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第一章
6、思わぬ交流
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「ここで水を混ぜてよく伸ばしてください。ウメはお腹が弱いので、餌は柔らかくして、調子を整える薬草を混ぜます。あ、ちゃんと混ぜないと食べてくれないですよ」
獣医から聞いた方法で餌を用意するのはもう慣れた。
今度は指導係として、自分の横に大きな体を小さくして座っている男の手元を覗き込んだ。
「……よし、それくらいでいいでしょう」
大柄な体格から大雑把そうに見えたが、中身はずいぶんと慎重な性格らしい。
薬さじを使って、丁寧に薬を運んで、何度も確かめながら入れていた。
いつも勢いよく混ぜているリカルドと違って、セイブリアンは壊れ物でも扱うかのようにゆっくりと時間をかけて混ぜていた。
おかげでお腹を空かせた二匹の猫がぐるぐると周りを回っているので、リカルドは宥めるのに忙しかった。
「ほら、ごはんだよー。いっぱい食べてね」
それぞれのお皿に餌を乗せると、ウメとシマは待っていましたという顔で、パクパクと食べ始めた。
「いつもこんなに大変なのか……。ただ、食べさせるだけだと思っていたが……。これからは、私もなるべく手伝うことにしよう」
「い、いえ、大丈夫ですよ。お忙しいでしょうし」
餌の時間にセイブリアンがフラリと現れたので、どうせなら手伝ってもらおうと声をかけたが、いつもの倍以上時間がかかってしまった。
本人は汗だくで頑張ってくれたのだが、こんなに慎重にやられたら、餌を作ってあげるだけで一日が終わってしまう。
「そうか……大変だったら言ってくれ。人手を増やそう」
「ありがとうございます」
一息ついて汗を拭ったセイブリアンを見て、リカルドは心の中で首を傾げてしまった。
ベイリーまでの道中、鋭い目で見られていたので、恐い人で嫌われているのだと思い込んでいたが、実際に接してみると、セイブリアンは驚くほど穏やかで優しい男だった。
せっかちで大雑把なリカルドは、よく餌をこぼしたり、かき集めたゴミを盛大にぶち撒いたりしたが、セイブリアンは顔色ひとつ変えずに、一緒に片付けてくれた。
気をつけろの言葉すら言われなかったので、この人は何を考えているのだろうと不思議に思ってしまった。
黙々と自分の世界を持って生きている男、リカルドにはそう見えた。
そして、そういう人間は動物に好かれるのかもしれない。
特別なことは何もしなくても、動物達はセイブリアンの元に集まってきて、嬉しそうにじゃれていた。
犬も猫も鳥達も、セイブリアンにはお腹を見せて、甘えた声を上げるので、見ていて羨ましくなるくらいだ。
動物達を可愛がるセイブリアンは、優しい目をしていたが、同時にどこか寂しげな横顔をしているように見えてしまった。
「セイブリアン様は、動物達に好かれていますね。姿が見えると、みんな嬉しそうです」
「そう……なのか? 自分ではよく分からない。拾ったと言っても、たまに遊ぶくらいで、後は任せきりでろくに世話もできない。それに……あまり近くなりたくない。別れる時に辛くなる」
そう言って目を伏せたセイブリアンの横顔は、ひどく悲しそうに見えた。
確かに人の寿命と比べたら、彼らはその半分も生きることができない。
そう考えると、リカルドも切ない気持ちになった。
「それでもきっと、感謝をしているんですよ。動物達だって分かっているんです。優しい人だって……」
口に出してから、しまったとリカルドは冷静になった。
セイブリアンが急に現れてから、一週間ほどまた一緒に世話をする時間ができたので、つい友人のように打ち解けた気持ちで話してしまった。
考えたら、リカルドが気軽に声をかけてはいけないような相手だ。
さすがに無礼だと言われそうで、ぐっと肩に力を入れた。
