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第五章 工業区
1-31 「早速教会に行くぞ。着替えはそこでしてくれ」
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「僕そいつ見たことあるかもしんねぇ! 前苺オレの髪したガキに、イヴェットがスクールバッグ引ったくられかけたんだよ! そいつ体格良くなかったか?」
「えっ……良かったよ、……本当?」
「ああ、けどそいつ今もエルキルスに居んのかな」
「リチェはさ、その未成年達は親が有権者、って言ってた。そういう人達は遠方に行かない……親あってだし、警察を舐めてるから、近くに居る傾向にある」
「んじゃ今も工業区に居んのか?」
「断言は出来ないけど……探す価値はあるよ」
驚いていたクルトの目付きが鋭くなる。拗らせてはいるが、この少年も立派な警察官なのだと再認識させられた。
「なら探し出すしかねぇな。……そうだ。アンリ、アンリんとこ行くぞ!」
「えっ? ……誰? なんで?」
アンリの名前を出した途端、クルトの表情が引き攣った。
「あーと、エルキルス教会の事務員でユスティンの友達だ。昨日のラジオを作ったの、その人なんだよ」
「あ、分かった、うん……」
どう言ったらいいものか悩み、己の髪をわしゃわしゃと乱す。
「あの人は馬鹿高い部品で発信機を作ってる。今も持ってるはずだから借りよう。発信機とこいつを使ってそいつらの居場所を抑えられないかな」
にっと笑ってスクールバッグを指差した。一度引っ手繰っているのなら、もう一度引っ手繰ってもおかしくはない。鞄に発信機を仕込んで、昨日の要領でアジトを突き詰めればいい。
「おとり捜査……?」
「に、なっかな! 昨日ドラマで警察の総プラ製品は持ち出す手続きがめんどい、ってやってた。だったら持ってる個人に借りた方が早いだろ?」
「うん。今はそれに賭ける、けどさ……」
クルトの表情が次第に頼りなくなってくる。人間味のあるその表情が不思議で、どうした、と尋ねると、クルトは今着ている警官服をつまんだ。
「ノアの横に俺やリチェが立ってたら、誰も引ったくらないと思うんだけど……そこはどうするの?」
「そんなんお前も制服着りゃ済む! リチェは今回抜きだ」
「えええぇ……っ!?」
自分の言葉に、この少年にしては珍しく目を見開いて驚いていた。即座に首を横に振られたので、ぽんと肩に手を置いて諭す。
「まあお前はもう社会人だけど、少し前までは制服着てたろ? 何も問題ねぇよ。今返したシャツ着てればそのズボンでもいけるって!」
「うーん…………うん」
クルトは受け取ったばかりのシャツを数秒眺めていたが、暫くして決心が付いたらしく力強く頷いた。
「早速教会に行くぞ。着替えはそこでしてくれ」
スクールバッグを持って出入口に向かおうとした所、クルトに首を横に振られた。何事かと思い振り返ると、通りすがりの女性警官をクルトが呼び止めていた。
「あの、………………外に出る、ってリチェに、伝えておいて……くれますか」
視線は合わせていなかったが、苦手だと言っていた敬語で話しかけている。話し掛けられた女性も同じことを思ったのだろう。幽霊に話し掛けられたかのように驚き、口をポカンとさせていた。
「う、うん、分かった。伝えておくよ」
女性は吃りながらも頷く。視線を落とした少年は自分に「行こう」と告げてきた。そうだな、と頷き、いまだポカンとしている女性の前を通って出入口を抜ける。
すぐ近くに煙突があるせいで蒸し暑い。
「こっちのが近いぞ!」
駅前から教会に向かおうとしたクルトを呼び止め、クリニックの横の道を指差した。
「……ごめん」
「いや良いって。それより、お疲れ様」
