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死んだアリシア
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駐屯兵団に一報が入ったのは昼過ぎの事。
十日前、領内の山で狩りをしていた狩人は、連れていた犬がやけに騒ぐのでそこへ見に行くと、急斜面の下にある窪みに破れてボロボロのドレスを纏った半分白骨化した少女の死体を見つけたと巡回中の兵士に報告した。
少女の着ていたドレスはアルバーン家から消えたアリシアが事件当日着ていたもので間違い無かった。動物に荒らされたのか髪は無く、特に頭部の損傷が酷く顔も判別できない状態であったが、屋敷で働くメイドの証言でその遺体はアリシアと断定された。事件のあった夜屋敷から逃げ出し、崖から転落して身動きができないまま亡くなったのだろうと結論付けられた。
これによりアルバーン家を継ぐ者は居なくなり、アリシアが行方不明になった時点で代理で領地の管理を任されていた姉達に本格的にその役が回ってきた。
長女ミランダは小国ケンダル王家に嫁いでるので戻って来ることは出来ず、次女グレイシーは宮廷魔術師の妻に納まっている。長女の産んだ子供に後を継がせると言う話も出たが、まだ5才の子供に何ができるわけでも無い。今は次女が領主代理としてその任に就いているが、妊娠中の身で動く事もままならず、くしくも屋敷に居座っているユアン・ワイアット伯爵に領主代理の役が回ってしまった。
父の友人であるというだけで信用し、さらにアリシアとの婚約が内定していた自分が適任だと伯爵本人からの申し出もあって、長女の息子が成人するまでの間、領地の運営はワイアット伯爵が行うという事が後日議会で決定された。
駐屯地の食堂で信じられない話を聞いたアリシアは、死んだのは偽者で本物は自分だと言ってしまいたい衝動に駆られた。あの日、着ていた衣装一式は洗濯室に置いてきた。それを誰かが持ち出して背格好の似た女の子に着せて殺害したという事だろう。自分が逃げ出した為に無関係の少女の命を奪ってしまったという事実に胸が苦しくなる。
苦い顔をしているアリシアにエッカートが慰めの言葉をかけた。
「お前は屋敷に居たのだから、アリシア嬢とも面識があったのだろうな。この様な結果になって、残念だ。屋敷を出ずに兵士に保護されていればな……そう気を落とすな」
「アレックス、怖い顔をしているわね。あなた、あの夜本当は何があったのか知っているの?」
「……本当はって何のことですか? 自分は兵士が突然屋敷にやって来て驚いて逃げた臆病者です。何があったのかなんて、知りません」
誰があの晩の出来事に関係しているのかも分からないのに、下手な事は言えない。しかし気になる事があればこちらからは聞かせてもらう。
「一つ質問しても良いですか?」
「何かしら?」
「何故、十日も前に見付かったのに、今頃ここに情報が回って来たのですか?」
この領地の兵士と言えば、今居る駐屯地に所属している者のはず。町の警護の為に小さな詰め所が何箇所か設置されているけれど、何かあればすぐに上官に報告するのが務めだろう。
「それがね、狩人が報告した相手って、うちに所属している兵士じゃなかったのよね。ユアン・ワイアット伯爵の私兵が勝手に町の中を巡回していて、話はうちを飛び越えて王宮に行ってしまったの。全てが解決してから、やっと情報が降りてきたのよ。悔しいったらないわ、自分達の領内で起きた事を他人から聞かなくちゃならないなんて」
「その悲報を聞いて領民は悲しむだろうな。アリシア嬢は屋敷から出ない事で有名だったが、あのアルバート様の跡継ぎとして大切に育てられていたお方だ。使用人からの信頼も厚く、心やさしい方だったとか。アレックスは直接話をしたことはあるのか? あ、え? どうした?」
アリシアは知らずぼろぼろと涙を流していた。父の名前を聞いたせいなのか、幸せだった日々を思い出す。