「優しい? 俺がか?」
「え……ええ、そうです」
「部下達が聞いたらなんて言うか……。訓練の鬼だと言われて、むしろ恐がられてばかりだ」
確かにちゃんと話をするまでは、リカルドも恐れていた。
しかし、少し踏み込んだことを言ってしまっても、セイブリアンはやはり怒らなかった。
しかも、少し照れた顔で目元を赤くしているので、ちょっと可愛いとすら思ってしまい、何を考えたんだと慌てて首を振った。
「俺、仕事をもらえても失敗ばかりで……ご迷惑をかけているのかと……」
「何を言っているんだ。なかなか人が続かなかいと言っただろう。こんなに色々考えて取り組んでくれたのはリカルドだけだ」
そう言ってセイブリアンは、倉庫の周りに置いている、糞よけの防御セットを見て感心したように頷いていた。
「そういえば、砦の周囲に落とし穴が掘ってあったが、あれはもしかしてお前が……?」
「え? あ……はい……。上官に足止めしろって言われて、思いついたのがそれくらいで……」
「なるほど……。あの穴の中に入っていたネバネバした……」
「カエンの実ですね。あれは、粘着性があって、踏み潰すとくっ付いて大変なことになるんです。子供の頃よく遊んだもので、たまたま砦の近くに生えていたのを発見して使いました」
ある物で何ができるか考えるのは、リカルドにとって、日々を上手く生きていくために必要なことだった。
与えられる仕事は、みんなが嫌がるようなものばかり、しかも道具も揃っていない状態で、やっていくしかなかった。
フランティアでの経験は、リカルドの生き方を大きく変化させたと言っていいが、悲しいことに、肝心の剣の腕だけは上達しなかった。
「あれには苦しめられたよ。水でも取れないからかなり手間取って、抜け出すまで時間がかかった。そうか……お前の仕業か……上手くやったな」
罠を仕掛けた敵の将から褒められてしまい、可笑しな空気になっていた。
お礼を言うのも変な気がして、とりあえず頭を下げてみたら、ポンポンと大きな手で撫でられてしまった。
そういえば、騎士見習いになって、こんな風に誰かに褒められた記憶がほとんどなかった。
上官にはやって当然出来て当たり前、出来なければクズだと言われてきた。
敵将にも関わらず、セイブリアンに褒められたリカルドは、心がぽっと温かくなるのを感じた。
「俺が思うに、お前はかなり優秀に見えるが、剣の腕の方はどうなんだ? 俺の国では騎士見習いはだいたい成人前後までで、あまりに腕が悪ければ、別の道を選ぶ者が多い」
「そんな……私は優秀なんかじゃ……。剣は……もうずいぶん長いこと、ちゃんと触れていません」
「ん? 何だって?」
「見習いなのに、おかしいですよね。同期はとっくに騎士になっていました。私は……途中から訓練に参加するなと言われて、それ以降、十年近く、ずっと雑用をしていました」
セイブリアンは信じられないという顔で言葉を失っていた。
リカルドだって、自分でも信じられないくらいひどい環境だった。
それでも、リカルドは諦めたくなかったのだ。
再び、剣を持つことを……
もう、喜んでくれる人などいないが、それでも……
「明日の朝、ここに来る前に、二階東棟の奥まで来い」
「え?」
何を言われたのか、頭の中で処理する暇もなく、立ち上がったセイブリアンは、待っていると言って飼育場から出て行ってしまった。
残されたリカルドは、中途半端に腰を浮かせたまま、どうしていいのか分からずに動けなくなった。
何のために、いったいそこで、何をされるのか……
セイブリアンの背中からは、何も読み取ることができなかった。
翌朝、言われた通りに早起きをした。
城の中に何があるのか、大体のところは歩いて回っていたが、二階の東棟に足を踏み入れたことはなかった。
そこは、城の城主であるセイブリアンの部屋があり、個人的な空間だと聞かされていたからだ。
