Parasite

壽帝旻 錦候

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episode 19

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 妙な警戒心が解けて、空気が軽くなったというのに、鶴岡さんが、思いつめたような表情で俺の目を見て来る。
 今から彼が話す内容というのが、物凄く重い話だという前振りのような気がしてならない。
 ここで場を和ますために、「なに真剣な顏しちゃってるんですかぁ~」などと、おちゃらけた雰囲気を出そうものなら、それこそ空気の読めない男になってしまう。
 彼から放たれる緊張感が、そのままダイレクトに伝わってくるのだが、その重々しさから何だか嫌な予感がする。
 暫くの間、沈黙が続いた後、このまま無言で時間ばかりが過ぎてしまってはいけないと、とうとう意を決した鶴岡さんは、ギュッと瞼を閉じて、大きく息を吐き、次に目を開いた途端に口を開いた。

「私はまず、君に謝らなくてはならない事がある」
「は?」

 鶴岡さんとは、間違いなく今日は初対面。
 百里基地でヘリコプターに乗り込むときに、初めて会い、挨拶した。
 今まで一度も会った事の無い人に、謝られる理由が分からない。
 それとも、あのヘリに乗り込んだ時から、ここに来るまでの間で何かあったのか?
 唯一、思い当たることといえば、洋一郎の件だけ。
 でも、それも鶴岡さんが悪いわけではなく、洋一郎本人の意志なのだから、俺達がバラバラになったことで、彼が誤る必要はない。

 じゃぁ一体、何について彼は謝罪がしたいんだ?

 さっぱり見当もつかないので、間抜な声を出してしまえば、鶴岡さん辛そうでいて、困ったような奇妙な顏になって、下唇を噛みしめた。
 何かを堪えるような顏。
 それが今の彼の姿を例える中で、一番合っているのかもしれない。

 彼は小鼻を膨らまして、大きく息を吸い込むと、自分の胸ポケットから何かを取り出し、俺の前に置いた。
 黒い革の小さな手帳。
 痛みが激しく、パッと見ただけでも、紙は黄ばんでいるし、表紙もボロボロ。
 かなりの年代物か、それとも保存状態が悪かっただけなのか。
 その辺のところは分からないが、俺はこんな手帳に見覚えは無い。
 自分には関係のない、赤の他人の手帳を勝手に触るのは気がひける。
 じっと黙って黒い表紙を睨みつけていると、隣からボソボソと独り言のように鶴岡さんが語りだした。

「それはとても優秀な研究者の手帳でね。彼が数年前、ブラジルのジャングルやアマゾンに飛んだ時の記録。そして、帰国と同時に、彼が発見したものを使って研究した内容が丁寧に記載されている」

 ブラジルという地名を聞いて、思い出す人物はただ一人。
 いや、でも。
 まさか。
 彼と鶴岡さんとでは年が違い過ぎる。
 最低でも一回りは違うだろから、何の接点もな……くはない。
 そうだ。
 研究と言っても、軍事機密の研究。
 軍の幹部クラスの人間となら、もしかしたら接点があったのかもしれない。
 しかし、二人の接点となったものは、意外にももっと単純なものであった。

「実はね。私の妹がこの島にいるんですよ」
「鶴岡さんと同じく、国防軍として?」

 あまりにもサラリと驚くべきことを言うので、こちらもナチュラルに尋ねてしまう。
 一般人では入島出来ない島。
 鶴岡さんの妹さんなのだから、当たり前だが高齢者で連れて来られた人ではない。
 国会議員であっても、長居するような場所ではないだろうし、マスコミ関係者だとしても、数日しか滞在出来ない。
 この島に居るということは、ここで生活しているということを意味しているのだろうから、妹さんの職種は限られている。
 一番最初に思い浮かんだことを口にすれば、鶴岡さんは「いいや」と、一呼吸おいたあとで、ハッキリと口にした。

「『paraíso』施設の中央に存在する、軍事機密研究所の研究員だ」

 どういういきさつで鶴岡さんの手に、この手帳が渡ってきたのかは分からないけれど、兄貴と鶴岡さんとの繋がりが、妹さんを介してだということが分かったし、そのことは、俺にとっては好都合だ。
 鶴岡さんの立場であれば、きっと研究所で働く妹さんと連絡を取り合うことぐらい出来るだろう。

「妹さんが、研究員っていうことなら、俺の兄貴の同僚だってことですよね? でしたら、無理を承知で頼みたいんですが、妹さんとコンタクトを取れますか? 俺、兄貴と直接会って話しがしたいんです」

