Changeling

SF

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第五章

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あれから1週間ほど経っても、私はこの村を離れられないでいた。というのも、あの酪農家の子から話が広まり、うちの畑の芋が端から掘り返されるのを何とかして欲しいだの、暖炉の火が点いてもすぐ消えてしまうから調べて欲しいだの、学者というよりも便利屋のように扱われるようになってしまったからだ。
しかし、レーイム潜りリス・ローラの体毛やターン・ビタ火食いトカゲ・マッドマッシュの粘膜など"隣人達"の痕跡を採取することができたり、礼として食糧や燃料を貰えたりするのは有り難かった。

今日は羊飼いの家に呼び出された。刈り取った羊毛に何か小さな生き物が包まっており、確認すると姿は見えず羊毛が毟られている、と。

「大したことじゃねえんだが、子どもやカミさんが気味悪がってね、悪りぃな、学者先生」

私と同じくらいの歳の、この家の亭主が言った。大らかな人柄で、私の友人に少し雰囲気が似ている。羊毛を保管している小屋の中は快く見せて貰えた。耳鳴りがし始めるほど集中し、五感を研ぎ澄ませる。
羊毛にじっと目を凝らす。小屋の外で烏が一声鳴き、そちらに一瞬気が逸れた。足下を気配がすり抜けていく。私は足先を少し浮かせ、小さな生き物を足裏で床に縫い止めた。

『乱暴にしてごめんよ』

ブーツの下からそっと掌で掬いとる。
一見して掌に収まる羊だった。しかし、尻から長い裸の尻尾が伸びている。

カーライト羊ネズミ・ラッチか』

体毛が無いネズミの様な姿で、寒くなってくると羊毛や綿花を集めて毛の代わりに身体に纏うのだ。
私は羊毛からちょこんと出したネズミの顔を確認した後、地面に下ろした。素早い動きで、あっという間に茂みに隠れてしまった。逃してよかったのかと亭主は狼狽えたが、人間に害はなく、群ごと暖かい地域に移動するので自然といなくなる、と伝えるとほっとした顔をしていた。

「なあんだ、ただのネズミの仲間だったのか。俺にはわからなかったよ、学者先生はすげえなあ」

礼に、となんとエールの小瓶を押し付けてきた。私は何もしていないのに貰いすぎだ、と言えば、珍しいもん見せてもらったからな、と歯を見せて笑っていた。

「俺ァこの村から出たことがねぇんだ。何にもないとこだと思っていたが、あんな面白ぇもんが住んでいたなんてな」

子どもの頃は見えていなかったのかと聞けば、遊び呆けていた記憶しか無いと笑い飛ばしていた。
私は欲が出て、エルフやフェアリーは見たことがなかったか尋ねた。

「さあな、森に怪物が出るって話は聞くが」

ふむ、ソラスはよほど上手く隠れているようだ。
私には気になることがあった。連日''隣人達"に関する相談を受けているが、"取り替え子"を擁するトラフィー家から声がかかることはなかったのである。村人からも、子ども達からもその話題が出ることはなかった。
他に困り事を抱えている家はないか訊ねた。
トラフィー家の名を口にすると、先程まで豪快に笑っていた男は途端に無表情になり、私はどきりとした。

「・・・あそこにちょっかい出すのはやめときな」

その表情を見て、この気さくな男もこの村という社会の一員であり集合体の一部なのだと悟った。
油断は禁物だ。閉鎖的な社会に生きる人間は、ちょっとしたきっかけで外から来た人間に対して過敏な反応を示す。

「ちょっかいだなんて。乗り掛かった船というものだ」

私は笑って見せた。

「あそこの家にゃ弟が世話になってんだ。
下手な真似してクビにされたくねえしな」

男が言うには、トラフィー家の亭主が都会に木材を卸すようになってから林業が盛んになり、仕事が増えて村が少し潤ってきたらしい。トラフィー家に雇われている者も多く、解雇されたら食うに困る者が沢山いると。
トラフィー家の亭主は村長の婿養子となっている為一家言を持つのは村長だが、実質的に村長より力を持っていると言える。トラフィー家は、この村の産業の元締めのようなものなのだ。

