男装の伯爵令嬢、下級兵士から始めます

大森蜜柑

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白魔法使い

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 教会の扉の前に立っていたチェスター神父は、アリシアを見つけるなり駆け寄って荷物を奪い、彼女の背に手を当てて建物の中に入らせた。

「遅かったですね。どこかで道に迷っているのかと……もう少し遅ければサムとオリバーにも頼んで探しに行く所でした。迷わず着替えは買いに行けましたか?」
「あ、はい。遅くなってすみません。戻る途中で偶然庭師のトムに会って、話をしてたんです」
「そうですか。彼も無事でなによりです。あなたの部屋へ行きましょうか。オリバーが部屋を整えてくれていました」

 チェスター神父の部屋の隣は、元は何の為の部屋なのか分からないが部屋の出入り口の他にも窓の横にドアがあって、直接外へ出られる仕組みになっていた。しかしドアの外には階段があるわけでもなく、不思議そうに見ているとチェスター神父が説明してくれた。

「この部屋は、大昔に有事に備えて作られたものです。王族を匿い、もしもの時は備え付けられた梯子を下ろして裏から逃げられるようになっています。ほら、上に梯子が付いてるでしょう? この紐を下に引けば梯子が下りてきますので覚えて置いてください。他にも、床板を外せば地下へ抜けて林に出られる通路もありますよ」

 この部屋の壁にはシックで落ち着いたいかにも高価そうな壁紙が張られているのに、家具などは質素な物ばかりで、とても王族のための部屋とは思えない。布団と毛布はチェスター神父の部屋で見た物と同じだし、床には敷物すら敷いてない。どうにも違和感があった。

「何か言いたそうですね。何ですか?」
「失礼ですけど、緊急避難用とは言え、このような家具を王族に使わせるのですか?」
「ああ、それですか。始めは豪華なものが入っていたはずですよ。この部屋には鍵が掛けられていて、年に数回空気の入れ替えと掃除に入る以外は開かずの間とされていましたが、かなり前からもぬけの殻になっていたそうです。前任の神父様も大層嘆いていましたよ。私が赴任してきた際に、他の部屋から家具を運びいれました。家具など使えれば何だって良いのです」
「泥棒が入ったという事ですか?」
「さぁ? 仮に泥棒だとして、ここは大きな通りに面していますから、大きくて高価な家具を運び出すのはきっと目立つでしょうね。それに隣は歴代の神父が使っていますし、誰も気付かないなんて事はありえません」

 チェスター神父の言いたい事が良くわからず、アリシアは話題を変えた。

「あの、うちの様子はどうでしたか? トムが屋敷を見に行ったら騎士や兵士が居たと言ってましたけど」
「ええ、昨夜領主であるあなたの父上が亡くなった事は間違いありませんでした。事情を知る可能性のある家令のクラークが何故か意識不明で、屋敷の使用人達も困っていました。彼らは未だに何が起きているのか知らされていないようで、一室に集められていました。どうやらワイアット伯爵が独断でアルバート様の不正を調べに来て、斬り合いになったらしいです。彼も腕などを切られて治療を受けていました。しかしどうも信じられません。アルバート様は争いを嫌い、剣などの武器は手元に置かない方でした。それが、親しい友人であるワイアット伯爵に自分から切りかかるとは、考えられないのです」

 アルバート・アルバーン伯爵は王都に隣接するヴィルゴクラード領の領主であり、この国の大臣をも務める。その性格は温厚篤実おんこうとくじつ、謹厳実直きんげんじっちょくで国内でも特に人望のある人物である。当然不正などするはずも無く、知らせを受けて捜査にきた騎士達も困惑していた。
 この事件を起こしたワイアット伯爵は、残されたアリシアの婚約者であり後見人でもある自分が行方知れずのアリシアに代わって領地の運営をすると主張し、捜査の為に一時退去を命じられても屋敷に居座っている。家令のクラークが全てを知っているはずだが、意識不明の今、真実は闇の中である。

