俺の彼氏

ゆきの(リンドウ)

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俺の彼氏が可愛すぎる件について

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 雪の声に耳を傾けると、出会いの高校一年生エピソードから今は付き合うことになった高校3年生に話が進んでいるようだった。
 そうなると尚更、まずい。と、俺が思う理由は2つある。
 1つ目は、しつこいことは甚だ承知済みであるが、俺が危惧して止まない雪の可愛いすぎる姿を俺以外に晒してしまうこと。
 そしてもう1つは、恋人と認識された俺にフリが来ること。

「ね?俺の彼氏、かっこいいしょ?」
「そ、そうですね!」
 お嬢様達の肯定の声が、一際高い音となって俺の耳に届いた。この声の意味は至極簡単だ。
 かっこいいと思っていた人が実は彼氏を溺愛していて、ちょっと幻滅、と思ったところにかっこいい顔で可愛く自慢をする。つまり、ギャップ効果というやつだ。ということは、俺がしつこいながらに危惧していた件が見事、雪の偉大なる無防備さによって大変残念なことに叶ってしまったということになる。
 大変遺憾であるが、それを阻止できなかった俺にも問題があるのだ。

 例えば、俺が座る角の席に雪を座らせれば良かったとか、大好物の砂肝ではなく、雪と同じモモの串にすれば良かったとか。だが、現状、後悔しても今更ではある。
 半ば形が残ったままの砂肝をごっくんと飲み込み、2つ目の「まずい」理由が現実にならないよう、マスターに「お会計を」と声を掛けた。

「お姉さんたち、うちのがご迷惑をおかけして申し訳ございません。ほら、雪。そろそろ帰るぞ。」
「え、もう帰るの?俺、まだお姉さんたちとお喋りしたかったのに~!」
「いいから、ほら。立って」
「ええ~」と渋る雪を無理矢理に立たせ、入り口付近のレジでお会計をするために雪を待合の椅子に座らせた。

「毎度ありがとうねぇ」
「今日も美味しかったです、マスター。騒いじゃってすみません」

 最早、焼き鳥屋「美鳥」に通い詰めるようになり4年目の俺たちは、マスターからしてもすっかり「常連」の枠組みに入れてくれたらしく、会計の際にちょっとした世間話をすることが楽しみでもある。
(ちなみに、マスターの厳つい外見からは想像できない穏やかで特徴的な語尾が、なんとなく俺のツボだ)
 俺たちの関係を公にしたり、マスターに言ったりはしていないものの、きっとマスターは俺たちの関係を知っている、と俺は思っている。
 マスターのちょっとした気遣いに幾度となく助けられている事実が、俺にそうだと思わせる証拠みたいなものだろう。

「全然~賑やかで嬉しいよぉ。けど、連れのイケメンくん、大丈夫?」
「え?ああ、大丈夫です。ああ見えて大して酔ってないんで」
 大丈夫と聞かれれば一般的には、酔っ払った連れ、大丈夫?と解釈する方が妥当だろう。
 だが、マスターが言う「大丈夫?」はいわゆる一般的な枠には入らないのだったと思い直し、慌てて後ろを振り向いた。

「お兄さん、酔っ払ってんの?大丈夫?」
「俺ですか?全然、酔っ払ってないっすよ~」
 一難去ってまた一難とは、こういうことを言う。
 まるで、教科書の例文に出てくるような状況に深い溜め息をついてしまったのは許していただきたい。

「あの、すいません。こいつ、俺の連れなんで」
 雪を覗き込む若い男たちから遠ざけるように、雪の腕を引っ張り立たせる。
 その時点での俺の心はこうだ。会計も済ませた、トイレはまあ、行きたくなったとしても俺がついていけばいいし。
 今度こそ俺の危惧するトラブルは起きないはずだ、と。
 詰まるところ、安堵感で腹一杯に満たされていたわけだ。
 それゃあ、もう、少しの危機感もなく。

 雪の程よく筋肉のついた背中に俺は自身の腕を滑らせ、足元を浮つかせていた。
 具体的に言うならばおそらく、2センチほどの浮つきが俺を、窮地に追い込むことになる。
 中学から大学までラグビー部に所属していた雪の身体は、意外にもしっかりとした肉付きだ。
 雪を支えたり抱えたりする度にずっしりと感じる左腕の重みを、俺の首に回す。そして、なかなかに味のある「美鳥」の暖簾を潜ろうと大きな一歩を踏み出し、二歩目で完全に店の敷居を抜けられる。
 そんな時だった。