城内の中央階段で二階に上ると、兵士が二人立っていたが、話が通っていたのか、何も言われずにそのまま東練への廊下へ抜けることができた。
朝っぱらから、個人的な場所に呼び出されて、説教でも待っているのかと思っていると、廊下の突き当たりは外に通じていた。
かなり広い空間に土や砂利が敷き詰められていて、長さの違う剣や防具が置かれているのが見えた。
「これは……訓練用の場所か……すごいな」
練習用の人形が並んでいるところからして、本格的な剣術の訓練ができるようになっている。
ただ、大勢が集まれるというよりも、大きさからして、個人的な訓練施設のようだ。
さすがソードマスターともなると、訓練をいつでもできるように、個人用にそういった場所が必要になるのだろう。
リカルドが大口を開けて、立派な武具のセットを眺めていたら、ガチャリとドアが開く音がして、重そうな足音が聞こえてきた。
「早いな。俺より先に来るとは」
「すみません。あまり寝付けなくて目が覚めてしまって……」
「謝ることはない。ただ、睡眠は大事だ。しっかり寝ておくことが、理想的な動きを作れる」
「は……はい……」
なぜか、部下への生活指導みたいな台詞を言われて、リカルドは思わず背筋を伸ばして頷いてしまった。
訓練所に入って来たのはセイブリアンだった。
いつもは騎士団の服装だが、今はまだ朝早いからか、シンプルなシャツと動きやすそうなズボンに革のブーツを履いていた。
リカルドも似たような格好だが、立派な体格のセイブリアンが着ていると、悔しいが絵になってしまう。
「それで、どれにするか?」
「え?」
「え、じゃない。お前の体格なら、このくらいがちょうどいいだろう」
そう言ってセイブリアンは、リカルドを上から下まで見て少し考えた後、立て掛けてあった剣の中から、騎士のロングソードよりも少し短い剣を手に取った。
「あの……」
「しっかり持て。軽く振ってみろ」
剣を胸に押し付けられたリカルドは、思わず両手で受け取ってしまった。
それからセイブリアンの言葉を聞いて、理解できずに、目を瞬かせた。
「お……俺が、ですか? ちょっ……俺は敵国の捕虜ですよ! 剣を持たせるなんて……いったいどういう……」
「捕虜という扱いだが、好きにしていいと言ってあるだろう。それとも、剣を持ったら、俺を倒せると思っているのか?」
「ひっ、そ、そんな! めっそうもない!」
「ならいい。教えてやるって言っているんだ。さぁ、やってみろ」
リカルドがどんなに鍛えたとしても、セイブリアンを倒すことなど不可能だ。
そんな相手から、教えてやると言われたリカルドは、混乱で頭が回らなくなってしまった。
面倒なことになりたくないと突き返そうかと思った。
しかし、久々にちゃんと触れた剣の重みに、リカルドの心は震えてしまった。
恐ろしいからではない。
感動と興奮が湧き上がってくるのを感じて、それを抑えることができなかった。
“リカルド、しっかり構えて、前を見るんだ“
父の言葉が頭に響いて、顔を上げたリカルドは、剣を握って足に力を入れた。
フゥと軽く息を吸い込んだ。
全身の血が一気に熱くなっていくのがわかる。
自分の息遣いが冷たい空気を温めて白く染める。
剣を構えたら、忘れていた感覚がよみがえった。
まず確かめるように軽く横に一振り、次は戻した力を利用して、勢いよく縦に振り下ろした。
「はぁ……はぁ……」
指先までビリビリと痺れて、筋肉が躍動しているのが分かった。
体が、心が、ずっと求めていたものを得て、力が溢れ出してくる。
気がついたらリカルドは、剣を持ったまま、胸を大きく揺らして息をしていた。
「いいな。少し力が入り過ぎだが、いい腕をしている」
「えっ……」
「フランティアの騎士団はもったいない連中だ。こんな逸材を放置していたとは……」
まさかソードマスターに剣を見られて、しかも褒められていることに気がついたリカルドは、興奮で一気に顔が熱くなってしまった。
