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第一章 エルキルスの人々
1-6 「じゃ、進言すっかな。それでいいか?」
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誰か一人知っていたとしても、他の人は知らないと言われてしまう。これは被害者である可能性が濃厚な六人のみ載せたポスターなので、もう被害者は無差別に連れ去られているのではないかと思えてきた。
これから署に帰るので、捜査方針を見直すように上に進言しようかと思う。詐欺なら囮捜査も可能だが、このケースでは囮捜査は出来ない。住民への影響が大きい事件なのでいつまでも骨を折っていられない。
「クルトー、俺思うんだけどな」
公園近くの細い路地を歩きながら、リチェは隣の後輩に話しかける。気付けば肌寒くなっていた。名前を呼ぶと黒髪の後輩がゆっくりとこちらを向き、髪と同じ漆黒の瞳が自分を映す。
「俺ら結構聞き込みしたよな? ここ一週間くらい、家にも帰らないで、寝る間も惜しんで」
こくり、とクルトの首が縦に振られる。
「地域課や交通課の人間も聞き込みしてくれてる。これで何にも見えて来ないんだから、捜査方針が間違ってるんじゃないか? 聞き込みは縮小して、被害者の居場所を探したり不審船や半グレの監視に人員を割いた方がいいんじゃないかって思うんだ。どう思う?」
後輩に問いかける。隣を歩いている少年は一度瞬いた後、躊躇いがちに唇を動かした。
「……俺、は……もう少し聞き込みしてもいいと思う、けど…………でもリチェがそう思うなら、捜査方針を変えるのも有りだと、思う……」
用件を言い終えるなりクルトは自分から顔を背ける。その様子が近所に住む幼児に似てて、肩を揺らして笑った。
「どっちだよ」
クルトはもう何も言わなかった。俯いたきり一言も喋ろうとはしない。
リチェは友人が多い。仕事が無い日は友人と過ごしているし、蒸気機関車の中で知り合いとばったり顔を合わせることも少なくない。クルトを悪く言う同僚よりも、人と接している自負があるからこそ思う。
クルトはきっと、生焼けを恐れた結果焼きすぎたパンのように極端な人見知りだ。地方の小さな村出身らしいし人に慣れていないのだろう。
「じゃ、進言すっかな。それでいいか?」
一拍後、クルトが頷いたのを確認し、リチェは目を細め一度空を仰ぐ。先程、エルキルス中央公園にある蒸気時計から電子音が鳴ったので、今は十九時過ぎだろう。これから本格的に夜がやってくる。今晩は女性が被害に遇わなければいい。
顔を戻すと、クルトが不思議そうに公園を見ていた。ん? と思い自分も公園に視線を向け、納得した。公園に人がたくさん集まっているのだ。それも、豚がまるごと入りそうな鍋を囲んでテントを張っている。
「あ、今って月末なのか。あれが何だか知ってるか?」
「ううん。……なに?」
ようやくこの後輩とも会話が出来てきた。リチェは胸を張って、口元をにやつかせながら言う。
「あれはな、大手の造船工場がイメージアップの為に毎月やってる炊き出しだ。家がない人は勿論、夕飯を作るのが面倒臭い人や共働きの家庭まで、並べば誰だってカレーを配って貰えるんだ。その場で食べてもいいし、持ち帰ってもいい。ボランティアも募ってさ、結構金かけてやってるんだよ。今日はさすがに女性スタッフは居ないだろうけど」
ふぅん……と後輩は小さな声で相槌を打ち、人と目が合ったのか慌てて顔を逸らしていた。
先月、リチェはこの炊き出しでボランティアをしているアンリという青年に職務質問をした。教会で働いていると言う珍しい人物だったのでよく覚えている。包丁ケースを持っていたあの青年は、今月もここで玉ねぎを切っているのだろうか。
リチェは眼鏡をかけていても目が悪いので、探してはみたが、焦げ茶色の髪をした青年の姿は確認出来なかった。
***
寝坊した。
アンリ・アランコはエルキルス教会の二階にある子供部屋で、壁掛け時計を見上げて絶句した。