「馬鹿ね、慕っていたお嬢様の死を聞いたばかりなのよ? 思い出させるような事を言うからよ。アレックス、今日は部屋で休んでいなさい。エッカート、この子を部屋に連れて行ってあげて。温かい飲み物を届けさせるわ」
アリシアはエッカートに連れられて、食堂の建物を出た。いくつかの平屋の簡素な建物が並ぶ中、一つだけ他とは違う二階建ての立派な造りの建物があり、そこに通された。中は赤絨毯が敷かれ、壁には美しい細工の槍や盾が飾られている。ヴィルゴクラード領の旗が壁にはられた会議室のような広い部屋を通り過ぎ、階段を登ると幾つものドアが等間隔で並んでいた。
「ここは本来お前のような平兵士の入れる場所じゃない。まぁ、白魔法使いとしての働きが認められたら私よりも出世してしまうだろうから、ちょっと早くここに来たと思えば良い。一番手前の部屋がアレックスの部屋だ。制服は一番小さいサイズを用意してある。バークス少佐は休むよう言っていたが、実は見てほしい怪我人がいるのだ。気持ちが落ち着いたら着替えて先ほどの食堂に来てくれないか?」
アリシアは涙を袖で拭き、エッカートに向き合った。
「何故もっと早く言わないのですか。すぐ着替えてきますから、待っていて下さい」
そう言って部屋に入ると室内はそれほど広くは無いが、必要な物は揃っていて快適そうだった。部屋にはバスルームもあり、平兵士に対してこれ以上無い待遇である事が良くわかった。急いで顔を洗い、クローゼットに掛けられた軍服に着替える。サイズは少し大きいが、成長途中のアリシアにはこれで丁度良いとも言える。良く見れば胸にバッジが付いている。たしかバークス少佐の胸にも色違いの物が付いていた。魔法使いを表す物なのか、彼の物は黒地でアリシアのは白地に赤い大輪のバラのような物がデザインされている。
「気が早いわね。やっぱり断るなんて選択肢無かったんじゃないの」
ドアを開けると食堂からティーポットとカップが届けられたところだった。ここへ届けるよう言われたのだろう若い兵士は困った顔をしてエッカートを見る。
「アレックス、お茶くらい飲む余裕はあるから、それを受け取ってやれ」
「わざわざ有難うございました」
トレイごと受け取って礼を言うアリシアに、目を輝かせた若い兵士は自分の思いを口にした。
「いえ……白魔法使い殿が来てくれて本当に嬉しいです。皆歓迎しています、あなたの活躍を楽しみにしています」
「ちょっと待て、彼が活躍するという事は、我々が怪我を負うって意味だぞ? 不吉な事を言うな」
「あ! すいません。失言でした」
若い兵士は敬礼してその場を去って行った。
「これ、患者のいる部屋に持って行っても良いですか? 早く怪我の様子を見せて下さい」
「あ? ああ、隣の建物だから、私が代わりに持ってやろう。貸しなさい」
エッカートにトレイを取り上げられ、隣の宿舎に移動すると、平屋の建物の中は廊下を挟んで両側にドアがズラッと並んでいた。ドアの数からして大部屋では無さそうだ。ドアにプレートが下げられた部屋に案内されると、二段ベッドの下段に重症を負った兵士が横たわっていた。
「この方はどうされたのですか? 体中包帯だらけではありませんか。火傷……だけではありませんね。裂傷も多い。骨折もしていますか?」
「パッと見ただけでそこまで分かるのか。頼もしいな。彼は魔法訓練中にうっかり攻撃範囲に入ってしまった同僚を庇ってこうなった。彼が庇った兵士も怪我を負っているが、こちらの方が優先だ。治せるか?」
アリシアは腕に巻かれた包帯を丁寧に取り、怪我の状態を観察する。
「あの、包帯が邪魔なのでハサミで切っても良いですか? これだけ汚れてしまっては再利用はできないでしょう」
「ああ、構わないだろう。ハサミを取ってくるから、待っていろ」
小さなテーブルの上に持って来たティーセットを置いて、エッカートはどこかへ行ってしまった。アリシアはその間にもう一方の腕に巻かれた包帯も外し、治癒魔法をかける。すると患者の目がうっすらと開かれ、アリシアの姿を確認した。
