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第ニ章 桜草

二十三 奇妙な術

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 指導会三日目、庭園の広場で輪になり、蒼亞達四人は中央に立つ。いきなり、彼が荷物入れをがさごそと探り、何かを引っ張り出した、まさか……全員が固まる。千玄か玄七に借りたのか、桃色の割烹着姿で彼は腰に手をあて満面の笑みを溢す。元気に準備運動する姿にちびっ子達は笑い転がり、黄花と玄咊も勧められたが丁重に断っていた。
 兄は真顔で問う。
「一日中これを着るのか?」
「そうだよ、これなら安心だろ?」
 彼はくるっと一回転して、後ろの止め紐を靡かせて見せる。彼を凝視する兄も、流石にその格好はどうかと疑問を抱いているようだ。
「俺そろそろ行くぞ、じゃあな」
 彼は軽やかに石段を駆け上がり、ちびっ子達と去って行った。
 朱翔はにやけて言う。
「蒼万、尻が隠れて良かったじゃないか」
「ふっ可愛い奴よ、脱がしたくなる」
 兄の瞳が一瞬光沢を放ち、全員がぞっと鳥肌を立てた。朱翔は目を据わらせ「蒼亞、お前の兄は変態過ぎる」そう言って、石段を上り彼の後を追った。彼は気にせず動けるようにと、最善の対策を取っただけだろう。だが、兄はそう思ってはいなかった。

 第二ノ試練、一日中霊力で身体を守れ!

 微調整の感覚を身体が覚えたからこそ長時間の持続が可能な術だが、一日中となると、流石に霊力の回復が追いつかない。
 義兄が四人の前に立ち、当たり前のように言う。
「いいか皆、寝ている間もずっと保ち続けるのだ」
 玄史が驚いて言う。
「ねっ寝ている間もですか?」
「そうだよ。今から明日の準備運動の時間まで最初は三刻起きて一刻寝る、次に五刻起きて二刻寝て一刻起きるのだ、簡単だろ? 寝る時は私が見張るけど、少しでも術を解いたら直ぐにわかるよ」
 そう言って、義兄は怪しく微笑む。
「よーい、始め!」
 整理のつかないまま、四人は慌てて霊力を内に込め安定させる。しかし、消耗しているわけではないため、これといって全く苦ではない。
「うんうん、凄いね。特訓の成果がちゃんと出てるね、ちょっと皆に術を掛けさせてもらうよ」
 義兄が四人の背後に周り、髪の毛を「ぶちっ」と一本ずつ抜き取ると、蟻に噛まれたような痛みに四人は頭を掻きむしる。義兄は笑いながら四人の前に戻り、手の平に四本の髪をのせてもう片方の手を翳し、低く掠れた声でぶつぶつと呪文を唱えだす。すると、魔物に取り憑かれたように瞳が白く濁り、翳した手から緑色の煙を漂わせた。緑に光った瞳が白眼の中心に浮かび上がると、煙が四本の髪にすっと吸い込まれ、人差し指と中指で髪の上にすらすらと文字を書き、深緑の双眸で「ふっ」と笑う。突然、髪がぴくぴくと蠢き、毛根が口を開いて雛鳥のように鳴き出し、むしゃむしゃと毛先から髪を喰べ始めたのだ。玄武家は冥界に繋がりが強く、女子の能力だけが謎に包まれているわけではない。しかし、こんなにも悍ましく気味の悪い術があるのか。毛根が髪を食い付くすと奇妙な声も消え、義兄は手を叩いて屑を払い、何事もなかったような明るい口調で言う。
「よし、今から三刻は何してもいいよ。三刻後に部屋に眠りに行くのだ」
「は、はい…」
 四人は取り敢えず返事した。
 下手に身体を酷使すれば、霊力の消耗も激しくなる。何をして良いのか分からず、四人は書庫で書物を読んだり、宮内を知らない海虎と玄史に案内しながらうろうろと散策する。庭園の広場に行ってみるも誰の姿もなく、兄と差のある特訓内容に、四人は石段に座り茫然と景色を眺めた。
 ぷー
 …は?
 蒼亞は眉間に皺を寄せる。
「今の誰だ?」
 壱黄と玄史は顔を横に振り、三人は目を合わせない海虎を見る。海虎は目を泳がせ、とぼけて首を傾げるもふにゃっと笑う。
「へへへ、す、すまん」
「くっせーっ」
 三人は鼻を摘み、片手でぶんぶん仰ぐ。
「ぷっハハハハハ」
 四人は腹を抱えて笑い、まさかと蒼亞が尋ねる。
「海虎っ、お前一緒に霊力も抜けたんじゃないか?」
「ちょっとだけな、でも直ぐ戻したし、玄弥様も何処にもいないぞ」
 そう言って、海虎は耳の穴をほじりながら辺りを見渡した。壱黄は異変が起きていないか、海虎の顔や様子を確認するが、見た目での異常は何処にもなく、訳が分からず海虎、蒼亞、壱黄は首を傾げ玄史を見る。だが、玄史も知らないと顔を横に振り、険しい顔で腕を組んで言う。
「父上の術書には記されてなかったと思うが、術を掛けられているのは確かだ、私の知らない密書かもしれないな。玄武家の霊術は得体の知れない術が多い、特に玄弥様の霊力となると術も高度なものだ。皆気を抜くなよ」 
「うん」三人は重く頷いた。地面に映る四人の影は大分短くなり、壱黄は額に手を翳し、日の高さを確認して言う。
「昼餉食べて少ししたら一回目の睡眠だ。玄史、寝ながらってどうやるのだ?」
 玄史は、鼻息をつきながら顔を横に振って答える。
「わからない以上今のまま眠るしかないさ、教えてもらえるとは期待しない方がいい」
 四人は立ち上がり、疑問だらけのまま食堂に向かった。

