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【作者の見たくもない性癖】

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『作品にはその作者の全てが
 意識的、無意識的は関係無い、
創作とはその作者の精神を具現化する行為なのだから、
寧ろ方がオカシイのである。
 ソレが如何に醜悪なモノで在ろうとも。

 ライトノベルではないが嘗て一世を風靡した作品で
『イニシャルD』というモノがあるが、
この作品の「ヒロイン」は【援助交際売春】をやっている女子高生である。
 相手は妻子のあるいい齢こいた「おっさん」で
しかも【友人の父親】
ソレを知りながら「パパ」等と呼んでは
ソイツに抱かれて金を貰い、
その友人とも素知らぬ顔で交友を続けている。
 有り体に云うがもうここまでの描写で
【真性のク〇】としか形容しようが無いのであり、
そのような者を「ヒロイン」として描く
作者の人格をも疑わざる負えない。
 
 実はこの作品が連載された当時は、
所謂【援助交際】が社会問題として取り沙汰された時代であり、
驚くべき事にソレを『擁護』する知識人なども存在した。
 中には「フィールド・ワーク」と称して
実際に【援助交際】を自分で行い、
彼女達の生の声を聞いて自論を展開していた大学教授もいたほどである。
 つまり、【援助交際】に対して妙な幻想や歪んだ思考を抱いているのであり、
そうでなければ『擁護』したり作品の「ヒロイン」にする等という
行為は到底在り得ない。
 当時はまだインターネットが普及していなかったが
今ならまず間違いなく【炎上】しているであろう。
 後にこの漫画の影響で所謂『ドリフト族』と呼ばれる輩が、
漫画と同じように『公道でレース』を行い、
騒音や事故を未だに撒き散らしている事から
その蓋然性は明白と云える。

 嘗て何度も言っているが、小児性愛ペドフィリア被虐嗜好マゾヒズム
作品を通して如実に露呈する場合もある。
 ソレがバレないように「気をつける」ならまだ良い方、

作品を通してその陋劣な本性がダダ漏れになっているにも関わらず
自分は『まとも』だと想っている処が
オメデタイを通り越して呆れ果てる始末ともなる。

 そのままの『心理状態』で創作を続ければ一体どうなるか?
【善悪の判断】も付かず時を於けば於くほど
その思考は歪んでいき、最終的には何が正しくて間違っているかも
判別出来なくなる。
 人間は、【狂う】時は『自然ナチュラル』に狂う。
 どうかこの事を心にお留め戴きたい。
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