蒸気の中のエルキルス

上津英

文字の大きさ
97 / 108
第5章 それは追い詰められた蒸気のように

2-48 「なんだアンリ君、ティナちゃんの事狙ってたんか?」

しおりを挟む

 準備を終え家を出てミトズロッドに向かう。ミトズロッドの周辺にはご丁寧な事に警察官が多いので、作業服を着て行った。工業区に近いのでコンテナをキャリーケースに乗せていても幸い怪しまれにくい。
 ミトズロッドの前には本屋がある。雑誌を立ち読みする振りをしながら監視を続けた。
 霧があるのでこの距離でノアを探せるか心配だったが、薄い霧だったので意外と問題無かった。

(やっぱりこの霧中途半端だなあ……どうする? ルイリーフまで尾行した方が確実かな。馬車代はあるんだし──お)

 独り言を堪えて考えていると、視界に赤色の頭が飛び込んできた。
 ノアだ。
 顔は良く見えないが背格好があの少年である上、隣には茶髪の少年も居る。間違いないだろう。
 本屋を出て尾行を開始しようと思い、目を丸くした。

(えっ!? そっちはルイリーフじゃないけど……!?)

 ノア達は、ルイリーフとは反対側の工業区へ歩き始めたのだ。
 予想外の行動に動揺してトランクの持ち手を握る力がギュッと強くなる。

(おいどこ行くんだよ! 今日は止めるか? だけどそれはスケアリーにまた詰られそうだし……今更他を見繕うのもな)

 見失わないよう着いていきながら頭をフル回転させる。
 色々な事を思うと今日ノアを誘拐したかった。あまり時間を掛けてはノアは両親が帰って来てしまうし、それも面倒だ。
 歴史に残る殺人鬼は、不測の事態にも柔軟に対応してきた筈。この状況を打破する方法も必ずある。

「クリストフさん、早く教会行きたいですかーー?」

 悩んでいる自分の耳に入って来たのは、茶髪の友達の不貞腐れた声。どうやら彼等は川沿いの教会に行くようだ。

 ──この辺りだと教会の前の道が、川と工業区と生活排気の影響で特に霧が出やすいんですよ。

 その時思い出したのは、いつかノアに道案内された時に教えて貰った言葉。
 ノア達はその道を行くのではないか。
 そうだ、そうに違いない。
 自分も何回かあそこは通った事があるが、あの辺は確かに霧が濃い。

(そっかぁ……よし、ならイケる。逃がしてやるもんか)

 出口が見えてスッキリした。
 赤い頭の後を追いながら、余裕が出てきたヴェンツェルはにんまりと笑みを深めていた。

***

 シーソルト味。ビネガー味。ブラックペッパー味。
 折角山程ポテトチップスを持って行くのだから、色々な種類を持って行こうと思った。
 人間の味覚と言うのは昔から変わらない。最古の調味料と言われる酢が今も愛されているのがその証拠だ。
 これだけロングヒットフレーバーを揃えれば、河原にいる人達もエンリケの事を忘れてアルコールを楽しんで貰えるだろう。缶ビールも、ビーフジャーキーも、毛布も揃えた。

 幼馴染のキャリーケースを拝借しポテトチップスが砕けぬ程度に荷物を詰め込んだ後、アンリ・アランコは黒いキャリーケースをガラガラ引き、夕焼け空に変わりつつある中川沿いの道を歩いていた。
 ティナに依頼した時も朝のこの道を通ったが、この道は何時通っても変わらず長閑だ。あの時と違う事と言えば空の色と、霧を裂くようにガス灯が働いている事だけだ。

「おっも!」

 土手を下る階段が無い為、重たいキャリーケースを持ち上げて川沿いまで一気に下り、一番最初に視界に現れた中年男性──彼とも飲んだ事がある──に声を掛けた。

「こんにちは」

 浮かない顔の男性は、自分の声に死神に声を掛けられたように肩を跳ねさせた。が、見覚えのある顔に見るからに安心したように目尻を垂れさせら。

「おー、アンリ君。久し振りだな。……エンリケの葬儀の営業にでも来たか?」
「来ませんよ、流石に。俺もショックでしたから」

 表情の割に言葉に棘がある事に苦笑し、キャリーケースを脇に停止させる。

「今日はティナさんに用事があって来たんです。ティナさん居ます?」

 義足の女性の名前を出した瞬間、男性はまた不安そうな表情に戻り首を横に振る。

「ティナちゃんなぁ…………実はティナちゃん、今朝テント片付けて消えちまったんだよ」
「え?」

 消えた。
 思ってもいなかった展開に何度も瞬く。

「朝の内にどっか行っちまったみてぇで、魔法のように消えちまった。ワンタッチテントだったし誰も気付かなかったよ」

 ティナは自分が居ない可能性を確かに示唆していたが、それは単に日中居ないと言うだけの意味だと思っていた。文字通り居なくなるとは少しも予想していなかった。
 どうしてこのタイミングで消えたのだろう。
 このポテトチップス達はどうしよう。
 頭どころか動きすら止まった自分を見て、男性が楽しそうに鼻を鳴らした。

「なんだアンリ君、ティナちゃんの事狙ってたんか?」
「違います! 仕事を頼んでいたんですよ。今日はその報酬を渡しに来たんです」

 否定をしホラッとキャリーケースを男性に見せた。男性は自分の反応に可笑しそうに肩を揺らしていた。

「そうかい。に、してもティナちゃんどうしたのかねえ……。テントが無ぇっつっても、エンリケみたいに狙われたんかねー美人さんだったし」
「綺麗なのは確かですけどそれは無いでしょ、ティナさんですよ? あの義足だってどうせ改造でしょう? 最大限に脚力高めた義足で蹴られたら誰だって逃げますよ」
「それもそうだな、ティナちゃんだし」

 言われてどこか腑に落ちたように男性が頷いた。どうやらティナの隙の無さはこの河原でも有名だったようだ。

「居ないなら仕方ないですね。じゃあ、これ代わりに貰っておいて貰えますか? お金は皆さんで分配して下さい。実はティナさんに言われていたんですよ、もし自分が居なかったらこれは河原の人に渡しておいてくれって」
「って事はティナちゃん、端から居なくなる気だったのかねえ。有り難く貰っておくよ」

 良い返事が貰えたのでその場にしゃがみ込み、キャリーケースを開け中身を取り出していく。何も言わずユスティンの部屋から拝借したキャリーケースなので、置いて帰る訳にはいかない。

「どうでしょうねー……あの人の事は良く分からないです。男性的だったり女性的だったり、何考えてるか分からない不思議な人でしたから」
「確かに、ここじゃ居ないタイプだったな。つかこんなに何依頼したのさアンリ君」

 ジャンヌからのお小遣いが1割入った封筒を見ながら目を丸くする男性にただ愛想笑いを返し、最後の毛布を取り出してキャリーケースを空にした。

***

「良いな~ガールフレンドの手料理良いな~」

 じめっとねちっこく言うドミニクは、朝から下校中の今に至るまでずっとその話をしていた。
 拗ねきっているのでしかも声が大きい。おかげでノア・クリストフはすっかりガールフレンドが居る人間に格上げされた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...