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第二章

(14)遠く離れても

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「聞いたか? オルフェールのやつら、国境の町に集まっているらしい。このまま聖女を渡さなければ攻め入ると言っているらしいぞ」

「じゃあ、すぐ招集されるって話は間違いなさそうだな。だいたい聖女を攫ったって本当なのか? まぁ、末端の俺らには分かるはずもないが……」

「いや、そういえば。西練の牢獄から夜な夜な女の泣き声が聞こえるって……、まさかな……」

「勘弁してくれよ。ひどい環境だっていうのに…今月だけで何人些細なことで殺されたか…」

「それより聞いたか、あの話…。ついに、辺境伯が動くらしいぞ……。このままだと……」

城壁の間にかかる橋の上を通りながら、エルジョーカーの兵士達がボソボソと話していた。
私は橋の下に身を隠しながら、兵士達の話をそっと聞いていた。今はベルトランがまず一人でセイラがいそうな場所を探りに出ていて、私は盗み聞きで情報を収集していた。

ここに集まっている兵士達は、帝国との戦いには反対の者が多かった。
やはり、聖女信仰が根付いていて、聖女が生まれし国と戦うというのは気持ちが乗らないらしい。
それに、自国であるエルジョーカーの国王に関しても、困惑する気持ちが大きいようだ。
気に入らない者はすぐに殺してしまうらしく、恐怖で支配されている状態で次々と不満の声が溢れていた。

「アリサ、こっちだ」

いつの間にか暗闇の中から子供のベルトランが出てきて、私の名前を呼んだ。
指で軽く頭を叩かれて、どうやら魔法をかけられたようだった。

「目眩しの延長みたいなものだ。自分のことを知らない者には見えない魔法。つまりアリサは今透明になったようなものだ。ただし時間には限りがある。急いで行くぞ」

「ベルトラン、さっき兵士の会話で、西練の牢獄から女の泣き声が聞こえるって……」

「ああ、俺もセイラの白魔法の気配を辿った。巧妙に隠されていたが、西練に続いていたので間違いない」

二人で顔を見合わせて立ち上がった。
危険と隣り合わせの敵地、早く帰りたいのはお互い同じ気持ちだ。
物音にだけ気をつけながら、多くの兵士が巡回中の城壁周りを走り抜けて、西練まで向かった。



「エルジョーカーの魔導士達はそれなりに強い……。というより命の制約をかけているから、まともじゃない連中だ」

「どういうこと?」

「自らの魔法に自分の命を対価としてかけるんだ。そうすると、大して使えないヤツでも強力な力を出せる。文字通り一度きりだがな」

なんて国なのだと思った。どう育てたらそんな人間が成長するのか恐ろしく感じた。
ベルトランはさすがの見える目で、魔導士が張っている網のようなトラップを解除しながら慎重に進んだ。

すっかり夜も更けた頃、たどり着いたのは朽ち果てたように、草が伸び放題で外壁の石がボロボロと崩れているひどい建物だった。
王城の西側に位置して、独立した塔になっているが、入り口に見張りの人間も立っていなかった。

「本当にここにセイラが? どう考えても聖女を幽閉しておくには、環境がひどすぎると思うけど……」

「入り口に強力な魔法がかけられている。選ばれた者以外が下手に触れると即死する」

「ええ!?」

「一番上から入ればいい」

ベルトランは私の腕を掴んだ。
まさか空でも飛ぶつもりなのかと思ったが、本当に空から行こうと言われて冷や汗が流れてきた。

「確か…、自分の身を空中に持ち上げるような魔法は…すごく難しいって……」

「誰が一緒にいると思っているんだ。俺の手を握って…、足元に黒魔力を集中させるんだ。後は導いてやるから」

言われた通り両手を繋いでから足に魔力を集中させた。下手くそな私の力は、ブレブレで安定しなかったけれど、ベルトランが流れを作ってくれたのか、だんだん足元に力が溜まって体が浮き出した。

「わわっ…! すごい!」

後は一瞬だった、凄い速さで浮遊して一気に建物の最上階まで上がった。
最上階の窓には魔法がかけられてなかったので、そのままそこから中に入る事に成功した。

「セイラはこの階にいるだろう。さすがに強力な黒魔法をセイラの近くで発動するのは避けたはずだ。扱いが分からないから影響を考えてただろう」

「……確かに、ここまで来たら私でも分かる。セイラの微弱だけど白魔力気配がする」

ベルトランには遠く及ばないが、私も徐々に相手の魔力が分かるようになってきた。
と言っても、分かるのは気配ぐらいで目で見て力量がとかは全然だめだ。

侵入したのは物置のようなところか、雑然と使われていない埃をかぶった物が置かれていた。その部屋を出て、薄暗い廊下を進んだ。
間もなくして、すすり泣くような女の声が聞こえてきた。