火が出そうなくらい赤くなっていたら、セイブリアンは悪戯っぽく目を細めた後、はははっと声を上げて笑い出した。
ポカンとするリカルドを見て、またおかしそうに笑ったが、やっとゴホゴホと咳払いをして息を整えた。
「すまない、冗談で言ったわけではなく、筋が良さそうなのは本当だ。ただ、大剣を振り回せる肉が足りない。動きも余計なところに力が入ってガタガタ、そうとうな訓練が必要だ」
「は……はい。仰る通りだと……」
「毎日この時間に」
「え?」
「お前は色々と興味深い。直接指導してやろう」
何を言っているのか分からずに、リカルドは硬直したまま、パチパチと目だけを瞬かせた。
この人は今、何を言ったのか、頭の中で反芻してしまった。
「嫌か? 嫌なら断っても……」
「ややややります!! 訓練、やらせてください!!」
おそらくここにいる誰もが、セイブリアンから直接指導されたいと願っているだろう。
その大役に選ばれたのが、敵国の捕虜である自分だと思うと、全く信じられないが、こんな機会、何度死んでも、もう巡ってこないだろう。
食い気味に身を乗り出して声を上げると、セイブリアンはニヤッと子供のように大きな口で笑った。
「あ、ありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
「お礼を言うのは早い。厳しくやるつもりだから、覚悟しておけ」
「はい! 頑張ります!」
リカルドは剣を胸に抱いたまま、必死に頭を下げて頷いた。
もう二度と、触れることがないかもしれないと諦めていた。
それが、なぜか敵国で、しかも騎士団の将から直接指導されるなんて、思ってもみなかった。
さっきまで笑っていたが、セイブリアンはすぐに真顔に戻って武具の手入れを始めた。
リカルドは急いで近くに寄って、防具磨きを手伝うことにした。
嘘みたいだ
嘘みたいだ
心が踊り出すような気持ちで、手を動かしたが、おかげでその後セイブリアンと何を話したのか、ひとつも覚えていなかった。
獣医から聞いた方法で餌を用意するのはもう慣れた。
今度は指導係として、自分の横に大きな体を小さくして座っている男の手元を覗き込んだ。
「……よし、それくらいでいいでしょう」
大柄な体格から大雑把そうに見えたが、中身はずいぶんと慎重な性格らしい。
薬さじを使って、丁寧に薬を運んで、何度も確かめながら入れていた。
いつも勢いよく混ぜているリカルドと違って、セイブリアンは壊れ物でも扱うかのようにゆっくりと時間をかけて混ぜていた。
おかげでお腹を空かせた二匹の猫がぐるぐると周りを回っているので、リカルドは宥めるのに忙しかった。
「ほら、ごはんだよー。いっぱい食べてね」
それぞれのお皿に餌を乗せると、ウメとシマは待っていましたという顔で、パクパクと食べ始めた。
「いつもこんなに大変なのか……。ただ、食べさせるだけだと思っていたが……。これからは、私もなるべく手伝うことにしよう」
「い、いえ、大丈夫ですよ。お忙しいでしょうし」
餌の時間にセイブリアンがフラリと現れたので、どうせなら手伝ってもらおうと声をかけたが、いつもの倍以上時間がかかってしまった。
本人は汗だくで頑張ってくれたのだが、こんなに慎重にやられたら、餌を作ってあげるだけで一日が終わってしまう。
「そうか……大変だったら言ってくれ。人手を増やそう」
「ありがとうございます」
一息ついて汗を拭ったセイブリアンを見て、リカルドは心の中で首を傾げてしまった。
ベイリーまでの道中、鋭い目で見られていたので、恐い人で嫌われているのだと思い込んでいたが、実際に接してみると、セイブリアンは驚くほど穏やかで優しい男だった。
せっかちで大雑把なリカルドは、よく餌をこぼしたり、かき集めたゴミを盛大にぶち撒いたりしたが、セイブリアンは顔色ひとつ変えずに、一緒に片付けてくれた。
気をつけろの言葉すら言われなかったので、この人は何を考えているのだろうと不思議に思ってしまった。
