運命の愛を紡いで

朝顔

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続編

偽りの車窓②

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「悪い虫がついたかもしれない」

 仕事から帰って部屋で着替えていると、珍しくミランが一人で顔を出してきた。
 突然何の話かと顔をしかめたら、ミランはユーリの事だと言った。
 途端に疲れがどうでもよくなり、心臓が揺れだした。彼の名前を聞くだけでこうなのだからたまらない。心配の種はつきそうにない。

「列車で医者の男と知り合いになったらしい。シオンのせいだ。疲れがとれないとか言って俺が医者に診てもらえって言ったら、そんな時間はないが名医なら考えるとか言うから。帰りの馬車で良さそうなお医者さんに会えたとか言って喜んで報告してきたぞ」

「俺のせいって……、ジェイドはどうしていたんだ?」

「それが、トイレに行っていて乗り遅れたらしい……。ジェイドが走って列車を追いかけていたとか言ってユーリは面白がって笑っていた。あいつは次の列車でのこのこ帰ってきたから、歩きで帰らせた」

 それなりにできるが、たまに抜けている執事に頭に手を当ててため息をついた。

「お前のことだからホームまで行ったんだろう。相手は確認したのか? 名前は?」

「多分そうだろうというやつはいたよ。よだれを垂らしながら物欲しそうな顔でユーリを見ていたから……名前も聞いたし今調べている」

「気を付けろよ。ただの蝿ならいいが……。たまに蜂がまぎれこむこともある」

 気のせいならいいが、嫌な予感がして胸が騒いだ。早くユーリの部屋に行って、抱きしめて眠らなければこの重さは消えそうになかった。








 DP診療所と小さく書かれた看板を見て、俺は顔を上げて建物全体を眺めてみた。
 家族で医者をしていると聞いていたから、もっと大きくて派手な佇まいを想像していたが、実際は蔦に覆われた小さな建物だった。

 場所も大通りというよりは裏路地の奥にあり、知っている人でないと辿り着けない場所にあった。

 不思議に思いながら、もらったカードに書かれた住所と名前を確認してみたが、間違いなさそうだ。

「ここが、診療所ですか? ずいぶんと陰気くさい……いえ、変わった建物ですね」

 一緒に着いてきてくれたジェイドも同じ感想をもったようで、俺の横で口を開けながら建物を眺めていた。

「もしかしたら、予約制でこじんまりとやっているのかも知れないよ。大病院よりそういうところの方が親身に話を聞いてくれるかもしれない。とにかくベルを……」

 ずっと立っているわけにもいかないので、とにかく訪問を知らせようとベルを探したら、ジェイドが近くにあった呼び鈴を鳴らした。

 何度か押してから、ドアが軋む音を上げながらゆっくりと開いた。
 中から現れたのは老婆だった。背中を丸めているが、女性にしてはやけに体格がよくて大きな体に見えた。
 一瞬男かと思ったが、高い声とスカートを履いているので女性で間違いないだろう。

 こちらへと言われて診療所の中へ通された。中は部屋と階段があって普通の民家のようだった。ただ薄暗くてひっそりと静まりかえっていた。他に患者がいる雰囲気もなくて、病院とはこんなものだったのかと錯覚するくらいだった。
 案内されて歩いていると薬品のような臭いが漂ってきて、雰囲気だけは感じられた。

 通された部屋は、机と椅子、簡易的な小さなベッドがあった。薬品棚に医療用の器具が並んでいて、そこはやっと病院らしい場所だった。

「あの方はきっとシュナイ人ですね」

「え? 今の女性?」

「ええ、かなりお年を召していましたが大柄でしたでしょう。東方の国の一部で原始的な生活をしている方々です。男女ともに体が大きく、筋肉が発達していて戦いの部族と呼ばれていましたが、性格は臆病で穏やかのようです。ミルズでは珍しいですね。私も父に連れて行かれた見世物小屋で何度か見た程度です」