ベルトランと顔を見合わせて廊下の奥の突き当たりに近づくと、全面に格子がはめられたドアがあり、奥の真っ黒な空間から誰かの気配がした。

「……セイラ?」

ガタンと物音がして、バタバタと人が駆けてきた。鉄格子にぶち当たるように姿を現したのは、ボロボロになってあの美しさが見る影もなくなったセイラだった。

「う…う…嘘!? ああああ…アリサなの!? どうしてアナタが……わ私、聖女じゃなかったら殺すって言われて…怖くて怖くて怖くて……」

「落ち着いて、少し声を抑えて。今ベルトランが解錠の方法を試しているから……」

思いのほか早くセイラを見つけることができてホッとした。
格子のドアはやはり強い魔法で閉じられているので、ベルトランは早速解錠に取り掛かった。

「……アリサ、私のこと恨んでないの? 御神託の日、襲わせたのは私よ」

「それは……、到底許せることはできないけど、セイラは帝国に必要な人間だし、同じ世界から来たのに死なれちゃうのはいくらなんでも…」

「う…っ……うううっ…アリサ、わ…たし、必死だったのよ。信じていた世界じゃなくて…思い通りいかないし……。前の世界じゃ…婚約者を友人に奪われて……、殺そうと思って突き落とそうとしたら自分が落ちたの……それでこの世界に……。また…また何もかも、今度はアリサに奪われるのだと思ったら…耐えられなくて……ううっっ…ご…ごめん…」

「何もかもって……皇子はセイラのこと必死で探しているよ。戦争まで起こす勢いなのに。大切に思ってくれてるってことじゃないの?」

「……ぅぅ……でも、それは……私が聖女かもだから……、もし、聖女じゃなくなったら……」

「だったら聖女になればいいじゃない。素質はあるって女神のお墨付きなんだよ。皇子の気持ちもちゃんと確認してさ、セイラはある意味根性ありそうだし、その力を努力に変えてみたら上手くいきそう」

「……アリサ」

格子越しにセイラの手を掴んだ。少し震えていたけれど、細くて柔らかい手だった。
色々あったから。仲の良い親友にはなれないかもしれないけれど、同郷の人間として気持ちは通じるものがあったら嬉しいと思った。

「それにしても…ひどいね。一体何をされたの……?」

セイラは髪も服もボロボロで、身体中あざだらけだった。まるで拷問でも受けたかのようだった。

「気をつけて…、ここの王は聖女なんてなんとも思っていない。使えるか使えないかなのよ。私はまだ、力を封印しているとか言ってごまかしたけど、さっさと解放しろってずっと殴られて……もし何もなければすぐ殺すって……。王はその様子を顔色一つ変えずに黙ってみていたのよ。味方でも簡単に殺してたし、アイツ…人間じゃない」

「よし、上手くいったぞ。今鍵が開く」

ずっと床に伏せて何やら作業していたベルトランが顔を上げるとガチャリと音がして、ドアに付いていた錠がボトッと床に落ちた。

キィィィと高い音がしてゆっくりとドアが開いた。すぐにセイラを助け出そうとした時、ケラケラと笑い声が響いた。


「どうやら犬が入り込んだらしい。よくここまで入ってきたな」

ボボボッと牢の前にいる私達を取り囲むように火がついた。
飛び散った火の中からヌッとローブを纏った者達が現れた。人数にして十人、エルジョーカーの魔導士達だと思われた。
私とセイラを庇うようにベルトランが前に出て、大人の姿に変化した。

「誰かと思ったら、帝国の狂犬ベルトランじゃないか。ブリッヂの戦いで部隊を全滅させた責任をとって辞めたと聞いていたが、宮廷に復帰したのか?」

「フン…雑魚だったくせに、偉くなったもんだなポーカー。やはり来ると思ったが、お前なら楽勝だ」

「……相変わらず胸糞悪い男だ。だが、ここがどこだが分かっているんだろうな。エルジョーカーの巣、お前にとっては墓場だ」

ポーカーと呼ばれた男を中心に他の魔導士達の体が光って、たくさんの矢になって私達に襲いかかって来た。
ベルトランは片手で振り払うように力を飛ばして矢を防いだ。
魔導士達の攻撃は凄まじかった。さすがエルジョーカーの地では強化魔法がかけられているだけあって、次々と飛んでくる魔の攻撃をベルトランは防ぎつつ反撃をした。

