蒸気の中のエルキルス

上津英

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第4章 それは止まれぬ蒸気のように

2-38 「君は女の子じゃないっけ……?」

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 もうジャンヌが来るとは思わなかった。まだトーストが半切れ残っていると言うのに。

「はいはーい!」

 返事をした後も、ドンドンドンッと叩かれ続けている玄関へと向かう。
 ウキウキした気分で玄関を開けると、そこには眼鏡のズレを気にしていないジャンヌが立っていた。
 駅から走って来たのだろう、ぜえぜえと肩で息をしている。大きな赤いトランクを転がしているだけに、人を殺して遺棄してきたかのように見えてしまう。

「おはよ――っわ」
「アンリ君っ!!」

 まずは挨拶を。
 そう思って細めた目は、ジャンヌに勢い良く肩を掴まれた為すぐに見開く事となった。

「ジャンヌさ——」
「約束よ、早くっ! 早く写真を頂戴っ!!」

 ぐっと近付いたジャンヌの碧眼は血走っていた。
 どこの薬物中毒者だ、と思ったが、この女性にとって愛犬を殺した犯人の写真は喉から手が出る程欲しい物。パーマの意味が無いくらい髪だって乱している。

「はっ、はい、じゃあ集会室に上がってくれますか? ご飯食べてるとちゅ──」
「お邪魔しますっ!!」

 口にした言葉は、最後まで烈女の耳に届かなかった。

「……最後まで言わせてよ」

 赤いトランクを玄関ホールに放置しあっという間に集会室に消えていった人物に一層苦笑いを深め、お小遣いの為と気持ちを切り替えて自分も集会室に向かった。猛獣が獲物を見据えているようにこちらを見続ける視線を感じながら、厨房から薄茶色の封筒を取り出す。

「これが先日話した写真です」

 封筒から取り出した写真を見せるとジャンヌが眉を吊り上げる。

「誰こいつ。若いわね、遊びでココちゃんを殺したと言うのかしら!」
「さあ、そこまでは俺には。先日も言いましたが、その写真の出所は内緒ですよ。違法ですからね?」
「何度も言わないで、分かってるわよ」

 穴が開きそうな程写真を見ているジャンヌは、分かっているのかいないのかコクコクと何度も首を縦に振っている。

「じゃあ、これで良いんですよね?」
「勿論よ、にしても誰かしら、こいつ……もう情報源には頼れないのよね。だったら自分で動いたり、探偵に頼るしか無いのかしら!」

 そう悔しそうに言いながらも、ジャンヌの碧眼には以前よりも爛々と憎悪の炎が灯っていた。敵の姿が明確になったからだろう。

「そうして頂けると嬉しいです。すみません、もうお役に立てなくて」

 乱れた金髪を手櫛で直したジャンヌは、もう用は終わったとばかりに集会室を出た。

「十分よ。後はこっちでこいつを見つけて、ココちゃんと同じ目に遭わせてやるんだから」

 ニッコリと、無罪を勝ち取った殺人犯のように不敵な笑みを深めて女性は言った。この烈女はどこまで本気でその言葉を口にしているのだろう。
 分からないだけに冗談交じりで返す。

「それで危なくなっても、俺の名前は警察に出さないで下さいよ?」
「分かってるって、うふふふ」

 ニコッと笑い、何かを催促するようにジャンヌを見る。

「それで、あのージャンヌさん?」
「ん? ……もうっ、アンリ君ってば!」

 最初こそ訝しがっていたジャンヌは思い出したように言い、仕方ないと鞄から分厚い封筒を取り出し自分に渡してきた。ずん、と重みのある待ち望んでいた封筒に頬が持ち上がる。

「有り難うございます」
「こっちこそ有り難う。じゃあ失礼するわ!」

 肩を怒らせて歩くジャンヌはすぐに外に出た。用が済んだら帰るのはあの烈女らしい。

「さすが。あっさり帰ったなあ」

 赤いトランクが消え広くなった玄関ホールを見ながら考えるのは、あの写真の人物の事だった。
 郊外とはいえエルキルスで犯罪を犯しているのだし、きっとこの辺りの人間である確率が高いのだろう。変な事に巻き込まれぬよう、自分もある程度周囲を気にしておこう。

「お小遣いは1割減っちゃったけど……良い仕事だったなあ」

 どうしてティナはあんな事が出来たのか。写真の青年は誰なのか。2人は本当に知り合いなのか。知り合いだとしたら、どういう縁なのか。
 気になる事は多いものの、割の良さを思うと自然とニヤけてくる。
 改めてお小遣いで買いたい物を考えながら、冷めてしまった朝食を食べるべく集会室に戻っていった。

***

『スケアリー・メアリーへ。

こんにちは。

おっ、僕を友達にしてくれんの? 光栄だな、有り難う。
会うのも楽しそうで良いな! この前話したオムライス専門店行くかー? 何時にする?
 あ……でも僕、家の用事で日曜日は潰れがちだしクラブやバイトもしてっから平日もきついかも、空いてる日が合わなかったらごめん。
 後写真撮ったから入れておくな~。じゃあ今度はスケアリーの写真待ってっから!

 ノイより』

***

「ん? んんん?」

 ティナ・ホアンは今、郊外の研究所ではなく河原に張った昼のテントの中に居た。
 レシレタ預かり店から受け取った、水色ボーダーの便箋を読んで眉を顰める。これはスケアリー・メアリーというペンネームでやり取りしているノイからの返信だ。
 指に挟んだ写真に映っているのは、オークの木を背にした赤毛の男子学生。

「君は女の子じゃないっけ……?」

 レシレタは匿名性が高いとは言え、高い金を握らせれば顧客情報をショートブレッドのように簡単に売ってくれる。だから自分も勿論、ノイがイヴェット・オーグレンという牧師館の少女である事は前から気付いていた。何かの間違いかもしれない、と教会に住むアンリにも確認してみたが、あそこに少年は住んでいない。
 しかもこの立派なオークの木は、写真の少年の特徴のない制服から察するにミトズロッドの物。
 この少年、誰かは知らないが赤毛だ。と言う事はこの少年も外れなら、近い内にヴェンツェルの家の浴槽に転がるのだろうか。

「嘘吐かれた、か……」

 ふう、と溜息が漏れた。
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