 昼餉を何事もなく済ませ、再び席で茫然とする四人に、彼が近づく。
「皆浮かない顔して、どうしたんだ?」
「志ぃ兄ちゃん、何もすることがなくてさ…」
 彼は椅子を引き、腰掛けながら尋ねる。
「今度はどんな特訓なんだ?」
 蒼亞は椅子の背に凭れながら、つまらなさそうに特訓内容を話した。────彼も奇妙な術だと顔をしかめ、話を聞き終わると納得したように言う。
「それで皆銀龍殿に来ていたのか、虎春ちゃんも安定してきたから黄虎も来ていたよ」
「本当ですか伯父上?」
「うん、楽しみだな壱黄」
 彼は安堵する壱黄の頭をなでた。
「ん?」
 彼が鼻をくんくんさせ、玄史が尋ねる。
「志瑞也さんどうしました?」
「なんか今、一瞬臭わなかったか?」
 三人は「またか」と海虎に目線を向けるも「してないっ」とぶんぶん顔を横に振る。彼は犬の様に鼻を突きだし、匂いを辿るように顔を上下左右に向けながら言う。
「うーん、獣の臭のような…」
 四人は思わず彼を見てしまい、彼は言わんとしている事に気づき、笑いながら頭を掻く。
「獣は俺かアハハハ」
 四人は苦笑いし、蒼亞は話を変えようと尋ねる。
「志ぃ兄ちゃん、割烹着脱いだの?」
「そうなんだよ。蒼万が気に入ったのかずっと掴んで引っ張ってさ、『着たいのか?』て聞いても黙っているし、もしかしたら皆の前で言えないだけかと思って、食堂に来る前に脱いで渡したんだ」
 恐らく、脱がしたいのを我慢していたのだろう。流石に、玄華の前では耐えてくれていたようだ。
「そ、それで兄上は受け取ったの?」
「うん。『後で使う』てさ、料理でもするのかな?」
 昨夜から、朱翔の指令で二人は黄怜殿に泊まっている。今日の夜、彼の運命は決まった。再び割烹着を着て料理されるのは、彼だ。
「そうだ海虎、お前の神獣の名前何ていうんだ?」
 衣寅いとらといいます」
 彼は微笑んで言う。
「そっか、おいで衣寅」
 ……。
「あれ?」
 彼はきょとんとして首を傾げる。
「志瑞也さん、私は衣寅を出してませんよハハハ」
 蒼亞が机に両手を突き、音を鳴らして席を立つ。
「違うんだ海虎っ、志ぃ兄ちゃんが呼べば、どんな神獣でも主の意思に関係なく出て来るんだっ…」
 蒼亞と壱黄は険しい顔で頷く。
「伯父上、私と蒼亞のも呼んでみて下さい」
「わっ分かった… 龍彭りゅうほう 辰李しんりおいで」
 ……。
 誰の神獣も現れず、玄史が目を見開く。
「まっまさか…」
 蒼亞は焦りながら言う。
「壱黄、海虎、自分の意思で出せるか?」
 三人は出そうとするが一匹も現れず、海虎も胸元を握り険しい顔つきになる。
「蒼亞っ、これはどういう事だ?」
「恐らく封じられたんだ…」
 言いながら、蒼亞は脱力したようにすとんと椅子に座る。
 玄史が眉を寄せて言う。
「志瑞也さん、疑うわけではありませんが、何方かの神獣を呼んでもらえませんか?」
 何をそんなに動揺しているのか、彼は不思議そうに四人を見た。
「いいけど、皆どうしたんだ?」
「伯父上、お願いしますっ」
 壱黄に急かされ、彼は困惑しつつも言われた通りにする。
「わっわかった… うーん、青ちゃんはでか過ぎるな。雲雀は後々朱翔がうるさそうだし、 寅雅たいがは暴れん坊だからー、大人しいのはー、ふふ」
 呼ぶ神獣を決めた彼は、微笑んで瞼を閉じる。
志寅しとら、おいで」
 ……。
「あ、現れませんが…」
 彼は瞼を開けて笑う。
「アハハ玄史はせっかちだな、もう少しで来るよ」
 蒼亞と壱黄が頷き、海虎と玄史は逸る気持ちを抑えた。

