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① タクシーの中
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澄んだ空気の中に、ほんの少し混じるのは苦い色。
それはきっと自分の胸の内を表しているから。
切ないという言葉では曖昧すぎて、かといって的確には言い表せない。
自分の中の複雑な感情は、他人から見たらただ面倒だと一言で済まされてしまうだろう。
それならばと一人で抱えて、言葉を飲み込んできた。
今回だってそうだ。
ただ黙って首を縦に振るだけ。
それが俺の役割だから。
結婚しなければいけない。
顔も知らない
初めて会う男と。
窓から見えるのは緑の景色。
先ほどからずっと森林の中を車で走っている。
後部座席に座った俺は、窓から外を眺めながら変わることのない景色を見ていた。
都会のビル群しか知らないので、まるで別世界に迷い込んだみたいだと思った。
「都会の人には退屈でしょう。この辺は何にもないですからねぇ」
客商売とは思えない、白い口髭を蓄えた初老の運転手は、バックミラー越しに俺を見て話しかけてきた。
タクシーに乗ってから一言も話さない俺に、いつ話しかけようかとそわそわしていた様子には気がついていた。
人と話すのは嫌いではないが、今はあまり気分が乗らなかった。
「いえ、そうでもないです。自然の景色を見ていると癒されますから」
「そういうもんですかねぇ。都会から来る人はみんなそう言いますけど、三日もすれば飽き飽きしますよ」
確かに自然の多い場所に旅行で訪れるのと、暮らすのとでは全く違うだろう。
運転手と田舎と都会の暮らしで議論するつもりはなかったので、曖昧に返事をしてまた口を閉じて窓の外に意識を向けた。
「こちらにはご旅行ですか?」
向こうも商売だからか人柄なのか、どうやら空気を察してトークをやめてはくれないようだ。
疲れが顔に出てしまったが、仕方ないとまた口を開いた。
「いえ、結婚しにきました」
「へ?」
突然そんなことを言われたら驚くだろう。
触れてはいけない人物だと思ってもらい、静かにしてくれるかと思ったが、運転手は逆に興味津々になってしまい、さっきよりももっと食い入るようにミラー越しに見られてしまった。
「いや、すっ、スミマセン。お客さん、えらい別嬪さんなもんで、つい……。いやぁ、都会の人ってカンジで。羨ましいですなぁ、相手の方は……、あの、女性? ですよね……」
勢いで話し始めたが、どう判断したらいいのか迷ったのだろう。運転手の混乱した様子が分かった。よくあることなので、静かに目を伏せた。
「相手は男性です。私も男ですがオメガなので」
「あっ……なるほど。お客さんは綺麗な方だし、声は低いけど、どっちかなと……すみません。私はベータで、周りも同じ性の者ばかりで……その辺りのことが疎くて……」
「大丈夫です。よく間違われますから気にしません」
すっかり身についた笑みを浮かべて見せれば、運転手から明らかにホッとしたような空気を感じた。
息苦しくなってまた外に目を向ければ、さっきと少しも変わらない景色が続いていた。
まるで自分の人生、どこまで行っても森の中。
終わりのない迷路のようだった。
この世には男女の性とは別に、三つの性が存在する。
人口の七割を占めると言われているのが、β(ベータ)性。
残りの二割はα(アルファ)性。
一割にも満たないと言われているのが、Ω(オメガ)性。
アルファとオメガは特有のフェロモンを発することで知られている。
アルファは男女ともに容姿や才能に優れ、社会的に高い地位の仕事に就くことが多い。
一方オメガは周期的に発情期がやってきて、その度に催淫フェロモンを撒き散らしてアルファをヒート(暴走状態)にしてしまうので、迷惑な存在として見られることが多かった。