「こんにちは、目が覚めましたか? 僕はアレックスと言います。もう少しだけ我慢して下さいね。ほら、腕の痛みは取れたでしょう?」
患者の口は何か言いたげに動いていても、声を発する事が出来ないらしい。それでも懸命に何かを訴えていた。
「喉を火傷したんですね、呼吸も苦しいでしょう。包帯を外したら治癒魔法をかけますからね」
バタバタと慌しくエッカートが戻って来た。一緒にこの兵団の医師も付いて来たらしい。四十代くらいの白衣を着た男性が室内に入って来て、綺麗に治った両腕を見て感激している。
「ハサミ、持って来たぞ。包帯を切れば良いのか?」
「私も手伝います。エッカート殿は足を頼みます。デリック、ハサミが当たって痛いだろうが、我慢してくれ」
エッカートと医師の二人で手早く包帯を切り、患部を露にした。思ったよりも火傷が酷く、体中にある裂傷は縫う事もできず膿みかけていた。
「アレックス、これで良いか?」
「はい、場所を変わって下さい。早速治します」
ベッド脇に移動したアリシアは患者の首に手を当て治癒魔法をかけ始める。ポウッと淡く光り表面の火傷はすぐ消えた。さらに集中して内部まで治癒させるとそのまま胸に手を移動させどんどん治していく。
呼吸が楽になった患者は胸いっぱいに酸素を吸い込み深呼吸を始めた。
「肋骨が折れていて苦しかったでしょう、もう大丈夫です。傷跡も残りませんからね」
優しく語り掛けるアリシアに医師とエッカートはただ見惚れていた。白い髪の少年はまるで聖母のような慈愛に満ちた表情で、次々奇跡を起こしていく。このデリックという患者はもう長くないと診断を下され、衰弱して死んでいくのを待つばかりだったのだ。
しかしアリシアの手が途中で止まってしまった。余程治癒に時間が掛かるのかと思えば、全裸の男性の下腹部辺りで躊躇っている。
顔を背けてそこをやり過ごし、大事な部分をそっとハンカチで隠すと、足の治癒を始める。足は火傷よりも切り傷が多く、それでもサッと一撫でする間に傷は消えた。頭の治療に取り掛かるが、髪の毛が焼けて無残な状態だ。
「髪の毛は自然に生えてきますから、心配いりませんよ。しばらくは丸坊主ですけど。あ……眼球も傷付いたんですね。視力に問題はありませんか?」
「少し霞む」
「わかりました。目を閉じて楽にして下さい」
顔を覆うように両手を当てて、時間を掛けて治癒魔法をかける。
「治りました。もう起き上がっても大丈夫ですよ。喉が渇いたでしょう。冷めてしまいましたけど、お茶を飲みますか?」
アリシアはテーブルに置かれたティーカップにすっかり冷めたお茶を注いでデリックに渡した。ちょっと濃くなり過ぎたお茶でも、数日飲まず食わずだった彼には格別な美味しさだった。
「ぷはぁー、生き返ったぜ。お前、あの時の少年じゃないか。銀貨を2枚やっただろう。俺のこと覚えてないか?」
髪と眉が焼けてしまっているせいで印象は違うが、良く見れば確かにあの時裏から逃がしてくれた兵士だった。
「あ! あの時の!」
「あん時お前を逃がして正解だったな」
エッカートは二人が知り合いだった事に驚いていた。デリックは他領から配属された兵士で、まだこの地に来て間もないのだ。配属前は私兵もしていたと噂されているが実際のところは誰も知らない。
「二人は知り合いだったのか?」
「あ、はい。知り合いというか、僕を屋敷から逃がしてくれた人です」
「逃がした上に銀貨もやっただろう。あれでしばらく生活できただろうが」
「デリック、まさかワイアット伯爵の私兵をしていたというのは本当なのか?」
余計な事を言ったとばかりに視線を逸らし、デリックは言い訳を始める。
「ちょっと訳有りだったんですよ。アルバーン家を調べるために兵を集めてるって聞いて、あの日だけ参加したんです。貰った報酬の半分はこいつに渡して、残りは孤児院に寄付しました。金目当てで雇われたわけじゃありません」
デリックは立膝をついてガシガシと頭を掻いた。
「あの、怪我も治ったことですし、何か着て下さい。僕は怪我は治せますけど風邪は治せませんよ」
