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第ニ章 桜草

三十四 彼の講義

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 指導会最終日、昨夜の騒動から一夜明け、蒼亞達四人は食堂へ向かった。扉を開けるなり「皆っ、おはよう!」彼が蒼亞、壱黄、海虎、玄史と順に抱きつく。海虎と玄史は慌てふためき、蒼亞に助けを求め目で訴える。しかし、できる訳がない。兄は腕を組み不機嫌な顔をするも、黙って彼を見守っていた。ご機嫌な彼は、次々に入ってくる黄花、玄咊、ちびっ子達にも同様に接する。だが、そこで終われば良かったものを、朱翔、柊虎、義兄にも抱きつき、三人は動じず微笑んで彼の背中を摩った。しかし、磨虎はすかさず抱き返し、にやりと怪しく兄に向かって笑う。「バン!」兄が机を叩いて立ち上がり、めらめらと熱風を漂わせた。「兄上おやめ下さいっ」柊虎が彼と兄磨虎を引き剥がし、朱翔が「お前馬鹿かっ」磨虎を怒鳴ながら「痛ッ」彼の頭を叩いた。「蒼万さん落ち着いて下さいっ」義兄は急ぎ黄花、玄咊、ちびっ子達に結界を張り、兄の仲間達が慌てる中「蒼万怒るなよ、ちゅっ」彼が皆の前で兄に口づけしたのだ。熱風が一瞬で収まり、兄はきょとんとした顔で彼を見る。
「志瑞也、酔っているのか?」
 思わず吐いた兄の台詞に「アハハハハ」彼一人爆笑する。彼が兄に何やら耳打ちし、兄は嬉しそうに彼の腰に手を回し微笑む。朱翔は鬼の形相で、二人を睨んでいた。
 無事に朝餉を済ませ、庭園の広場ではなく、黄龍殿門前広場に集まり皆で準備運動をした後、四人は朱翔に男子部屋で待つよう指示をされた。

 ───暫くして、見覚えのある人物が扉を開いた。
「こ、こんにちは…」
 釵黄が何故? 四人は不思議そうに見合わせ、朱翔は一体何を指導するのかと首を傾げる。釵黄は気まずそうに畳に上がり、壱黄の側に座った。
「釵黄、どうしたのだ?」
「壱黄、どうしたもこうしたも、今日だけ指導会に参加するよう通達が届いたのだ」
 蒼亞はにんまりとする。
「なら黄花とも会えるじゃないか、良かったな釵黄」
「ま、まあな…」
 壱黄にむっと睨まれ、蒼亞はしまったと口を塞ぐ。
「海虎と玄史も久し振りだな」
「お前も元気そうだな」
「あまり緊張するなよ」
 一通り挨拶を交わすも、朱翔はまだ現れない。
 とその時、扉が開いた。
「志ぃ兄ちゃん?」
「伯父上っ?」

 第四ノ試練、愛を知ろ!