「あ、そうだ。お兄さんたち、この人、俺の彼氏の哲ちゃん。めちゃくちゃ愛しちゃってるから、絶対手出さないでよ?」
「へ?ああ、そういう感じなんだ?」
 瞬間、足も頭も呼吸さえも、ありとあらゆる俺の機能が時を止めていた。何故かって?そんなのは明白だ。
 つい数秒前に耳に鋭く突き刺さったセリフの主が、他の誰でもない、俺の愛しい恋人。南沢 雪だからだ。
 雪と恋人になって長らくが経とうとしているが、この展開が予想できなかったのは俺が未熟なせいの一言に尽きるし、ぐうの音も出ない。
 だが、一つだけ言い訳をさせてくれるなら。
 フリーズした頭の隅で、小高い丘に向かって全力で走り叫ぶ姿が見えた。

「だってさ、あと一歩だったんだぞ?店の外まで!しかも、会計にかかる時間なんて数分のことだろ?なのに!どうして、どうしてなんだー!!」
 盛大に溜め息を吐きたい気持ちをどうにか押し殺し、お兄さんたちの引き攣ったような戸惑ったような、なんとも言い難い表情を目にして、重い口を開く。

「雪!そういうのはいいから、早く行くぞ!お兄さんたちもすみません、ご迷惑をおかけして。」
 最早、何に対する謝罪なのか自分でも理解していなかったが、口から自然と漏れ出たその言葉に身を任せ、素早く計画を練り直すことにした。
 ぼーっとしたり心配したりで、皮と砂肝と一杯のサワーのみの夕飯ではさすがに足りないだろうと騒ぐ腹の虫を落ち着かせたいのは山々だ。
 今すぐ、店を出てコンビニに寄って好物のお茶漬けを買いたい。
 だが、きっとその選択肢はまずい、と本能で悟った俺は雪の腰に回していた右手を背中に滑らせ、やや強引に押すことにした。
 もちろん、一刻も早く、俺のアパートに帰るためだ。

 雪、お願いだからこれ以上、口を開くな!お願いだ!

 冷や汗が出るほどに願った、はずだった。
 それでも、思った通りにいかないのは、日頃の行いの悪さなのか。

「そうそう!哲ちゃんも俺のこと、めちゃくちゃ愛してるはずだから!ね?哲ちゃん」
 雪がぐるりと首を回し、誰もが惚れる可愛い笑顔を振り撒いてそう、言ったのだ。
 それはまさしく、俺が危惧した「まずい」ことの2点目にあげたあれに間違いない。
 気が付けば、お兄さんたちはもちろんのこと、出入り口付近で焼き鳥を美味しく頬張っていたはずのお客さんたちまでもが、俺たちに熱い視線を注いでいた。
 愛しくて可愛い恋人の問いかけに俺が、どう返事を返すのか。
 楽しみのようで怖い、視線がそう語りかけているようだ。

 結果的に俺がどれだけ先回りしたとしても、リスクを察知して回避しようとしても、こうなると頭のどこかでは理解していたんだ。
 それでも、俺が毎度毎度懲りずに先回りするのは、やっぱり雪、お前が愛しいからなんだ。きっと雪には、一生わからない悩みなんだろうが。
 一つ、深く深呼吸をして、雪の方を真正面に振り向く。

「もちろん、俺も雪のこと、愛してるよ」
 熱烈な愛の告白に俺がそう返すと、俺以上に顔を真っ赤に染めた雪を抱えるようにして店を出たのは。
 その理由は今も昔も、たった一つだけだ。
 俺のことを自慢気に語る雪も、見知らぬ人に牽制する雪も、「愛してる」の一言に照れる雪も、俺にとって全てが可愛くて可愛くて、だから心配になる。
 この可愛さに俺以外の誰かが、俺みたいに惚れてしまったらどうしよう、と。

「…哲ちゃん」
「なに?どうした?」
「美鳥」を出て俺のアパートまで歩く最中、雪がぽつりと俺の名前を呼ぶ。

「…手、繋いだらまずいかな?」
「…全然まずくない。俺も繋ぎたかったし」
 控えめに差し出された手を強く、けれども優しく握る。
 人前では何故だか強気な癖して、俺の前では弱気になる。
 そんな雪がしてくれる合図が、愛情表現がこれから先、永遠に俺だけのものであって欲しいと。
 月が輝く夜空をこっそり見上げて、今日もまた一人、願いながら家路を急いだ。
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