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第三章 新たなる被害者
1-18 「おい、大丈夫か?」
しおりを挟む自分が捜査方針の変更を提案した事もあり、後輩以外の同僚は外に出たまま帰って来ていない。後輩も部屋の外に出て行ったっきり帰ってこず、もう何十分も一人でいる。
そう思っていただけに。
「叫ばないで」
「おあぁっ!?!?」
背後からクルトの声が聞こえ、心臓が口から飛び出そうな程驚いた。
がばっと顔を上げ振り返ると、そこには変わらず無表情なクルトが立っていた。ノックにも扉が開いた音にも気付かなかったとは、完全に油断していた。
「おま、お前、いつ戻ってきたんだよっ!」
失態を隠すように突っかかってみたが、後輩は自分の問いを無視して口を動かす。
「廊下で署長から工業区へのパトロール命令が出て……また、今さっき連続連れ去り事件が発生して、高校生が誘拐されたって。その馬車は工業区に行ったって話があって……今俺達しか居ないから……えっと、だから工業区に行こう」
「またかよ!? 分かった女の子の為だ早く行こう!」
頷くと横顔しか見えない黒髪の少年はどことなく目を細め、先に扉を開けて廊下に出て行った。自分も制服を正し、ずり落ちかけている眼鏡を直して、慌ててクルトの後を追い早速馬車に乗り込んだ。
着席し、そこでふと、この後輩は工業区の現状に詳しくないのではと気付いた。
自分より真面目とは言え、クルトは中央公園の炊き出しも知らなかった地方から出てきたばかりの新入りだ。自分は連続連れ去り事件を担当する前は工業区のちょっとした事件を担当していたので、クルトよりも工業区に詳しい自信がある。
「お前さ、工業区の事知ってる? 半グレが多いとか、治安が悪いとか」
予想通り首を左右に振られたので、せっかくだし先輩風を吹かそうと思った。
「こほんっ。工業区はエルキルスの中でも一等治安が悪いんだよ。混んでるし、色々な店が集まってるし。倉庫や廃工場もあって半グレの溜まり場に最適なんだ。しかもここの半グレ、未成年が多いんだよ。未成年ってのは厄介なんだよ~親よりも何よりも、法が守ってくれるから」
馬車に乗っていたり待機している時、リチェは指先を動かす癖がある。今も取り出したマッチの箱を指でなぞっている。普段から好んで煙草を吸いはしないが、休憩の言い訳に役立つので、常に煙草とマッチは持ち歩いていた。
クルトの反応は無かったが、リチェは気にせず口を動かした。
「だからさ、怖い物が無いし抜け穴も知れ渡ってる。それに親が子供に甘い有力者だったり逆に無関心だったりするから、捜査は遠回りせざるを得ない時がある。麻薬取引から殺人の疑惑もある黒い奴らなんだが、トカゲの尻尾切りが上手いしころころアジトを移すから、決定打を打てないんだ。工業区に馬車が行ったなら、俺は女の子を誘拐したのがそいつらの可能性が高いと踏んでる」
「……もし。その人達が犯人なら、被害者を売り飛ばすのは…………簡単だろうね」
「売り飛ばすで済めばいいさ。殺されてたら可哀想にも程がある。夜の闇に隠れれば死体なんて幾らでも隠せるし、粉砕機にかけて牛の餌にでも混ぜりゃあっという間に完全犯罪の出来上がりだ」
警察官の制服を着始めた頃取調室で聞いた話を口にする。
クルトが言ったように、被害女性達を売るなんてことはこのグループには朝飯前だろう。
陸路だろうと海路だろうと足のつかない売買ルートを確保している筈だ。それなら、被害者と思われている女性達が一様に若いのも納得がいく。
殺人は勿論、人身売買なら被害女性は今後涙に暮れる人生を歩まなければいけない。工業区で何か大きく事件が進展しますように。
馬車が揺れる音だけが聞こえる箱の中、視線を街に向けたリチェは心からそう思った。
***
早く、早く、教会に。
そればかりが頭を占め、ノア・クリストフはこれっぽっちも落ち着けなかった。焦ったところで馬の足が早くなるわけなく、無意識に床板をとんとんと蹴ってしまう。
窓から覗く景色に白い建物が見えだし、待ち望んだ太陽がやっと出た時のように表情をパッとさせ、隣に座っている青年の方を勢い良く向いた。
と、焦げ茶色の髪の青年は、何やら手帳に文字を書いていた。
今? と毒気を抜かれてアンリを見ると、自分の視線に気が付いたアンバー色の瞳と手帳がこちらに向けられた。
『誠に勝手ながら牧師の都合が付かず本日の礼拝は休ませて頂きます、申し訳ありません』
そうとだけ書かれた手帳のページを開きながらアンリが薄く笑う。
「ユスティンも連れて行くんだから、準備はしておかないとね」
「そう、だな。……つかアンリ字汚くね? 事務なのに」
その言葉に頷きつつ、角度とバランスがおかしい字の事を指摘すると、アンリが嫌そうに唇を尖らせた。
「……うるさいな、ノア君さ可愛くないってよく言われない? 揺れる馬車で書いた文字が綺麗な人なんて居ないのそもそも文字なんて伝達手段伝われば良いんだよ伝われば!」
反論を許すまいと一息で言い、手帳のページをビリっと破きアンリは立ち上がる。
「運転手さん! 五分くらいここで待っててください! すぐ戻ります!」
運転席に向かってアンリは声を張った後、教会手前の道端に停車した馬車から降り、走って教会に向かっていく。
自分も教会に行った方が良いのではないかと思った。ユスティンには第三者がいた方が良さそうだし、何なら二人が話をしている間自分が貼り紙を作り直したい。
「悪ぃ僕も行くわ! すぐ戻るからちょっと待っててくれ!」
御者に向かって声を張った後自分も馬車を飛び出した。白いタイルが敷き詰められた敷居を進み、アンリが消えた扉を開け中に滑り込む。
「おい何か手伝う……ぞ」
中に居る二人に声を掛けようとしたが、目の前の光景を見て言葉を飲み込んだ。黒い牧師服を着た金髪の青年が、アンリの頬に右ストレートを入れていたところだったのだ。
「っ!」
殴られたアンリが一歩後ろに後退し、思わず自分もぎゅっと目を瞑る。
「何の為にアンリにお願いしたと思っているんですか!」
「いったいなぁ、この姪馬鹿!! それは俺だって猛省してるっての! だから今から工業区に助けに行くんだよ! お前も勿論来るだろ!? じゃあ外に馬車待たせてるからそれ乗れよ、詳しい話はそれからするからっ!」
アンリが負けじと声を張って続けると、ユスティンの眉間に皺が寄った。何か言いたげに口をもぐつかせたものの、すぐにアンリから視線を外し扉を開けて外に出ていく。
「あー痛っ……あいつ本気で殴ったな……」
扉が開いたままのホールで、頬を赤くさせたアンリが眉を歪め呟き、ホールに置いてある長机の引き出しから画鋲を取り出す。その姿を見ながらそっと声を掛けた。
「おい、大丈夫か?」
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