ピタリと足を止め自分が示した道へ方向転換する樣を見ながら、ノアは具体的なことは言わずに目の前の少年に労いの言葉をかけた。クルトは最初何を言われているか分からなかったようだが、すぐにピンときたのがどこか誇らしげに目を細めて首を縦に振る。
夕方のエルキルスは、蒸気がまだ可視化されていない。見通しのいい道を、ノアは駆け足で抜けていった。
***
いつもなら空き時間リチェ・ヴィーティは違う課に顔を出しているが、今日は何もする気が起きなかった。
書類はクルトが殆ど片付けてくれていた。無線も細かい連絡をするには向かないし、課長が情報を持って帰ってこない内はどうにも動けない。昔は主流だった携帯電話も、維持の都合今は消えている。
暇だった。先程からこんこんこん、と指先でリズムを刻んでいる。
「……寝るかっ!」
何も考えたくない、と脳が休みたがっていた。すぐにでもクルトが起こしてくれるだろうし、少し休憩しよう。
そうと決まればすぐにデスクに突っ伏す。無機質な感触が皮膚に当たるし、ベッドよりも数倍寝心地が悪いが、嫌いではない。
この感覚ももう味わえなくなるのかと思うと、自分の腕で出来た暗闇の中唇を結んでしまう。残念ではあるが、早々に受け入れた方が諦めもつく。
その時、誰かがとんとんと扉をノックする音が聞こえてきた。クルトが帰ってきたのだろう。
「入ってまーす」
突っ伏したままではあるし適当だがそこは律義に返事をした。
「……ちょっ、リチェさぼるなー!」
開いた扉から聞こえてきたのは、クルトではなく女性の声だった。この声は総務課の同期だと分かり、僅かに顔を上げ努めて笑顔で返す。
「どうした? 俺に会いたくなった?」
「ばーか。さっき下でクルト君からリチェに言伝を頼まれたの。ちょっと外に出るって、赤毛の学生と一緒にどっか行っちゃった。クルト君から話し掛けられたの初めてだったからビックリしたよ、じゃあそれだけ」
用件を伝えると女性はさっさと部屋から出ていってしまった。
「クルトが? 話しかけたぁ? お前に?」
じゃがいもが木に生ったと聞かされた気分だ。
「えっ……良かったよ、……本当?」
「ああ、けどそいつ今もエルキルスに居んのかな」
「リチェはさ、その未成年達は親が有権者、って言ってた。そういう人達は遠方に行かない……親あってだし、警察を舐めてるから、近くに居る傾向にある」
「んじゃ今も工業区に居んのか?」
「断言は出来ないけど……探す価値はあるよ」
驚いていたクルトの目付きが鋭くなる。拗らせてはいるが、この少年も立派な警察官なのだと再認識させられた。
「なら探し出すしかねぇな。……そうだ。アンリ、アンリんとこ行くぞ!」
「えっ? ……誰? なんで?」
アンリの名前を出した途端、クルトの表情が引き攣った。
「あーと、エルキルス教会の事務員でユスティンの友達だ。昨日のラジオを作ったの、その人なんだよ」
「あ、分かった、うん……」
どう言ったらいいものか悩み、己の髪をわしゃわしゃと乱す。
「あの人は馬鹿高い部品で発信機を作ってる。今も持ってるはずだから借りよう。発信機とこいつを使ってそいつらの居場所を抑えられないかな」
にっと笑ってスクールバッグを指差した。一度引っ手繰っているのなら、もう一度引っ手繰ってもおかしくはない。鞄に発信機を仕込んで、昨日の要領でアジトを突き詰めればいい。
「おとり捜査……?」
「に、なっかな! 昨日ドラマで警察の総プラ製品は持ち出す手続きがめんどい、ってやってた。だったら持ってる個人に借りた方が早いだろ?」
「うん。今はそれに賭ける、けどさ……」
クルトの表情が次第に頼りなくなってくる。人間味のあるその表情が不思議で、どうした、と尋ねると、クルトは今着ている警官服をつまんだ。
「ノアの横に俺やリチェが立ってたら、誰も引ったくらないと思うんだけど……そこはどうするの?」