 ジェイドから聞いたことのない話をされて俺は興味津々で耳を傾けた。
 ここで生活するまで田舎の教会からほとんど出ることなく暮らしていたので、俺は世間知らずというか、シオンやミランと比べると圧倒的に知識が足りない。
 屋敷の本を読んで必死に追いつこうとしているが、まだまだ全然力にならない状態だ。
 だから、初めて聞く話などはしっかり聞いておいて、後で調べようというクセがついた。


 部屋に通されてしばらくすると、トントンとノックの音が聞こえて、バッとドアが開いた。

「グレイシー様、お久しぶりです。来ていただけて嬉しいです」

 颯爽と現れた背の高い男を見て、俺は慌てて立ち上がった。
 焦茶の髪をピシッと後ろに撫でつけて、浅黒い肌に整った相貌、深緑の神秘的な瞳が印象的な男だ。
 三揃いのスーツは前回と一緒だが、今日は白衣を羽織っていて、俺の想像通りの姿だったので安心して微笑んだ。

「ノーラン先生、何度かお手紙をいただいたのに、ちゃんと返事が書けなくてごめんなさい。本人を連れてこようと頑張ったのですが、どうしても忙しいと言われて逃げられてしまって……。相談だけでもというお言葉に甘えて来てしまいました」

「あのジーオイルの社長さんですから、忙しいのも仕方ないですよ。どうぞ座ってください。あぁ、お付きの方は隣の待合室でお待ちください」

 ジェイドが心配そうな目になって何か言おうとしたが、俺は大丈夫だからと言って退室を促した。
 ジェイドは軽く一礼してから、部屋を出て行った。

「驚いたでしょう。外観は草だらけだし、中は薄暗いからあまり病院には見えないとよく言われるんです。あ、これどうぞ」

 ノーランにお茶を淹れてもらったので、お礼を言ってから受け取った。

「少し驚きましたが、他の患者さんや先生はいらっしゃらないのですね」

「往診が基本なんです。家族は別で病院をやっているので、一人だと限界があって、ここに来てもらうことはあまりないんです。グレイシー様は別です。こちらからお呼びしたので」

 医学校を出たばかりだと聞いていたが、ノーランの風貌には独特の雰囲気があった。若く才能に溢れている、とも感じるのだが、時々やけに冷淡な目をしている。医療への情熱とは真逆の色がどうも目についてしまう。今もそんな顔をしていた。

「グレイシー様だなんて、ユーリと呼んでください。その名前で呼ばれるとどうも緊張してしまいまして……。その、列車で知り合っただけの俺にどうして、こんなに親身になってくれるのですか?」

「縁……と言いますでしょうか。まだ駆け出しの人間なので、外観を見てもらえればお分かりのように、金銭的に余裕がないのです。いわゆる、太い線が欲しいのです。貴族の方とお知り合いになれるなんて、俺のような者には絶好の機会ですから」

 グレイシー伯爵家と言えば、ミルズでは名前の知られた貴族だ。それにジーオイルも有名な会社なので、そのために近づいて来たのだと思ったら納得がいった。
 養子にはなったが、俺の交流関係は狭い。ミランもシオンもあまり周りの人間と合わせてくれようとしない。それはやはり、グレイシー家の人間としてまだまだ素養が足りないだと痛感している。ノーランが人脈を求めているのなら、俺は役不足だと思ったが、シオンであればその希望を叶えてくれるかもしれないと思った。

「分かりました。そういう事でしたら、上手くいけばシオンを紹介できるかもしれません。実はグレイシー家の医師が高齢の方で、後任を探していたのです。ノーラン先生のこと、話してみますね」