しかしそれは昔の話で、今は科学の発展とともに効果の高い抑制剤が次々と開発され、安価で手に入れることができるようになった。
一部のアルファには根強く選民意識が残っているが、ほとんどの人々はオメガを手厚く保護し、大切にする意識に変わってきている。
そして俺、白奥諒はそんな時代に生まれた。
白奥家は古くからある名家で、会社を経営している父親は優秀と呼ばれるアルファ、元女優の母はオメガだった。
代々白奥家の男子はアルファとして生まれていたので、俺もずっと自分がアルファであると疑わなかった。
それに小学生で受けた簡易検査ではアルファ性と出たので、当然のように信じて生きてきた。
昨今、低年齢での検査は誤差が生じるとして、問題化されていた。自分には関係ないと思っていたのに、その問題の通り、中学の時に受けた再検査で俺の判定は変わってしまった、それもオメガという結果に………。
「そういえば、この辺りにもお客さんみたいに綺麗な顔をした人がいるんですよ。君塚というこの辺り一帯を所有している資産家で、戦国時代は武士の家系だったとか、元は華族だったとかの由緒正しい名家があるんです。そりゃこの辺じゃ有名も有名で、そこのご子息がまだ若いんですけど、お客さんと同じで女性と見間違うくらい美しくて……」
過ぎていく景色に目を取られていたが、その名前が耳に入ってきたら心臓がトクンと揺れた。
どんな人物かほとんど聞いていなかったが、思い浮かんだ名前を口にしてみた。
「もしかして、君塚佳純さんですか?」
「えっ……、そっそうです。あれ? お知り合いでした?」
「いえ、まだ………。名前だけ………」
「いやぁ、さすが君塚さんだ。都会の方にも名前を知られているとは。小さい頃からそりゃよく取材やらスカウトやらで佳純くん目当てで人が来ていましたよ。もしかしたら、そっちの仕事もされているのかな。一度見たら忘れられないですから」
そういえば見せてもらった略歴に、大学在学中にモデルの仕事をしていたと書かれていたのを思い出した。
テレビや雑誌などほとんど見ない俺は、特に関心もなく読み飛ばしていた。
思いつかなかったが、名前で検索すれば写真が出てきそうだなと思ってスマホを手に取ったが、バカらしいと思ってすぐにポケットに戻した。
どうせすぐに嫌でも会うことになるのだ。
今話題に上がっている君塚佳純が俺の婚約者で、これから結婚する相手なのだから。
「そういえばお客さん、オメガだったら、相手はアルファの男性なんですか?」
「ええ、そうです」
疲れてきたので目を瞑りたかったが、運転手は許してくれないらしい。矢継ぎに質問が続いてちっとも終わらない。
「いやぁ、羨ましいな。お客さんみたいな美人さんと結婚だなんて。お相手さんは鼻の下を伸ばして喜んでいそうですね」
「………どうでしょう、そうであってくれたらいいのですけど」
惚気だと取ったのか、またまたぁと言いながら運転手はゲラゲラと笑っていた。
俺の答えはその通りだ。
そうであってくれたらよかった。
もっと早く丸く収まる話だった。
大きな問題がある。
それは先方の希望は俺ではない、ということだ。
君塚家と白奥家は古くからの縁がある関係だった。
遠い昔、財政難に陥った君塚家を援助して救ったのが白奥家で、その時の縁があって、お互いの子孫で歳の近い者がいれば結婚させようという約束があったらしい。
白奥家の子と結婚すると、優秀なアルファが生まれると嘘が本当か分からないがそんな言い伝えがあるらしい。
今までタイミングが合わずに、その縁が叶ったことがなかったが、俺の代でついにお互いの家で歳の近い者が生まれてその縁が繋がれることになった。
まだ俺が赤ん坊の時に向こうから婚約という話が来て、両親は将来どうなるか分からないが、その時にお互いが良ければと返事をしたらしい。
両親としても、かなり昔に交わした約束を今の時代になって果たす必要があるのかと、その時は疑問に思っていて返事を濁していた。
そして時は過ぎて、かつてそんな話があったことも記憶から薄れていた頃、一通の手紙が届いた。