私はそんなトラフィー家の門を叩いた。

トラフィー家の主人は四十代半ばの中年男性だった。清潔な服を着ており、侍女からは素朴な菓子が出された。やはり、他の家より裕福なようだ。村人からよく"隣人達"に関する相談事を受けているが、この家では困った事はないか、くらいに濁しておいた。

だが、トラフィー家の主人は商売の話ばかりしていた。
村の外で商売をするには村長の許可が必要で、それを説得するのに苦労したと。
この森から取れる木の質や乾燥した気候が良い木材を生み出し高く売れる為、他の地に行くことも憚られる。村から出ても外の人間がこの森を切り拓くのにはどのみち村長の許しが必要となる。思うように動けず、やきもきしているという。
分かりやすい欲望に翻弄されやすいのは、やはり村長の義理の息子といったところか。
その妻である村長の娘はというと、庭の花の手入れをしていた。侍女が付き添い、まるで監視するかのように時々鋭い視線を寄越してくる。
それに対して主人は後ろ暗いところなどないようにべらべら喋っている。
2人の対応の違いが気になり、不信感が拭えずにいた。
帰り際に、侍女に呼び止められた。

「どういうおつもりなのですか」
「いえ、私は」
「もう私達に関わらないでください」

ぴしゃりと言い放つと、侍女は家の方に歩いていった。奥方は窓から私の姿を見やると、ゆったりと会釈をした。やはり侍女だけが気を揉んでいるようだった。

「私はソラスに、いえ、あの子に会いましたよ」

侍女の目が見開かれる。

「あなただけが良くしてくれている、とお聞きしました」
「違います!」

彼女は声を張り上げた。そしてハッとして家の方を見る。何事かと家人が覗いている。
庭で遊んでいた少年がどうしたの、と侍女のところに駆けてきた。トラフィー家の息子だろうか。
なんでもない、と侍女は返す。

「私が不躾な事を言って怒らせてしまった。申し訳ない」

少年はふぅんとつぶらな瞳をつやめかせ、手には何かを包み込むように持っていた。

「それはなんだい」

少年が掌を解くと、足に怪我をした子リスが身体を震わせていた。

「この子、飼ってもいい」

少年は侍女を見上げる。
私は侍女に挨拶してから踵を返し、小屋に戻ることにした。背中越しに、侍女と少年のやりとりはしばらく続いた。

「いけません。森に返してらっしゃい」
「怪我をしてるよ。ローリィが死んじゃうよ」
「もう名前を付けてしまったのですか。情が移るからお辞めなさい」

少年はやがて、泣きべそをかきながら森に入っていった。私は、よせばいいものを、侍女が居なくなってから少年の後を追っていた。
森に入ってすぐ、少年は蹲み込んでリスの背を撫でていた。私は怪我を治してやるとリスの足に布を巻き、木の根本に寝かせた。明日には治ってここから居なくなるから、と言い含めると、目を輝かせありがとう、と礼を言い、家に帰っていった。
私は大嘘つきだ。
こんなことで治るはずがない。薬はもう無いし、夕食にしようにも食い出がなさ過ぎる。
そうだ、ソラスに聞いてみるとしよう。
私の病を治してくれたように、治癒の仕方を教えてくれるかもしれない。

私は小屋に戻り、庭で火を焚きソラスを待った。パンのかけらをリスにやったが、もう食べる体力も無さそうだった。

『       』

この子はどうしたのか、とソラスがいつの間にかリスの傍にしゃがみ込んでいて、私は飛び上がりそうになった。相変わらず神出鬼没だ。
怪我をして死にかけている、治癒や回復魔法を知っているか、と聞くと、ソラスは微笑んだ。
私は安堵した。これで嘘吐きにならずに済みそうだ。
ソラスの口の中で呪文が唱えられ、ふわりと風が焚火を煽り、

ーーーーリスの首と胴体は生き別れになった。

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