「あ! 屋根に志寅がいるよっ」
「本当だ!」
 門前広場の方から朱虎と朱濂の声がし、彼は目で「ほらね」と玄史に両眉を上げた。
「お前見ただけで、よくどっちかわかったな」
 朱虎は自慢げに言う。
「父上の寅雅の方が大きいのだ」
「ふーん。あっ、いなくなったっ」
「きっと柊虎叔父上が呼び戻したのさ」

 暫くして、食堂の扉からひょこっと志寅が顔を覗かせた。蒼亞達には目もくれず、堂々と尻尾を立てて彼に近づくと、甘えるように彼の側に擦り寄り、なでてと鼻で手を持ち上げた。彼は「ふふ」と鼻で笑い、柔らかな口調で話しかける。
「久々だな、相変わらずもふもふしているな」
 両手で顎や首の獣毛を掻くと、志寅は目を細めて喉を鳴らし、彼に尻尾を絡ませた。まるで彼の神獣のような志寅の姿に、玄史は呆気に取られる。
「ほっ本当に来た…」
 海虎も驚き尋ねる。
「志瑞也さんっ、何故分かったのですか?」
「そうだな、肌で感じるんだよ。獣同士だからかな?」
 そう言って、彼は獣毛の肌触りを楽しむように、指や手の平に馴染ませた。彼になでられて満足気な志寅が、急にぴくっと眉を動かし、四人に顔を向け空気を張り詰めさせた。鋭く凝視する眼差しは、柊虎が彼以外に向ける眼差しを思いださせる。
「ん、何だ志寅? …臭い? やっぱお前もそう思うか?」
 志寅は彼から離れ、蒼亞、壱黄、海虎、玄史と、臭いを嗅ぎながら机を一周し彼の元に戻った。
「……そうか」
 志寅の頭をなでながらにやつく彼に、蒼亞は恐々と尋ねる。
「志ぃ兄ちゃん、志寅は…何て?」
「ぷっ、皆『臭い』てさアハハハ」
 四人は青褪め、直ぐに二の腕や脇、衿元の臭いを嗅ぐ。衣は彼が綺麗に洗ったはず、汗などかいてないが、ならば体の洗い残しか。
「蒼亞、臭うか?」
 玄史の衣を嗅ぐも何も臭わず「玄史、私はどうだ?」蒼亞も嗅がせる。壱黄と海虎も、互いの臭いを確認し合う。
「皆何してるんだ?アハハ 志寅と俺しかわらないないよ、だってそれ…」
 彼は真顔でがっと目を開く。

