サクラメント300

朝顔

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7 昨日と違う自分

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 赤い絨毯が敷かれた、ホテル並みの豪華な設備。
 窓から見えるのは大都会の夜景。
 ため息が出そうな高級感溢れる夢の世界を、今日もカートを押しながら佐倉は歩いていた。
 いつも通りゴミを回収して、一汗かいた後向かう先は、フロアの中でも一際豪華な空間。
 ヨーロッパの貴族の邸宅を思わせる造りは、社長の趣味なのだろうか。
 重厚な扉をノックすると、入れと声がかかった。
 やっとこのやり取りに慣れたところだ。

 中に入ると、今日も高級なスーツを着込んでいる、誰もが目を奪われてしまう色男が笑顔で出迎えてくれた。

「遅かったな。今日は鰻を用意したんだ。白焼を食べたことがないって言っていただろう」

「本当に用意したのか? いいって言ったのに……」

「早く座れよ。他にも色々あるから」

 役員室の来客用のテーブルには、目黒川が手配してくれた料理が並んでいた。
 食事は腹に入れば何でもいいという佐倉の話を聞いた梶は、何かに火がついたような顔になって、次の日には食べ物が用意されていた。

 当然遠慮してみたが、捨てるのはもったいないと言われてしまい、梶とあれこれ話しながら夕食を食べるようになった。
 最初は簡単な軽食だったが、だんだん量が多くなって今はしっかりした料理が並んでいる。

 おかげで夜は売れ残りのスーパーの弁当が主食だったのに、今は食べたことがないような栄養満点の食事を詰め込む日々が続いている。
 食べ残したものは持って帰るので、自宅でも豪華な食事を食べているのだ。
 ボロアパートの一室で、デカい蟹を食べている時は、ここはどこなんだと頭が追いついていかなかった。

 変わらない毎日を送っていたはずなのに、そこにとてつもない変化が起きてしまった。
 当然、土日もあるし、梶も忙しいので毎日というわけではない。
 だが、今日は顔を見せろと連絡が来ると、当たり前のようにご馳走してもらうことになってしまった。

「うわっ、うまっ! 口の中でトロける」

「そうだろう。たくさん食べろ。こっちにスッポンのスープもある」

「あ、ありがと……しかし、多いな」

 夕食を一緒に食べるといっても、主に食べるのは佐倉の方で、梶は嬉しそうに笑いながら佐倉が食べる様子を見ている。
 聞けば俺はいいからと言われて、軽く手をつけるくらいだった。

「……何だかこういうのって、入社したての若者に、美味いもん食わせてやるって上司が飯屋に連れて行く感じに似てるな」

「ああ、それに近いな」

「近いなって、年齢的に逆じゃないか……、智紀が新人で、俺が社会人としては先輩なのに」

「細かいことはいいじゃないか。美味いもん食べて、頬膨らませている未春を見るのが楽しいんだ」

 そう言われたら、ちょうどスープを飲んで頬が膨らんでいたので、慌ててゴクリと飲み込んでしまった。
 変なところに入ってゲホゲホとむせていると、梶は悪い悪いと言いながら、ハンカチを差し出してきた。
 言うことも立派だが、行動もスマート過ぎて、同じ男でありながらクラっとしてしまう。

 一緒に食事をする相手には困らなそうだし、声をかけたらオメガだって喜んで集まってくるだろう。
 それに仕事の後に、清掃員にばかり構っていたら、恋人に怒られないだろうかと心配になってしまった。

「あのさ、その……大丈夫なのか?」

「何がだ?」

「仕事がせっかく早く終わる日に、俺に餌付けばかりしていて……家族とか……」

「言っただろう。別に暮らしているし、必要がなければ帰らない」

「じゃあ……恋人とか……」

 なぜかその質問をする時だけ、緊張して喉が乾いて張り付いてしまった。
 ドクドクと心臓が鳴っていて、その音を聞かれてしまいそうだった。

「恋人はいない」

 梶の答えを聞いて、佐倉の緊張は一気に解けた。
 ホッとして体の力が抜けていったのが分かった。

「そういう未春はどうなんだよ」

「え……いないけど」

 まさか自分に返ってくるとは思っていなくて、佐倉は一瞬固まってしまった。
 自分から聞いておいて驚くのもおかしいが、恋人という響きに足元が冷えていくのを感じた。

「一緒じゃないか。それなら誰かに気兼ねすることもないな。次は飲みに行こう」

「え!?」

「さすがにここで飲むわけにいかないだろう」

「それはそうだけど……」

 泰成に冗談で言われたことが本当になってしまった。
 仕事の後の食事だけでなく、お酒の席までとなると今までと雰囲気が変わってしまう。
 超えてはいけない線を感じてしまった。

「だめだったらいつも通りここで、適当に食べて話すだけでもいい」

「あ……い……いや、大丈夫。飲みに行こう」

 二人は友人なのかどうかもハッキリしない関係だ。
 飲んで親睦を深めたところで、何か変わるわけでもない。
 泰成に頼むぞと言われたから、これは仕事の延長なんだと佐倉は自分に言い聞かせた。

