ユユラングの幽霊

上津英

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第一話 白髪の少女

1 「……僕も冒険してみようかな」

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第一話 白髪の少女


「ふぅ」

 いましがた本を読み終えたセオドアは、板で作られた簡素な机に本を置き息をついた。登場人物が逆境に立ち向かう様がとても面白かった。
 目を伏せ、刺激的な冒険譚を味わわせてくれた物語の余韻に浸る。
 三階にあるこの狭い部屋は、九回目の誕生日を迎えた際に、物置から書斎へと生まれ変わった。水差しとグラスを持ち込んで一人きりになり、日が落ちるまで物語の世界に入り込む。それが自分の毎日だ。

 一応自分はユユラング伯爵家の次男ではある。
  が、父レイモンドは現役の領主で、補佐役の兄シモンとも十五も違う。
 生まれてきた時にはもう領の基盤はできていた。
 そのため、自分に領の統治を期待をする者は誰もいなかった。
 それもあり、父は基本的に自分の好きにさせてくれた。妻の遺児でもある年がいってから出来た息子は、目に入れても痛くない存在だったようだ。
 十六歳でこうして本ばかり読めるのも、領の象徴である小さな城に住めるのも、父や兄に守られながら、何の責任もない立場にいられるからだ。

「……僕も冒険してみようかな」

 本の余韻に浸りながら呟く。先程の物語のように、島と島とを渡り歩く暮らしは自由で刺激的だ。
 そこまで考えて自嘲気味にほくそ笑んだ。
 父と兄が王都に税を届けている今、一応の留守を預かっているとは言え、基本的に自分は何かに縛られたことがない。そんな人間が思いつきで冒険に出ても、すぐにユユラングに戻るのは目に見えていた。

「セオドア様! セオドア様!」

 その時、親の敵でも殴っているのか、というくらい激しい音で扉を叩かれた。
 大人になりかけの少年の声で名前を呼ばれる。一つ下の御者、アレックスの物だ。
 この部屋がある棟は自分以外滅多に人が来ない。いきなり現れた扉の向こうの存在は、容赦なく自分を現実に引きずり下ろした。
 大きな音にびくりと肩を跳ねさせ、反射的に扉に顔を向ける。

「アレックス? なにか用か?」

 驚きながら応えるとすぐに扉が開いた。赤く染めた上着を羽織り革で出来た膝丈のブーツを履いた、快活そうな少年が見える。
 雪崩が起きたような勢いで部屋に入ってきたアレックスは、愛用の赤い羽根つき帽を床に落としたのにも気が付いていないようだった。

「セ、セオドア様、大変です!」

 そうだろう、と思った。
 金色の髪を乱し息を切らしながら現れたアレックスが、なんの用事もないわけがない

「だろうね」

 クスリと笑い、乳母兄弟でもある御者が床に落とした帽子を立ち上がって拾い、頭に被せる。
 自分も金髪だがアレックスほど綺麗な金髪ではない。亜麻色の強い髪が嫌いで、人に見られるのが苦手だった。

「父上達が王都で騒ぎでも起こした?」

 冗談を口にする。
 いやいや~、と秘密でも共有したかのような含み笑いと一緒に否定されるかと思っていたが、アレックスは返答に詰まったように押し黙ってしまった。珍しい反応に違和感を覚え眉を潜める。

「……まさか、本当にやらかしたのか」

 引き攣り顔で言ったからかアレックスの唇に微かな笑みが浮かんだ。けれどそれも一瞬で、すぐに唇が引き締められる。

「違います」

 これから真面目な話でもするかのように、いつもよりもアレックスの声が低かった。
 さすがにおかしい。
 何かが起きていることを察し、握りしめた拳に力を入れる。

「さっき早馬が飛んできたんです。レイモンド様達が乗っていた船が難破したと」

 次に耳に届いた言葉は、終わるにつれただの音の羅列に聞こえてきた。目を見開いた自覚もあるにはあるが、何時もよりも分からなかった。

「難……破」

 なんとか覚えている単語を繰り返すと、目の前の少年が頷いた。

「はい。一行の遺体が数名、遠方の漁村に上がったとのことです」

 最初冗談を言われているのかと思った。
 しかし乳母兄弟の目が潤んでいくのを見ていくうちに、あの人達が本当に死んだのでは、という気持ちが生まれてくる。

「ち……ちうえと、兄上は」
「レイモンド様とシモン様は、見付かるか見付からないかの話になるかと」

 急に目の前が暗くなっていき、堪えるように唇を噛み締める。瓦礫の上に立っているかのような奇妙な感覚が襲ってくる。
 弟のような少年の前で倒れたくない。その一心で立っていた。血が出そうなくらいの痛みが今は頼もしい。

「……全滅か?」

 全滅、と口に出すとこの報せが真実である気がした。途端に焦点が合わなくなる。視界もぼやけてきた。

「恐らく」

 応えるアレックスは俯いていて、あどけない顔が今どのような表情をしているか見えなかった。
 優しかった父や兄の笑顔が頭を過っていくが、どう反応をしていいか分からなかった。
 信じたくない。信じない。
 その気持ちでいっぱいだった。
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