特売小説短編

杉山

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#13 なぐさみものマリーとやけっぱちヌイグルマー

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 昼休みに全裸で。

「ちんこを弄ると気持ちいいー。オナニー、オナニー」

「精子を飛ばすぞ元気よくー。オナニー、オナニー」

 卑猥な言葉を叫びながら校庭を走っているのはブーカスと原人。折からの雨による低気温と、重たい泥とが相乗して容赦なく体力を奪う。即ち苦行、しかし彼らは自主的にそれを行っているのではなく、学力順では県下で上の中くらいに位置する市立高校という社会に於いて慰みものの役割を押し付けられ、強制されたもの。

 教室に閉じ込められ退屈している生徒らの軽蔑や嘲笑を浴び、怒りや不満の捌け口にされているのだ。

「マジ底辺。ちょー笑える」

 言葉とは裏腹に冷淡な表情で目を剥いている、友人のその様子を横目で確認してから、麻利恵は彼女に同調する。

「生きてる価値ない。死ねばいいのに」

「出たよ黒麻利恵。黒を吐き捨てる女」

 そう言って腰掛けていた机から飛び降りた友人が、麻利恵を購買に誘う。友人の反応を見て麻利恵は内心で安堵する。

 選ぶ事が出来ず宛がわれた環境に於いて不運に見舞われない為なら心にない事も口にする、それが麻利恵の処世術。

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 集団が破綻なく一定の状態を保ち続けようとする際にそれを構成する個が同時にその場で福利を求めた結果、いじめは発生する。その現場に傍観者など居らずあるのは被害者と加害者のみ、その振り分けは運不運の作用による。

 そういう考えだから麻利恵は、置かれた立場で求められる振る舞いをこなす事に集中する。

 一階の昇降口で泥を払っていたブーカスと原人と鉢合わせになった。救いがないと知るように原人は二人に関心を示さなかったが、ブーカスがじっと自分を見ている事に麻利恵は気付いていた。苛む視線に胸を痛めれば自分も救われるならそうもするだろうが、足を止めた友人の出方を待ちそれに対応する為に麻利恵はただ身構える。

「こっち見んなばーか」

 そう言い放って友人は、気狂いのように笑いながら走り去った。

 それがどれほど酷い仕打ちか理解は出来る、しかし自分が被害者にならない為にはそれをしなければならないとも知っている。

「きったないからそのまま帰れば」

 ブーカスの視線を避けながら購買で買ったバナナオレの紙パックを自分の足元に置き、麻利恵は友人に続いた。

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 今日ね、前に教えてくれた映画見たよ。悪魔のいけにえ。怖かったー。けど、面白かった! 古いとかは全然気になんなかったし、ジェロニモのおすすめは当たりが多いよ! またおすすめあったら教えてね。あ゛あ゛ー、もうすぐあいつ帰って来る。憂鬱だよう(笑)

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 「悪魔のいけにえ」観たんだね。気に入ってもらえたみたいで良かった。次のお勧めかー。「サイコ」とかどうかな? 観た時あるかな? 「悪魔のいけにえ」と同じでエド・ゲインてゆー実在の殺人鬼をモデルにした映画なんだけど、より実話に近いのが「サイコ」なんだって。ラストシーンとか凄く良いよ。継父帰ってきちゃう時間か。助けてあげられなくてごめんね。僕がマリーの身代わりになれたらいいけど、なにもしてあげられなくて悔しいよ。

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 午後の七時、継父の帰宅時間には必ず家にいるよう麻利恵は義務付けられている。放課後、友人と遊んで盛り上がっている場からの離脱も常、門限と説明しているが嘘だ。

 麻利恵は、継父からの性的虐待を受けている。

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 ジェロニモが謝る事じゃないよ! そんなふうに言ってくれるのジェロニモだけだし、話し相手になってくれるだけで少しは気持ち軽くなるからさ。感謝してるよ。つらいし、早く家出たいって思うけど、これも運だよね。

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 ぶたとカスを交ぜてブーカスとあだ名を付けられて以降、彼が小中高といじめられ続けている状況を、麻梨絵は幼馴染という立場から傍観してきた。落ち度はなくともそのあだ名が不運の象徴、彼を軽んじてもいいもののように他者に紹介し、果たして状況がエスカレートする場面を繰り返し見てきた。

 詰まり不運こそが更なる不運を招く呼び水、そう結論せざるを得ず麻利恵は、自分が継父に性の奴隷と扱われている事実を誰にも知られてはいけないと考えている。

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 マリーのつらい気持ち分かるのになにも出来なくてごめん。謝るばかりじゃしょうがなくてほんとうにごめんだけど、マリーを助けたいって気持ちは本当だし、こんな事が支えになるならいつでも話し相手になるから。相談とかも、ちゃんと答えられるか分かんないけど真剣に聞くから。

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 風呂場で継父の陰茎を握らされながら運が悪いだけと自らに言い聞かせる。ベッドで継父の肛門を舐めながら好運がめぐり来る瞬間を想像する。

 学校ないしは友人関係に於いて悩みを打ち明ける事も弱みを晒す事も出来ず、家では人格を無視され慰みものにされる日々。

 或いはスマホの向こう側にいる顔も本名も知らない相手と文字で会話をしている時だけ少し心が安らぐが、それも仮初に過ぎない。

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 レザーフェイスが本当にいてチェーンソーであいつまっぷたつにしてくれたらいいのに、なんて(笑) あ゛あ゛ー、ジェロニモが暗くなったらあたしがお笑い担当しなきゃになるから、あんまり謝んないでよ! ジェロニモはほんとに貴重な話し相手で、あたしはもっと気軽にバカ話とかしたいんだよ。さっきも言ったけど感謝してるんだよ。