黙々と自分の世界を持って生きている男、リカルドにはそう見えた。
そして、そういう人間は動物に好かれるのかもしれない。
特別なことは何もしなくても、動物達はセイブリアンの元に集まってきて、嬉しそうにじゃれていた。
犬も猫も鳥達も、セイブリアンにはお腹を見せて、甘えた声を上げるので、見ていて羨ましくなるくらいだ。
動物達を可愛がるセイブリアンは、優しい目をしていたが、同時にどこか寂しげな横顔をしているように見えてしまった。
「セイブリアン様は、動物達に好かれていますね。姿が見えると、みんな嬉しそうです」
「そう……なのか? 自分ではよく分からない。拾ったと言っても、たまに遊ぶくらいで、後は任せきりでろくに世話もできない。それに……あまり近くなりたくない。別れる時に辛くなる」
そう言って目を伏せたセイブリアンの横顔は、ひどく悲しそうに見えた。
確かに人の寿命と比べたら、彼らはその半分も生きることができない。
そう考えると、リカルドも切ない気持ちになった。
「それでもきっと、感謝をしているんですよ。動物達だって分かっているんです。優しい人だって……」
口に出してから、しまったとリカルドは冷静になった。
セイブリアンが急に現れてから、一週間ほどまた一緒に世話をする時間ができたので、つい友人のように打ち解けた気持ちで話してしまった。
考えたら、リカルドが気軽に声をかけてはいけないような相手だ。
さすがに無礼だと言われそうで、ぐっと肩に力を入れた。
「優しい? 俺がか?」
「え……ええ、そうです」
「部下達が聞いたらなんて言うか……。訓練の鬼だと言われて、むしろ恐がられてばかりだ」
確かにちゃんと話をするまでは、リカルドも恐れていた。
しかし、少し踏み込んだことを言ってしまっても、セイブリアンはやはり怒らなかった。
しかも、少し照れた顔で目元を赤くしているので、ちょっと可愛いとすら思ってしまい、何を考えたんだと慌てて首を振った。
「俺、仕事をもらえても失敗ばかりで……ご迷惑をかけているのかと……」
「何を言っているんだ。なかなか人が続かなかいと言っただろう。こんなに色々考えて取り組んでくれたのはリカルドだけだ」
そう言ってセイブリアンは、倉庫の周りに置いている、糞よけの防御セットを見て感心したように頷いていた。
「そういえば、砦の周囲に落とし穴が掘ってあったが、あれはもしかしてお前が……?」
「え? あ……はい……。上官に足止めしろって言われて、思いついたのがそれくらいで……」
「なるほど……。あの穴の中に入っていたネバネバした……」
「カエンの実ですね。あれは、粘着性があって、踏み潰すとくっ付いて大変なことになるんです。子供の頃よく遊んだもので、たまたま砦の近くに生えていたのを発見して使いました」
ある物で何ができるか考えるのは、リカルドにとって、日々を上手く生きていくために必要なことだった。
与えられる仕事は、みんなが嫌がるようなものばかり、しかも道具も揃っていない状態で、やっていくしかなかった。
フランティアでの経験は、リカルドの生き方を大きく変化させたと言っていいが、悲しいことに、肝心の剣の腕だけは上達しなかった。
「あれには苦しめられたよ。水でも取れないからかなり手間取って、抜け出すまで時間がかかった。そうか……お前の仕業か……上手くやったな」
罠を仕掛けた敵の将から褒められてしまい、可笑しな空気になっていた。
お礼を言うのも変な気がして、とりあえず頭を下げてみたら、ポンポンと大きな手で撫でられてしまった。
そういえば、騎士見習いになって、こんな風に誰かに褒められた記憶がほとんどなかった。
上官にはやって当然出来て当たり前、出来なければクズだと言われてきた。
敵将にも関わらず、セイブリアンに褒められたリカルドは、心がぽっと温かくなるのを感じた。