「よしっ、そしたら週末だな。店に行く前に寄るところもあるから連絡する」

「ああ、分かった」

 嬉しそうに笑った後に、梶はペットボトルの水をごくごくと飲み干していた。
 その喉仏が上下する動きを、佐倉は呆けた頭でじっと眺めてしまった。






「ほら、どうかしら。気に入った?」

 鏡の中に映った自分を見て、最初は誰だか分からなくて、ガラス越しに誰かいるのかと本気で思ってしまった。

「せっかくいい男なのに、手入れが酷過ぎて驚いたわよ。ちょっと、定期的に来なさい。写真を撮らせてもらったら、イケメン割にしてあげる」

「しゃ……写真はちょっと……」

「じゃあ後髪だけ。顔は映さないから」

 担当した女性店長さんにぐいぐい押されて、断るのが苦手な佐倉は仕方なく頷いた。

 美容室に来たのなんて何年ぶりだろうか。
 おしゃれには無頓着で、最近は千円カットに行くのも億劫で、伸びてきたら適当に自分でカットしていた。
 しかも頭までマッサージしてもらって、しかも別人のように綺麗にしてもらえた。
 鏡に映る自分を見て、佐倉は初めましてとでも言いそうになってしまった。

「あ、梶くん、こっちよ。終わったわよ」

 ちょうど入り口が開いて、近くのカフェで時間をつぶしていた梶が戻ってきたのが見えた。

 突然思い立って美容室にきたわけではない。
 休日に連絡が来て、昼過ぎに梶と外で待ち合わせたが、まず行くところがあると言われて、服屋に連れていかれた。

 自分の服を選ぶのかと思ったら、好みを聞かれて、寒くなければいいと答えると梶は渋い顔をした。
 だったら任せろと言い出した梶は、次々と服を手に取って佐倉に合わせてきた。
 まさかと思ったが、上から下までコーディネートされて、あっという間に一揃い全部カードで買ってしまった。

 困るとか遠慮すると言う前に、誕生日プレゼントだと四ヶ月も前の、出会う前の話を持ち出されて、返品不可だからとそのまま店から出ることになった。

 雑誌のモデルが着ているような、ユルっとしたおしゃれな服はどう見ても、モサっとした自分には似合わないと思ったが、次に連れていかれたのは美容室だった。

 こじんまりした少しレトロな内装の美容室は、梶の行きつけだった。
 店長さんは梶が高校の頃から担当している人らしく、お任せでと頼んだ梶はさっさと隣のカフェへ行ってしまった。

 カットが始まって、一人で泡を吹いて慌てていた佐倉だったが、マッサージをされたら、思っていた以上にリラックスして、ウトウトと寝てしまった。
 出来上がったと揺り起こされた時には言葉が出てこなかった。

 頸はスッキリとカットされていて、全体的にゆるいパーマがかかっていた。ツーブロックだと説明されたが、前髪が真ん中で分かれていておでこまで丸見えだった。
 その辺で遊んでいそうな陽キャの若者、という見た目になっていて、内面とのギャップに混乱しかなかった。

「かなり派手になったな」

「元の髪が明るいからそう見えるけど、いい感じでしょう。久々に自信作が誕生した気分」

 二人が話している間も顔を上げられなかった。
 今すぐいつも目深に被っている帽子が欲しい。だいたい、こんな前髪で顔を隠すことができるのか。
 疑問がぐるぐる回っていて、恥ずかしさと不安とでいっぱいになっていた。

「未春、顔上げてみろよ。いい感じにしてもらったじゃないか」

 梶に声をかけられて、佐倉は目を泳がせながら顔を上げた。
 そして今まであった前髪がかなり重要だったことに気がついた。
 おでこまでオープンになったこの状況に、視界がキラキラと輝いて見えてしまった。

「智紀……どうしよう。眩しくて、涙出そう」

 パチパチ目を瞬かせていたら、梶と担当の美容師さんは二人して、うーんと唸っていた。

「これは、とんでもないものを作りあげてしまったかも」

「さっき帽子買っただろう、……ああ、これだ。目立つから被っていた方がいい」

 そういえば、服に合わせてキャップを買ってもらっていた。梶はガサゴソと袋をあさって、中からキャップを取り出した。
 タグは取り外してあったので、そのままぽすっと頭に載せられてしまった。

「ちょっとー! せっかく綺麗にセットしたのに」

 店長さんは私の自信作がと言って頬を膨らませて怒っていたが、梶は気にせず会計に行ってしまった。

「すみません、俺が眩しいとか言ったから……」

「やだぁ、佐倉くんのせいじゃないから気にしないで。それにしても、何事にも無関心というか、ドライな子だったのにね……可愛いところあるじゃない」

 店長さんは長い付き合いだから、梶の成長も見てきたのだろう。
 家族のような温かい目をして梶の後ろ姿を見ていた。

 家に居場所がなかったとポツリとこぼしていた梶の横顔を思い出した。
 彼にとってここは、心が安らぐ場所だったに違いない。
 そんな場所に自分を連れてきたのはなぜなのか。佐倉の頭の中では、疑問の種から次々と芽が生えていった。

 ぼんやりと高校生の頃の梶を想像して、その頃はもっとトガっていたのだろうかと、話を聞いてみたくなってしまった。







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