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 しかしたとえ仮初であっても。

 唯一の、自分をさらけ出せる場所で遠慮をせずにいた無邪気さが、結果、麻利恵を助けたのかもしれない。

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 麻利恵を布団に押し付け腰を振っていた継父の後頭部を。

「らいふぃざふぁいてんべあっあーきーっく」

 蹴飛ばして鮮烈に登場した闖入者は、しかしその格好、即ち漫画のキャラクターの着ぐるみの首から下の部分だけ着た姿では動き慣れていないのだろうか、よろけた。

「米を食べろ日本の米を食べろ」

 彼が、タオル地の丸い左手を左右に振って引っ掛けていたコンビニ袋を振り落とすと、中からおにぎりが三つ転がる。

「全部食べろ日本の米を全部口に入れろ詰めろ」

 追い立てられ焦っているような早口で捲し立てるその落ち着かない喋り方は、対するものをも不安にさせる。麻利恵の継父が尻餅をついたような格好のまま慄いて反応出来ずにいると、その顔面に闖入者が左手を打ち下ろした。

「納豆に葱を刻むと美味いなー美味いんだから食え米米米米米米米米」

 鼻血が伝わり鉄の味が口内に広がったところでやっと事態が把握出来たのか、覚束ない手でおにぎりを拾った継父がそれを自らの口に詰める。立つよう命じられ直ちに従う。

 果たして、闖入者の右手にガムテープで括り付けられていた牛刀が継父の左脇腹に埋まった。

「二時だバーラバラバーラバラ天翔けるジェーンフォンダよ」

 殺げた肉片を撒き散らしながら牛刀が、何度も何度も突き立てられた。

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 マリーに感謝してるって言われると困るよ。マリーは多分知らないと思うけど僕の方こそ言葉に出来ないほど感謝してる。マリーがいたからいつも我慢できてた。また昔みたいに直に喋れる日がきっと来るって思って我慢してた。バナナオレありがとう。美味しかった。

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 継父の首を胴体から切り離した頃には、闖入者ブーカスは昂ぶりから醒めていた。

「くへへっ」

 と、悪寒を覚えさせるように笑い、返り血に染まった顔を麻利恵に向けた。

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「大きくなったらジロちゃんはなんになるの」

「おいしゃさん。お母さんのかおのやけどをなおしてあげるんだ。マリーはなんになりたいの」

「マリーはね、おニャン子クラブに入るの。みんなをたのしくする人になるの」

「そっか。山本スーザン久美子になりたいんだね」

「ちがうもん。マリーが好きなのはいくいなあきこちゃんだもん。ねえジロちゃん、マリー、アイドルになれるかな」

「なれるよ、マリーはがんばりやさんだから」

「えへへ、うれしい。そしたらジロちゃん、マリーのいちばんのファンになってくれる」

「うん、なるよ。ぼくはおいしゃさんになって、マリーのファンにもなっておうえんするよ」

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 より大きな集団に属した事で二人の関係性は変化した、そこに疑問を感じても考える時間は与えられなかった。その事実を互いに表面上は受け入れていた。

「全然気付かなかった。ブーカスがジェロニモだったのね」

「ぼくドラえ◆んです」

「ふざけないで真面目に答えて。ジロちゃんがジェロニモだったのね」

「マリーは僕の天使の翼だから。穢されてる事を知りながらなにも出来ないでいる事にも限界が来てたんだ」

「真面目に答えてって言ってるでしょ。説明して」

「扉を開けたんだよ。マリーに会いたかったから」

 麻利恵が自らブーカスを遠ざけた事は一度もなかった。だからブーカスも麻利恵に近付く事はしなかった。況して泣いている姿を見せるなど。

「そんなんじゃ分かんない」

「本当のマリーに会いたかったんだ」

「それがどうしてこんな、人殺しなんかしなきゃいけなかったの。あたしそんな事頼んでないよ」

「ごめんね。勝手な事してほんとにごめん」

「ジロちゃんは、こんな事して満足なの」

「勿論だよ。マリーに会えた」

「じゃあ、何で泣いてるの」

 いじめの現場でブーカスは決して泣かなかった。給食が便所に用意される日が続こうが、母親を化け物と詰られようが、そんなものが弱味である筈がないと証明するように涙を見せる事はしなかった。

 そのブーカスが泣いていた。

「ねえ分かってる。あんた笑いながら泣いてるんだよ」

 涙も鼻水も拭わずに、麻利恵もぐちゃぐちゃな顔でブーカスを見上げる。

「違うよ、マリー」

 応えてブーカスも、同じくぐちゃぐちゃな顔を麻利恵に向けた。

「僕はもうジロちゃんでもブーカスでもないんだ。そんなのはもう全部捨てたんだ」

 お互いにジロちゃんとマリーとして喋った日がいつ以来か、それを思い出せない事が寂しいとブーカスは言った。そうした表情で、続けた。

「僕はぬいぐるみだ。だから涙に見えるこれは縫い目なんだよ」

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「やっとマリーに会えた」

 血塗れの被害者がそう言って加害者に向けた表情は。


('03.11.20)
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