 彼は刺繍入りの黒の衣と、帯と抹額を着け、朱翔と部屋に入ってきた。玄武家男子特有の装束、恐らく義兄に借りたのだろう。指導会中、彼はやたらと衣を替えているのは気のせいか、彼の育った環境では家柄を示す装束はなかったのだから、他神家の装束を着る事に違和感を感じないのかもしれない。だが、もう楽しんでいるとしか思えなかった。
 朱翔が五人の前に立つ。
「よし、午前は座学だ、楽に座っていいぞ」
 四人は胡座を組み、釵黄は正座した。
「講師は志瑞也だ、お前達しっかり学べよ。因みに七年前の座学講師試験は三位と、決して頭は悪くない」
 成績優秀者として講師に選ばれた朱翔は、あたかも「私に敵うわけがない」と言いたげに、澄まし顔で腕を組んだ。
「何だよ朱翔っ」
「ハハハごめんごめん。試験はないが、知って損はしないからな」
 朱翔は怪しげに笑った後、壁を背凭れに腰を落とし胡座を組んだ。
 全身黒だからか、今朝の明るい彼の表情とは違い、男子らしく引き締まって見える。改めて見ると、確かに柔和な顔つきからは気立の良さが醸し出され、これなら女子も寄ってくるに違いない。
「師匠、質問があります!」
 早速、釵黄が手を上げた。
「なんだね釵黄君」
 ……。
 釵黄以外の目が点になる、どうやら彼は、完全に老師になりきっているようだ。後ろに片腕を回し、顎髭も生えていないのに指でなでる素振りをし、いつもしない仕草まで加わっている。釵黄以外の四人は、自然と顔がにやけてくる。
「私は何故呼ばれたのですか?」
「それはだね、この講義をすると決めた時にね、私が是非君もと推薦したのだよ、黄花のためにね」
 釵黄は眉を寄せる。
「黄花のため…ですか?」
「そうだよ、わかったかい?」
 釵黄は真剣な眼差しで頷く。
「はいっ、わかりました!」
「わかればよろしい。うむ、良い目をしておる」
 四人は既に笑いを堪えるのに必死で、朱翔は腹を抱え転がっていた。
「では講義を開始する!」
 しかし、彼の講義は今までの中で一番の破壊力だった。彼の口から発せられる言葉とは思えないほど、女子の身体のありとあらゆる部位の名称や、機能、生理現象、極め付けは、性行為に至る内容だった。つまり、性教育の講義だったのだ。彼が時折手振りで説明するも、五人は目のやり場に困り、流石の玄史でも顔を赤くしていた。次第に彼も面倒になってきたのか、話し方は元に戻っていた。
「いいかお前達、俺がこれを教えたかったのは、一番は男と違って女の子の体は繊細なんだ。優しく大切にしてほしいんだ、懐妊したら男より負担は大きい、虎春ちゃんも今そうだろ壱黄?」
「はい」
「黄虎はお前から見てどうだ?」
 壱黄は微笑んで答える。
「父上は母上に寄り添っています」
「それも愛があればこそだ」
 彼は満足げに頷いた後、伏し目がちに言う。
「だけど、どうにもならない・・・・・・・・愛の形もある…」
 彼は柊虎の事をもしや知っているのか、朱翔は片膝を立て肘を置き、真剣な目で彼を見ていた。
「大人になると色々複雑なこともあるよ。俺も傷つきたくなくて何度・・か逃げたんだ、十二歳の時の初恋はお互い好きだったけど色々あってさ、話さないまま十五歳の時に会わなくなったんだ… だけど二十歳の時に再会してさ、お互い当時の気持ちを打ち明けて笑顔でお別れしたんだ、ちゃんと話せて良かったと思っているよ。だから皆も後悔しない恋をするんだぞ」
「はい!」
 五人が返事をし、彼は満面の笑みを溢した。
「朱翔、時間はどうだ?」
 朱翔は立ち上がり彼の側に並ぶ。
「四半刻残っているが、昼餉もあるし午後までは自由にしよう」
「わかった」
「お前達、昼餉の後は門前広場に集合だ」
「はい!」
 五人は立ち上がる。
「志瑞也さん」
「なんだ釵黄?」
「志瑞也さんの恋のお話し、聞かせて下さい」
 四人と朱翔はにんまりする。
「そうだな、十二歳の後は、確か…」
 朱翔は怪しげに笑い彼の肩を組む。
「あいつだろ志瑞也?」
「諒は違うって言ってるだろっ」
 やはりと蒼亞は眉を寄せる。
「志ぃ兄ちゃん、その人友じゃないの?」
「あっちがそう思ってなかったんだよな?クククッ」
 彼はむっと朱翔を睨む。
「ったく変なこと言うなよっ」
「蒼万も知ってるんだから隠すなよ」
 彼は渋々話しだす。
「えっと…十四歳で諒に告白されて断って、二十歳で再会して…ちょっと後ろから襲われっ」
「襲われたっ⁉︎」
 五人は驚愕して声を上げた。
「ぷっ、クククッ」
 朱翔はとても楽しそうに笑い、彼は肘で朱翔を小突く。
「もうっ、ほら見ろよ、皆驚いてるじゃないか、ったく…一応大丈夫だったけど、そいつ次の日に結婚が決まっていたんだ」
「……」
 五人は信じられないと眉間に皺を寄せる。
「しかもお嫁さんは妊娠していてさ」
 は?
 五人は何故友と思えるのか理解に苦しむ。
 彼は胸の高さで拳を上げて言う。
「だから俺『こういうのはお互いが好きな人とするんだっ!』て怒ってさ」
 五人は当然と頷く。
「『俺の目を見て謝れっ!』て言ったらちゃんと謝ってくれたんだ」
 釵黄が尋ねる。
「そ、その方とは今でも友なのですか?」
 だとしても、二度と会えない。釵黄以外は黙り、彼は何事もない素振りで答える。
「ううん、違うよ『結婚おめでとう、子育て頑張れよ』て言って… さよならしたんだ」
 彼は一瞬眉をひそめ、仕方なかったと微笑む。
「あいつは俺が好きで『ずっと忘れられなかった』て言ったんだ。友達にはもう・・戻れないだろ?」
 五人は突っ込みどころが多過ぎて、ぎこちなく頷く。
 朱翔がおどけた顔で言う。
「で、その次は確か十六だよな?」
「伯父上っまだあるのですかっ?」
 朱翔は頷きながら、揶揄うように彼の頬を指で小突く。
「お前達、こいつは魅力的なんだよ。だから蒼万が我慢できなくて襲ったんだよな?ハハハハ」
「……」
 知っている四人は思わず黙ってしまったが、有難い事に、二度目は釵黄も言葉を失っていたようだ。
「いっ言うなよ朱翔っ、あれは俺が受け入れたからいいんだよっ、好きじゃなかったら股間に蹴り入れてるよっ」
「怖っ、お前蒼万に一体何されたんだ? クククッ」
 彼に腕を振り解かれるも、朱翔は再び肩を組んで怪しく笑う。
「はっ話し戻すよっ、十六歳の時のは告白されたけど、笑顔にしてあげれる自信がなかったから断ったんだ」
 蒼亞はわざと悲しげに問う。
「志ぃ兄ちゃん、その人も男なの?」
「ちっ違うよっ、諒は男だけど他は女の子だよっ」
 釵黄が真顔で尋ねる。
「志瑞也さんは、その…色々お詳しいようですが、数人の方と経験があるのですか?」
「なっ、ないよっ…おっ、俺は蒼万しか知らないんだっ!」
 彼の大声に朱翔が耳を塞ぐ。
「もうっ、お前達俺を揶揄っているのか?」
「志瑞也さん、私は真面目に疑問に思ったことを尋ねただけです。黄花の初恋の方が誠実な方で良かったです」
 成程、そういえば、黄花の好みは彼だった。釵黄はこの機会にと、より彼の情報収集に頭を切り替えたのだろう。流石秀才、無論、彼は感動し瞳をきらきらさせる。
「釵黄っ、黄花を宜しくな。俺は黄花にはもうおまじないしないから、釵黄がしてあげるんだぞ」
 釵黄は微笑んで言う。
「その件ですが、志瑞也さんも黄花にしてあげて下さい。黄花の笑顔を守るのが私の役目ですから」
「さ、釵黄っ」
 彼は目を潤ませ釵黄を抱きしめた。
「ありがとう…釵黄が優しいから、俺も安心だよアハハ」
「いえ、こちらこそ、へへへ」
 恐るべし釵黄、十三の精神年齢とは思えないほど大人だ。彼は離れて、釵黄の頭をなでた。蒼亞は横目で海虎を見ると、眉を寄せ首を傾げていた。海虎にはまだ少し、理解し難いようだ。
 釵黄が険しい顔で言う。
「でも志瑞也さん、先程蒼万様が襲ったと言っておりましたが、蒼万様で良かったのですか? 黄花の大切な家族は私にとっても大切です、失礼ですが心配になってしまいました」
 蒼亞はむっとして余計なお世話だと苛つき、察した壱黄が微笑んで蒼亞の肩に手を置いて宥めた。
 彼は釵黄と向き合って言う。
「うん、俺は臆病だからさ、蒼万が行動に移してくれなかったら諦めていたかもしれないんだ、それに蒼万になら襲われても嫌じゃないよ」
 釵黄は首を傾げる。
「それも愛…ですか?」
「うーん、そういう遊びっ」
「おい志瑞也っ、釵黄は精神年齢高いけどまだ十三だからなっ」
 朱翔がじろっと彼を睨む。
「あっ、ごめん、へへへ」
 彼は頭を掻きふにゃっと笑う。
「ったく、お前も変態過ぎるんだよっ」
「変態は子沢山なんだぞー」
 口を尖らしふざける彼に、朱翔は苛つく。
「お前は生めないだろっ」
 彼はにんまり笑う。
「わからないよ、いつかっ」
 朱翔が腕で首を絞め、低く脅す。
「黙れ」
「はい…」
 兄もだが、彼もかなりの変態だと四人は気づいた。


