ウェズリーが真相に気付く時

上津英

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第一章 必然の再会

1 「ご職業を伺っても宜しいですか?」

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第一章 必然の再会

 デヴィッドが殺されたあの日、こちらを見る事無く言われた言葉をよく覚えている。
『儂が死んだらあの箱の中身はリタが守っておくれ』
 だからリタは今片付けきった屋敷の一室で、テーブルの上に載せた箱と睨めっこをしていた。やっとゆっくりこの箱と向き合えた。黒色の立派な箱はきっと購入してきたものだ。わざわざ箱を購入してくるなんて、厳しくも優しい老紳士だった主人らしい。

 しかし、この箱に何が入っているのだろう。一年も仕えていなかったメイドに、誰かに殺された主人は何を守れと言うのか。
 もしこれが主人の死に関する事なら言われた通り守り抜く。そう言い切れるだけに余計緊張した。何もしていないのに真顔の両親に呼び出された時のようで、先程から心臓がバクバク言っている。気持ちを落ち着かせる為一度咳払いをした後、そっと箱に手を伸ばした。勇気を出して箱を開ける。

「…………手紙?」

 無地の白い封筒が一つ、箱の中にぽつんと納まっている。幾らか脱力しながら封筒から一枚の便箋を抜き出す。その時、手紙に挟まっていた何かが滑り落ち、床に落ちるのが見えた。

「えっ?」

 慌ててカーペットに視線を落とす。落下したのは鍵の付いたシンプルなネックレスだった。鍵型のチャーム、というには一般的すぎる形状なので、これが重要な物なのである事をすぐに理解する。身を屈めてそれを拾い手紙に目を通す。

『リタへ。誰にも言う事なく、渡す事もなく、その鍵を守って欲しい。そうしたらきっと儂が死んだ理由が分かるじゃろう。しかし孫のウェズリーの元で働きなされよ。後どうにか孫を霊園に連れて来ておくれ。今まで有り難う、最後にリタに会えて楽しかった』

 今はもう懐かしさすら覚える字を呆然と映す。暫くこの手紙に書かれている事が理解出来なかった。一拍置いてようやく、何とも言えない感情が込み上げてきた。強盗殺人で片付けられたデヴィッドの死は、何かに巻き込まれていたのだ。
 視界が滲みそうになるのを堪える一方、スッ……と頭が冷めていく。手紙に書いてあるもう一つの内容が嫌だったからだ。

「ウェズリー? ……嫌なんだけど」

 思わず素の声が漏れる。デヴィッドの葬式で一瞬会ったあの青年には良い印象がまるで無いのだ。しかし、ウェズリーに会うのは気が重かったが、主人の死の真相が分かるかもしれないなら話は別だ。何に使うか分からないこの薄汚れた鍵も死守する必要がある。
 警察の調査も遺品整理も済んだ。この屋敷も明日新しい主に引き渡される。その後ウェズリーの元に行こう。リタはネックレスを己の首にぶら下げた後、自分に言い聞かせるように強く頷き眠りについた。



 デヴィッドの手紙のせいか、昨日は上手く眠れなかった。おかげでもう寝室の壁掛け時計は十時を回っている。

「……って起ぎねばまいね!」

 リタは声を上げ、勢いよくベッドから飛び出した。独り言だとどうも故郷の言葉が出る。
 引き渡しは十一時、ルミリエ領主ハイディ伯爵立会いの下行われる。引き渡しと言っても新しい主に鍵を渡し、顔を繋ぐだけだ。殺人事件の被害者の屋敷だけあって、特別な方法を取る事になっているらしい。
 慣れた手つきで今まで寝ていた寝台のシーツを取り外し、部屋の隅に置いておいた茶色い旅行鞄に詰め込んだ。家具は残しているが、空っぽになったこの屋敷に今の今まで人が住んでいた事は、もう誰も信じないだろう。寂しいがいつまでも感傷に浸っていられない。朝食を取る事を諦め、十一時の引き渡しに向け身嗜みを整える事にした。