 俺がそう言うと、ノーランはにっこりと嬉しそうに微笑んだ。




 双子の貴族、ミランとシオンと結ばれて、俺は世話係からグレイシー家の正式な養子として迎えられた。
 夜毎二人から愛されて、幸せな日々を送っているが不安もあった。
 現在はジーオイルの社員として雇ってもらい、主に屋敷で書類仕事を任されているが、いつになってもシオンに付いて仕事に行くことが許されないし、かといってミランの仕事の手伝いもできない。
 二人の役に立ちたいと思うのに、ただ贅沢に暮らさせてもらうばかりで足ばかり引っ張っているような気がするのだ。

 ノーランとの出会いはそんなもどかしい気持ちを抱えた俺にとって、心沸き立つものだった。
 グレイシー家の専属医師であるハモンド先生が高齢のため辞したいと話が来ていて、ミランとシオンは後任を探していた。
 そもそもハモンド先生は遠方に住んでいたので、呼んでもなかなか来てくれることはなかった。
 健康面の相談を気軽にできる人もいなかったので、これを機に二人の健康について話を聞ける人ができると思っていたのだ。
 そういった管理はジェイドの仕事かもしれないが、俺だって力になりたかったのだ。それに、ノーランを専属として雇えるなら、ミランとシオンの気苦労を減らせるかもしれない。そう思って、気合を入れながらノーランに会いに来たのだ。

 俺の期待通り、ノーランは親身になって話を聞いて、アドバイスをくれた。

「え…と、それじゃ、休みの日だからと言って寝過ぎてはだめで、なるべく普段と同じように過ごすこと。軽い運動を欠かさないこと。ハーブを入れた湯に浸かるのが疲労回復にはいいんですね」

「ええ、よければ、入浴用のハーブをお渡しします。直接診れないのでなんとも言えませんが、栄養価の高いクヌイの実を使った薬があるので、それも飲ませてあげてください」

「あ…ありがとうございます! ここへ来て良かったです。色々聞けて助かりました」

 モヤモヤが晴れて感動した俺は思わずノーランの手を握って感謝の気持ちを伝えてしまった。
 勢いよく近づいたので、失礼だったかと気がついて離れようとしたら、逆にノーラン手が今度は俺の手を握って来た。

「とんでもない。こちらこそ、ユーリのような方とお知り合いになれて良かったです」

 顔を近づけたからか、ノーランの息がわずかに頬にあたった。
 それに鼻をつく薬品の臭いが頭にツンと響いてきて、俺の体はぐらりと揺れた。

「す…すみません、なんだろ……、急に体が重く……」

「大丈夫ですか? 顔色が悪い…。横になってください。呼吸の音を聞いてみましょう」

 医師として適切な処置をとるためか、ノーランからベッドに上がるように指示された。
 突然目眩のようなものに襲われて不安なりながら、俺は言われた通りにベッド上がって横になった。

「ノーラン先生…、体がちょっと…痺れていて……」

「疲労が溜まったのかもしれませんね。少し失礼して胸の音を聞かせてください」

 ノーランが俺のシャツのボタンに手を掛けて、ガバっと前を開いた。
 触診は何度かハモンド医師にしてもらったことがある。確かに目眩を起こしたことがあるので、そういう体質だと言われたことを思い出した。
 前回はしばらく休めば大丈夫だと言われた。多少症状が違うがそういうものなのだろうか。こういう不安な時に医師が近くにいてくれて助かったと思った。

「こ…これ……は……」

 胸を開いたノーランは聴診器を当てようとしたのだが、目の前の光景に驚いて声を上げていた。それが何を意味するのか悟った。

「あ…それは……その……怪我とかではなくて……あまり、見ないでください……」

 胸に散らばっているのはミランとシオンが競うように付けている愛の痕だ。
 やめてと止めなければ、身体中に付けられてしまうので、嬉しいけれど少し困ってもいた。
 それはこんな風に人に肌を晒す時に、どう考えても困惑させてしまうからだ。

 ノーランは何も言わずに聴診器を当ててきた。職務上指摘することもできないので流してくれたのだろう。助かったと思いながら、視界が揺れてきたので俺は目を閉じた。
 体の力が抜けていくのをぼんやりと感じていた。





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