「獣の臭いだもん」

 ──え?
 四人は硬直し人形の様に固まる。
「ぶっアハハハハ なんて顔してるんだよお前達っ、怖がるなよ、クククッ」
 彼は楽しそうだが、四人はそれどろこではない。身に起きている事は確実に術の影響だ。更に、玄史と海虎は彼の獣の力を目の当たりにし、頭の整理が追いついていない。
「志寅はいるか?」
 食堂の扉から柊虎が顔を覗かせた。
 彼は振り向き明るい声で言う。
「あっ柊虎、ここにいるよ。俺が会いたくて呼んだんだ、びっくりさせてごめんな」
「いいや、そうだろうと思ったよ」
 柊虎は微笑みながら近づき、四人を見て怪しげに笑う。
「そうだ柊虎、志寅が皆獣臭いってさ、俺もそう思ったんだ」
「…そうか」
 柊虎は片肘を抱え顎に手をあて考える。
「志瑞也、ちょとこっちに来てもらえるか?」
「ん? わかった」
 柊虎は目で促し、彼は席を立ち志寅を連れ食堂の隅に行く。柊虎が小声で何かを伝えると「ええっ?」彼は慌てて口を塞いだ。彼の反応から確実に良い事ではない、四人は冷や汗を垂らし、聞こえない音を必死で拾う。今こそ、朱翔の能力が羨ましい。柊虎は微笑んで彼の肩に手を置き、彼は困った顔をするも、四人を見ながら納得したように頷いた。
「何をしている」
 今度は扉から兄が現れ、不機嫌に柊虎を睨んだ。柊虎は彼の肩から手を離し、志寅を戻して普通に兄を呼ぶ。
「蒼万、お前も来いよ」
 兄は彼と柊虎の側に向かうが、残念なことに、丁度彼と柊虎が隠れる位置に立ってしまい、一番読み取りやすい彼の表情が全く見えず、四人は上半身を左右に動かしなんとか見える位置を探す。だが見えたのは、兄が彼の腰に手を回すも彼に阻まれ、彼が兄の腕に軽く触れ、宥めるやり取りだけだった。
 四人は鼻息をつき諦めて顔を戻す。
 玄史が尋ねる。
「蒼亞、志瑞也さんは鼻が良いのか?」
「うん、元々身体の影響で良かったみたいだけど、獣化で兄上の匂いは一番強くわかるんだ。嗅覚は私達よりもかなりいいよ」
 海虎が尋ねる。
「志寅は口は閉じていたが、どう話しているのだ?」
「伯父上は頭に入ってくるって言ってたよ、額を合わせると喋らなくても会話できるって」
 海虎は玄史と見合う。
「凄いな…」
「あぁ…」
「兄上の青龍は良く『ギャーギャー』騒ぐけど、それもわかるみたいなんだ、不思議だよな…」
「うん」三人は頷く。
 玄史が腕を組み呟く。
「獣臭か… もしや獣が取り憑いているのか?」
 は?
 三人は顔をしかめる。
「げっ玄史っ、怖い事言うなよっ」
「壱黄、玄武家の霊術にはそういうのもあるのだ。それに玄武家の結界は、他神家の神獣を入れない事もできるのは知っているだろ、逆にいえば金龍殿の時のように閉じ込める事もできるのだ」
 蒼亞が言う。
「じゃあ私達に結界を張ったのか?」
「可能性はあるが、それだけなら私には意味がない」
 玄史は言いながら首を捻り、四人はこの特訓の目的が未だ掴めず、彼によって知り得た情報に、ただただ混乱するばかりだった。
 海虎がはっと目配せする。
「志瑞也さんが戻って来たぞっ」
 彼は口を尖らし悲しい顔で四人を見る。
「はぁー、俺明日までお前達に近づいちゃ駄目だってさ…」
 彼は食堂の扉に向かう兄と柊虎にちらっと目線を向け、四人を見て瞳をきょろきょろさせる。
「志ぃ兄ちゃん?」
「あっ、お前達机ちゃんと掃除しないと、食べ残しが落ちているぞっ」
 はて?
 彼は声を上げて何を言いだすと思いきや、机は至って綺麗だがどうしたのだろう。彼は兄と柊虎に待つよう合図し、布巾を取り机を拭きだした。不可解な彼の行動に、四人は首を傾げながらも机を見直す。柊虎は腕を組んで怪しげに笑い、兄は黙って彼を見つめる。
「お、伯父上…?」
 彼はせっせと手を上下に動かしながら、小声でぼそっと言う。
むし・・に気をつけろっ」
「え…むっ」
「しっ、何も言うなっ」
 壱黄は彼の意図に気づき「むあーっ」と口に手をあて欠伸する。
 察した玄史が机の真ん中を指差して言う。
「しっ志瑞也さんっ、すみませんっ、ここもお願いしますっ」
「ったく、行儀良く食べないとなっアハハハ」
 彼は再び小声でぼそっと言う。
「霊力は切らすなっ」
 彼は何かしら伝えているのだと、四人は目配せする。
「よし、綺麗になったな」
 彼は腰に手をあて、四人に目を開いてにんまり頷く。
「ありがとうございますっ」
 四人が頭を下げると、彼は兄と柊虎の元へ行き、四人に手を振って食堂を出て行った。兄の目を誤魔化せるはずがないが、今は彼の残した言葉だけが頼りだ。
 玄史が言う。
「この話は後からだ、部屋に行くぞ」
「うん」
 四人は同時に席を立って食堂から出て行った。
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