 デヴィッドはこの街で一番有名な建築家だった。シンプルで上品なデザインは広く愛されており、半年前に建てられた王立ルミリエ劇場もデヴィッドが手掛けた物だ。そんなデヴィッドが住んでいた屋敷だからか、すぐに買い手が付いた。

「デヴィッド様はこごで殺されだわげでねけど……すぐ買うなんて節操ねよねえ」

 購入に名乗りを上げた若い女性にぶつぶつ文句を言いながら、リタは服を脱いだ。胸元には昨日から身に着けるようになったペンダントが、朝の光を受け鈍く輝いている。そっと人差し指を伸ばし、鍵の存在を確かめるように軽く突付いた。

「ん? …………煤?」

 指先がうっすらと黒く汚れた。これは何だ? とまず臭いを嗅ぎ、次に親指と人差し指の腹とを擦り合わせる。臭いも、若干伸びた汚れも、黒煙の街と呼ばれているルミリエでは珍しい物では無い。良く見るとこの鍵は全体的に煤で汚れていた。頭のどこかでデヴィッドが殺されたのはこの鍵のせいだと囁いてくる。
 慌ててメイド服を着て鍵を隠し、どこにも視線が無い事を確かめる。窓から初秋の陽光が差し込んでいるだけだったが、すぐにもう一枚カーテンを閉めてしまった。

 そもそも。殺人事件の被害者の家をこうあっさり売り飛ばして良い物なのだろうか。幾ら警察の検分が済んでいるとは言え普通は駄目だろう。そもそもルミリエの警察は出来たばかりで頼りない。デヴィッドが殺された時はまだ自警団だった。首都、王都に続いて取り入れられた組織は、まだまだ自警団の延長だと新聞に書かれている。そんな組織が信じられるのだろうか。
 リタは落ち着かない気持ちを抱えたまま、引き渡しに向けての準備を独り言すら零さず取り掛かり始めた。あっという間に十一時を迎え、リタは旅行鞄を脇に玄関先に立ち、馬車から降りた壮年の男性と若い女性に深々と頭を垂れた。



「ハイディ伯爵、それとジェシカ・パイク様、お待ちしておりました」
「こんにちは。わあ、流石デヴィッド・キング氏の屋敷! 洗練されていることで!」

 屋敷を見て女性は楽しそうに笑った。二十代前半といった癖が強く短い茶髪で、女性には珍しいパンツスタイルだ。今日からこの人がこの屋敷の新しい主人になる。

「子供の頃からこういうお洒落な屋敷に住むのが夢だったの。幽霊でも出そうだけど!」

 ジェシカは朗らかな笑顔を浮かべて滑らかに語りかけてきた。表情の割に飄々とした口調。デヴィッドの死には裏がある事を改めて感じ、喋る言葉を選ぶ。

「リタ・スタンリーと申します。去年の冬からデヴィッド様の身の回りのお世話をさせて頂いていましたメイドです」
「存じ上げてますとも! 今日まで屋敷を守ってくれて有り難うございます」
「寝台など、警察の検分が終わった家具はそういう取り決めでしたし残しております。それとご要望通りデヴィッド様が愛した庭もそのままです。……この屋敷はもうジェシカ様の物ですけど、偶にはデヴィッド様の事を思い出してくださればと思います」

 はい、とジェシカは茶色の瞳を細めた。その後ろに、何時の間にか壮年の男性が立っている。年齢の割に姿勢の良いその人はルミリエ領主ハイディ伯爵だ。

「伯爵もわざわざ有り難う御座います」

 いつも通り寡黙なハイディにも礼をする。ハイディはリタとジェシカのやり取りに興味が無いのか、反応もせずに先程からじっと庭を見ていた。果たしてハイディが介入する必要がどこにあるのか少し疑問だった。

「リタさん、じゃあ鍵くれますー?」
「……はい、こちらです。ジェシカ様はお若いのに良く屋敷が買えましたね。ご職業を伺っても宜しいですか?」

 自分の事を聞かれたのが嬉しかったのか、ジェシカは表情を明るくして頷く。
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