「ああ、確かに見苦しいな。風呂に入ってサッパリしてこい。腹も減っただろう、食堂で上官も立会いの下説明してもらうぞ。お前は今、このヴィルゴクラードの兵士なのだからな」
十日前、領内の山で狩りをしていた狩人は、連れていた犬がやけに騒ぐのでそこへ見に行くと、急斜面の下にある窪みに破れてボロボロのドレスを纏った半分白骨化した少女の死体を見つけたと巡回中の兵士に報告した。
少女の着ていたドレスはアルバーン家から消えたアリシアが事件当日着ていたもので間違い無かった。動物に荒らされたのか髪は無く、特に頭部の損傷が酷く顔も判別できない状態であったが、屋敷で働くメイドの証言でその遺体はアリシアと断定された。事件のあった夜屋敷から逃げ出し、崖から転落して身動きができないまま亡くなったのだろうと結論付けられた。
これによりアルバーン家を継ぐ者は居なくなり、アリシアが行方不明になった時点で代理で領地の管理を任されていた姉達に本格的にその役が回ってきた。
長女ミランダは小国ケンダル王家に嫁いでるので戻って来ることは出来ず、次女グレイシーは宮廷魔術師の妻に納まっている。長女の産んだ子供に後を継がせると言う話も出たが、まだ5才の子供に何ができるわけでも無い。今は次女が領主代理としてその任に就いているが、妊娠中の身で動く事もままならず、くしくも屋敷に居座っているユアン・ワイアット伯爵に領主代理の役が回ってしまった。
父の友人であるというだけで信用し、さらにアリシアとの婚約が内定していた自分が適任だと伯爵本人からの申し出もあって、長女の息子が成人するまでの間、領地の運営はワイアット伯爵が行うという事が後日議会で決定された。
駐屯地の食堂で信じられない話を聞いたアリシアは、死んだのは偽者で本物は自分だと言ってしまいたい衝動に駆られた。あの日、着ていた衣装一式は洗濯室に置いてきた。それを誰かが持ち出して背格好の似た女の子に着せて殺害したという事だろう。自分が逃げ出した為に無関係の少女の命を奪ってしまったという事実に胸が苦しくなる。
苦い顔をしているアリシアにエッカートが慰めの言葉をかけた。
「お前は屋敷に居たのだから、アリシア嬢とも面識があったのだろうな。この様な結果になって、残念だ。屋敷を出ずに兵士に保護されていればな……そう気を落とすな」
「アレックス、怖い顔をしているわね。あなた、あの夜本当は何があったのか知っているの?」
「……本当はって何のことですか? 自分は兵士が突然屋敷にやって来て驚いて逃げた臆病者です。何があったのかなんて、知りません」
誰があの晩の出来事に関係しているのかも分からないのに、下手な事は言えない。しかし気になる事があればこちらからは聞かせてもらう。
「一つ質問しても良いですか?」
「何かしら?」
「何故、十日も前に見付かったのに、今頃ここに情報が回って来たのですか?」
この領地の兵士と言えば、今居る駐屯地に所属している者のはず。町の警護の為に小さな詰め所が何箇所か設置されているけれど、何かあればすぐに上官に報告するのが務めだろう。
「それがね、狩人が報告した相手って、うちに所属している兵士じゃなかったのよね。ユアン・ワイアット伯爵の私兵が勝手に町の中を巡回していて、話はうちを飛び越えて王宮に行ってしまったの。全てが解決してから、やっと情報が降りてきたのよ。悔しいったらないわ、自分達の領内で起きた事を他人から聞かなくちゃならないなんて」
「その悲報を聞いて領民は悲しむだろうな。アリシア嬢は屋敷から出ない事で有名だったが、あのアルバート様の跡継ぎとして大切に育てられていたお方だ。使用人からの信頼も厚く、心やさしい方だったとか。アレックスは直接話をしたことはあるのか? あ、え? どうした?」
アリシアは知らずぼろぼろと涙を流していた。父の名前を聞いたせいなのか、幸せだった日々を思い出す。