そこには、君塚家からそろそろ結婚を進めたいと話が書かれていた。
それだけで両親は慌てていたが、しかも君塚家からの手紙には、貴家のご息女である、玲香様を花嫁として迎えたいとあって、それを見た両親は顔面蒼白になって倒れた。
小学生の頃、ちょうどバース性の簡易検査をしてアルファという誤判定が出た時、それが俺の人生のピークだった。
その頃は何をやっても上手くいっていたし、たくさん友人もいて毎日が楽しかった。
しかし、それから何年かして風邪をひいたことがキッカケで、入院するほどの大病になってしまった。
順調に回復して退院できたが、体力はなかなか戻らず、家で過ごすようになった。
どうしても外へ出たくて内緒で家を抜け出したこともあったが、そのせいで無理をして熱を出してしまい、両親からひどく怒られた。
それからはほとんど外へ出ることなく、人を雇って家庭学習という形で教育を受けるようになった。
年を重ねて順調に体力がついて、体を壊すことはなくなったが、両親の心配は変わらずで、外へはほとんど出ることのない生活が続いた。
そして、中学の時の発作だ。
アルファという判定を受けていたのに、突然発情してしまい、運び込まれた病院でオメガだと判定を受けた。
これで両親の心配は爆上がり。
ますます外出は禁止されて、家という箱の中で、箱入り息子として育てられたと言っても過言ではない。
三年前、通信制で高校を出て、趣味でやっていたパソコンのプログラミングをそのまま仕事にして、父の会社に所属してプログラマーとして働いている。
そんな引きこもった俺の人生と正反対に生きてきたのが一歳年下の妹の玲香だ。
見た目は俺と似ていると言われることもあるが、玲香は可愛い。とにかく可愛い。
幼い頃から可愛いと評判で、性格も明るくて才能に溢れていて、誰からも愛される子だった。
おそらくそうだろうと言われていたが、玲香はアルファで、それは誰もが納得するくらいの判定だった。
とにかく活発な子で、枠に囚われたくないが口癖で、中学になると自分から志望して海外に留学。
優秀な成績を収めつつ、スポーツの大会に出たり、バンド活動に明け暮れたり、モデルや、芸術方面に名前を轟かせてみたりと何をやっても抜群の才能を見せた。
中学で日本を出てから、たまに顔を見せに帰ってくることはあるがほとんどを海外で暮らしている。学生をやりつつ、世界中を旅して写真を撮ってきた。今は自然保護の活動や、個展を開いたりなど、俺には想像もできないような世界を生きている。
俺にとっては自慢の妹であるのだが、自由すぎてまともに掴まらないレアな人物でもあった。
そんな折、今回の縁談の話が来たのは、白奥家にとってかなり衝撃だった。
家同士の結婚など時代錯誤だと、正式に文書にしたわけでもなく、とっくになくなったものだと思いこんでいたからだ。
しかし、これは暗闇に差し込んできた光でもあった。
父の会社は窮地に陥っていた。
主力商品だったものが、類似商品に取って代わられてしまい、しかも原材料に不備があり回収騒動と企業としてのマイナスイメージが付いてしまった。
慌てた父は、会社の土地を売却して、投資に回したが、それがことごとく失敗。
巨額の損失を負ってしまった。
そのタイミングで降って湧いたようなこの話、しかも結婚にあたって、多額の出資と、超好条件の業務提携を約束してもらえるという、父にとっても命綱が降ってきたような話だった。
こうなったらと、一縷の望みを託して、玲香となんとか連絡を取ろうとしたがなかなか掴まらない。
そんな時やっと、最近の私として、SNSにアフリカの奥地の部族と楽しそうに手を上げて踊っている写真が上げられたのを発見した。
父はコメント欄に、日本に帰ってきて結婚して欲しいと入れた。
経営陣一同と会議室で生唾を飲み込み、胸を押さえながら返信を待っていたが、返ってきたのは、はぁ? というコメントだった。
会議室のモニターを見て、全員椅子から崩れ落ちた。