「チェスター神父様、クラークは怪我を負ったのですか? あの真面目な彼の事です、お父様を庇おうとして、兵に立ち向かったのではありませんか? ああ、屋敷に残してきた皆が心配だわ。あの騒ぎで逃げた者もいるけれど……そういえば、トムの話ではメイドのニーナがお父様の事を訴えた為に、兵士が来たと言っていました」
「ただのメイドの訴えごときで、兵は動きませんよ」
「それが……彼女は男爵家の娘で、人を介して半月ほど前からうちで働き始めた方なのです。その、人と言うのは父の友人であるワイアット伯爵です。貴族令嬢からの訴えならば、兵も動くのではありませんか?」
「おかしな話ですね、その男爵の娘は怪しいではありませんか。わかりました。私から騎士団に伝えましょう。きっと解決してくれますよ」

 庭師のトムに証言して欲しい所だが、どこにいるのか見当もつかない状況だ。また町で偶然出会うか、彼が教会に来るのを待つしかないだろう。
 部屋のドアが開けたままだったので、階下からサムの声が聞こえて来た。

「チェスター神父! 診療所に怪我人が運び込まれました! 荷馬車に足を潰されてしまった男性です。ここでは無理だと言ったのですが、どうしますか?」

 怪我人と聞いて、話を全て聞く前にアリシアはすぐに階下の診療所に急ぎ向った。チェスター神父は彼女の意外なほど機敏な動きにあっけに取られながら、返事をした。

「分かりました。今行きます」

 診療所の診察台の上には片足が不自然な方向に曲がった男性が気を失って横たわっていた。大量の血が流れ出し、折れた骨が肉を突き破ってしまっている。アリシアは付添いの男性に事故の状況を聞き、怪我の様子を観察し始めた。そこへチェスター神父も診察に加わる。外科的治療は専門外のこの診療所では治せないと判断し、医者に見せるよう言おうとすると、アリシアは信じられない行動に出た。

「うん、欠損した箇所は無さそう。早く止血しなくては、命に関わるわ。サム、彼の体を押さえていてくれる? 突き出した骨を正しい位置に戻すから、痛みで暴れ出さないようにして欲しいの。付添いのあなたも一緒にお願いします。チェスター神父、患者に何か噛ませてあげて下さい。かなり痛い思いをさせてしまうので」

 うっかり女の子の言葉使いで話してしまったが、アリシアは気にせず治療に当たった。患者に布を噛ませたのを確認すると、折れた足を真っ直ぐに延ばした。その瞬間、あまりの激痛で患者は暴れ出し、アリシアは振り回した腕で頬を殴られ倒れてしまう。

「きゃっ」
「大丈夫ですか!」

 チェスター神父がアリシアに駆け寄り助け起こそうとすると、即座にそれを静止させる言葉を発せられる。

「私は大丈夫だから、その人をしっかり押さえていて!」

 立ち上がったアリシアは今度は折れた足に両手を当てて目を瞑り、深呼吸を始めた。

「人で試した事は無いけど、野生動物も人間も一緒よね……」

 周りに聞こえない程度の声で独り言を呟き、手の平に気持ちを集中させた。すると患部がポウッと淡く光り始め、見る見る傷が塞がっていく。患者を押さえていた者達は息を呑む。

「……嘘だ、こんな所に白魔法使い様がいらっしゃるわけがねぇ。おれは夢でも見てるのか?」

 アリシアは治癒を完了させると、床にへたり込んだ。

「あ~、良かった。ちゃんと出来て。その人はもう大丈夫……だよ。痛みも無いと思うけど、もしどこか痛かったら、言って下さいね」

 治療を受けた男性は目をぱちくりさせ、折れたはずの足を擦り、曲げ伸ばししてみる。つい先ほどまでの激痛は嘘の様に無くなり、破れた血だらけのズボンの中からは傷一つ無い足が見えていた。

「ほ……本当に治ってる! 奇跡だ! おまえスゲェな! もう切るしか無ぇと諦めてここに来たのに、まさか魔法で治してもらえるなんて。ありがとう! この礼は何だってする。金は無ぇが、力仕事なら任せてくれ」
「いえ、気にしないで下さい。チェスター神父様、勝手な事をしてすみませんでした。後の事、お願いします」

 アリシアは診療所を出て、階段の所で力尽きた。追って来たサムに抱えられて自室に向かい、そのままベッドに倒れ込む。

「大丈夫かい? 今、水を持ってくるから、横になって待っるんだよ?」

 サムは急いでキッチンに行き、水差しに冷たい水を満たして戻ってきた。それをコップに注ぎ、アリシアに手渡す。

「ほら、起き上がれる? もしかして、初めて治癒魔法を使ったのかい?」
「いや、森で怪我をした動物達の治療をしてたんだけど、人間は初めてで。あの人酷い状態だったし、ちょっと力加減間違えたかな。魔力切れまでは行ってないから、一時間位寝かせてもらえばすぐ回復すると思う。お水ありがとう。僕は大丈夫だから、行って下さい」