「そんなんお前も制服着りゃ済む! リチェは今回抜きだ」
「えええぇ……っ!?」
自分の言葉に、この少年にしては珍しく目を見開いて驚いていた。即座に首を横に振られたので、ぽんと肩に手を置いて諭す。
「まあお前はもう社会人だけど、少し前までは制服着てたろ? 何も問題ねぇよ。今返したシャツ着てればそのズボンでもいけるって!」
「うーん…………うん」
クルトは受け取ったばかりのシャツを数秒眺めていたが、暫くして決心が付いたらしく力強く頷いた。
「早速教会に行くぞ。着替えはそこでしてくれ」
スクールバッグを持って出入口に向かおうとした所、クルトに首を横に振られた。何事かと思い振り返ると、通りすがりの女性警官をクルトが呼び止めていた。
「あの、………………外に出る、ってリチェに、伝えておいて……くれますか」
視線は合わせていなかったが、苦手だと言っていた敬語で話しかけている。話し掛けられた女性も同じことを思ったのだろう。幽霊に話し掛けられたかのように驚き、口をポカンとさせていた。
「う、うん、分かった。伝えておくよ」
女性は吃りながらも頷く。視線を落とした少年は自分に「行こう」と告げてきた。そうだな、と頷き、いまだポカンとしている女性の前を通って出入口を抜ける。
すぐ近くに煙突があるせいで蒸し暑い。
「こっちのが近いぞ!」
駅前から教会に向かおうとしたクルトを呼び止め、クリニックの横の道を指差した。
「……ごめん」
「いや良いって。それより、お疲れ様」
ピタリと足を止め自分が示した道へ方向転換する樣を見ながら、ノアは具体的なことは言わずに目の前の少年に労いの言葉をかけた。クルトは最初何を言われているか分からなかったようだが、すぐにピンときたのがどこか誇らしげに目を細めて首を縦に振る。
夕方のエルキルスは、蒸気がまだ可視化されていない。見通しのいい道を、ノアは駆け足で抜けていった。
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いつもなら空き時間リチェ・ヴィーティは違う課に顔を出しているが、今日は何もする気が起きなかった。
書類はクルトが殆ど片付けてくれていた。無線も細かい連絡をするには向かないし、課長が情報を持って帰ってこない内はどうにも動けない。昔は主流だった携帯電話も、維持の都合今は消えている。
暇だった。先程からこんこんこん、と指先でリズムを刻んでいる。
「……寝るかっ!」
何も考えたくない、と脳が休みたがっていた。すぐにでもクルトが起こしてくれるだろうし、少し休憩しよう。
そうと決まればすぐにデスクに突っ伏す。無機質な感触が皮膚に当たるし、ベッドよりも数倍寝心地が悪いが、嫌いではない。
この感覚ももう味わえなくなるのかと思うと、自分の腕で出来た暗闇の中唇を結んでしまう。残念ではあるが、早々に受け入れた方が諦めもつく。
その時、誰かがとんとんと扉をノックする音が聞こえてきた。クルトが帰ってきたのだろう。
「入ってまーす」
突っ伏したままではあるし適当だがそこは律義に返事をした。
「……ちょっ、リチェさぼるなー!」
開いた扉から聞こえてきたのは、クルトではなく女性の声だった。この声は総務課の同期だと分かり、僅かに顔を上げ努めて笑顔で返す。
「どうした? 俺に会いたくなった?」
「ばーか。さっき下でクルト君からリチェに言伝を頼まれたの。ちょっと外に出るって、赤毛の学生と一緒にどっか行っちゃった。クルト君から話し掛けられたの初めてだったからビックリしたよ、じゃあそれだけ」
用件を伝えると女性はさっさと部屋から出ていってしまった。
「クルトが? 話しかけたぁ? お前に?」
じゃがいもが木に生ったと聞かされた気分だ。
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