天地天命【本編完結・外伝作成中】

アマリリス

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第三章 母子草

お茶の味

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 九虎が十八の時、婚約の話で秋虎が宗主影虎に呼ばれた。秋虎が自室に戻ったと聞き、九虎は急ぎ秋虎の元へ参った。きっと婚約の話だろうと、胸を躍らせた。だが、部屋からは母乎虎ここの不安な声が聞こえ、九虎は戸の前で耳を澄ました。
「あなた、影虎様のお話はどうでした?」
「…嫁候補にはなったが、玄武家から玄枝の名も上った」
 玄枝の名に九虎は目を見開く。
「玄枝が? 何故ですか?」
「玄枝は今の五神家の中で霊力が一番高い、それに九虎を嫁にすることで我々の勢力が増し、四神家の調和が崩れるのでないかと、意見が出た…」
「でっでは九虎は?」
「まだわからん。近々黄龍殿で五神家集会がある、その時に決まるだろう…」
「そんなっ」
「まだ決まってはおらんっ、その時に私も影虎様に呼ばれておる…」
 詰め寄る乎虎に苛つき、秋虎は大きく溜息を吐いた。
「わかりました…」
 九虎は戸の外で唇を咬みしめ、自室へと引き返した。

 後日、話が気になっていた九虎は、秋虎が呼び出された日に、戻りの時刻を見計らって両親の自室に忍び込み、寝床の側で膝を抱え隠れていた。「ドンドンドンドン」荒い足音が部屋に近付き「パン!」戸が開き九虎はびくっと肩を跳ね上げる。
「くそっ! ふざけやがってっ、何が調和だ! 黄羊がまだ若いからって、自分達の意見を通そうとしているだけではないかっ!」
「何てこと…こんな、あの子は黄星と婚約できると思っています!」
「影虎様は五神家で決まったことは、覆せぬと申されたっ、諦めよっ…」
「あっあの子に何て言えばよいのですっ…九虎はっ、黄星を慕っているのですよ!」
 乎虎は九虎の想いを知っていたのだ。九虎は泣きながら、必死に声を殺し唇を咬みしめる。
「なっ? 何故それを早く言わぬかっ! 今更もう遅いではないかっ!」
 静まり返った中で、乎虎の泣き声だけが聞こえてきた。母は娘のことを思って泣いているのか、父は娘の想いを知っていれば違うやり方をしたのか。それとも、二人共叶わぬ野心に悔しんでいるのか。どちらにせよ、九虎は勢力争いに使われたのだと知った。

 九虎が二十一の時状況が一変する。両親の自室に呼ばれて行くと、入るなり乎虎が涙ぐんで九虎を抱きしめた。
「九虎っ黄星と婚姻できますよ!」
「そうだぞ九虎っ、お前は最初から候補に上がっておったっ 今更お前を反対する者などおらぬわっハハハ」
 秋虎は目を丸くして大声で笑うが、九虎は状況が掴めず抱きつく乎虎に尋ねる。
「母上っ、どういうことですか?」
「一月後には婚姻の儀を行います」
「本当にっ? でも玄枝は…」
「黄羊がどうしても、あなたを側室に迎えたいそうよ!」
 九虎は自分の存在が認められたと思った。悔しかった日々が報われる。たとえそれが両親ではなく、他者から得られたものでも素直に嬉しく思い、自然と涙が溢れた。
「本当に私は…ううっ… 黄星と婚姻できるのですね…」
「そうよ九虎、良かったわね」
 そう言って、乎虎は九虎の涙を拭った。

 その後、宗主黄羊が九虎のために九龍殿を建てた。慌ただしく婚儀の準備が進み、黄龍家女子特有の装束、金の羽織が九虎に贈られてきた。上質な絹糸で織られた布は、淡く品のある光沢に、とても滑らかな肌触り、九虎は羽織を頬にあて涙ぐみ、女子としての気持ちを昂らせた。

 一月後に婚儀が行われ、九虎と黄星は初夜を迎え自室にいた。二人は寝床で向かい合って座り、黄星が九虎の手を取る。
「九虎…」
 呼ばれて九虎は微笑むが、黄星は曇った顔をしていた。
「幼い頃からお前のことは、良き友のように思ってきた」
「私はあなたをっ」
「私は玄枝を大事に想っている。嫁に来た日のお前にこのようなことを言うのは、申し訳ないと思ってる…」
 黄星は頭を下げた。
「なっ何を言っているのですか?」
 九虎は頭を上げさせようとするが、そのままの姿勢で黄星は言う。
「父上はお前と早く子を成すよう言われたが、最初の子は……玄枝と成したいと思っている」
「どっどうしてですかっ?」
 黄星は顔を上げ九虎の手を強く握る。
「争いを避けるためだよ、わかってくれ……私は父上のような野心家ではない、お前のこともお前との子も大事にしたいと思っているが… 玄枝が今塞ぎ込んでいて、付いていてやりたいのだ… すまない…」
 黄星は手を離して立ち上がり、九虎の前を横切り部屋を出て行った。九虎は追いかけようとするも足に力が入らず「ドタン」寝床から崩れ落ち、身体を引き摺りながら戸に手を伸ばす。
「おっ黄星? わっ私を置いて行くのですかっ… あなたは私をっ慕ってはいませんの? ではっ…わっ…私はっ一体何ですの‼︎」
 九虎は声を張り上げるが、黄星が戻って来ることはなかった。
「ううっ…わ…私は子を成す道具ですか! ううっ…私を置いて、玄枝の所に行くのですかっ! こんな仕打ち許さぬっ…父上、母上… 黄星っ、玄枝っ! 許さぬっ…私をここまで侮辱するなんて…ゔゔっ…」
 九虎は床に蹲って泣き喚き、涙が尽きる頃には悲嘆を通り越し、いつしか全ての者への怒りへと移り変わった。
 争いに巻き込んだのはお前達だ!
「いいでしょう…はっ、お前など玄枝にくれてやるわっ……ゔゔっ… その代わり必ず私との子を成し、宗主の座に座らせてくれよう…私の子を必ず!」
 憤怒の眼差しで戸を睨みつける九虎の唇からは、悔しさの血が滲み出ていた。

─ 現在 ─
 九虎は椅子に腰掛け過去を思い返していた。
「九虎様、お茶をお待ちいたしました」
「入りなさい」
「はっはいっ」
 先程の侍女は恐々と戸を開け中に入る。
「さっきはごめんなさいね、あなたに当たってしまって、悪く思わないでね」
 いつになく優しい九虎の口調に、侍女は手振りで微笑む。
「いっいいえ、私が気が利きかず申し訳ありませんでした」
 ぴくりと片眉を動かし、九虎はぎろっと侍女を見る。
「…本当、気が利かないのは分家だからかしら?」
「え?」
 ……。
「主人の陰口を主人の自室の前で言うなんて、どのような教育をされてきたの?」
 微笑みながら言う九虎に、侍女は顔面蒼白になり慌てて頭を下げる。
「もっ…申し訳ありません!」
「二度はないですよ、お下がり」
 そう言って、九虎は湯呑みに手を伸ばす。
「は…はい……」
 侍女は半泣きの状態で部屋から下がる。
 九虎は温かいお茶を飲むと、質の良い上品な味がした。我が子が宗主となった今、自分を利用する者などいない。自分は使う側の存在なのだと確信しながらも、お茶の渋味が唇の傷口に沁みていた。
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