命の制約をかけているらしい魔導士達は、攻撃に失敗すると力を失ったように倒れて、そのまま砂になってしまった。

その間にセイラを牢屋から出したが、いつ帰還の種を発動していいのか分からないくらい、戦いは激しかった。

ベルトランの攻撃で十人いた魔導士は次々と倒れて、ポーカーという男が残った。
疲労は強く肩でぜぇぜぇと息をしていたので、これはイケるかと思ったが、ここでベルトランが膝から崩れた。

「なかなか頑張ったようだが限界だろう。毒が回ってきたはずだ」

「毒!?」

私が思わず叫んでしまうと、ポーカーは不思議そうな顔をした。姿が見えないが誰がいることに気がついたのだろう。

「解錠の代償として毒をくらっただけだ、慣れているし問題ない」

「慣れているって…それはドラゴンの毒だぞ。普通はくらった瞬間に溶けていてもおかしくないものだ。やはり化け物だなお前は……」

「殺すには惜しいな」

大きくはないが、お腹に刺すような低い声が辺りに響いた。瞬間に周囲が凍ったように冷たい空気が漂い、明らかに異質な狂気とも言える空気になった。

石の床にコツコツと靴音が響いてきて、セイラがビクリと身をすくませた。

「お前が助けに来るとは、やはりその女は聖女だったのか。それにしては愚鈍で強欲、イシスも目が腐ったな」

廊下の奥の暗闇から姿を現したのは、一人の男だった。

燃えるような赤い髪と黄金色の瞳、大柄で鍛え抜かれた体格で、銀の鎧の間から見える盛り上がった筋肉にはいくつもの傷がついている。
歴戦の覇者のような風格に、背中に付いた赤いマントが風もないのに靡いていた。

「くっ…ユリウス・アルカナ・エルジョーカー」

ベルトランは事前に王が出てくる前に終わらせると言っていた。毒のせいで力が出しきれなかったのか、それは間に合わなかったようだ。

「久しいな、ベルトラン。何度も我が下に来るように言ったが、こんなところで地を這っているとはな」

ユリウスが近づいてきたが、ベルトランは足が動かないのかそのままの状態で私の方を見た。口元には毒の影響か血が流れていた。

「……アリサ、種を」

小さく呼吸をするようにベルトランが呟いた。それを聞いた私はポケットに手を入れて種を握った。

「発動させたらセイラと逃げるんだ。俺はもう…ここから動けない」

「………っっ!」

その瞬間私は悟った。
ベルトランは冷静に行動しているように見えて、なぜかいつも危うい雰囲気を纏っていた。どこか、なにかを探しているように見えた。
こんなに絶望的な状況なのに、ベルトランは安堵したような顔をしている。
ベルトランは私を助けて死のうとしている。
まるでずっと、その機会を待っていたかのように。

「だめ…だめだよ。私のために死なせない」

「アリサ…お前まで…それを……」

その言葉は何か重みを持っているかのようで、ベルトランは傷ついたような顔になった。

「陛下、目眩しがかけられています。誰かそこに……」

とっくに私の存在は気づいていたポーカーが、手をかざすと強い風が巻き起こった。その風が私の向かって吹いてきて、被っていた帽子が吹き飛んでいった。

「………女?……お前は!?」

私の姿が見えるようになったのか、ユリウスは目を見開いた驚いたような顔になった。
一瞬、誰もが気を取られていてこれがチャンスだと思った。

私は握っていた種を床に投げた。
ベルトランが言っていた通り眩しい光が飛び出してきて、やがて光の輪になった。

「セイラ! そこに飛び込んで!」

セイラは驚いていたがすぐにその意味を察知したのだろう。輪の中に吸い込まれるように飛び込んでいった。
後はやるしかないと私は自分の手に力を込めた。

「アリサ…!! まさかっ……!」

ここに上るために教えてもらった浮遊の魔法、一人で上手くできるか分からなかったが全神経をベルトランの下に集中させた。

「やめろ! アリサ! だめだ!」

「生きて、ベルトラン」

ベルトランの体が浮き上がり、力の方向を変えて全力で押した。

「アリサ! アリサーーー………」

光の輪が消える直前、上手くベルトランを輪の中に押し込むことに成功した。
きっとベルトランなら自分も一緒に動けただろう。しかし、私はベルトランを浮かせて動かすだけで精一杯だった。

「うま…上手くできたよ……ベル……」

滅多に褒めない人だったけれど、ここまでできたら褒めてくれるだろうか。
一気に体中の力を使い果たしたので、私の体はズンと重くなって地面に引き寄せられるように倒れた。

これからどうなるかなんて、考えられなかった。
ただ、ベルトランに死んでほしくなかった。

瞼が重くて、意識も薄くなっていく。
霞んでいく視界に、誰かの足が近づいてくるのが見えた。

後はもう、真っ暗になってしまった。







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