「馬鹿ね、慕っていたお嬢様の死を聞いたばかりなのよ? 思い出させるような事を言うからよ。アレックス、今日は部屋で休んでいなさい。エッカート、この子を部屋に連れて行ってあげて。温かい飲み物を届けさせるわ」
アリシアはエッカートに連れられて、食堂の建物を出た。いくつかの平屋の簡素な建物が並ぶ中、一つだけ他とは違う二階建ての立派な造りの建物があり、そこに通された。中は赤絨毯が敷かれ、壁には美しい細工の槍や盾が飾られている。ヴィルゴクラード領の旗が壁にはられた会議室のような広い部屋を通り過ぎ、階段を登ると幾つものドアが等間隔で並んでいた。
「ここは本来お前のような平兵士の入れる場所じゃない。まぁ、白魔法使いとしての働きが認められたら私よりも出世してしまうだろうから、ちょっと早くここに来たと思えば良い。一番手前の部屋がアレックスの部屋だ。制服は一番小さいサイズを用意してある。バークス少佐は休むよう言っていたが、実は見てほしい怪我人がいるのだ。気持ちが落ち着いたら着替えて先ほどの食堂に来てくれないか?」
アリシアは涙を袖で拭き、エッカートに向き合った。
「何故もっと早く言わないのですか。すぐ着替えてきますから、待っていて下さい」
そう言って部屋に入ると室内はそれほど広くは無いが、必要な物は揃っていて快適そうだった。部屋にはバスルームもあり、平兵士に対してこれ以上無い待遇である事が良くわかった。急いで顔を洗い、クローゼットに掛けられた軍服に着替える。サイズは少し大きいが、成長途中のアリシアにはこれで丁度良いとも言える。良く見れば胸にバッジが付いている。たしかバークス少佐の胸にも色違いの物が付いていた。魔法使いを表す物なのか、彼の物は黒地でアリシアのは白地に赤い大輪のバラのような物がデザインされている。
「気が早いわね。やっぱり断るなんて選択肢無かったんじゃないの」
ドアを開けると食堂からティーポットとカップが届けられたところだった。ここへ届けるよう言われたのだろう若い兵士は困った顔をしてエッカートを見る。
「アレックス、お茶くらい飲む余裕はあるから、それを受け取ってやれ」
「わざわざ有難うございました」
トレイごと受け取って礼を言うアリシアに、目を輝かせた若い兵士は自分の思いを口にした。
「いえ……白魔法使い殿が来てくれて本当に嬉しいです。皆歓迎しています、あなたの活躍を楽しみにしています」
「ちょっと待て、彼が活躍するという事は、我々が怪我を負うって意味だぞ? 不吉な事を言うな」
「あ! すいません。失言でした」
若い兵士は敬礼してその場を去って行った。
「これ、患者のいる部屋に持って行っても良いですか? 早く怪我の様子を見せて下さい」
「あ? ああ、隣の建物だから、私が代わりに持ってやろう。貸しなさい」
エッカートにトレイを取り上げられ、隣の宿舎に移動すると、平屋の建物の中は廊下を挟んで両側にドアがズラッと並んでいた。ドアの数からして大部屋では無さそうだ。ドアにプレートが下げられた部屋に案内されると、二段ベッドの下段に重症を負った兵士が横たわっていた。
「この方はどうされたのですか? 体中包帯だらけではありませんか。火傷……だけではありませんね。裂傷も多い。骨折もしていますか?」
「パッと見ただけでそこまで分かるのか。頼もしいな。彼は魔法訓練中にうっかり攻撃範囲に入ってしまった同僚を庇ってこうなった。彼が庇った兵士も怪我を負っているが、こちらの方が優先だ。治せるか?」
アリシアは腕に巻かれた包帯を丁寧に取り、怪我の状態を観察する。
「あの、包帯が邪魔なのでハサミで切っても良いですか? これだけ汚れてしまっては再利用はできないでしょう」
「ああ、構わないだろう。ハサミを取ってくるから、待っていろ」
小さなテーブルの上に持って来たティーセットを置いて、エッカートはどこかへ行ってしまった。アリシアはその間にもう一方の腕に巻かれた包帯も外し、治癒魔法をかける。すると患者の目がうっすらと開かれ、アリシアの姿を確認した。