幼い頃から、私は一生結婚しませんと宣言していたくらいだ。人生を謳歌している玲香が了解ですと戻ってくるはずがない。
そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。
俺も白奥家の子であり、オメガなので妊娠も可能であるからだ。
箱入り息子といえば聞こえはいいが、実家から出ることなく生きてきて、ほとんど人付き合いもなく、当然恋人もいない。
自由に生きながらも、玲香は父の会社の海外での販売ルートの橋渡しや、下地を作りを手伝っていて、それが利益に繋がっている。
それに対して俺は何もしていないだろうと言われてしまった。
独断で投資をして負債を出してしまった責任を問われて父は追い込まれていた。
会社の危機でもあり、なんとか君塚との縁を繋げたいとみんな必死であった。
大変な事態になったと呼び出されて、会議室の端に座っていた俺はみんなの突き刺さるような視線を受けて、分かりましたと頷くしかなかった。
君塚家からは事情があってすぐにでも結婚したいと連絡が来た。
顔合わせをしたら、その場で籍を入れ届けを出したいとまで希望している。
問題なのは同じ白奥の子でも、俺が向こうの希望している玲香ではないことだ。
もし、ただ白奥の子であることにこだわって、約束のためにこの話があるのならまだ勝機はある。
向こうの気が変わらないうちに何とかしてくれと言われて、その場で俺は君塚家に向かうことになった。
すまないと頭を下げてくる父の横を、気まずい気持ちで通り過ぎながら会議室を出た。
こうして俺は一人、君塚佳純と結婚するために、君塚家の本家がある都心から電車で五時間の自然豊かなこの土地にやって来た。
事前に連絡して断られたらそれで終わりだ。
突然押しかけて迷惑だと言われるかもしれない。
それでも、押して通さなければいけない。
父の疲弊した表情を見たら、自分の意思など霧の中に消えてしまった。
とにかく到底無理としか思えない使命を背負って、俺はどこまでも続く森の中を進んでいた。
□□□
それはきっと自分の胸の内を表しているから。
切ないという言葉では曖昧すぎて、かといって的確には言い表せない。
自分の中の複雑な感情は、他人から見たらただ面倒だと一言で済まされてしまうだろう。
それならばと一人で抱えて、言葉を飲み込んできた。
今回だってそうだ。
ただ黙って首を縦に振るだけ。
それが俺の役割だから。
結婚しなければいけない。
顔も知らない
初めて会う男と。
窓から見えるのは緑の景色。
先ほどからずっと森林の中を車で走っている。
後部座席に座った俺は、窓から外を眺めながら変わることのない景色を見ていた。
都会のビル群しか知らないので、まるで別世界に迷い込んだみたいだと思った。
「都会の人には退屈でしょう。この辺は何にもないですからねぇ」
客商売とは思えない、白い口髭を蓄えた初老の運転手は、バックミラー越しに俺を見て話しかけてきた。
タクシーに乗ってから一言も話さない俺に、いつ話しかけようかとそわそわしていた様子には気がついていた。
人と話すのは嫌いではないが、今はあまり気分が乗らなかった。
「いえ、そうでもないです。自然の景色を見ていると癒されますから」
「そういうもんですかねぇ。都会から来る人はみんなそう言いますけど、三日もすれば飽き飽きしますよ」
確かに自然の多い場所に旅行で訪れるのと、暮らすのとでは全く違うだろう。
運転手と田舎と都会の暮らしで議論するつもりはなかったので、曖昧に返事をしてまた口を閉じて窓の外に意識を向けた。
「こちらにはご旅行ですか?」
向こうも商売だからか人柄なのか、どうやら空気を察してトークをやめてはくれないようだ。
疲れが顔に出てしまったが、仕方ないとまた口を開いた。
「いえ、結婚しにきました」
「へ?」
突然そんなことを言われたら驚くだろう。