 昼餉時、食堂に全員が集まり、彼は玄武家の装束が気に入ったのかそのままの格好だった。四人や兄の仲間達の嫌な予感は当たり、兄は彼を見るなり凝視する。短髪のせいで後ろに垂れる抹額の紐は、彼が通るたびひらひらと蝶のように靡き、兄の瞳はずっと蝶を捉え、今にでも掴みかかり食い漁りそうだ。
 蒼亞は声をかける。
「釵黄は私達と食べよう」
「よいのか?」
 当て馬にならないよう配慮して言う。
「気遣うなよ、向こうの席の方が気まずいだろ?」
「ありがとう蒼亞」
 五人は座って食べ始めるも、先程の講義内容を話すわけにもいかず、話題を掴めぬまま黙り込む。
 壱黄が沈黙を破る。
「釵黄、伯父上と話してどう思った?」
「とても賢い方だよ、面白いし明るいけど…」
 言いながら、釵黄は箸を置く。
 壱黄は首を傾げる。
「けど?」
「辛い思いを沢山してきたはずだ」
 四人は目を見開いて驚き、蒼亞が尋ねる。
「なんでそう思ったんだ?」
「自分の事を十三の子に『臆病』てなかなか言えないよ。成人なら普通は誤魔化すか隠すよ… それにもう友には戻れないとは、志瑞也さんは戻りたかったはずだ、友の家族のために縁を切ったとしか思えない、自ら縁を切るような方ではないよ。初恋も笑顔で別れて、十六の恋も相手のことばかり考えて、姪として愛してる黄花との触れ合いを奪うなど、できないよ…」
 四人は釵黄の頭の良さに感激する。
 壱黄の夢の話を聞いて、黄花は争いを避けるため他神家ではなく、敢えて同家の男子に目を向けていた可能性を考えていたが、蒼亞は納得して言う。
「釵黄、黄花がお前を好きになったのがわかったよ。お前志ぃ兄ちゃんと性分が似ているんだ、お前も黄花や周りのことばかり考えてるじゃないかハハハ お前いい奴だな」
「蒼亞、でもお前は黄花が…」
 不安げな釵黄に、壱黄は優しく言う。
「釵黄案ずるな。蒼亞は気づいていないだけで、想い人がいるのだ」
 は?
 蒼亞は不愉快だと睨む。
「壱黄っ、何言ってるんだよっ」
「蒼亞は黙ってろよっ」
「なっ…」
 壱黄に睨み返され、蒼亞は今までの事もあり言葉を呑み込む。
「相手は黄花ではない」
「本当か?」
 壱黄が目で脅すように微笑んで言う。
「うん、そうだろ蒼亞?」
 この場を切り抜けるため、蒼亞は不満げに返事する。
「そ、そうだよっ」
 蒼亞の口から聞けて、釵黄は安堵し微笑む。
「よかった、皆これからも宜しくな」
 五人は頷き合い、蒼亞は壱黄を横目で睨むも、壱黄は白々しい顔で首を傾げ、海虎と玄史は壱黄には敵わないと、笑いながら顔を横に振った。

