友人

根上真気

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四話 友人かく語りき

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 ここで余談だが、私には夢や目標という「欲」を強く、人一倍どころか人十倍二十倍持っている友人がいる。
 今までの話の流れからすると、彼は、言ってみれば欲望の塊という事になるが、
 しかも彼の場合それらの欲は、いわば彼の人間としての弱さからも発生していた。

 彼は、本当は夢も目標も持たないで、成功なんか気にしないでのんべんだらりと生きるのが理想だと言っていた。
 しかし、彼にはそれができなかった。
 そうは生きさせてもらえない厄介な精神構造らしいのだ。(この彼の精神構造の問題については詳しく語らない。とりあえず皆さんには「弱さ」という言葉で納得していただきたい)
 つまり彼の場合、夢や目標という欲が生きるために必要なのである。

 私は、夢、目標、成功、そういったものが、ある性質の人間にとっては、時にとてつもない苦しみを伴わせ地獄に追い詰める事と、上昇志向の危険性を知っている。
 そして残念ながら、私のこの友人はその「ある性質の人間」の一員なのだ。
 それなのにも関わらず、彼は夢や目標という欲がないと生きていけないのである。
 つまり、彼にとって夢や目標という欲は、生きるための「必要悪」なのである。
 彼は非常に強い死の欲動(所謂ディストルドーやタナトス)を持っていて、生きるためにはそれよりも強い生の欲動をこしらえる必要があったのだ。
 
 長々と余談までして、結局、私は何が言いたいかというと「夢や目標があろうがなかろうが、成功しようが失敗しようが、そこに左右はあっても上下はない」という事。
 ただ私は、夢も目標もただの欲に過ぎないとは言ったが、これは否定している訳ではない。
 私にもこの欲はあるし、私の友人のように、この欲が生きていくために不可欠な人間もいる。
 何より、私はこの欲が好きである。
 しかし、なくてもいいとも思っている。
 前述したように、この欲は、時に人間を苦しめるものでもある。

 私が言いたいのは「成功と失敗に人間の優劣はない。夢や目標の有無に人間の優劣はない」という事。
 成功しようが失敗しようが、夢や目標があろうがなかろうが、悪をなさずに、生きて笑えてさえいればいいと私は思う。

(しかしながら、やりたい事、好きな事、夢中になれる事、没頭できる事、そういうものを持っていると、私の経験上では、やはり良いと思う。なぜなら、私はそういった「好奇心という欲」に支えられてきた部分が非常に大きいからだ。なので私は夢よりも「好奇心」を推奨したい)

 結局、私が一番言いたい事。
「人それぞれでいいのだ」という事。
 幸せも不幸も人それぞれ。
 私はそれこそ、誰よりも幸せそうに笑うホームレスがいてもいいと思っている。
 仮にいたとして、それを周りがとやかく言うのはナンセンスである。
 なぜなら人それぞれだから。
「お互いの人それぞれを受け止め笑い合える世の中」これが私の考える理想の社会である。

 諸君は今、私の様々な思想や考え方を聞かされたとお思いになっている事と思う。
 これは最初にも言ったが、所詮は人それぞれである。
 各々の主観である。
 人それぞれでいいのである。
 違いは個性である。その違い、個性はキャラクターである。
 色んなキャラクターがいて然るべきである。

 私は先程、夢や目標も所詮は云々と言ったが、あれは確かに私の思想であり考え方ではあるのだが、でも実は、どちらかというと「気の持ちよう」に近いのである。
 つまり私の「自分なりの気の持ちよう」なのである。
 私はこの「自分なりの気の持ちよう」というのが、人間が生きていく事にとって一番必要なものなのではないかと思う。
 しかしどうも、皆それ以前の「感情と考え方」に縛られている気がする。

「気の持ちよう」は己をなだめるものである。
 己に「おまえも大丈夫」と言ってあげるものである。
 感情と考え方(思想)だけではその役割は務まりきらないのである。
 私は、これは変な言い方だが、それこそ「自分で自分の母になってあげる」という事ができれば、これは究極の気の持ちようなのではないかと思う。
 
 ......まあ、今更だが、正直私には、難しい事はわからない。
 そもそも、私は真面目な話が苦手である。
 どうしようもないぐらい下らない話で心の底から笑い合える時間が一番幸せである。
 なので、どこかで私と会う時があったとしても、難しい事は言わないでいただきたい。
 もし言われても、私はこうとしか言わないだろう。

「うん、まあ、人それぞれだからね」



[完]
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