手を舐めていた。
しまった。すぐに手を洗わなければ。人間がコンフィデイスヤスリ猫・ケットに舐められると病をもらう危険性があるのだ。
すぐに井戸水で手を洗ったが、餌場を奪われた腹いせなのか、その晩は熱にうなされた。
チーズはなくなっていた。ソラスと食べようと思っていたのに。
ソラスはどうしているのだろう。火を焚かない夜はこんなにも寒い。

三日三晩経っても、手持ちの薬を使い切っても、熱が下がる気配はなかった。流石に医者に掛からないとまずいかもしれない。せめて冷たい水だけでも口にしたいところだ。だが起き上がるだけで身体のあちこちがハンマーに打たれたように痛むので、井戸水も満足に汲めない有様だ。
この日も毛布に包まったまま過ごした。
乾いた唇で身体に篭る熱に喘いていると、冷たく弾力のあるものがそこに触れてきた。それから清水が乾いた唇を潤し喉へ流れていく。口の端から垂れた水をひんやりした指が拭う。
水を注ぎ込まれいくらか滑らかに回るようになった口で、目の前の白いエルフの名を呼ぶ。
エメラルドの目が細められた。私は白い髪に指を通す。ひんやりして心地よかった。思わず頬に寄せる。
それでも彼は私の傍らから離れず、口の中で旧い魔法の祝詞を紡いだ。旧約聖書に記されたマナのごとく、彼の言葉は私に染み渡り満たされていく。身体が少し軽くなった気がする。脈打っていた脳の痛みが引潮のように引いていく。
ああ、そうだ。思い出した。伝承の続きを。
コンフィデイスヤスリ猫・ケットの病に打ち勝った者には祝福が与えられるのだ。
しかし熱は下がっていないのに何故なのだろう。

いや、今はそんなことはどうでもいい。
彼が来てくれた。この世界で唯一の私の同胞。
"かの国"への道標。
私のソラスーーーー

頭は羽のように軽いのに、身体は鉛のように重い。
身体に籠る熱はもう残っていないが、三日三晩かけて体力を蝕まれ、私は疲れ切っていた。
目蓋が下がっていく。彼ともっと居たいのに。

幼子のように彼の手を握りながら、私は夢の中へと落ちていった。
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