 手帳の中身は兄貴の研究内容。
 俺が読んだって、理解出来る事はたかが知れている。
 それよりも、研究を中止してくれるよう兄貴に懇願する方が大切だ。
 研究所に連れて行ってくれなくてもいい。
 ほんの少しの時間、兄貴と面談させてくれれば、それで充分。
 仲良し兄弟ってわけじゃなかったけど、弟である俺の話くらいはきちんと聞いてくれるだろう。
 期待を込めて鶴岡さんに頼んだのだが、彼は首を縦には振ってくれなかった。

「その頼みはきくことが出来ない。というよりも、今は私自身も妹とは連絡が取れない状態なんだ。すまない」

 こんな高校生風情に頭を下げる鶴岡さんの表情は、悲痛に満ちており、理由を尋ねられるようなものではなかった。

「あ、頭を上げてください。もともと無理を承知で聞いただけなんで……」

 慌てて彼の両肩に手を置いて、頭を上げて貰おうと思ったが、目上の人の肩に突然触れるのも失礼かと思い、行き場を失った両手を激しく振って、必死で弁解した。
 すまなそうな顏を上げる鶴岡さんの視線は、再び、手帳へと移動する。

「私が君に謝らなくてはならない理由は、その手帳を読んでくれれば分かるだろう。それを読んだ後で、君が今後、どうしたいかを教えて欲しい。もしも、私と同じ考えなら……いいや。それは後で話そう。まずは手帳の中身を読んでほしい」

 壁にかけられた時計を見ると、時刻は十七時。
 あと二時間半で夕食だ。
 手帳をパラパラッと捲る。
 等間隔に横線が引かれた紙には、彼の几帳面な性格を表すかのように、文字の大きさも間隔も揃え、丁寧に書かれた文字がびっしりと詰まっていた。
 日付と天候は青文字。
 その下から黒のボールペンで、その日あった重要な事や印象的な事が書かれてあった。

 一ページ毎に一日分というわけではなく、その日その日で文章の量が違っている。
 一言しかない日や三行程度の日ばかりで、一頁に数日分が詰まっているところもあれば、一日で二、三頁に渡る程、彼の感情のおもむくままに綴られている日もある。

 最初のページの日付は、四年前。

 四年間、毎日書くには、手帳一冊では絶対に足りない。
 日付だけに注目して、ざっと目を通すと、やはりところどころ抜けている日もあれば、一カ月以上書かれていない時もある。
 研究に没頭している期間や、何の発見も成果も得られない時は書く暇もなければ、書く必要も残しておく内容もなかったことが伺える。
 ある意味、兄貴の過去三年間の触り部分だけが分かるというわけだ。

「ここで読んでも?」

 部屋に持って帰って読むとなると、大介とボンがうるさくて集中出来ない。
 普段、小説なんて殆ど読まない俺にとって、細かい文字を目で追うには、かなりの集中力がいる上に、時間も限られている。

「勿論。大丈夫だよ。一人の方が集中出来るだろうから、私は一度、部屋に戻る。時間があまりなくて申し訳ないが、十九時になったら戻って来るから。その時に、君がどうしたいのか聞かせて欲しい。今の君の目的はきっと、肉親の救出と、『paraíso』計画の暴露だとは思うが――その目的の片方は、断念しなければならないと思う」
「え?」

 やけに小さな声で呟かれた最後の方の言葉が、聞き取れなくて聞き返すが、小さく笑って誤魔化された。

「大したことではないから。それじゃ、後で」

 かなり大事なことのような気がするけど、上手く交わされてしまい、胸にモヤモヤとしたものが残るが、とりあえずは目の前で自分の存在を主張している手帳に集中することにした。
 この中に書かれてある内容が、『paraíso』計画の真の目的を暴露する証拠になることは確実。
 本土に戻って、この手帳を公表するかどうかの意思確認を鶴岡さんはしたいのだろう。
 公表すると決めたのなら、さっさと本土への帰還手続きを取ってくれるのかもしれない。

 けれど、俺にどうするか確認するということは、これを読んで、俺も『paraíso』計画に賛成する可能性があるっていうことなのか?

 鶴岡さんは、俺達が単に島の取材で来ているわけじゃないってことは、既に分かっている。
 それなのに、わざわざ、俺に何の意思確認をとりたいのだろうか?

 どうも彼の言動にも不可解な部分を感じるが、その答えはきっと、この手帳の中に書かれてあるだろう。
 それに、ついさっき、大介が深刻な顏をして俺に話したことが、本当かどうかも……。

 もし、大介の話が真実であれば、あの人は何故、俺達に嘘をついたのか?

 その謎も、この手帳を読めば、きっと解けるだろう。
 読み終わった後、何を優先し、何をしなければならないのかが明確になる筈だ。

 俺は、年季の入った手帳を持ち上げた。

 使い込まれた黒い革表紙を捲ると、次第に時計の針が刻む音すらも気にならなくなるぐらいに、その重々しい内容に心奪われ集中していった。

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