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第5章 それは追い詰められた蒸気のように
2-43 『ノア? ……良かった、ノアで。えっと……どうしたの?』
しおりを挟むカラー写真を眺めていてふと気が付いた。撮影時刻は夜のようだったけど、高性能のカメラらしいので暗さは関係無い。花壇の配列や柄、建物の内装に見覚えがあったのだ。
「ここ……ジャンヌさん家の近く? この程良くのどかな感じとか……この時計屋さんとかそうじゃんね」
となると、スケアリーはジャンヌの家の近くに住んでいると考えるのが自然だろう。
「ジャンヌさんの……」
あの熱心な女性信者の顔を思い浮かべる。性格がキツいので叔父はジャンヌの事が苦手なようだが、3人で暮らし始めた自分達を心配してくれる優しさだってある素敵な女性だ。
「…………誰が殺したんだろ」
ジャンヌを思い出すと、一緒にココの顔も思い出す。
小学生の時から可愛がって来たぬいぐるみのようなマルチーズ。
それがあんな無残な殺され方をするとは思わなかった。人間が大好きな犬なので、自分の腹を裂こうと近付いて来た犯人にも直前まで尻尾を振っていたに違いない。
「……ううう……」
自然とスケアリーの写真を直視出来なくなっていた。
──教会の人間らしく真面目に誠実に頑張ろうね。
ジャンヌの顔を思い浮かべると、自然とあの時交わした約束を思い出す。
今の自分はどうなのだろう。真面目に誠実に生きているだろうか。
身内の贔屓目である可能性は大いにあるが、最近自分は立派になったと叔父は褒めてくれた。が、その叔父は自分とスケアリーの文通の事を知らない。あれはその上での評価なのだ。
スケアリーとの文通で自分は、何時からか偽る事よりもスケアリーと話す事の方が楽しくなっていた。
男になるのは確かに楽しいけれど、人を騙して楽しむのはどうなのだろう。ここら辺は人に寄るだろうが、自分には合いそうにない。
それに、ノアへの申し訳無さが消えないのだ。
これは嫌だ。
「あたし……性別詐称向いてないのかも……」
胸の奥にある罪悪感を吐き出すように呟いた。認めるとスッと気持ちが軽くなる。
「真面目に誠実に……」
ぽつり、とあの日の約束を繰り返す。決心したように顔を上げ、机上にある枚数の減ったレターセットに手を伸ばした。
顎を引き、何時もと違って筆跡を変える事なく手紙を認めていく。
「っ……」
どうしてか書きながら涙が込み上げて来た。もっと気軽に嘘を楽しめる人間だったら良かったのに。そうしたらスケアリーともっと話せていた。
今出せば明日には届くだろうか。レシレタなのでスケアリーが何時受け取るか分からないが、この気持ちが早く届けば良い。
そう思いイヴェットは、封筒とお気に入りの霧用ランタンを持ってこっそりと窓から抜け出していた。
***
「あ」
下校途中に抱いた違和感をノア・クリストフが思い出したのは、クロス家の浴槽に浸かってヴァージニアのようにボーッとしていた時だった。
以前ラジオの豆知識コーナーで、「シャワー中に仕事等の良いアイデアを思い付く現象をシャワー効果と言う」とやっていたが、あれは入浴中の閃きにも通じる物があるようだ。
同時に。
自分が思い出した事が正しいのなら、それはとても恐ろしい事だった。
ゴードンとフレッドが切り裂きジャックに狙われた理由。
それはやはり赤毛の男子生徒──自分が被害者候補に入る物だったのだ。
そして。
「ヴェンツェルさんが……切り裂きジャック?」
クロス家に避難したのも、正しかったのだ。ポツリと呟いた言葉は震えていた。
可能性としてはある。
──模擬手術は献体だからどれだけ弄っても大人しいし……。
ヴェンツェルの言動を個性ではなく殺人鬼として受け取れば、それらしいところは確かに多い。ラジオで度々予想されている犯人像通り、解剖知識もある。
けれど違っている可能性だって十分ある。寧ろ違っていて欲しい。そもそもたった1つ思い出しただけで、高校生がどうして事件の真相に辿り着けようか。
偶然だ。そんなわけがない。
あれはきっとただの趣味だ。趣味だとしても嘘を吐いていて悪趣味ではあるけれど。
先程から震えが止まらないのは、きっと怖いからだ。確かな可能性があるだけに無視出来なかった。殺人鬼が次狙っていたのが、自分であるかもしれない事が。
「ドミニクー! ドミニクー!」
気付けば脱衣場に出て、親友の名前を呼んでいた。次の行動に移りやすいようにバスタオルで体を拭きながら。
「ん~?」
少しして返って来たのは、若干眠そうなドミニクの声。
「ちょっと電話借りて良い?」
「良いけど、どしたの? うちの電話でイヴェットさんにラブコールする?」
親友のモスグリーンのスウェットを急いで着て、扉を開けて含み笑いを浮かべているドミニクを睨み付けた。
「ちげぇよ。切り裂きジャックの事で思い出した事があって。警察に電話したいんだ」
自分の表情が何時もよりずっと真剣である事に気が付いたのか、ニヤけていたドミニクが面食らったとばかりに目を丸くする。
「えっ……。勿論良いよ、どーぞ。あっ、2階のリビング妹達居てうるさいから3階の子機使って。……あっそれってもしかしてコーヒーの時の? えっえっそんな凄い事だったのコーヒー? うっわー……えー……」
ドミニクの眉が下がり、不安げに青い瞳が揺れた。「有り難う」と礼を言い、言われた通り3階へ向かう。ドミニクの家は1階が床屋で、2階と3階が居住スペースだ。
階段を上って直ぐのところにある子機を取り、早速エルキルス警察署に電話をかけた。すぐに出た女性に頼んで、顔見知りが増えてきた刑事課に回して貰った。
10秒程間があった後、ブツリと受話器の向こうから反応があった。どうやら繋がったようだ。
『はい、お電話替わりました……。刑事課の、ダンフィードです……』
電話に出たのは知っている声だった。
声は小さいが普段より吃っていない。内心心臓が破裂しているかもしれないと思うと、僅かに肩の力が抜け目が僅かに細まった。
「あ、クルト? ノアだ」
『ノア? ……良かった、ノアで。えっと……どうしたの?』
「切り裂きジャックの事で思い出した事があって……いや違ぇかもなんだけどさ……とにかく、調べて欲しい事があるんだ。……僕と一緒に聴取を受けた、ヴェンツェルさんの事を」
その名前を聞いた時、受話器の向こうから息を呑む音が聞こえてきた。
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