「俺が思うに、お前はかなり優秀に見えるが、剣の腕の方はどうなんだ? 俺の国では騎士見習いはだいたい成人前後までで、あまりに腕が悪ければ、別の道を選ぶ者が多い」
「そんな……私は優秀なんかじゃ……。剣は……もうずいぶん長いこと、ちゃんと触れていません」
「ん? 何だって?」
「見習いなのに、おかしいですよね。同期はとっくに騎士になっていました。私は……途中から訓練に参加するなと言われて、それ以降、十年近く、ずっと雑用をしていました」
セイブリアンは信じられないという顔で言葉を失っていた。
リカルドだって、自分でも信じられないくらいひどい環境だった。
それでも、リカルドは諦めたくなかったのだ。
再び、剣を持つことを……
もう、喜んでくれる人などいないが、それでも……
「明日の朝、ここに来る前に、二階東棟の奥まで来い」
「え?」
何を言われたのか、頭の中で処理する暇もなく、立ち上がったセイブリアンは、待っていると言って飼育場から出て行ってしまった。
残されたリカルドは、中途半端に腰を浮かせたまま、どうしていいのか分からずに動けなくなった。
何のために、いったいそこで、何をされるのか……
セイブリアンの背中からは、何も読み取ることができなかった。
翌朝、言われた通りに早起きをした。
城の中に何があるのか、大体のところは歩いて回っていたが、二階の東棟に足を踏み入れたことはなかった。
そこは、城の城主であるセイブリアンの部屋があり、個人的な空間だと聞かされていたからだ。
城内の中央階段で二階に上ると、兵士が二人立っていたが、話が通っていたのか、何も言われずにそのまま東練への廊下へ抜けることができた。
朝っぱらから、個人的な場所に呼び出されて、説教でも待っているのかと思っていると、廊下の突き当たりは外に通じていた。
かなり広い空間に土や砂利が敷き詰められていて、長さの違う剣や防具が置かれているのが見えた。
「これは……訓練用の場所か……すごいな」
練習用の人形が並んでいるところからして、本格的な剣術の訓練ができるようになっている。
ただ、大勢が集まれるというよりも、大きさからして、個人的な訓練施設のようだ。
さすがソードマスターともなると、訓練をいつでもできるように、個人用にそういった場所が必要になるのだろう。
リカルドが大口を開けて、立派な武具のセットを眺めていたら、ガチャリとドアが開く音がして、重そうな足音が聞こえてきた。
「早いな。俺より先に来るとは」
「すみません。あまり寝付けなくて目が覚めてしまって……」
「謝ることはない。ただ、睡眠は大事だ。しっかり寝ておくことが、理想的な動きを作れる」
「は……はい……」
なぜか、部下への生活指導みたいな台詞を言われて、リカルドは思わず背筋を伸ばして頷いてしまった。
訓練所に入って来たのはセイブリアンだった。
いつもは騎士団の服装だが、今はまだ朝早いからか、シンプルなシャツと動きやすそうなズボンに革のブーツを履いていた。
リカルドも似たような格好だが、立派な体格のセイブリアンが着ていると、悔しいが絵になってしまう。
「それで、どれにするか?」
「え?」
「え、じゃない。お前の体格なら、このくらいがちょうどいいだろう」
そう言ってセイブリアンは、リカルドを上から下まで見て少し考えた後、立て掛けてあった剣の中から、騎士のロングソードよりも少し短い剣を手に取った。
「あの……」
「しっかり持て。軽く振ってみろ」
剣を胸に押し付けられたリカルドは、思わず両手で受け取ってしまった。
それからセイブリアンの言葉を聞いて、理解できずに、目を瞬かせた。
「お……俺が、ですか? ちょっ……俺は敵国の捕虜ですよ! 剣を持たせるなんて……いったいどういう……」
「捕虜という扱いだが、好きにしていいと言ってあるだろう。それとも、剣を持ったら、俺を倒せると思っているのか?」
「ひっ、そ、そんな! めっそうもない!」