 昼餉後、食堂から出る時「玄弥」兄が義兄を呼び止めた。何を言い出すと思いきや、兄が真顔で我儘を言う。
あれ・・を一式欲しい」
「そっ蒼万さんあれは宗主用なので、来月私が以前着けていた物を持ってきます」
 義兄は苦笑いで対応し、兄は暫し考え「わかった、葵に気づかれるな」「はい…」まるで裏取引の交渉のようだ。義兄が姉に隠し事ができるはずがない、ご機嫌に去って行く兄とは反対に、義兄は困惑した顔で鼻息をついた。
「義兄上、大丈夫ですか?」
「蒼亞、蒼万さんその内色々集めだすよ…」
 義兄はとぼとぼと食堂を出て行く。
「でも昨夜の志瑞也さんは可愛かったぞ」
 玄史が言い、壱黄も海虎も頷く。
「ならいっか…」
 蒼亞は深く考えるのを止めた。
 釵黄は廊下の端で黄花と話をし「本当?」黄花は喜びの声で釵黄に抱きつき「釵黄ありがとう、ちゅっ」釵黄の頬に口づけし、外にいる玄咊やちびっ子達の元へ駆けて行った。彼との〝おまじない〟の話をしたのだろう。釵黄は暫し放心状態で、頬に手をあて固まっていたのだった。
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