触れてはいけない人物だと思ってもらい、静かにしてくれるかと思ったが、運転手は逆に興味津々になってしまい、さっきよりももっと食い入るようにミラー越しに見られてしまった。
「いや、すっ、スミマセン。お客さん、えらい別嬪さんなもんで、つい……。いやぁ、都会の人ってカンジで。羨ましいですなぁ、相手の方は……、あの、女性? ですよね……」
勢いで話し始めたが、どう判断したらいいのか迷ったのだろう。運転手の混乱した様子が分かった。よくあることなので、静かに目を伏せた。
「相手は男性です。私も男ですがオメガなので」
「あっ……なるほど。お客さんは綺麗な方だし、声は低いけど、どっちかなと……すみません。私はベータで、周りも同じ性の者ばかりで……その辺りのことが疎くて……」
「大丈夫です。よく間違われますから気にしません」
すっかり身についた笑みを浮かべて見せれば、運転手から明らかにホッとしたような空気を感じた。
息苦しくなってまた外に目を向ければ、さっきと少しも変わらない景色が続いていた。
まるで自分の人生、どこまで行っても森の中。
終わりのない迷路のようだった。
この世には男女の性とは別に、三つの性が存在する。
人口の七割を占めると言われているのが、β(ベータ)性。
残りの二割はα(アルファ)性。
一割にも満たないと言われているのが、Ω(オメガ)性。
アルファとオメガは特有のフェロモンを発することで知られている。
アルファは男女ともに容姿や才能に優れ、社会的に高い地位の仕事に就くことが多い。
一方オメガは周期的に発情期がやってきて、その度に催淫フェロモンを撒き散らしてアルファをヒート(暴走状態)にしてしまうので、迷惑な存在として見られることが多かった。
しかしそれは昔の話で、今は科学の発展とともに効果の高い抑制剤が次々と開発され、安価で手に入れることができるようになった。
一部のアルファには根強く選民意識が残っているが、ほとんどの人々はオメガを手厚く保護し、大切にする意識に変わってきている。
そして俺、白奥諒はそんな時代に生まれた。
白奥家は古くからある名家で、会社を経営している父親は優秀と呼ばれるアルファ、元女優の母はオメガだった。
代々白奥家の男子はアルファとして生まれていたので、俺もずっと自分がアルファであると疑わなかった。
それに小学生で受けた簡易検査ではアルファ性と出たので、当然のように信じて生きてきた。
昨今、低年齢での検査は誤差が生じるとして、問題化されていた。自分には関係ないと思っていたのに、その問題の通り、中学の時に受けた再検査で俺の判定は変わってしまった、それもオメガという結果に………。
「そういえば、この辺りにもお客さんみたいに綺麗な顔をした人がいるんですよ。君塚というこの辺り一帯を所有している資産家で、戦国時代は武士の家系だったとか、元は華族だったとかの由緒正しい名家があるんです。そりゃこの辺じゃ有名も有名で、そこのご子息がまだ若いんですけど、お客さんと同じで女性と見間違うくらい美しくて……」
過ぎていく景色に目を取られていたが、その名前が耳に入ってきたら心臓がトクンと揺れた。
どんな人物かほとんど聞いていなかったが、思い浮かんだ名前を口にしてみた。
「もしかして、君塚佳純さんですか?」
「えっ……、そっそうです。あれ? お知り合いでした?」
「いえ、まだ………。名前だけ………」
「いやぁ、さすが君塚さんだ。都会の方にも名前を知られているとは。小さい頃からそりゃよく取材やらスカウトやらで佳純くん目当てで人が来ていましたよ。もしかしたら、そっちの仕事もされているのかな。一度見たら忘れられないですから」
そういえば見せてもらった略歴に、大学在学中にモデルの仕事をしていたと書かれていたのを思い出した。
テレビや雑誌などほとんど見ない俺は、特に関心もなく読み飛ばしていた。
思いつかなかったが、名前で検索すれば写真が出てきそうだなと思ってスマホを手に取ったが、バカらしいと思ってすぐにポケットに戻した。