十五分のつもりが、まさか一時間も寝坊するとは。この部屋は外に面していないので、たまにこうして時間感覚が飛ぶ。
一瞬、このまま今日公園で開かれる炊き出しのボランティアは休もうかという考えが頭を過る。公園近くの喫茶店に電話をして休む旨を伝えて貰うよう頼み込めばいい。だがそんなズル休みみたいな事は出来ない。まだ調理を始めた頃だろうから、走っていけば配膳にはギリギリ間に合う筈だ。
アンリは急いでお気に入りの黒色の作業服を身に付け、鍵とゴーグルを掴んで部屋を飛び出した。今回は必要ないだろうが、軽い度付きゴーグルは玉ねぎを切る時に重宝するので念の為頭に掛けておく。二段飛びで階段を降り、鍵を開けて教会の外に出て──足が地面を削る程急ブレーキをかけた。
「うあっ!?」
「わっ!」
扉を開けたすぐそこに、幼馴染みのユスティンと、その姪のイヴェットが居たのだ。おかげで完全に目が覚めた。
「あ、アンリさん~っ! びっくりさせないでよもー!」
「ごめんイヴェットちゃん! 急いでてっ!」
口早に謝り教会の鍵を閉める。教会の施錠は事務員である自分の仕事なので、これはキチンとしなければいけない。
「アンリ、今から公園に行くんですか? ……寝坊ですか? 感心しませんね」
「うるさい反省してるっての。じゃあ俺行くから!」
向き直り、幼馴染に言い返す。二人は紙袋を持っていた。きっと今日の夕飯だろう。
「あっ、アンリさん」
走ろうと一歩前に出たら、イヴェットに呼び止められた。
「懐中時計壊れちゃったんだけど、直してくれない?」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとして僅かに表情を固くする。これはチャンスだ。アンリは笑顔を張り付けながら手を上げて応える。
「いいよ、帰ったらね! じゃあ!」
「有り難うー!」
もう一度手を振り、アンリは川沿いの道に飛び出す。整備されていない道に勢いよく出た為、砂利が擦れ合う音が耳に届いた。
***
もうエルキルス教会だ。白塗りの壁が特徴的な建造物を見て、ノア・クリストフは一度深く息を吸う。
これから署に帰るので、捜査方針を見直すように上に進言しようかと思う。詐欺なら囮捜査も可能だが、このケースでは囮捜査は出来ない。住民への影響が大きい事件なのでいつまでも骨を折っていられない。
「クルトー、俺思うんだけどな」
公園近くの細い路地を歩きながら、リチェは隣の後輩に話しかける。気付けば肌寒くなっていた。名前を呼ぶと黒髪の後輩がゆっくりとこちらを向き、髪と同じ漆黒の瞳が自分を映す。
「俺ら結構聞き込みしたよな? ここ一週間くらい、家にも帰らないで、寝る間も惜しんで」
こくり、とクルトの首が縦に振られる。
「地域課や交通課の人間も聞き込みしてくれてる。これで何にも見えて来ないんだから、捜査方針が間違ってるんじゃないか? 聞き込みは縮小して、被害者の居場所を探したり不審船や半グレの監視に人員を割いた方がいいんじゃないかって思うんだ。どう思う?」
後輩に問いかける。隣を歩いている少年は一度瞬いた後、躊躇いがちに唇を動かした。
「……俺、は……もう少し聞き込みしてもいいと思う、けど…………でもリチェがそう思うなら、捜査方針を変えるのも有りだと、思う……」
用件を言い終えるなりクルトは自分から顔を背ける。その様子が近所に住む幼児に似てて、肩を揺らして笑った。
「どっちだよ」
クルトはもう何も言わなかった。俯いたきり一言も喋ろうとはしない。
リチェは友人が多い。仕事が無い日は友人と過ごしているし、蒸気機関車の中で知り合いとばったり顔を合わせることも少なくない。クルトを悪く言う同僚よりも、人と接している自負があるからこそ思う。
クルトはきっと、生焼けを恐れた結果焼きすぎたパンのように極端な人見知りだ。地方の小さな村出身らしいし人に慣れていないのだろう。
「じゃ、進言すっかな。それでいいか?」