「こんにちは、目が覚めましたか? 僕はアレックスと言います。もう少しだけ我慢して下さいね。ほら、腕の痛みは取れたでしょう?」
患者の口は何か言いたげに動いていても、声を発する事が出来ないらしい。それでも懸命に何かを訴えていた。
「喉を火傷したんですね、呼吸も苦しいでしょう。包帯を外したら治癒魔法をかけますからね」
バタバタと慌しくエッカートが戻って来た。一緒にこの兵団の医師も付いて来たらしい。四十代くらいの白衣を着た男性が室内に入って来て、綺麗に治った両腕を見て感激している。
「ハサミ、持って来たぞ。包帯を切れば良いのか?」
「私も手伝います。エッカート殿は足を頼みます。デリック、ハサミが当たって痛いだろうが、我慢してくれ」
エッカートと医師の二人で手早く包帯を切り、患部を露にした。思ったよりも火傷が酷く、体中にある裂傷は縫う事もできず膿みかけていた。
「アレックス、これで良いか?」
「はい、場所を変わって下さい。早速治します」
ベッド脇に移動したアリシアは患者の首に手を当て治癒魔法をかけ始める。ポウッと淡く光り表面の火傷はすぐ消えた。さらに集中して内部まで治癒させるとそのまま胸に手を移動させどんどん治していく。
呼吸が楽になった患者は胸いっぱいに酸素を吸い込み深呼吸を始めた。
「肋骨が折れていて苦しかったでしょう、もう大丈夫です。傷跡も残りませんからね」
優しく語り掛けるアリシアに医師とエッカートはただ見惚れていた。白い髪の少年はまるで聖母のような慈愛に満ちた表情で、次々奇跡を起こしていく。このデリックという患者はもう長くないと診断を下され、衰弱して死んでいくのを待つばかりだったのだ。
しかしアリシアの手が途中で止まってしまった。余程治癒に時間が掛かるのかと思えば、全裸の男性の下腹部辺りで躊躇っている。
顔を背けてそこをやり過ごし、大事な部分をそっとハンカチで隠すと、足の治癒を始める。足は火傷よりも切り傷が多く、それでもサッと一撫でする間に傷は消えた。頭の治療に取り掛かるが、髪の毛が焼けて無残な状態だ。
「髪の毛は自然に生えてきますから、心配いりませんよ。しばらくは丸坊主ですけど。あ……眼球も傷付いたんですね。視力に問題はありませんか?」
「少し霞む」
「わかりました。目を閉じて楽にして下さい」
顔を覆うように両手を当てて、時間を掛けて治癒魔法をかける。
「治りました。もう起き上がっても大丈夫ですよ。喉が渇いたでしょう。冷めてしまいましたけど、お茶を飲みますか?」
アリシアはテーブルに置かれたティーカップにすっかり冷めたお茶を注いでデリックに渡した。ちょっと濃くなり過ぎたお茶でも、数日飲まず食わずだった彼には格別な美味しさだった。
「ぷはぁー、生き返ったぜ。お前、あの時の少年じゃないか。銀貨を2枚やっただろう。俺のこと覚えてないか?」
髪と眉が焼けてしまっているせいで印象は違うが、良く見れば確かにあの時裏から逃がしてくれた兵士だった。
「あ! あの時の!」
「あん時お前を逃がして正解だったな」
エッカートは二人が知り合いだった事に驚いていた。デリックは他領から配属された兵士で、まだこの地に来て間もないのだ。配属前は私兵もしていたと噂されているが実際のところは誰も知らない。
「二人は知り合いだったのか?」
「あ、はい。知り合いというか、僕を屋敷から逃がしてくれた人です」
「逃がした上に銀貨もやっただろう。あれでしばらく生活できただろうが」
「デリック、まさかワイアット伯爵の私兵をしていたというのは本当なのか?」
余計な事を言ったとばかりに視線を逸らし、デリックは言い訳を始める。
「ちょっと訳有りだったんですよ。アルバーン家を調べるために兵を集めてるって聞いて、あの日だけ参加したんです。貰った報酬の半分はこいつに渡して、残りは孤児院に寄付しました。金目当てで雇われたわけじゃありません」
デリックは立膝をついてガシガシと頭を掻いた。
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