どうせすぐに嫌でも会うことになるのだ。
今話題に上がっている君塚佳純が俺の婚約者で、これから結婚する相手なのだから。
「そういえばお客さん、オメガだったら、相手はアルファの男性なんですか?」
「ええ、そうです」
疲れてきたので目を瞑りたかったが、運転手は許してくれないらしい。矢継ぎに質問が続いてちっとも終わらない。
「いやぁ、羨ましいな。お客さんみたいな美人さんと結婚だなんて。お相手さんは鼻の下を伸ばして喜んでいそうですね」
「………どうでしょう、そうであってくれたらいいのですけど」
惚気だと取ったのか、またまたぁと言いながら運転手はゲラゲラと笑っていた。
俺の答えはその通りだ。
そうであってくれたらよかった。
もっと早く丸く収まる話だった。
大きな問題がある。
それは先方の希望は俺ではない、ということだ。
君塚家と白奥家は古くからの縁がある関係だった。
遠い昔、財政難に陥った君塚家を援助して救ったのが白奥家で、その時の縁があって、お互いの子孫で歳の近い者がいれば結婚させようという約束があったらしい。
白奥家の子と結婚すると、優秀なアルファが生まれると嘘が本当か分からないがそんな言い伝えがあるらしい。
今までタイミングが合わずに、その縁が叶ったことがなかったが、俺の代でついにお互いの家で歳の近い者が生まれてその縁が繋がれることになった。
まだ俺が赤ん坊の時に向こうから婚約という話が来て、両親は将来どうなるか分からないが、その時にお互いが良ければと返事をしたらしい。
両親としても、かなり昔に交わした約束を今の時代になって果たす必要があるのかと、その時は疑問に思っていて返事を濁していた。
そして時は過ぎて、かつてそんな話があったことも記憶から薄れていた頃、一通の手紙が届いた。
そこには、君塚家からそろそろ結婚を進めたいと話が書かれていた。
それだけで両親は慌てていたが、しかも君塚家からの手紙には、貴家のご息女である、玲香様を花嫁として迎えたいとあって、それを見た両親は顔面蒼白になって倒れた。
小学生の頃、ちょうどバース性の簡易検査をしてアルファという誤判定が出た時、それが俺の人生のピークだった。
その頃は何をやっても上手くいっていたし、たくさん友人もいて毎日が楽しかった。
しかし、それから何年かして風邪をひいたことがキッカケで、入院するほどの大病になってしまった。
順調に回復して退院できたが、体力はなかなか戻らず、家で過ごすようになった。
どうしても外へ出たくて内緒で家を抜け出したこともあったが、そのせいで無理をして熱を出してしまい、両親からひどく怒られた。
それからはほとんど外へ出ることなく、人を雇って家庭学習という形で教育を受けるようになった。
年を重ねて順調に体力がついて、体を壊すことはなくなったが、両親の心配は変わらずで、外へはほとんど出ることのない生活が続いた。
そして、中学の時の発作だ。
アルファという判定を受けていたのに、突然発情してしまい、運び込まれた病院でオメガだと判定を受けた。
これで両親の心配は爆上がり。
ますます外出は禁止されて、家という箱の中で、箱入り息子として育てられたと言っても過言ではない。
三年前、通信制で高校を出て、趣味でやっていたパソコンのプログラミングをそのまま仕事にして、父の会社に所属してプログラマーとして働いている。
そんな引きこもった俺の人生と正反対に生きてきたのが一歳年下の妹の玲香だ。
見た目は俺と似ていると言われることもあるが、玲香は可愛い。とにかく可愛い。
幼い頃から可愛いと評判で、性格も明るくて才能に溢れていて、誰からも愛される子だった。
おそらくそうだろうと言われていたが、玲香はアルファで、それは誰もが納得するくらいの判定だった。
とにかく活発な子で、枠に囚われたくないが口癖で、中学になると自分から志望して海外に留学。
優秀な成績を収めつつ、スポーツの大会に出たり、バンド活動に明け暮れたり、モデルや、芸術方面に名前を轟かせてみたりと何をやっても抜群の才能を見せた。