一拍後、クルトが頷いたのを確認し、リチェは目を細め一度空を仰ぐ。先程、エルキルス中央公園にある蒸気時計から電子音が鳴ったので、今は十九時過ぎだろう。これから本格的に夜がやってくる。今晩は女性が被害に遇わなければいい。
顔を戻すと、クルトが不思議そうに公園を見ていた。ん? と思い自分も公園に視線を向け、納得した。公園に人がたくさん集まっているのだ。それも、豚がまるごと入りそうな鍋を囲んでテントを張っている。
「あ、今って月末なのか。あれが何だか知ってるか?」
「ううん。……なに?」
ようやくこの後輩とも会話が出来てきた。リチェは胸を張って、口元をにやつかせながら言う。
「あれはな、大手の造船工場がイメージアップの為に毎月やってる炊き出しだ。家がない人は勿論、夕飯を作るのが面倒臭い人や共働きの家庭まで、並べば誰だってカレーを配って貰えるんだ。その場で食べてもいいし、持ち帰ってもいい。ボランティアも募ってさ、結構金かけてやってるんだよ。今日はさすがに女性スタッフは居ないだろうけど」
ふぅん……と後輩は小さな声で相槌を打ち、人と目が合ったのか慌てて顔を逸らしていた。
先月、リチェはこの炊き出しでボランティアをしているアンリという青年に職務質問をした。教会で働いていると言う珍しい人物だったのでよく覚えている。包丁ケースを持っていたあの青年は、今月もここで玉ねぎを切っているのだろうか。
リチェは眼鏡をかけていても目が悪いので、探してはみたが、焦げ茶色の髪をした青年の姿は確認出来なかった。
***
寝坊した。
アンリ・アランコはエルキルス教会の二階にある子供部屋で、壁掛け時計を見上げて絶句した。
十五分のつもりが、まさか一時間も寝坊するとは。この部屋は外に面していないので、たまにこうして時間感覚が飛ぶ。
一瞬、このまま今日公園で開かれる炊き出しのボランティアは休もうかという考えが頭を過る。公園近くの喫茶店に電話をして休む旨を伝えて貰うよう頼み込めばいい。だがそんなズル休みみたいな事は出来ない。まだ調理を始めた頃だろうから、走っていけば配膳にはギリギリ間に合う筈だ。
アンリは急いでお気に入りの黒色の作業服を身に付け、鍵とゴーグルを掴んで部屋を飛び出した。今回は必要ないだろうが、軽い度付きゴーグルは玉ねぎを切る時に重宝するので念の為頭に掛けておく。二段飛びで階段を降り、鍵を開けて教会の外に出て──足が地面を削る程急ブレーキをかけた。
「うあっ!?」
「わっ!」
扉を開けたすぐそこに、幼馴染みのユスティンと、その姪のイヴェットが居たのだ。おかげで完全に目が覚めた。
「あ、アンリさん~っ! びっくりさせないでよもー!」
「ごめんイヴェットちゃん! 急いでてっ!」
口早に謝り教会の鍵を閉める。教会の施錠は事務員である自分の仕事なので、これはキチンとしなければいけない。
「アンリ、今から公園に行くんですか? ……寝坊ですか? 感心しませんね」
「うるさい反省してるっての。じゃあ俺行くから!」
向き直り、幼馴染に言い返す。二人は紙袋を持っていた。きっと今日の夕飯だろう。
「あっ、アンリさん」
走ろうと一歩前に出たら、イヴェットに呼び止められた。
「懐中時計壊れちゃったんだけど、直してくれない?」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとして僅かに表情を固くする。これはチャンスだ。アンリは笑顔を張り付けながら手を上げて応える。
「いいよ、帰ったらね! じゃあ!」
「有り難うー!」
もう一度手を振り、アンリは川沿いの道に飛び出す。整備されていない道に勢いよく出た為、砂利が擦れ合う音が耳に届いた。
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もうエルキルス教会だ。白塗りの壁が特徴的な建造物を見て、ノア・クリストフは一度深く息を吸う。
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