「ならいい。教えてやるって言っているんだ。さぁ、やってみろ」
リカルドがどんなに鍛えたとしても、セイブリアンを倒すことなど不可能だ。
そんな相手から、教えてやると言われたリカルドは、混乱で頭が回らなくなってしまった。
面倒なことになりたくないと突き返そうかと思った。
しかし、久々にちゃんと触れた剣の重みに、リカルドの心は震えてしまった。
恐ろしいからではない。
感動と興奮が湧き上がってくるのを感じて、それを抑えることができなかった。
“リカルド、しっかり構えて、前を見るんだ“
父の言葉が頭に響いて、顔を上げたリカルドは、剣を握って足に力を入れた。
フゥと軽く息を吸い込んだ。
全身の血が一気に熱くなっていくのがわかる。
自分の息遣いが冷たい空気を温めて白く染める。
剣を構えたら、忘れていた感覚がよみがえった。
まず確かめるように軽く横に一振り、次は戻した力を利用して、勢いよく縦に振り下ろした。
「はぁ……はぁ……」
指先までビリビリと痺れて、筋肉が躍動しているのが分かった。
体が、心が、ずっと求めていたものを得て、力が溢れ出してくる。
気がついたらリカルドは、剣を持ったまま、胸を大きく揺らして息をしていた。
「いいな。少し力が入り過ぎだが、いい腕をしている」
「えっ……」
「フランティアの騎士団はもったいない連中だ。こんな逸材を放置していたとは……」
まさかソードマスターに剣を見られて、しかも褒められていることに気がついたリカルドは、興奮で一気に顔が熱くなってしまった。
火が出そうなくらい赤くなっていたら、セイブリアンは悪戯っぽく目を細めた後、はははっと声を上げて笑い出した。
ポカンとするリカルドを見て、またおかしそうに笑ったが、やっとゴホゴホと咳払いをして息を整えた。
「すまない、冗談で言ったわけではなく、筋が良さそうなのは本当だ。ただ、大剣を振り回せる肉が足りない。動きも余計なところに力が入ってガタガタ、そうとうな訓練が必要だ」
「は……はい。仰る通りだと……」
「毎日この時間に」
「え?」
「お前は色々と興味深い。直接指導してやろう」
何を言っているのか分からずに、リカルドは硬直したまま、パチパチと目だけを瞬かせた。
この人は今、何を言ったのか、頭の中で反芻してしまった。
「嫌か? 嫌なら断っても……」
「ややややります!! 訓練、やらせてください!!」
おそらくここにいる誰もが、セイブリアンから直接指導されたいと願っているだろう。
その大役に選ばれたのが、敵国の捕虜である自分だと思うと、全く信じられないが、こんな機会、何度死んでも、もう巡ってこないだろう。
食い気味に身を乗り出して声を上げると、セイブリアンはニヤッと子供のように大きな口で笑った。
「あ、ありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
「お礼を言うのは早い。厳しくやるつもりだから、覚悟しておけ」
「はい! 頑張ります!」
リカルドは剣を胸に抱いたまま、必死に頭を下げて頷いた。
もう二度と、触れることがないかもしれないと諦めていた。
それが、なぜか敵国で、しかも騎士団の将から直接指導されるなんて、思ってもみなかった。
さっきまで笑っていたが、セイブリアンはすぐに真顔に戻って武具の手入れを始めた。
リカルドは急いで近くに寄って、防具磨きを手伝うことにした。
嘘みたいだ
嘘みたいだ
心が踊り出すような気持ちで、手を動かしたが、おかげでその後セイブリアンと何を話したのか、ひとつも覚えていなかった。
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主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
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