中学で日本を出てから、たまに顔を見せに帰ってくることはあるがほとんどを海外で暮らしている。学生をやりつつ、世界中を旅して写真を撮ってきた。今は自然保護の活動や、個展を開いたりなど、俺には想像もできないような世界を生きている。
俺にとっては自慢の妹であるのだが、自由すぎてまともに掴まらないレアな人物でもあった。
そんな折、今回の縁談の話が来たのは、白奥家にとってかなり衝撃だった。
家同士の結婚など時代錯誤だと、正式に文書にしたわけでもなく、とっくになくなったものだと思いこんでいたからだ。
しかし、これは暗闇に差し込んできた光でもあった。
父の会社は窮地に陥っていた。
主力商品だったものが、類似商品に取って代わられてしまい、しかも原材料に不備があり回収騒動と企業としてのマイナスイメージが付いてしまった。
慌てた父は、会社の土地を売却して、投資に回したが、それがことごとく失敗。
巨額の損失を負ってしまった。
そのタイミングで降って湧いたようなこの話、しかも結婚にあたって、多額の出資と、超好条件の業務提携を約束してもらえるという、父にとっても命綱が降ってきたような話だった。
こうなったらと、一縷の望みを託して、玲香となんとか連絡を取ろうとしたがなかなか掴まらない。
そんな時やっと、最近の私として、SNSにアフリカの奥地の部族と楽しそうに手を上げて踊っている写真が上げられたのを発見した。
父はコメント欄に、日本に帰ってきて結婚して欲しいと入れた。
経営陣一同と会議室で生唾を飲み込み、胸を押さえながら返信を待っていたが、返ってきたのは、はぁ? というコメントだった。
会議室のモニターを見て、全員椅子から崩れ落ちた。
幼い頃から、私は一生結婚しませんと宣言していたくらいだ。人生を謳歌している玲香が了解ですと戻ってくるはずがない。
そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。
俺も白奥家の子であり、オメガなので妊娠も可能であるからだ。
箱入り息子といえば聞こえはいいが、実家から出ることなく生きてきて、ほとんど人付き合いもなく、当然恋人もいない。
自由に生きながらも、玲香は父の会社の海外での販売ルートの橋渡しや、下地を作りを手伝っていて、それが利益に繋がっている。
それに対して俺は何もしていないだろうと言われてしまった。
独断で投資をして負債を出してしまった責任を問われて父は追い込まれていた。
会社の危機でもあり、なんとか君塚との縁を繋げたいとみんな必死であった。
大変な事態になったと呼び出されて、会議室の端に座っていた俺はみんなの突き刺さるような視線を受けて、分かりましたと頷くしかなかった。
君塚家からは事情があってすぐにでも結婚したいと連絡が来た。
顔合わせをしたら、その場で籍を入れ届けを出したいとまで希望している。
問題なのは同じ白奥の子でも、俺が向こうの希望している玲香ではないことだ。
もし、ただ白奥の子であることにこだわって、約束のためにこの話があるのならまだ勝機はある。
向こうの気が変わらないうちに何とかしてくれと言われて、その場で俺は君塚家に向かうことになった。
すまないと頭を下げてくる父の横を、気まずい気持ちで通り過ぎながら会議室を出た。
こうして俺は一人、君塚佳純と結婚するために、君塚家の本家がある都心から電車で五時間の自然豊かなこの土地にやって来た。
事前に連絡して断られたらそれで終わりだ。
突然押しかけて迷惑だと言われるかもしれない。
それでも、押して通さなければいけない。
父の疲弊した表情を見たら、自分の意思など霧の中に消えてしまった。
とにかく到底無理としか思えない使命を背負って、俺はどこまでも続く森の中を進んでいた。
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