 階下からはまだ先ほど治療した男性達の感謝の声が聞こえている。チェスター神父はその対応に追われ、中々アリシアの元へいく事が出来なかった。やっと開放されると、次は喉が痛いというご婦人が来て、その対応をする。診療所は町にここ一軒しか存在しないので、昼も夜も無く大忙しなのだ。サムとオリバーが交代で受付をこなし、手の空いた時に庭の薬草を管理する。ここで栽培できない物は森へ採りに行かなければならないのだ。アリシア一人が増える事で、仕事はグンと楽になるだろう。そう思っていたが、皆に迷いが生じた。
 一時間ほどしてアリシアは完全復活し、診療所に戻るとチェスター神父は心配そうに声をかけた。

「アレックス、もう大丈夫なのですか? 今日は休んでいて構いませんよ。無理をしたのでしょう? 何だか顔色が悪いようです。部屋で寝ていて下さい」
「少し寝させてもらって回復しましたから本当に大丈夫なんです。何をしたら良いですか?」
「本当に大丈夫か、まずは私に診せてくれますか? こちらに来て、椅子に座って下さい」

 チェスター神父を納得させるために椅子に座ると、顔を寄せ小声で話し掛けられた。

「アリシア様は、ご自分が白魔法使いだと知っていたのですか? それにきちんと知識はあるようですが、魔法学校には行っていませんよね?」
「はい、父が家から出してくれなかったので、学校には行けませんでした。でも母がまだ生きていた間に、基礎は教えられていたんです。後は母の残してくれた魔法書を全て読んで、森で動物達相手に練習していました。もしかして、魔法を使っては駄目でしたか?」
「いいえ、使って下さい。出来ればきちんと学校へ行かせてあげたいのですが、身分を偽ったままでは入学できませんので今日から私が教えます。これでも黒魔法使いですから、魔力の扱い方くらいなら教えられますよ。あなたの母親は白魔法使いだったのですか? お名前をお聞きしても?」
「ヴィオラです。ヴィオラ・アルバーン。旧姓はクレイトンですけど、ご存知ですか?」

 チェスター神父は頭を抱えた。その名前を知らない宮廷魔術師などいないだろう。クレイトン家は子爵家ながら代々強い魔力を持った者達を排出している。筆頭宮廷魔術師は常にクレイトンの人間が務めていて、その権力は侯爵家に並ぶものだった。
 そしてアリシアの母、ヴィオラ・クレイトンは魔法学校在学時から白魔法使いとして宮廷内外で大活躍していた人物だ。戦場だろうがスラム街だろうがどこでもお構い無しに自分の力を存分に発揮し、次期筆頭宮廷魔術師は彼女にほぼ内定していた。
 そんな時にアリシアの父と出会い、結婚前にアリシアを身篭ってしまったせいで子爵家を勘当され、宮廷魔術師の地位も剥奪という重い処分を受けた。突然辞めた経緯までは知られていないが、彼女が近代でもっとも力のある白魔法使いだった事は間違いない。
 アリシアを魔法学校に通わせなかった理由はその辺りにあるのだろうとチェスター神父は考えた。アリシアの母、ヴィオラ以降のクレイトンの力は弱まる一方で、現在、筆頭宮廷魔術師の地位をクレイトン以外の者に譲ってしまっていた。そこで地位を取り戻そうとヴィオラの産んだアリシアを引き取って育てようとした可能性は極めて高い。女性は子を産むと、その子供に魔力を殆ど取られてしまうのだ。アリシアの魔力は母から受け継いだ物で、その力はいまだ未知数だ。

「アリシア様、母親の名前は今後誰にも言わない方が良いかもしれません。特にクレイトンの人間に知られたら、厄介な事になるでしょう。しかし、あなたがもし野心を持って宮廷魔術師になりたいと言うならば、逆に強い味方になるかもしれません。その時は私も力になりますよ。まずは、正しい知識を見につけましょう」
 
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